えむ

16 件の小説

えむ

多忙ですが読書が好きです。色々な方の作品を読ませて頂き、ありがたいです。自作はあまり上手くは有りませんが、感想など頂けると喜びます。

アスフール 13

「透子さん、こんばんは」  振り向くと、ミヤマさんが居た。私の部屋に、また窓が開いている。庭木には1羽のカラスが止まり、羽を広げている。カァ、と小さく鳴いた。  今日も来た・・・。 「毎夜、伺わせて頂きますよ。透子さんの事を見ていますので」  グラデーションの眼鏡の中で、赤い斑点の三白眼が光る。 「叔父君のモデルを務めていらっしゃるのですね。大分仲がよろしい様で」  何でも知ってる・・・。 「ずっと、見ていますので」  恐怖を感じた。自然と体に力が入る。 「しかし、現れませんね。アレは・・・。私達が側に居るからとは言え、放置が過ぎる。ねぇ、透子さんもそう思いませんか?」 「・・・」  何を言っているのか分からない。私は何も答えられなかった。ますます体に力が入る。  そんな私の様子を見て、ミヤマさんは何やら納得した表情を見せた。 「あーぁ、成る程・・・」  そう言って、私に近付いて来た。固まる私の顔を見て視線を合わせて、鼻と鼻がぶつかりそうになると、フッと横にズレ、私の肩の向こう側、背中を覗き込む様にする。 「羽を、お持ちだったんですね。アレに似て、小さいので気が付かなかった」  窓の外から、カァ、という声が響いた。 「おっと、近いと妻が怒っています」  ミヤマさんは、そう言いながら後ろに下がる。 「そうですか、そうですか。ではその羽、震わせて見せましょう」  その時、私のスマホが鳴った。 「宮本礼央氏からラブコールですね。お邪魔でしょう。退散致します」  バサバサ、と窓の外でカラスが羽ばたく。そちらに気を取られて、再び部屋の中を見ると、ミヤマさんは消えていた。  体から一気に力が抜ける。  私はスマホを手に取り、通話に出た。 「もしもし、透子ちゃん?」  先輩の明るい声が耳に届く。一気に安心に包まれた。 「礼央先輩・・・はぁ、はぁ」  気付かないうちに、呼吸を止めてしまっていたみたいだ。電話口で息が切れてしまう。 「えっ、何?・・・エロいけど」 「やだバカ!」 「えっ、ゴメンナサイ!でもどしたの?走って来た?電話平気?」 「大丈夫です。ちょっと呼吸困難なだけです」  先輩の声を聞くだけで安心する。一瞬で気持ちが明るくなる。明るくなって、嫌な事なんて全部忘れてしまう。 「明日学校で逢えるのに、待てなくて電話しちゃった。声が聞きたくてさー」 「私も、先輩の声が聞けて嬉しいですよ」  そのまま、日付が変わる迄2人で話した。目の前に居ないのに、声を聞くだけで、顔が赤らんだり、胸が締め付けられたりする。  その夜は、いかに自分が先輩の事を好きになってしまったのかを思い知らされる夜になった。 「行って来ます」  少し寝不足の目を擦りながら家を出た。すぐに斜向かいの家のドアが開き、そこから雅彦が出てくる。 「あ、雅彦おはよう」 「おはよう」  私が挨拶をすると、すぐに返してきた。 「透子、目の下にクマがある。寝不足?」  すぐにバレる。そんなに分かりやすいかな?  私は手鏡を出して顔を見た。少し黒ずんでいる程度で、そんなに酷くは見えないのだが・・・。 「誰かと長電話でもしてたの?」  なんで・・・。 「・・・図星か。相変わらず顔に出過ぎだ」  苦笑いをされてしまった。悔しい・・・。 「実はね、私、宮本先輩と付き合い始めたの。それで昨日の夜、遅くまで電話で話しちゃって」  隠す必要も感じなかったので、私はそのまま伝えた。 「・・・はぁ!?」  雅彦にしては大きなリアクションだ。こっちがビックリする。 「何で?何で付き合ったの?宮本って、あの宮本?」  嘘だろ、と呟いている。  私は、ムッとしてしまった。 「何でそんなに驚くの?」 「だってあんなセクハラばっかりな・・・あっ、いや失礼。でも・・・ゴメン」  言い訳しようとして最後に謝る。フォローのしようがないって事?もう、ホント失礼。 「雅彦嫌い。先行く」  私はズンズン先に進んだ。 「透子ごめん。悪気は無いんだ」  平謝りで付いてくる。 「透子、宮本先輩の事嫌がってるように見えたから。どうして付き合う事になったの?教えてよ」  教えるのも嫌だったけど、食い下がってくるので仕方なく教えてあげた。 「・・・それで、付き合う事になったの」  遊園地の経緯を簡単に説明すると、雅彦は呆れた様な顔をする。 「透子・・・簡単すぎ・・・」 「あ、酷い。喧嘩売ってるの?」  幼馴染だからって、言いたい放題すぎる。 「そんなもの売らないよ。けどさ・・・」  雅彦がそこまで言った時、校門前に先輩の姿を見付けた。先輩は自転車通学だから、一度駐輪場に寄ってから校門に来る。 「透子ちゃんー」  名前を呼びながら私の所に来てくれた。 「おはよう!」  優しい声の挨拶。一日間が開いただけなのに、再会が嬉しい。 「おはようございます、礼央先輩」  雅彦との会話での怒りが引いていく。不思議だ。 「何?いつも2人で登校してんの?」  先輩は私と雅彦を交互に指差して、ちょっと不機嫌そう。 「家が近いので、いつも一緒になっちゃうんですよ」  私がそう説明すると「ふぅん」と言って、先輩は私と雅彦の間に入った。 「一緒に行こ」  そう言って、私と手を繋いで昇降口へと向かう。当然の様に恋人繋ぎ。私は顔が火照るのを感じた。 「礼央先輩、学校でくっつくの恥ずかしいですよ」  俯いてそう言う私に、先輩は 「見せびらかしてるの。透子ちゃんが俺の彼女だって」  そう言って笑いかけてくる。 「あれ?ナニ礼央、彼女出来たの?」 「おう、イイだろ」 「へー、可愛いじゃん。上手い事やったなー」 「だろー」  先輩の友達だろうか、沢山の人に話しかけられて、彼女だと紹介されていった。 「ちゃんと言っとかないとさ、手出されたら大変でしょ?」 「心配し過ぎですよ。誰も手なんて・・・」 「出すよ。こんなに可愛いんだから」  その後、先輩は私を教室まで送ってくれた。別れ際に頭を撫でて行く。 ・・・何だろう、このこそばゆい気持ちは・・・。 「・・・透子・・・」  赤い顔でボンヤリしていると、後から声を掛けられた。  環だった。

