走ってゆくための

走ってゆくための
 父が助手席に乗り込むと、先ほどから掛かっていた緊張のアクセルがぐんと踏み込まれたみたいで、私はひしとハンドルに縋り付く。 「あはは」  意味もなく笑った。父は笑わずにきっちりシートベルトを締めて、「行くぞ」と低い声で言った。「はあい」  我が家では免許を取った次の夏休みを「続・免許講習」と題し、手始めに助手席に父を乗せて町内を一周するのが慣例となっている。  父は四人いる兄姉の間で厳しいともっぱらのウワサだった。でも、「父さん厳しいぞ、気をつけろよ」なんて言われなくとも、一人ずつ順番にやってきたのだから、末子の私がその厳しさをわからないはずがない。 「ブレーキが遅い」 「はあい……」  今も、この有様だ。 「ハンドルの切り方も遅い」  ああ、へこむ。
sae(嫁野さん)
sae(嫁野さん)
小説、特に純文学のようなもの。エンタメにはちょっと遠い。