かなたん

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かなたん

第三話 届かない声

週末の午後。柚葉は久しぶりに街を歩いていた。 (なんだか、少しだけ外に出る気分になれた……) そんなことを考えていた矢先、見覚えのある姿が目に入った。 ——沙耶の母親だった。 胸がギュッと締めつけられる。 (どうしよう……声をかけるべき? それとも、気づかれないうちに……) 迷う間もなく、母親のほうが先に気づいた。 「柚葉ちゃん……」 その表情は驚きと、そしてどこか懐かしさを含んでいた。 「お久しぶりです……」 ぎこちなく頭を下げる柚葉。 沙耶がいなくなって以来、一度も会いに行けていなかった。 「元気にしてたの?」 「……はい」 「そう……よかった」 沙耶のお母さんは微笑んでいた。でも、その目はどこか寂しげだった。 きっと、沙耶のことを思い出しているのだろう。 「柚葉ちゃん……」 沙耶のお母さんはふと、カバンの中から小さな封筒を取り出した。 「これ……沙耶の部屋を片付けていたら見つけたの。柚葉ちゃん宛ての手紙みたい」 「え……?」 思わず封筒を受け取る。 そこには確かに、沙耶の筆跡で「柚葉へ」と書かれていた。 「きっと、渡す機会を逃しちゃってたのね。よかったら、読んであげて」 そう言って、母親は優しく微笑んだ。 (沙耶が……私に手紙を?) 胸の奥がざわめく。 だけど、封を開ける勇気がまだ持てなかった。 帰宅後、柚葉は机の上に手紙を置いたまま、じっと見つめていた。 (読むべき……だよね) 震える手で封を開ける。 中から出てきたのは、一枚の便箋。 『柚葉へ』 ——そこには、沙耶の変わらない明るい文字が並んでいた。 『柚葉、いつも一緒にいてくれてありがとう! これからも、ずーっと一緒に歌っていこうね!』 『もし、私がどこかに行っちゃっても、柚葉はずっと歌い続けてね』 『柚葉の歌は、私の大好きな歌だから』 涙が溢れる。 (そんなの……そんなの無理だよ) 私の歌は、もうどこにも届かないのに。 声を出そうとした。 だけど——やっぱり、声は出なかった。 震える肩を抱きしめるようにして、柚葉は静かに涙を流した。 翌日。 柚葉はぼんやりとしたまま、授業を受けていた。 ——その日の放課後、音楽室からまたピアノの音が聞こえてきた。 悠真の奏でる旋律。 昨日と同じように、心に優しく染み込んでくる。 気がつくと、柚葉はドアの前に立っていた。 (先生……) そっと覗くと、悠真が目を閉じたまま、静かにピアノを弾いていた。 (あの音は……まるで、誰かを想っているみたい) 柚葉は、そっと呟くように言った。 「先生は、誰のために弾いてるんですか……?」 悠真は手を止め、少し驚いた顔をした。 「——お前は、誰のために歌いたい?」 「……!」 思わず言葉を失う。 誰のために? (私は……本当は、歌いたいの?) 悠真の言葉が、柚葉の心に深く響いた。 ——彼のピアノが、私の沈黙を少しずつ壊していく。