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アスフール 12

「ミヤマさん・・・?」  何故、私の部屋に入って来たのか。何処から入って来たのか。ドアは私が入って閉めてから開いていない。  その時、私の前髪が揺れた。  風・・・。  窓が開いている。では、窓から? 「突然すみません。是非お祝いの言葉をお贈りしたいと思いまして。本日は、宮本礼央氏との交際成立、おめでとうございます」 「・・・え?」  何でそんな事を言われるのだろう。私と先輩の事を何故知っているのだろう。 「今日一日、透子さんの行動を見させて頂きました」  私の心の中を見透かしたように、疑問に答えてくる。  怖い・・・。 「怯える必要は有りません。私達は見ているだけです。加護のある透子さんに、触れる事も出来ません」  窓の外から羽音が聞こえた。小鳥よりも大きな鳥の羽ばたく、ゆっくりとした羽の音。見ると、大きなカラスが1羽、庭木の枝に止まっている。 「妻です」  ミヤマさんが言った。 「妻は招待を受けていないので、中に入る事は出来ません。ですが、透子さんを外から見る事は出来ます」 「招待・・・?」 「男の私よりも、女の妻が招待を受けられた方が良かったのでしょうが、私が置引きをして妻が捕まえるのでは不自然な印象を与えるかと思いまして。より自然に招待を受けられる様に、このような配役となりました」  何を、言っているのだろう。カラスが妻?  それに、それではまるで、計画的に招待を受けたと言っているようではないか。  もしそうだとしたら、何の為に・・・。 「透子さんの側に居れば、見付けられると思いますので」  何を・・・。 「小さな、空飛ぶアレを、です」 「・・・」  私は、何も言えなかった。 「宮本礼央氏は、良いお相手ですね。何しろカラスに偏見が無い。私達に向かって歌を歌ってくれました」  先輩と待合せをした時の事を思い出す。電線に留まるカラスを音符に例えて、ドレミを呟いていた。  見てたの?それとも、あの時のカラスは・・・。 「末永く、お幸せに。クククッ、小さな空飛ぶアレが哀れです。ああ愉快」  ミヤマさんの嘲笑うような声。嫌な感じがした。  窓の外で、大きく羽ばたく音がする。そつちを見ると、先程のカラス、ミヤマさんの妻が、空に向かって飛び立つ所だった。  部屋の中に視線を戻すと、もうそこには、誰も居なかった。  翌日、私は和樹の家に来た。  ドアの呼び鈴に、インターフォンが答える。 「透子いらっしゃい。開いてるから入って」  素気ない声。ああ、順調なんだな。私はそう思った。  開いているドアを潜り、私はリビングに上がる。すると、イーゼルに乗せたキャンバスに向かい、ペンティングナイフで絵の具を載せ続ける和樹の姿が目に入った。部屋中テレピンの匂いが充満している。  また締め切ってやってる。  私は南側の大きな窓と、隣接した和室の小窓を細く開けて換気をした。  和樹の体調はもう大分良くなっているのだろう。顔色も肌艶も良い。ただ、スウェットのウエスト部分からは肌着がはみ出て、裾は右側だけ膝まで捲られていたりする。髪の毛は起きてそのままなのかボサボサ。髭も伸び放題。まぁ、だらしがない事この上ない。  外に出ないからって、気にしなすぎる。 「もうお昼過ぎだけど、ちゃんとご飯食べた?」  私がそう聞くと、作業の手を休める事なく「うん」と答える。 「朝も食べた?」  その質問にも「うん」と答える。 「何食べたの?」  そう質問しても「うん」と答える。 ・・・聞いてないし、食べてないな・・・。  そう思って、私はキッチンに入り冷蔵庫を開けた。中にはサンドイッチとおにぎりと、ペットボトルのお茶とレモンの炭酸水が入っている。炭酸水は私用で、サンドイッチが朝ごはん、おにぎりがお昼ごはんといった所だろうか。買う所までやって何故食べないかな。  私は、サンドイッチとお茶を取り出し、棚からストローを出してリビングに戻った。  無心で絵の具を載せ続ける和樹の口元に、サンドイッチを近付ける。パクッと一口食べた。もぐもぐと手を休めずに咀嚼する。  続いて、ペットボトルの蓋を開け、ストローを差し込み口元に持っていく。すかさずストローを咥えてコクリとお茶を飲む。やはり手は休めない。 「美味しい?」  私がそう聞くと、やはり「うん」と答える。  相変わらずだなぁ、と思いながらも、私はこの作業が好きだったりする。動物園の触れ合いコーナーで、ウサギやモルモット、山羊に餌をあげる感覚。楽しい。  ある程度食べさせた所で、和樹は「もういい」と言った。 「透子、着替えてソファに行って」 「はーい」  私は返事をして、モデル用のセーラー服に着替えてソファーの背もたれに寄り掛かった。 「もうちょっと左・・・左手少し伸ばして・・・」  出される指示に従って体の位置を直す。場所がokだったのだろう。そこからはひたすら沈黙。  大分集中しているみたいだ。  和樹は、とても波のある人だ。描きながらひたすら喋る時もあれば、今みたいに描く事だけに集中する事もある。  描けない時は全く手を付けられなくなる。魂が抜けた様に何もしない時もあるし、苦しそうに溜息ばかり吐いている時もある。  そういう波を乗り越えて、良い作品が出来上がって行く様だ。  私とお母さんは、そんな和樹を出来る限りサポートしている。力になる事で作品が出来上がった時は、喜びや達成感を一緒に味合わせて貰っている。ナカナカ経験できることでは無いだろうから、貴重な事なのだろう。  日が傾いて暗くなり始めた頃、和樹はようやくペンディングナイフを置いた。 「ありがとう透子。長くなっちゃったね、疲れたでしょ」  指先もスウェットも絵の具だらけの和樹が言った。  私は、ウトウトしていた。和樹の声で眠い目を擦り、立ち上がった。 「疲れたというか、眠くなっちゃった」  言いながら和樹の横に並ぶ。キャンバスには、来た時には何も描かれていなかった部分に沢山の絵の具が乗せられていた。 「・・・翼?」 「うん。透子の背中に翼が見えた」  キャンバスの中の私の背中には、実際には付いていない翼が生えていた。西洋の宗教画の天使の物よりは小ぶりな、白ではなく茶色の翼が。 「なんだか可愛い」  私がそう言って笑うと、和樹は 「ね、スズメみたい」  と言った。  スズメかぁ・・・。 「眠いなら泊まってく?一緒に寝よ?」  和樹は、そう言って私の手を握った。絵の具が付く。 「明日学校だもん。帰るよ」 「そっか。俺もそろそろ学校行かないと単位足りなくなるな」 「ちゃんと卒業して下さいね?」 「うん。頑張る。次、水曜か木曜辺りに来れる?」 「良いよ。まだテストまで時間あるから。水曜日に来る」 「ん。分かった」  和樹は、頷いて私の顔を覗き込む。 「透子ありがとう」 「どういたしまして」  そう言った私のおでこに自分のおでこを重ねる。 「あーあ、ギュッてしたいのに、汚れてて出来ないや」  残念そうにそう言う。 「またそんな事言って。じゃあ帰るね!」  私は、手を洗って着替えて、和樹の家を後にした。  元気そうで良かった。水曜日は、栄養価の高い物を差し入れしよう。あ、レモンの炭酸貰い忘れたな・・・。

