和菜

6 件の小説
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和菜

「小説家になろう」で小説を書いてます。 誰かの目に止まったらいいなぁ……

仮面結婚

 同居するにあたっての規律及び注意事項  1.家事は全て当番制。都合により当番を交代、或いは休まなくてはならなくなった場合、必ず相手に相談し、同意を得る事  2.友人、知人を招く際は必ず連絡する事  3.性交は外で済ますか、止むを得ない場合は必ず同意を得る事、避妊をする事  4.互いの自室は絶対不可侵  5.家事、食事、その他あらゆる事に於いて、相手のやり方を批難、批判しない事  6.互いの家族を批判しない事  7.両家から祝い事等で呼ばれた際は、なるべく顔を見せる事。どうしても都合が付かない場合は自分で断りの連絡をする事  以上、七項目について同意の上、同居する事を承諾するものとする。  これが、私達が「同居」するにあたって話し合いの末に定めた「誓約」である。  同居と言っても、一般的に思い付くような「義両親との同居」ではなく。  つい三ヶ月前に出逢ったばかりの男女二人の、である。  始まりはお見合いだった。  三十五にもなって結婚どころか彼氏すら出来る兆しがない私に、親がセッティングしたお見合い。  相手は一つ歳上のカラオケ店店長。  がっちりした体格の、意外とつぶらな瞳をしたちょっとした好青年(好青年?)だった。  後は若い二人で(若い?)となった際、早く終わらせたくて私は半ば投げやりな気持ちでこう捲し立てた。 「結婚するなら、恋愛感情なしが良いです。  貴方に限らず、人を好きになる為の努力は今のところ特にしたくないのでするつもりはないし、貴方にもそれを求めません。面倒なので。  浮気も不倫もご自由に。時々家に帰ってきてそれっぽくしてもらえればそれでいいです。  とにかくお互い不干渉、生きてく上で必要な協力だけしてればいい、そんな結婚がいいです」  喧嘩売ってるようにしか聞こえないだろうその台詞に、彼は暫しじっと私を見つめていたけれど。  やがて、ふ、と心底愉快そうに笑って、言った。 「惜しいですね。俺と貴方、かなり気が合うらしい」  聞けば彼も、結婚にはあまり乗り気ではないのだという。  今回の見合いも、母親の友人からの薦めということで、母の面子の為に承諾したのだとか。  上品に振る舞うのも得意ではないし、素のガサツでズボラな自分を見せ付けて、相手に幻滅させて終わらせようと画策していた、などと半ばとんでもない腹積もりまで明かしてくれた。 「けど、貴方も似たようなものだったとは」  面白い偶然というか奇跡というか、なんて言って彼は尚も肩を震わせて笑う。  いや、流石に私はちゃんと礼儀正しく振る舞うつもりだったけど? 「しかし、本当は結婚が嫌な者同士が、こうして見合いの場で出逢ったのも何かの縁でしょうね」  今度は悪戯っぽい笑みを浮かべる彼に、何となく背筋が寒くなる。  珈琲を啜りながら笑みを深める姿は、さながら時代劇に出て来る悪代官そのもので。  何だか嫌な予感がして来た時、彼はとんでもない事を言い出した。 「丁度いい。結婚しましょう。俺達」  ーー数秒間、思考が停止したのは言うまでもない。  何を言われたか理解した瞬間、「は?」と不機嫌な声を出してしまった私は決して悪くない。 「だから、結婚しましょう」 「いや、ちょっと意味が分からないんですけど」 「これはもう運命ですよ、逆に。ここまで利害関係が一致する相手もそう現れないでしょう」 「利害関係って……」 「俺も貴方も結婚には積極的ではない。  でも、周りはどうしても放っておいてはくれない。  このまま“縁がありませんでした”でこの見合いを終わらせても、いずれまた違う見合いを連れて来られる。  ならいっそ、ここで手を打ちませんか? 言ってしまえば、仮面結婚です」  偽装、と言わない辺りなかなか狡賢い。 「一通り普通の結婚と同じように振る舞って皆を安心させるんです。籍を入れて、一緒に住む家を探して、同居しましょう。  勿論、互いに絶対不干渉という事で」  そうすれば、一応の婚姻関係が成立するので、気が乗らない見合いをこれ以上強要される事もないし、両親を納得させられる。 「悪い話ではないでしょう?」  にっこり笑顔で言い切った彼の顔を、不覚にもぽかんとした顔で眺めてしまった。  確かにそれなら、一応周りを黙らせる事も「既婚者」という事実を作る事も出来る。  互いに絶対不干渉なら、世の主婦が強いられている理不尽も被る心配もない。  しかも気持ちがないから、無闇に体を要求される事もないだろうし。  気持ちが、どんどんその「仮面結婚」に傾いてい くのが自分でも分かった。  しかし、いくら形だけとはいえ、心配な事や不安な事が皆無という訳では無い。 「結婚」するという事実には違いない以上、あらゆる手続きとか儀式とかある訳で。  そういうものは大抵、女であるこちらばかりが多く課せられるのだ。  精神衛生上メリットの方が多い「仮面結婚」だが、果たしてそれだけで安易に承諾して良いものか。  改めて彼の顔を見遣ってみる。  きらきらした瞳には、これはまたとない名案だ、という自信が漲っていた。 「……そうですね。確かに、良い案かもしれません」  気付いたら私は、そう、言っていた。 「だけど、“仮面結婚”をするなら、私から一つ条件があります。それを聞いて下さるなら、貴方と結婚します」 「いいですよ。何なりと遠慮なくどうぞ」  ーーそうして、提示した条件が、冒頭の誓約書だった。  表向きは結婚だが、実際はただの「同居」  互いに絶対不干渉、であるならば、ルールを決めてお互い少しでも快適に、普通に暮らせるようにしないといけない。  学校や会社みたいな規律を設けた結婚生活をしたいと言うようなこんな女、流石に侮蔑の目を向けられるかと思ったが。 「いいですよ。確かに大事なことです。また何かあったら追加したり変更したりしましょう」  にこやかに受け入れて貰えた。  確かに、こんな男性は初めてだった。  こうして、私達の「仮面結婚」という名の「同居」は始まったのだった。  