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第二話 閉ざされた扉

放課後の音楽室。 柚葉はふと足を止めた。 (誰か、ピアノを弾いてる……) 扉の向こうから流れてくる旋律は、昼間の授業で聞いた悠真のものだった。 優しく、穏やかで──だけど、どこか切ない音。 柚葉は無意識にドアを少しだけ開け、中を覗いた。 悠真は一人静かにピアノを弾いていた。 彼の背中には、授業中の柔らかい雰囲気とは違う、どこか遠いものを見つめるような寂しさが滲んでいた。 (先生はどうしてこんなに切ない音を奏でるんだろう……) 気づけば柚葉は小さく息をのんでいた。 その音に気づいたのか、悠真が顔を上げ、扉の方を見る。 目が合った瞬間、柚葉は慌ててドアを閉め、逃げるようにその場を去った。 胸がドキドキと高鳴る。 (なんで逃げたんだろ……) 自分でもわからないまま、柚葉は音楽室から遠ざかった。 家に帰ると、机の上には埃をかぶったままの楽譜が置かれていた。 柚葉はそっとそれを手に取る。 ——『君と響く歌』 沙耶と一緒に作った曲。 二人で何度も歌って、夢を語り合った曲。 だけど、あの日を境に、一度も開けなくなってしまった。 「……ごめんね、沙耶」 小さく呟いて、柚葉はそっと楽譜を閉じた。 そのまま胸に抱きしめるようにして、目を閉じる。 悠真のピアノの音が、頭の中でリフレインしていた。 (先生のピアノ……どうして、あんなに切ないんだろう) 翌日、音楽室で悠真に出会う。 彼はピアノを弾いていたが、柚葉に気づくと手を止めた。 「昨日、放課後に来てただろ?」 「えっ……」 「見てたの、わかったよ」 「……っ、ごめんなさい」 「別にいいよ。ただ、逃げることなかったのにな」 柚葉は気まずそうに目をそらしながら、小さく呟く。 「先生のピアノ……すごく優しいけど、なんだか悲しくて……」 悠真は少し驚いた顔をしたあと、苦笑する。 「……よく言われる」 「どうして、そんなふうに弾くんですか?」 「さあな。でも——たぶん、俺もお前と同じだからかもな」 「……?」 悠真はそれ以上は何も言わず、ピアノの鍵盤をそっと撫でるように触れた。 「お前は、音楽が好きだったんだろ?」 柚葉はハッとする。 「……うん。でも、もう……」 「無理に歌わなくてもいい。でも、音楽を嫌いにはなるなよ」 その言葉が、柚葉の心に静かに響いた。 ——この人は、私の痛みをわかってくれるのかもしれない。

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第一話 沈黙の旋律

高校二年の春。 新学期が始まってすぐの音楽の授業── クラス全員で合唱のテストが行われていた。 しかし、柚葉はただ黙って立っているだけだった。 (声が出ない…) 口を開こうとするたびに、あの日の光景がフラッシュバックする。 親友・紗耶の笑顔、響く歌声、そして──突然訪れた別れ。 「……桜庭、次はお前の番だぞ」 担任の声が響く。 ざわめくクラスメイトたち。 震える唇を噛み締める柚葉の前に、一人の教師が立った。 新しく赴任してきた音楽教師・橘 悠真だった。 「無理に歌わなくてもいい」 静かにそう言って、彼はピアノの前に座った。 「代わりに、俺が弾くから聴いててくれ」 そして、彼の指が鍵盤を叩いた瞬間── 美しい旋律が音楽室に響き渡る。 悠真のピアノの音に、柚葉は思わず息をのんだ。 どこか懐かしくて、優しくて── だけど、胸を締め付ける音だった。 (紗耶と一緒に歌ったあの曲だ……) 思い出しただけで、涙がこぼれそうになる。 けれど、不思議と苦しくはなかった。 悠真は静かに言った。 「歌えなくてもいい。でも、お前の中に音楽がある限り、なくなりはしない」 その言葉が、柚葉の心にじんわりと染み込んでいった。 (本当に……そうなのかな) 沈黙の中、柚葉は初めて「歌うこと」と向き合おうとした。 ──これが、二人の物語の始まりだった。

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プロローグ 沈黙の歌

──音楽は、いつも私の隣にあった。 小さい頃から歌うことが好きだった。 歌えば、世界が色づくような気がした。 そして彼女と出会って、その喜びはもっと大きくなった。 「柚葉、一緒に歌おう!」 紗耶の笑顔と透き通るような歌声。 二人で何度も歌い、夢を語り合った。 「私たち、絶対ずっと一緒に歌い続けようね!」 ──あの日までは。 突然の事故。 目の前から消えてしまった彼女の声。 そして、私の中からも音楽が消えた。 歌おうとすると、胸が締め付けられる。 声が震えて、言葉が出てこない。 「──もう歌えない」 それなのに、心の奥ではずっと音楽が鳴り続けている。 閉ざされた旋律が、出口を求めて彷徨っている。 そんな時、彼のピアノの音が聞こえた。 ──静かに、優しく、そっと心を撫でるような音。 それは止まったはずの私の時間を、ゆっくりと動かし始める音だった。 「無理に歌わなくていい。でも、お前の中に音楽がある限り、なくなりはしない」 彼の言葉が、私の沈黙を少しずつ解きほぐしていく。 これは、もう一度音楽を取り戻すまでの物語。 そして、新しい旋律を紡ぐまでの──私の物語。

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