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アスフール 11

 私は左に、宮本先輩は右に、分かれて進む。  しばらく進むと、タブレットを設置する台が現れた。そこに設置すると、名前と生年月日、血液型を入力させられた。それが終わると、6枚の絵が出て来て好きな物を選ぶようにと言われる。動物と遊ぶ絵、ご飯を食べる絵、走っている絵等。次に12色の色から好きな物を選んだ。  それが終わると、次の台へと促される。  心理テストみたいな感じかな?  そう思って進むと、前を進む人に追いついてしまった。さっきの外人男性の1人。彼等もペア占いをやっているようだ。  外人さんは、私に気付いて話しかけてきた。英語で。  どうしよう。宮本先輩がいないと話せない・・・。  困ったな、と思った時、お母さんの言葉を思い出した。 「透子、英語が喋れなくても恐ることはない。自分が英語を喋れないのと同じように、相手は日本語を喋れないんだ。立場は変わらない。英語で話しかけられたら日本語で返してやれ」  そうだ。恐れず日本語で対応しよう。 「すみません、私は英語喋れないんです」  そのまま言ってみた。すると外人さんは、 「私、少し、話せます」  と日本語で答えて来た。なんだ、喋れるじゃないか。 「どうかしたんですか?」  私がそう聞くと 「1人、寂しい、行きたい、一緒、ok?」  と言った。成る程、寂しかったのか。 「良いですよ、行きましょう」  私は笑顔で答えて、彼と一緒に進んだ。  片言の日本語と、片言の英語、混ぜ混ぜで何とかコミュニケーションを取りつつ進み、合流地点に到着した。なかなか楽しい時間を過ごさせて貰った。 「透子ちゃんー!」  宮本先輩が手を振ってくれる。 「oh lucky boy」  横から外人さんの英語が聞こえたと思うと、私は外人さんにウエストを抱き寄せられ、彼の胸の中に飛び込んでしまった。 「え?何?」  びっくりしてそう言った時、頬に柔らかい感触を感じた。頬にキスをされている。  なにこれ・・・。  固まって動けないでいる私。  その後の宮本先輩の動きは早かった。私とその外人さんをあっという間に引き離すと、私を庇う様に間に立ち、大声で外人さんに向かって英語で叫んだ。自分より大きい彼の胸を力一杯押す。よろける外人さんを、恐らく宮本先輩と一緒に回って来たであろうもう1人の外人さんが支えた。  3人で暫く英語で言い合いをした後、宮本先輩は私を連れて先に進んだ。 「何なんだあいつ、信じらんねー」 「あの、宮本先輩、どうしたんですか?」 「透子ちゃんの事を気に入ったから寄越せって言ってきたんだよ」  へ!?なんだそれは・・・。 「ゴメン透子ちゃん、やっぱり離れなければ良かった」 「そんな、宮本先輩が謝るような事では無いですよ」  そのまま私と先輩は、あの2人から距離を取るように早足で進んで、タブレットを返し、占い結果の紙を貰って『占の館』を後にした。  お互いに妙な興奮に包まれていたので、側にあったベンチに腰を下ろして息を吐く。 「あー全く、腹の虫が治まらねー」  怒り心頭な様子の先輩に、私は嬉しい気持ちが湧いてくるのを感じた。  先輩は、私の為に怒ってくれているんだ。  そう思ったら、胸の奥に湧き上がってくるものがある。 「あの、先輩?」 「ん?」 「ありがとうございます。私の為に怒ってくれて」 「そんなの、当たり前じゃないか」 「私、嬉しいです」  そう。嬉しい。私の為に、自分より大きな相手に向かって行ってくれた事が。守ろうとしてくれた事が。  あーあ、私チョロいな。  ベンチの横の自動販売機でレモンの炭酸を2本買う。1本を先輩に差し出した。 「お礼です。私を守ってくれた」  その後、観覧車に乗ったり、2人乗りの自転車に乗ったり、お化け屋敷に入ったり(人が脅かすタイプのものだった。2人共初めての体験で非常に怖かった!)して、あっという間に閉園時間になってしまった。 「宮本先輩、ありがとうございました。家にまで送って貰って」  私は、言いながら頭を下げた。 「いいや、こちらこそスゲー楽しかった。ありがとう!色々あったけど」 「色々ありましたね」  本当、ぎゅっと詰まった一日だった。 「透子ちゃん、あのさ」  先輩がかしこまって言う。 「はい」 「今日一日一緒に過ごして、色々あったけど、俺やっぱり透子ちゃん好きだなって改めて思った。最初に会った日に言ったけど、もう一度ちゃんと言わせて。 透子ちゃん、俺の恋人になって下さい」  胸がギュッと、鷲掴みにされたみたい。手足が痺れたみたいに感覚を失っている。  嬉しかった。嬉し過ぎて、動けなくなってしまった。  返事を、しなくちゃ・・・。  そう思うのに、なかなか口が言う事を聞いてくれない。  黙ったままになっていると、先輩が先に口を開いた。 「・・・あーっと、やっぱりダメかな?早過ぎた?今すぐ返事とか言わないから、良く考えて・・・」 「・・・ぃ」  先輩の言葉を遮って発した私の声は、小さ過ぎた。 「・・・え?」  先輩が聞き返してくる。  私は、深呼吸して、先輩の顔を見てもう一度言った。今度はちゃんと聞こえるように。 「はい」 「・・・ま、じ?」  先輩の目がまんまるに開かれる。 「よろしくお願いしまっ・・・!」  途中まで言った私の言葉は、先輩の勢いの良い抱擁で遮られた。 「ヤバい、嬉しい。俺死んじゃうかも知れない」  抱擁が強すぎて、私が死んじゃいそうです。  私は、先輩の腕の中でもがいた。 「ああ!ゴメン。苦しいよね」  気付いた先輩が腕を緩めてくれた。顔を上げると目の前に先輩の顔がある。同じ目線。同じ様な照れた顔。 「透子ちゃん、お願いがある」 「何ですか?」 「俺の事、名前で呼んで欲しい」 「・・・礼央先輩」  私がそう呼ぶと、先輩は下を向いてしまった。どうしたのかと思って、首を傾げて覗き込むと、先輩は急に顔を上げて、私の頬にキスをした。柔らかい感触と、耳に届く「チュッ」という音にドキっとする。固まっていると「さっきのこっちか」と先輩が呟いて、反対側の頬にもキスをした。さっき外人さんにキスをされた所に上書きする様に。繰り返す感触と音に、私は多分真っ赤になっていたと思う。 「ここにもしていい?」  先輩は、そう聞きながら私の唇に人差し指を当てる。聞かれても、押さえられては喋れないのですが。  そう思った瞬間、指が外れて、先輩の唇が重ねられた。  チュッと音がして、一回離れると、もう一度重なる。先輩の両手が私の頭を押さえた。  その後、何度か繰り返しキスをされた。 「ゴメン、我慢出来なかった」  私の目を見て申し訳無さそうな先輩の目。そんな顔も、素敵だと思ってしまうのは、恋のせいでしょうか。  部屋に戻っても、夢見心地は続いていた。無意識に手で唇を押さえてしまう。口元が緩む。『嬉しい』が止まらない。  気も緩んでいた。だから、非常に驚いた。後ろから急に声を掛けられた時は。 「こんばんは、透子さん」  心臓が跳ね上がり、肩を持ち上げたかの様に驚いた。振り返ると、そこに居るはずのない人が立っていた。  不自然な黒い髪の、ミヤマさんが。