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命奪う前に、心奪いました。~番外編~

 最初に殺した相手は父親だった。  普段は至って普通の父親に見えて、至極面倒くさい親父だった。  何でも俺やお袋のせいにして、何かあれば俺達を見下し、かと言って自分は特に何も秀でたものなどなく。  都合が悪くなれば暴言と暴力を振るう、絵に描いたような田舎の団塊の世代の男だった。  ある日、父と母が大喧嘩していた。  いつもと同じ、母を見下し罵倒し、自分のミスは一切認めず、母のせいにして。  幼い頃からそんな親父の馬鹿さ加減に辟易していた俺は、母を助けるつもりで口を挟んだ。 「何でもお袋のせい、ってことなら、親父は風呂に入るのもトイレも全部お袋に世話してもらってるってのか? そんな元気に喚いて歩き回ってるのに不思議だな?」  すると父は案の定俺を殴った。  ガキの頃はそれに対して泣き喚いて抗議するだけだったが、その時の俺は既に成人済み。  冷静に抗議した。 「いつも何かっつうと俺やお袋を見下して馬鹿にしてっけど、皿一つ洗えない奴がいつまでも思い上がってんじゃねえよ。  大体そっちは定年退職してから日がな一日ぐうたらぐうたらするばっかりで人の稼いだ金で飯喰って、そのくせ気に入らねえ事があるとすぐ上から目線で挙句暴力とか、ガキより質が悪いんだよ。  確かにちょっと前まではあんたの金で俺ら食ってたのかもしんねえけどな、今じゃあんたが俺の金で飯食ってんだろうが。  いつまでも自分が一番偉いなんて思い上がってんじゃねえよ。  そんな事も分かんねえくせに、お袋居なきゃそれこそ洋服一つ買い換えられねえ分際で、調子乗るな」  ーーすると今度は胸倉掴まれ更に殴られた。  都合が悪くなると殴る蹴る怒鳴る。  そうすれば子供と妻は黙ると思ってるらしい。  そうして、止めに入った母も殴られた。  幼い頃から鬱憤が爆発した俺は。  父を刺した。  目の前の光景にパニックを起こした母は、俺を責めた。  警察に通報された。  泣きながら、父に縋る母を見て、俺は絶望した。  何で俺を責めるんだよ。  ガキの頃から意味もなく馬鹿にされ見下され、父親だってだけで、男ってだけで、息子も妻も奴隷くらいにしか思ってなかったクソみたいな親父に、俺は思い知らせてやっただけだ。  お前の思い上がりが、家族をこんだけ追い詰めたんだぞ、って。  救急車が到着する前に、警察が到着する前に、俺は家を出た。  当てもなく彷徨って、彷徨って、気が付いたら山の中だった。  街灯なんて一つもない真っ暗な森。  何でこんなとこに居るんだろう。  そう思ったけれど、すぐにどうでも良くなった。  どうでもいい。  そう、もう、何もかもどうでもいい。  考えるのが面倒で、とりあえずどんどん奥に入っていった。  このまま俺も死ぬんだろうか。  我慢してた事も、頑張ってた事も全部否定されて、今度は自分で自分の人生も傷付けて、生きてて何か良い事があるだろうか。  このまま自首して、刑務所入って出所して、その先に何か一つでも報われるんだろうか。  ーー嗚呼、もう、どうでもいい。  考えれば考えるほど、虚しいだけだ。  だってどうせ、生きようと死のうともう、誰も何とも思わないだろうし。  その時、急に背筋に寒気が走って、俺は足を止めた。  相変わらず、何処を見回しても真っ暗な森。  だがーー何とはなしによく目を凝らしていたら。 「……っ」  夜目に慣れ切った目が、あるものを捉えた。  立派な木だった。  暗くてもそれが樹齢何百年にもなる樹木だと分かる程に。  けど、俺が驚いたのはそこじゃない。  少し高い位置の、太い枝から。  不気味にぶら下がる影。  ーー俺は思わず口許を片手で覆った。  ついさっき人を刺した後だっていうのに、その光景に絶句せずにはいられなかった。  後から知った話だが、その山は自殺の名所だった。  恐怖で体が震えて、なのに俺は、気付いたら恐る恐るその影に近付いていた。  足元には「遺書」と書かれた封筒と、財布。  財布の中には免許証が入っていた。  俺と同じ歳の男性だった。  職場で酷いいじめに遭い、耐え兼ねての事のようだった。  