sae(嫁野さん)

3 件の小説
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sae(嫁野さん)

小説、特に純文学のようなもの。エンタメにはちょっと遠い。

マイカ・ナイト

 マイカのことなら何でも知っている。  部屋着の色やパジャマの柄まで知っている。もっと言おうか。下着の色までわかる。  マイカがむかし、自分のことを「マイカ」と呼んでいたことも、後になってそれが恥ずかしくなって「わたし」に変えたことも知っている。  マイカが中学三年生になったことも。通学路で、変な怪しい男に付き纏われてることもだ。知っている。  マイカの母さんが言っていた。 「警察に相談した方がいいかしら」  うんうん、その通り。  僕はとても、耳がいいのだ。  僕は言ってしまえば、マイカのとりこだ。彼女に囚われている。いつだって、ここから彼女の言葉を聞いている。何一つだって聞き漏らすものか。  彼女を守るのが僕の言葉ならいいなと、僕は思ってる。  僕は無力で、彼女に何もしてあげられない。せいぜい声を聞き、喋りかけることくらいしかできない。きっとマイカも僕がこうやって言葉ひとつひとつに神経を尖らせているということを、知ってるはずなんだ。 「マイカ」 と僕がいうと、マイカは苦々しく笑った。 「はいはい」  マイカが帰宅し、部屋着に着替え、宿題などを始めたくらいの時刻。不審な男が僕の前に現れた。マイカの両親は共働きだ。中学生のマイカは、今家に一人。男はそれを知っているみたいだった。  僕は首を傾げて彼を見つめたが、目の下にクマを作った男は僕を見もしないで、マイカの部屋に忍び寄っていく。  危ない。  危ないマイカ。 「マイカ!マイカ!」  僕は喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。 「マイカ!マイカ!」  男が血走った目でこっちを凝視した。  誰が来たか、誰に見つかったかとあたりを見回し、音の出どころが僕だと分かると、男は僕の籠に殺到した。 「うるせえ!」 「マイカ!」 「このクソ鳥!」 「マイカ!マイカ!」  騒ぎを聞きつけてマイカが飛んできた。そして僕と不審者の対決を見るや否や、大声で叫んだ。 「きゃあああああ!」 「うるせえ!クソ!」 「マイカ、マイカ、」  男が僕の鳥籠を引き倒した。世界がグルングルンと回った。男は僕の方なんか見向きもしないで走って逃げていってしまった。 「ピー助!ピー助大丈夫?」  平気だよ。僕飛べるからね。 「助けてくれたの?」  うん、助けたかったんだ。 「ピー助、ありがとう」  うん。  僕ってばどうして鳥なんだろうな。しかもおかめインコ。もうちょっとカッコいい鳥だったら、怖くて泣いてるマイカの頬に頭を擦り付けても、様になるのになぁ。  ねえマイカ。  無事でよかったよ。

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マイカ・ナイト

劣等感

 学生だった頃の私はいつも、「クラスで二番目に文章が上手い子」の位置にいた。  どれだけ好きで書いても、どんなに頑張って書いても、その一番の子の足元にも及ばなかった。彼らはいつも、表彰されたり、何か特別な賞に選ばれたりしていた。  私はといえば、ただ「書くのが好きって言いはっちゃってるけど、全然結果出ないただの凡人」だった。すごく、かっこ悪かった。  私は「書くのが好きだ」と言い続けなければならなかった。ほとんど自分や周りに言い聞かせるように、繰り返していた。「好き」であることでくらい、一番の子に勝りたかったのかもしれない。わからないけど、ひたすら言っていた気がする。  私、物語は書くのも読むのも好きなんだ。  それでも選ばれない私は他の人の目にどう映っただろうか。  つまり、二番手ってそういうことだ。  私には、才能に恵まれている弟がいた。中学生の時から、彼の脚は飛び抜けて速かった。風ほど軽やかにはいかないけれど、フィールドを跳ねるように踏みしめる脚は鹿のようだった。ぱっと見恐ろしい形相にも思われる競技中の彼の表情、ひきしまる筋肉の隆起、その威容たるや、草原を駆ける獅子のごとしだった。  彼はどこの大会に出ても一番を勝ち取ってきた。両親は大喜びで、弟の送迎を行った。その頃、何につけても世界の中心は弟にあって、弟の体調や脚の具合にあったように思う。それはそうだ。結果が出る方が面白いし誇らしいに違いない。私だってそうする。  私は二番手以下のままだった。  その頃、たまたま、偶然、読書感想文で優秀賞を取ったけれど、当然弟の輝かしい一位の賞状やメダルに圧倒され、すっかり掻き消えてしまった。父などはもう私の唯一の賞状を忘れているに違いない。  ちなみに、最優秀賞を取ったのは一つ下の学年の男子生徒だった。  弟はひょんなことからやる気をなくしていき、今では陸上競技を憎むまでになってしまったのだけれど。  私がついぞ手に入れることのできなかった「才能」ってやつを、彼がドブに捨ててしまうのを、少し遠くから眺めるほかなかった。  今も、自信は、ない。  いつも二番手だ。  どれほど美しい文章を仕立てようと中身が伴わねばならず、どれほど重厚な物語を拵えようとも表現が人並みでは読み継がれない。 「わかっちゃいるけど、何一つ伴わない」  そんな今がずっと続いている。  

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劣等感

走ってゆくための

 父が助手席に乗り込むと、先ほどから掛かっていた緊張のアクセルがぐんと踏み込まれたみたいで、私はひしとハンドルに縋り付く。 「あはは」  意味もなく笑った。父は笑わずにきっちりシートベルトを締めて、「行くぞ」と低い声で言った。「はあい」  我が家では免許を取った次の夏休みを「続・免許講習」と題し、手始めに助手席に父を乗せて町内を一周するのが慣例となっている。  父は四人いる兄姉の間で厳しいともっぱらのウワサだった。でも、「父さん厳しいぞ、気をつけろよ」なんて言われなくとも、一人ずつ順番にやってきたのだから、末子の私がその厳しさをわからないはずがない。 「ブレーキが遅い」 「はあい……」  今も、この有様だ。 「ハンドルの切り方も遅い」  ああ、へこむ。 「だが、きょうだいでは一番まともだな」  ほらね。……って。 「……え?」 「和哉も仁も美佳も史織も、確認がなっていなかった。いつき。お前が一番周りをよく見てる」  私は褒められて動揺した。 「でも。でもそれは私が、臆病なだけだよ」 「臆病くらいがちょうどいい。忘れるな。周りをよく見ろ。そして臆病に進んでいけ。慣れたころが一番危ないからな……」  前を見る。まっすぐ国道が伸びている。開けてゆく景色の向こうに、空へと手を伸ばす入道雲が見えてきた。 夏。  私の夏休みが、始まる。じぶんで走り出すための夏が。

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走ってゆくための