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アスフール 10

「ファ、ミ、ソ、ド・・・」  待ち合わせの駅前に着くと、宮本先輩は植え込みの脇に座って空を指差し、そんな風にドレミの音階を呟いていた。 「宮本先輩・・・?」  待ち合わせの時間の5分前。早目に来て私の事を待っていてくれたのではあろうが・・・。 「あ、透子ちゃん」  宮本先輩は、私を見て手を戻し、立ち上がった。 「お待たせしました。あの、何してたんですか?」 「ああ、あのね、あそこの電線なんだけどさ、5本あるでしょ?そこにカラスの群が止まってて音符みたいだなぁって」  再び指差したその先を見てみると、確かに電線にカラスが止まっている。全部で5羽。うち真ん中ら辺に止まっている2羽が、こちらを見ている様な気がした。 「本当ですね・・・」  何故か、ミヤマさんを思い出した。 「透子ちゃん、来てくれてありがとう。お洒落して来てくれて嬉しいよ」  そう言って宮本先輩は、自然に私の手を取り繋いだ。当然の様に恋人繋ぎだ。宮本先輩の体と私の体が密着する。 「あの、宮本先輩・・・」  恥ずかしいです。そう言おうとして宮本先輩の方に顔を向けると、すぐ側に先輩の顔があって何も言えなくなってしまった。  身長が同じくらいで恋人繋ぎをすると、こうなっちゃうんだ・・・。  いつもの制服姿と違う私服姿の先輩は、少し大人っぽく見えた。ヴィンテージ風のダメージジーンズにブランドロゴがさり気なく入ったパーカー、足元のスニーカーはNIKEの白グリーン。正直『カッコいい』以外の褒め言葉が見つからない。  特にそのスニーカーは、私も欲しいと思うくらい可愛いくて、先輩にとても似合っていた。 「スニーカー好き?」  私の視線に気付いてそう声を掛けてくる先輩。 「宮本先輩の履いているそのスニーカーが可愛いな、と思って」 「これ良いよね。透子ちゃんにも似合いそう。今度一緒に見に行こ」  思わず頷いてしまった。これじゃ、次のデート確定・・・。 「そう言えば、昨日LINEを叔父さんに見られたって言ってたけど、父母よりも叔父さんが厳しい感じ?」 「厳しいと言うか、過保護ですね」 「そうなんだ。透子ちゃん可愛いから、過保護になるのも分かるな。一緒に住んでるの?」 「いえ、別々ですけど、時々会いに行きます。叔父は絵を描いているんですけど、その絵のモデルをしているので」 「(そういやあの2人叔父さんがヤバいとか言ってたな。昼間のLINE電話が何たらって)」 「?、何か言いました?」 「あっと、ううん。モデル!そうなんだ。絵描きさんなんだ。透子ちゃんの絵、俺も欲しい」 「・・・高いと思いますよ」 「あらま。まぁ、それは諦める。ならさ、電話やLINEするなら昨日位の時間がいいのかな」  また、電話してくれるんだ。そう思って私の胸がトクンと鳴った。 「はい・・・」 「じゃ、そうする」  先輩の笑顔が嬉しい。  あれ・・・?、私・・・。 「チケット代、俺出して良い?それとも割り勘が良い?」  駅の券売機前でそう聞かれた。 「私、払います」 「了解。ならICにここで入れてっちゃお。IC支払いokだから、その方がスムーズだよ」 「はい」  ちゃんと細かい所迄調べてくれている事に感動を覚えた。それと、最初のデートでありがちな『どっちが払うか』問題をサクッとクリアしてくれた事にも。  先輩のおかげでスムーズに園内に入り、まず最初にメリーゴーランドに乗った。 「絶叫系は苦手なんですよ」  という私の意見を聞いてくれて、穏やか系を回って貰う事になったのだ。 「二階建てなんだね」  そう言う先輩に手を引かれて登った二階部分は、遠くまで見通せて予想以上に楽しかった。 「園内が見渡せちゃいますね」  そう言って笑った私を、先輩がスマホでパシャっと激写した。 「あ、勝手に撮った」 「ゴメンゴメン、でも自然な笑顔撮れたよ」  そう言って笑う先輩の笑顔が眩しい・・・。  後でその写真を私のスマホにも送って貰った。  次に『占の館』なるアトラクションに入る事にした。入口で、外人男性の2人組が、係員と何か揉めているのを見つけた。近づいてみると、タブレットを持って内部を回るのだが、その説明が日本語で読めない、と訴えている様だった。係員さんは片言の英語で説明しているのだが、上手く伝える事が出来ていないみたいだ。 「Excuse me,」  突然、先輩が会話に割って入った。流暢な英語で外人男性達に英語表示への変更方を教え、中の進み方までレクチャーしてあげる。 「thank you!」  外人男性達は、そう言って機嫌良く中に入って行った。 「宮本先輩って、英語喋れるんですか?凄い」  私は驚いてそう言った。 「うん、そうなの実は。見えないでしょ?」 「・・・ここで『はい』って言ったら失礼ですよね」 「ハハハッ、みんなに言われてるから別に気にしないけど。こう見えて、何度もホームステイとかしてるんだよ?だから英語は完璧。他の教科もね、以外と出来るの」 「凄い・・・」  感嘆の声が漏れてしまった。 「俺らも入ろう?」 「あ、はい」  そして、私達も『占の館』へと入った。  中では色々な占いの中から好きな占いを選び、それぞれのルートに分かれて進めて行くというものだった。 「金運、健康運、仕事運、学業運、恋愛運・・・と、ペア占い」 「ペア占いって何でしょう?」 「2人でやるみたいだね。2人居るからこれにしてみる?」  私達は、その謎のペア占いという物をやってみる事にした。  各々が一つずつタブレットを持ち、中に進んで行くと、別れ道になる。 「え!ここからバラバラなの!?」  先輩のびっくりした声。二手に分かれての作業になるようだ。 「じゃあ、私は左に行きますね」  そう言って手を離して進もうとすると、ぎゅっと握られ引き寄せられた。 「離れるのやだなー。コッソリ一緒に行かない?」  近距離でそう囁かれる。少しドキッとしてしまった。 「コッソリしても、上手く出来ないと思いますよ?」  私がそう言うと、 「だよねー」  先輩は、そう言って残念そうに手を離した。 「後でね」  頭を撫でながらそう言う先輩。  やだなー、いちいちドキドキしてしまう。  そして、私達は別々のルートを進み始めた。

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アスフール 9

「ご招待ありがとうございます」  ミヤマさんは、家に入ると改めてそう言い、深々と頭を下げた。 「いえいえ、こちらこそ有難う御座います!」  お母さんは事情を聞いて、ミヤマさん大歓迎モード。4人で食事をし(急な来客なのに難なく用意するお母さん、流石です)、その後両親とミヤマさんの3人で話し始めたので、私は席を外させて貰った。  部屋に戻る前にキッチンで、冷蔵庫から柑橘系炭酸水を取り出して廊下に行くと、ミヤマさんがリビングから出て来た所だった。 「トイレですか?こちらですよ」  私は、案内の為トイレの方向を手で示し進み出す。 「有難うございます」  言いながらついて来るミヤマさん。グラデーションの眼鏡の奥の目に、少し違和感を感じた。白目の部分に赤い無数の点がある様に見える。 「気になりますか?」  私の視線に気付いたのだろう、ミヤマさんがそう言った。 「ゴメンなさい、不躾でした」 「いえ、構いませんよ」  そう言って眼鏡を外す。私に向けて目を見せてくれた。三白眼の両目の白い部分に、星の様に散る赤い斑点。 「医者の話しでは、怒り過ぎだそうです。視力には影響が無いのでご心配には及びません」 「そうですか・・・」  内出血の様に見えなくも無い。眼鏡で隠していると言う事は、慢性的な物なのだろう。目の血管は細いから傷付きやすいのだろうが、怒り過ぎとは、なんなのだろう・・・。 「それよりも」  私が原因について思案していると、ミヤマさんはそう言って私に顔を近付けた。そして、顔周りに鼻を寄せてクンクンと匂いを嗅ぐ。 「えっと、何か匂いますか?」  私は驚いて、顔を引きながら聞いた。 「匂いますね。小さな、空飛ぶアレの匂いが」 「・・・アレ、ですか?」 「はい、アレです。透子さん、お気を付けなさい。アレは、穏やかな顔をしていますが危険なモノです。決して騙されない様に」 「えっ・・・」  何を言っているんだろう・・・。 「アレの加護があるので、我々は手を出せません。ですが、見ている事は出来ます。幸い、家に『招待』を受けることも出来ました。今後は家の中に入って来る事も出来ます」  加護とか招待とか、一体何の事だろう。  私は背筋に寒気を感じた。 「ミヤマさん、トイレ分かりました?」  リビングからお母さんの声が聞こえた。 「はい、大丈夫です」  ミヤマさんは、そう答えて眼鏡を掛け直し、私を見ながら横を通り抜けた。  その目が「見ていますよ」と言っているような気がする。  私は、会釈して逃げるように自分の部屋へと逃げ込んだ。  ミヤマさん、何者なんだろう・・・。  私はドアを背に炭酸水の蓋を捻って一口飲んだ。  加護って何?招待?空飛ぶアレの匂い?  頭の中にクエッションマークが飛び交う。  赤い斑点の三白眼、鋭い眼光が目から離れない。  その時、私の鞄の中でスマホが鳴った。  ああ、そう言えば、宮本先輩から来たLINEが和樹に見られたままで既読スルー状態だ。  私は慌てて鞄からスマホを探し出し、画面を見た。宮本先輩からの着信だった。 「もしもし、ゴメンなさい。さっきスマホを叔父に取られて、先輩からのLINE見て無いんです」 「あ、透子ちゃん。良かった、出てくれて。そうなんだ。俺無視されてるのかと思って心配しちゃったよ」 「すみません」  申し訳無さで、声が小さくなってしまった。 「でさ、土日なんだけどどっちが良い?俺どっちも暇だから両方でも全然OKなんだけど」  どちらか行く事が既に確定しているような言い方に、少し笑ってしまった。 「まだ行くって言ってませんけど?」 「あれ?そうだったっけ?でも行くよね?」  宮本先輩の明るい声で、さっき迄の不安と恐怖が消えて行く。 「天気良さそうだから外が良いよねー。遊園地とかどう?ショッピングも良いな、夏物とか見たいよね」  勝手にどんどん進めて行く宮本先輩。この人は本当に、勝手で自己中で 「動物園とかもアリかなー、透子ちゃん動物好きそう」  でも明るくて、声聞くだけで元気が出て来ちゃう。 「・・・動物は好きですよ」  思わずそんな事を言ってしまう。 「えっ、本当?なら動物園行く?」  向こうからキーボードを打ち込む音が聞こえて来た。PC前で検索しながら電話しているようだ。 「あー、こんなご時世だから人数制限してるや。今週末は一杯っぽい」  ああ、しょうがないな。そんなに一生懸命になられちゃうと断れない。 「明日の土曜日なら良いですよ」  私はそう答えた。 「え!マジ?やった。嬉しい!ありがとう透子ちゃん!大好きだよ!」  最後にチュッという音が聞こえて来た。ははは・・・。 「どうしよう遊園地行く?こっちならまだ余裕ある」 「お任せします」 「おし、なら決めちゃうね。えーとねー・・・」  その後、宮本先輩と話しながら明日の予定を決め、大分遅くまで話し込んでしまった。

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アスフール 8

『生き辛い世界』とは、一体どう言う事なのだろう。  私は、考えさせられてしまった。  今私を取り巻くこの世界。それは、私にとってとても優しい世界。家族が居て、友達が居て、恩師や後輩、色々な人達に囲まれて、守られ慈しまれている世界。  勿論、苦労や苦難、嫌な事もある。沢山ある。理不尽さに『何故私が?』と疑問に思う事だらけだ。  それでも『生き辛い』とは違う、ような気がする・・・。  いやいや、そんな事よりも、だ。  私は、首を左右に振りながらイケメンさんに聞いた。 「あの、その前に、こちらから質問しても良いですか?貴方は、どちら様なのでしょう?」  私のその言葉に、彼は動きを止めた。私から視線を外し、辺りを見回す。なんか、誤魔化してる感じ? 「・・・気になります?」  逆に質問される。私は頷いた。 「気になります。と言うか、それを知らないままでは何の話も始まらないのではないでしょうか?」 「・・・」  彼は考え込んでしまった。 「アスフール・・・と、お呼び下さい」  考え考え、言葉を選ぶ様にそう言った。 「アスフール、ですか?」 「はい、アスフールです。省略してアスでも宜しいかと」 「アス、さん?お名前ですか?」 「ええ、名前です」  笑顔で何度も頷くイケメンさん、改めアスさん。 「では、アスさん。アスさんは、どういう方なんですか?何故、私に不思議な、薬?をくれるんですか?」 「それは・・・透子さんのお役に立ちたいから・・・です」  困った様な笑顔でそう答える。 「何で、私の役に立ちたいと思うんですか?」  質問攻めになってしまう。アスさんは困っている様に見えるが、聞かないわけにも行かない。なにせ劇的に熱が下がったり、怪我が治ったりしてしまったのだ。気にならない訳がない。 「教えて下さい。何でっ・・・」  私がそこまで言った所で、アスさんは、自分の右手の人差し指を私の唇に当てて、私の口を塞いだ。 「透子さん、そんなに矢継早に聞かないで下さい。困ってしまいます。私はただ、透子さんのお役に立ちたい、それだけなんです」  なだめる様な静かなアスさんの声に、いつの間にか力の入っていた私の体が解れていく。 「なので、透子さんがお辛いのであれば、楽にして差し上げたい。必要であれば、私共の世界へお連れしたい」  唇に当てていた指を外し、代わりに手を広げて頬を包み込む。 「透子さんは、日々多くの事に悩み、心を砕き、体にも傷を負われています。こんなに柔らかい、小さな体で。すぐにも壊れてしまいそうで、私は心配なのです。だから・・・」  その時、アスさんの全身に力が入るのを感じた。ハッと息を呑む。 「カラス・・・透子さん、また改めて伺います。どうかご無事で」  少し早口でそう言うと、私の額に口付けて、手を離して一歩下がった。おでこが熱くなる。 「アスさん・・・?」  どうしたの?  そう聞こうとした時、私は後ろから声を掛けられた。 「透子?透子じゃないか。どうした?そんな所で」  振り返ると、お父さんがいた。お父さんと、その背後に誰か男の人がいる。  あれ?今日は誰もお客さんを連れて来ないはずなのに。 「お父さん、お帰りなさい。ちょっと知り合いと話してたの」  私は、そう言いながらアスさんの方を見た。だけど・・・。  私は驚いた。今そこに立っていた筈のアスさんの姿が消えていたのだ。 「あれ?」 「誰も居ないじゃないか」 お父さんはそう言って笑った。 「透子、紹介しよう。こちら、ミヤマさん。さっきお父さん置引きにあってね、このミヤマさんが犯人を捕まえてくれたんだよ。ミヤマさん、こちら私の娘で透子と言います」  お父さんの横からミヤマさんと呼ばれた男の人が顔を出す。 「初めまして、ミヤマと申します」  真っ黒なスーツに鋭い眼光。グラデーションのかかったレンズの眼鏡を掛けた、ちょっと怖い感じの人だ。スマートな長身で20代後半位だろうか。ハッキリ言ってカッコいい。ただ、髪の色が気になった。  長期の休みに羽目を外して脱色したのを、慌てて黒く染め直した様な不自然な黒。ホントに真っ黒な髪。 「せっかくだから夕食を一緒しようと思ってね。家に招待させて貰ったんだよ。ささ、ミヤマさん。家はすぐそこです。どうぞこちらへ」  お父さんが片手で家の方を示す。 「ご招待ありがとうございます」  軽く頭を下げて、ミヤマさんはお父さんに続いた。 「透子も早く来なさい」  お父さんが私を呼んだ。 「はーい」  アスさん、どこに行っちゃったんだろう・・・。  私は、後ろ髪を引かれる思いで返事をし、その後に続いた。

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アスフール 7

 スマホから着信音が流れた。和樹が出る。  やだ、勝手に・・・。 「もしもし・・・、姉さん?うん、来てるよ。・・・うん」  お母さん?  和樹がスマホを私に渡して来た。 「透子?今日お父さん誰も連れて来ないみたいよ?良かったね」 「そうなんだ、良かった」 「和樹生きてた?昨日大量に作り置きしてったから、何か温めて食べさせといてね」 「分かった」 「早目に帰って来なさいよー」 「うん、すぐ帰るよ。後でね」  通話を切る。和樹の手は、まだ私の腕を掴んでいる。 「・・・何か食べる?私温めるけど・・・」 「・・・ううん、今いい」  掴まれた手を引っ張られた。和樹の胸に飛び込む形になる。  腕を高く持ち上げられて、爪先立ちさせられる。手首が捻られて痛い。 「ねぇ、和樹痛いよ・・・」 「会わないよね?この宮本って奴と」 「和樹・・・」  その時、窓の外からコツコツという音が聞こえて来た。最初は気にならない程度に。段々と大きくなり、窓に傷が付くのではないか?と言う程になった。 「・・・んだよ」  和樹は呟いて、私の腕を離して窓に駆け寄る。カーテンを開けると、バタバタと音を立てて何かが飛び立つ影が見えた。 ・・・小鳥・・・?  私は、体から力が抜けて、その場に座り込んだ。それを見て、和樹はハッとして歩み寄って来る。しゃがんで私の手を取り、赤くなった手首を摩ってくれた。 「・・・ごめん」  申し訳無さそうに、俯いて謝った。 「うん、大丈夫」  私は、消えそうな小声でそう答えた。 「・・・怖がらせた」  和樹も、私に負けない位小さな声で言った。 「大丈夫だよー。和樹、薬飲もう?」  私がそう言うと、素直に頷いた。解熱剤とお水を渡して、和樹がしっかり飲むのを確認した。 「お茶も飲む?食べてないから、胃が荒れないように水分取った方が良いよ?」  そう言うと、頷いてお茶を一口飲む。  それから、和樹と手を繋いで彼のベッドに連れて行き、寝かせて、使った食器を片付けた。最後に寝室に顔を出して「帰るね」と言う。 「今日金曜か。義兄さん帰って来るの?」  仰向けで、片腕を顔に乗せて聞いて来た。 「うん、お父さんだけみたい。今日は気楽だよ。和樹も元気だったら一緒したかったね。熱まだあるから明日は無理そうだけど、日曜日モデルしに来る?」 「・・・うん。待ってる」 「じゃ、日曜日にね」  そして、私は和樹の家を後にした。  和樹は、時々こうなる。興奮して自分を抑えられなくなる。もしかしたら、精神的な疾患なのかも知れない。でも、その不安定さが、和樹の絵を素晴らしい物にしている、らしい。  事実、和樹の絵は多くのコンテストで色々な賞を貰っていて、在学中ながらも少なくはないファンがいるのだそうだ。  私も、そんな和樹の絵が嫌いでは無いし、親族として誇らしくもある。協力出来る事は協力したい。  それに、私を心配しての事である。過保護が過ぎるのだ。私がもうちょっと成長してしっかりすれば、私に対してのこういう事は治るのではないか?と期待している。  赤くなった手首を見る。少し熱を持っていた。  大丈夫、これくらい。ちょっと痛いだけだもん。  和樹の家から私の家迄は、歩いて10分程のご近所だ。すぐに家の側に着く。我が家に近付くに連れて、犬の鳴き声が聞こえて来た。恐らく、私の家のお向かいの大沢さん家のマリモちゃん。セントバーナードだ。  散歩前か、散歩帰りに、よくドアノブに伸び縮みするリードを掛けられているのを見るので、今もそうなのだろう。  家の前まで来て、私は驚いた。  我が家の方向に向かって激しく吠えるマリモちゃん。その前には、1人の男の人の姿があった。  背の高い、茶系のお洒落なスーツ、お揃いの帽子のその姿は、あのイケメンさんに違いない。  イケメンさんは、マリモちゃんの迫力に動けなくなっている様に見えた。  私は側まで行って声を掛けてみた。 「あの、どうかしましたか?」  私の声に振り返るイケメンさん。その体は小刻みに震えていた。 「だ、大丈夫ですか?」 「・・・」  怯えて何も喋れなくなっているみたいだ。相当犬が苦手らしい。 「歩けますか?ちょっとマリモちゃんから離れましょう」  私は、彼の手をゆっくり引いてみた。震えながらもついて来るイケメンさん。 「そこの角まで頑張ってみましょう!」  私は、ゆっくりではあるが、なんとかイケメンさんを連れて、マリモちゃんが吠えない所まで移動してきた。 「もう大丈夫ですよー」  そう言ってイケメンさんに向き合うように立つ。 「はぁ、有難う御座いました。助かりました。どうもあの手の肉食動物は苦手でして」  肉食動物って表現はマリモちゃんに対してどうなんだろう・・・。 「あの、透子さん。今日は貴女にお話ししたい事があって参りました。路上で申し訳ありませんが、少し宜しいでしょうか?」  繋いでいた手を握り直して、イケメンさんはそう話し出した。ぎゅっと握られて、手首が痛む。 「ああ、そうでしたね」  イケメンさんは、私の手首を優しく握った。ヒヤリと冷たくて気持ちが良い。  フッと痛みが消えた。え?と思って手首を見ると、腫れが引き、治っていた。  驚いてイケメンさんの顔を見ると、笑顔を見せてくれる。だけれども顔色がさっきよりもワントーン悪くなっている。彼の髪の毛が一房ハラリと落ちた。地面に落ちると、それは鳥の羽に姿を変える。 「・・・」  私は、何も言えなくなっていた。目の前の出来事について行けない。 「透子さん。この世界は、貴女にとって『生き辛い』物ではありませんか?もしそうならば、私は貴女を『私共の世界』へとお連れ致します」

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アスフール 6

 放課後、帰ろうと立ち上がって振り返ると、環と雅彦が二人で何かを話していた。 「・・・さ、もういっそアレを囮にして、証拠を掴めば・・・」 「・・・万が一の・・・だろ。透子が・・・たら」  何話してるんだろう?  私はそう思いながら近づいた。 「ねぇ、なっ・・・!」  話し掛けようとした所で、後ろから誰かに羽交い締めにされて口を塞がれた。  びっくりして暴れると、耳元で「シーッ」と言われる。横目で見ると宮本先輩だった。 「透子ちゃん、ちょっと話があるの。あの2人に内緒でちょっと来て。お願い」  耳元で小声で囁かれるのが凄くくすぐったい。 「すぐ済むからちょっとだけ。お願い。いいかな?」  かかり続ける息と声に、体中がムズムズしてくる。一刻も早く止めて欲しくて、私は力一杯頷いた。  早く離して欲しいのに、先輩は後ろから私を抱き締めたその姿勢のまま私を廊下に連れて行く。  廊下に出ると、口を塞ぐ手だけを離して、改めて背中から私を抱き締める。 「あぁ、幸せ・・・」  耳元でそう呟く。背筋がゾクゾクとしてくる。やだ。 「先輩、離してください。これじゃ、痴漢ですよ」 「あ、そうだね。ゴメンゴメン」  パッと手を離す先輩。ようやく解放された私は、荷物を抱き締めて先輩から距離を取った。 「ゴメンね、嬉しくてつい・・・」 「それで、何ですか?お話って」 「あのね、透子ちゃん土日暇かな?もしどっちか空いてたら一緒に出掛けたいなーって。駄目?」 「・・・お誘いですか?」 「うん。デートしよ?」 ・・・どうしよう。両方とも空いてる。暇だけど・・・。 「・・・2人で、ですか?」  先輩の事は嫌いじゃ無いけど(というかほとんど知らない)、怪我をさせたお詫びとかだったら、申し出を受けてもおかしく無いのだろうけど、でも、2人だけだと、何かされそうで怖い。 「勿論、デートだから2人」 うーん、怖いなぁ。  迷っていると、先輩は教室の中の様子を気にして少し慌てた。 「あっと、取り敢えずLINE交換しよ?ね?」 「え、はい」  LINE交換して、後でどうやって断るかゆっくり考えて答えよう。そう思い、私は宮本先輩とLINE交換をした。 「じゃ、後でLINEするね!」  そう言って、宮本先輩は逃げる様に走り去った。 「あれ・・・透子なんか・・・変わった?」  久し振りに放課後、和樹の家に来た。  感染されたとは言え具合が悪そうだったし、私の足の怪我も治ったのだ。来ない理由は無かった。  そんな私に向かっての第一声が、それ。 「え?そう?足は治ったけど。そんな事より風邪どう?学校帰りだから何のお見舞いも持って来てないけど。ゴメンね」  勝手知ったるで和樹を押し退けて上がり込む。リビングに荷物を置かせて貰ってキッチンに向かった。  スウェット姿の和樹は、寝起きの顔でフラフラと私の後をずっと付いてくる。まるでまだ夢の中みたい。 「・・・熱下がった」  ボソリとそう言う。 「良かったね。寝てたんでしょ?横になってて良いよ。お茶入れるね」  流しで手を洗って振り返りながらそう言うと、目の前に和樹の顔。どんどん近付いて来る。 「え、何よ。近いって」 「前より可愛い・・・」 「はい?」  私は、和樹に顔を両手で挟み込まれた。ずっとシャワーも浴びれてなかったんだろう。近付くと少し汗臭い。 「どうしたの透子、今日凄く可愛く見えるよ?」 「それはどうも有難う。やっぱりまだ熱あるんじゃない?」 「熱は下がったって。透子、何かあった?何でそんなに可愛くなったの?俺の為?俺の為だと思って良いの?」  グイグイと和樹が迫って来る。ヤダなー、絶対熱でおかしくなってるじゃんコレ。 「もー、煩い。別に何も無いよ。気のせいでしょ?近い、離れて」  和樹の胸を力一杯押すと、呆気なく引いていった。ブツブツ呟きながら。 「照れてる?俺の為か・・・」 「ハイ!もうソファで良いから座って休んで!」  私が大きい声でそう言うと、大人しくリビングに戻ってソファに座った。 「緑茶で良いよね」 「ん。透子が入れてくれるなら何でも」  嬉しそうな声で返事が帰ってくる。お茶と薬飲ませたら、とっとと退散しよう。  そこで、私の鞄の中のスマホが鳴った。 「透子、なんか鳴ってる」  多分宮本先輩だろう。行動が早い。 「後で見るから放っておいていいよ」 「・・・」  和樹の家も、お母さんが用意したのだろう、家と同じ銘柄のお茶があった。薬缶でお湯を沸かしてティーポットに入れた茶葉に注ぐ。しかしながら急須や湯呑みは無かったので、マグカップに半分ずつ位の量を注いだ。  多分私かお母さんが使わない限り、この緑茶は使用される事は無いのだろうな、と思った。  お盆にマグカップを二つ乗せてリビングのテーブルに運んだ。  和樹はテレビも付けずに静かにしている。やっぱり調子が良くなっていないのかな?  そう思って和樹を見て、私は驚いた。  和樹が手に持っているのは私のスマホ。勝手に見ている。 「ちょっと!何勝手に・・・」  私はそこまで言って固まった。  スマホを取り返そうと出した腕を強く掴まれる。 「・・・ダレコレ・・・」  温度の無い声。 「・・・え?」 「宮本ってダレ?透子のナニ?透子、コイツの事好きなの?」 「宮本先輩は、昨日怪我した時の・・・」 「怪我?コイツの所為で怪我したの?」  ギロっと睨まれる。凄く怒ってる。  ああ、ダメだ。これダメなヤツだ。 「・・・違うよ。私が怪我した時に、助けてくれた人」  私は、咄嗟に嘘を付いた。 「好きな人じゃないよ。私は、誰も好きじゃないよ」  和樹の目を見ながら、ゆっくり説明する様に言った。  私の腕を掴む和樹の手に、私は反対側の手を重ねた。

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アスフール 5

「今日、お父さん帰って来るから」  お母さんが玄関でそう告げて来た。 「うん、分かった。行ってきます」  ドアを開けて外に出た。  うちのお父さんは、仕事で家を開けがち。でも大概週末には帰って来る。今日は金曜だ、よって本日は帰宅との事。  お父さんは良く会社の後輩やら、取引先の営業さんやらを家に連れて来る。そういう時はそれなりの恰好でお迎えしなければならないので少し面倒。  やれやれ、誰も来ないといいな。  そう思っていると、後ろから声を掛けられた。雅彦だ。 「透子、おはよう・・・って、何で普通に歩いてるの?」  振り向くと、自転車に跨った雅彦が、私の足を指差して変な顔をしている。 「おはよう雅彦。何か治ったんだよね・・・」 「いや、意味分かんない。相当酷かったよね?だからチャリ出したんだよ。乗っけて行こうかと思って」  そう言えば、いつも徒歩なのに自転車に乗っている。 「あ、りがとう。せっかくだから乗っていい?」  私は、自転車を指差してそう言った。 「・・・おう」 「雅彦の自転車に乗せてもらうの久し振りだね、何年振りだろ。デカいから前見えないや」  雅彦の背中は本当に広い。ウエストもがっしりしてて片方の腕を回したとしても届かなそうな気がする。恥ずかしいから回さないけど。 「で、どうやって治したの?足」  自転車の前から大きな声で聞いてくる。 「あのね、熱の時の話覚えてる?」  私は昨日の事を説明した。やっぱり手にチューの所は省いて。 「透子・・・もう少し警戒心を持たないとさ。俺は心配だよ」 「だってさ、何でだか分からないけど、どうしても飲みたくなって・・・。それにまた空瓶消えてたし、やっぱり夢かもって」 「はぁ・・・、治って良かったけどさ」  溜息吐かれちゃった。  自転車が急に止まった。顔面が背中に激突する。 「ぶっ」 「ああ、ゴメン。信号赤で」  前が全く見えないから、一声掛けて欲しかった。  ぶつけた鼻を摩っていると、雅彦が振り返る。 「透子さ、自分で気が付いてる?」  真剣な顔でそう言う。 「?」 「最近・・・綺麗になったよ・・・」 「・・・え?」  ハンドルから片手を離して、私の髪を一房掴み、自分の口元に運ぶ。 「髪も・・・」  呟いて髪を離し、今度は私の頬を包む様にする。 「肌も・・・」  大きな手で、私の顔は隠される。半顔が熱くなる。雅彦の顔が近くなった。 「目も・・・」  雅彦の手は、そのまま耳をなぞって、髪を掬いながら後ろに流れて行った。  そのまま、少し迷う様にして空を切り、私の頭の上に乗る。  すぐ目の前の、雅彦の目が優しく光る。哀しい様な、嬉しい様な、複雑な表情。  信号が青に変わる。  雅彦は前を向いて、自転車を漕ぎ始めた。そっからは無言。  雅彦は涼しい顔で。私は耳まで赤くなって学校へと向かう。  何・・・?何なの・・・?これは一体何?  キス・・・されるかと思った・・・。 「あれー?透子ちゃんの回復力って、どうなってんの?」  昼休み、環とお弁当を広げていると、宮本先輩が何処かからやって来て言った。 「宮本先輩、今私達お昼食べているので邪魔しないで下さい」  場所は教室。一年の教室に三年生が入って来たので、若干空気がピリピリする。 「でもさー、一晩でこんなに綺麗になるなんてさー、ちょっと信じ難いよね」 「ヒャァ!」  宮本先輩は、そう言いながら、私の太ももを撫で上げた。思わず変な声が出てしまう。  すかさず環が叩き落とした。 「とんでもないハラスメントだ!出て行け!」  環、先輩だから・・・。  横から、雅彦が出て来て宮本先輩の腕を掴んだ。 「昨日の今日で・・・懲りない人ですね、あなたも」  そのまま廊下へと引っ張って行く。 「は!?俺先輩だよ!」  宮本先輩の遠吠え。  雅彦の顔を見て、私はちょっと頬が熱を持つのを感じた。嫌でも朝の登校時を思い出してしまう。  そんな私の頬に、環は複雑な表情をしながらパックのジュースを当てて来た。 「冷たい」  びっくりして私は言った。 「冷やしてるの。アイツ見て赤くならないで・・・」 「環・・・?」 「・・・何でもない。食べよ?」  環はジュースを口に運んで食事に戻った。 「うん・・・」  私も食べるのに戻った。 「ブロッコリーあげる」 「うん。じゃあトマトあげる」  お互い嫌いな物を交換。いつも通りにお弁当を食べた。お互いの好きな物、嫌いな物、何でも知ってる。仲良しだもん。でも・・・。  どうして私の頬を冷やして来たのか、ハッキリと理解出来ない事が悔しかった。環が何かを我慢している様にしか見えない。 「環・・・」  口から環の名前が漏れた。  その、半開きの私の口に、環がスプーンを突っ込んで来る。 「難しい顔してないで、甘い物食べて笑って」  口の中にプリンの味が広がる。私の好きな甘い味。  環は、いつでも私の事を分かっていてくれる。そして私が喜ぶ事をしてくれる。 「うん」  私は答えて笑った。環の優しさと、プリンの甘さが偽りなく嬉しい。 「良い笑顔」  環も笑う。  私はいつも、甘えてばかりだな・・・。

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アスフール 4

「何で、こうなった・・・?」  宮本先輩が納得いかない顔で呟く。 「文句あるなら来なくて良いけど」  強気で答える環。先輩に向かって・・・。 「てか誰だよ!コイツ!」  キレる宮本先輩。はい、ゴメンナサイ。代わりに謝りたい。  結局、帰宅するにあたって、私は一人で歩いて帰るのが難しい状態だった。最初は、自転車で来ている環と宮本先輩の、どちらの後ろに私が乗るかで揉めていたのだが、そこに『俺も一緒に帰る』と雅彦が加わって来たのだ。  身長180超えの雅彦を、環が後ろに乗せて走れるはずも無く、必然的に宮本先輩の後ろに雅彦が、環の後ろに私が乗る事になってしまったのだ。 「元木雅彦です。よろしくお願いします」  そう言ってペコッと頭を下げる雅彦。  礼儀は正しい。でも、何だろう、宮本先輩が納得行かないのはすごく良くわかる。 「すみません宮本先輩、私が一人で歩けないせいで・・・」  居た堪れず私はそう言って頭を下げた。 「いや、透子ちゃんは全然悪く無いよ。全くね、100%。元木君、キミ何なの?突然出て来てさ。俺と透子ちゃんの仲を羨んでるの?まだ何も始まって無いのに逆恨みなの?」 「先輩、凄い喋りますね。とりあえず行きましょう」  環がバッサリと切り捨てるように言って自転車を漕ぎ出した。カタンと揺れる車体。私は横座りで不安定だったので、環の背中にギュッと抱き付いた。 「あ、ズルイ・・・。その役目は俺がやる筈だったのに」 「煩いですよ先輩」  宮本先輩と環は相性があまり良く無いみたい。ずーっと言い合いしている。  そもそも私がボールに気付いて避ければこんな事にはならなかったのだ。雅彦まで心配してついて来てくれているし、何だか申し訳なくなってくる。 「ゴメンね」  小声で呟いて、環の背中に寄り掛かった。背中が暖かい。 「良いんだよ、透子は被害者なんだから。沢山甘えて」  環の声が優しい。もう、本当に優しいんだから。甘えちゃうぞ。  私はますます環の背中に密着した。 「送ってくれてありがとう」  自宅前で私は3人にお礼を言った。 「良いのよ、気にしないで」  環が笑顔で答える。 「元はと言えば俺がボールぶつけたせいだからな、逆にゴメン」  宮本先輩はそう言って頭をぺこりと下げた。 「俺はついでに送って貰っただけだ。礼には及ばない」  雅彦は言いながら自分の荷物を下ろす。無表情のままだけど、心配してくれていたんだろうな。  環が私の荷物を自分の自転車から下ろして渡してくれる。 「はい、荷物。中まで運ぶ?」 「ううん、大丈夫。今日お母さんいるから」 「分かった。じゃあね、また明日!」  環のその声に、私は手を振って中に入った。外では、家を初めて見た宮本先輩が「しかしデカい家だらけだなぁ、この辺りは」と話しているのが聞こえて来た。  その後、環と雅彦の手によって、宮本先輩は雅彦の家に引き摺り込まれるのだが、それは私には預かり知らぬ事である。 「ただいま」  玄関で声を掛けながら靴を脱ぐ。痛くて動きが遅いのでなかなか脱げない。もたもたしているとお母さんが来てくれた。 「おかえり。うーわ、確かに酷いね。上がれる?」  先にLINEで状況を伝えていたので驚きは薄い。私は荷物を運ぶのを頼んで、何とか自力でリビング迄移動した。  そこで私のスマホが鳴った。表示は和樹だった。 「和樹?何?」 「透子久しぶり。どう?熱下がった?」 「まず感染してゴメンって言うんじゃないの?」 「あ、怒ってる?そんな声も可愛いけど」 「アホ。熱は昨日からもう出てないよ。今学校から帰った所だし」 「は!?治るの早くない?俺まだ辛いんだけど」 「日頃の行いじゃ無いかな?」 「元気なら御見舞い来てよ。透子の顔見たい」 「あーっとね、怪我したから無理かな?学校から帰るのも辛いから友達に自転車乗せて貰ったし」 「・・・え、何それ。大丈夫なの?どんな怪我?」  和樹の声のトーンが変わった。温度が下がったみたいに。 「転んでぶつけて内出血、ちょっと広めに。痛いんだー」 「・・・転んでって、誰かに押されたとか?だったら許せないんだけど」  どんどん声色が変わる。怖いんだけど。 「・・・そんな訳無いじゃん。持久走で走ってて、ちょっと躓いただけだよ」  ボールが頭に当たった、とは言えなかった。 「・・・そう。姉さんいる?変わって」 「うん、待ってね」  私はスマホをお母さんに渡した。出して貰った麦茶を飲む。美味しい。  通話を終えてお母さんはスマホを返してきた。 「食べる物が無いって言うから届けに行ってくるね。本当いい歳して世話の焼ける弟だよ」 「冷やしときな」と言う言葉と同時に保冷剤が飛んで来る。キャッチしながら私はお母さんを見送った。  保冷剤を内出血に当てると気持ちいい。ふぅ。  そのまま落ち着いてテレビを観ていると、庭の窓からコツコツという音が聞こえて来た。何かな?と思ってそちらを見て、私は驚いた。  背の高い20歳位の男の人が居た。茶系のお洒落なスーツ姿。揃いの帽子を片手で胸元に持ち、長いまつ毛とブラウンの瞳、目尻の小さな泣きぼくろ。  この前の人が、軽く窓を叩いて私を呼んでいる。  私は立ち上がり、足の痛みに顔を顰める。  男の人は、焦った表情をする。  私は痛みを我慢しながらゆっくり窓まで歩き、窓を開けた。 「無理をさせてしまって申し訳有りません。痛みが酷いですか?」  彼は、屈んで内出血している足に触れた。そっとなので痛くは無い。逆にその手が冷たくて気持ちよかった。 「えっと、足は大丈夫です。痛いけど。それよりも、ここうちの庭なんですが、勝手に入られると困ります」  悪い人には見えない。でもこれは不法侵入。いくらイケメンでも許されない。 「それは申し訳有りません。私共にとって、空と繋がっている所は何の制限も存在しないもので」  そう言いながら私を見上げてくる。優しい笑顔が眩しい。ああ、許してしまう・・・。  男の人は、また私の手を取ってそこに口付ける。そして、前と同じ様に手に持っていた帽子を被り、空いたその手で、懐から手で握れるくらいの大きさの小瓶を取り出す。小瓶の中には、シュワシュワと炭酸水のようなものが入っているが、今度の物は色付き。濃い紫色だ。私の両手に小瓶をしっかり握らせると、その上から包み込むように自分の両手を重ねて優しく力を入れた。体温が伝わって来る。やっぱり冷たい。 「では」  ニコっと笑って、玄関の方へ歩いて行ってしまった。追い掛けたくても、足が痛くて行けない・・・。すがる様に出した右手が空を切る。  私は諦めて窓を閉めて、ソファに戻った。そして、手の中にある小瓶を見詰める。  シュワシュワとした濃い紫色は、とても美味しそうに私を誘う。  喉が、渇いたな・・・。  すぐそこに麦茶があるのに、私はどうしてもその炭酸を飲みたくなった。  そして、その小瓶の口を開けて飲み、前と同じく意識を失ったのだった。

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