遺書にはいじめの主犯と思われる、職場の上司の名前と、その上司に媚を売っているらしいスタッフの名前が恨み言と共に綴られていた。  俺は、どうしてか彼を死に追いやった奴らの事が知りたくなった。  どんな奴らで、どんな顔をしているんだろう、と。  好奇心にも似た思いはあっという間に膨れ上がって、俺はすぐさま彼の財布と遺書を手にして山を下りた。  悪いとは思ったが、拝借した財布の金で衣服と髪型を弄って、俺は彼の遺書を頼りに彼の職場を突き止めた。  誰が遺書に書かれていた人達かも突き止めて、どんな奴らかも徹底的に観察した。  びっくりするぐらい、普通の人間だった。  上司とやらは単身赴任中の四十代の男で、もう一人は未婚の五十代の女。  遠目から見ても、媚び売ったり売られたりしてる仲のようで、立ち居振る舞い、容姿、持ち物、とにかく何処にでも居る人間だった。  そんな、何処にでも居る人間を眺めていたらーー虚しさと絶望感がぶり返した。  そうだ、何処にでも居る普通の人間、が。  この世で一番怖いんだ。  そしてこの世で一番、醜い。  声高に笑いながら歩いていく二人は、同僚である筈の彼の事など、まるで心配している様子はない。  何で、何処の世界でも、当たり前に頑張ってる奴らばっかり……。  一週間後、上司が車に撥ねられて死んだ。  同じ頃、闇サイトが立ち上がった。 「貴方の恨み、晴らします」  何処かで聞いた事のあるような文言がトップページにでかでかと表示されるサイトは、けれど、数日で数千のアクセス数に上った。  銃は闇取引で買った。  誰かの恨みを人知れず晴らせば、誰かが「ありがとう」と礼を言ってくれる。  狂っている、という自覚はありながら、それでも自分がとても「良いもの」になれたようで、誇らしくさえあった。  そんな救いようのない「殺し屋」になって、一体どれくらい経っただろう。  父を殺し、自己満足に自殺した男の恨みを晴らした事から始まった殺し屋人生において。  転機となったのは、ほんの一月前。  立ち上げた闇サイトに、書き込みがあった。  同僚の女を、殺して欲しい。  名前と住所、顔写真も添えられた書き込みに、俺は即時に了承のリプライを送った。  いつも通り、何の躊躇いもなく標的を殺すつもりだった。  人を殺すのなんてもう慣れた。  正直もう、何人殺したかも分からない。  だから今度も、相手に罪があろうがなかろうが、依頼人が恨んでる相手だっていうなら関係ないと思った。 「私だって殺したいよ」  なのに。  こんな事になるなんて、想像どころか夢にも思わなかった。  銃を向けられても尚怯まず、静かな、明確な殺意を口したその女は、自分が命を狙われる理不尽さに怒り、嘆いた。  そして俺は彼女のその姿に、今の今まで目を背けていた事実を突き付けられたような気分だった。  俺に恨みを晴らして欲しがる誰かもまた、違う誰かに恨みを買っている。  人間はそうやって生きている。  僅かでも、微かでも人に悪意を向けない人間など存在せず、向けられない人間も存在しない。  そのほんの些細な、つまらない事が、殺意の本質なのだと。  その日、俺は、初めて殺しの依頼を反故にした。

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命奪う前に、心奪いました③

 翌日のニュースは二つの話題で持ち切りだった。  新しい総理大臣が誕生した事と。  何処かのビルから転落したらしい女性が“意識不明”で発見された事。 「これで良かったか?」  不気味ささえ感じる夜の海をぼんやり眺める背中に、俺は静かに問うた。  季節はやがて夏になろうというのに、風が強めなせいか少し寒い。  長い髪を後ろで無造作に束ねた女は、「はい」と短く答えて、俺の方を振り向いた。 「ありがとうございました」  礼儀正しく頭を垂れる彼女の瞳は、やはり何処か無機質で……それでいて、その奥に悲しみと怒りと苦しみが、微かに揺らめいていて。 「辛うじて生きてる。この先はどうなるか分からないけど」  彼女は、自分だって殺したいと言った。  ほんの些細な事で拗れてしまった、それだけの事で殺されなくてはいけない、というのなら、自分だって相手を殺したい、と。 「……じゃあ、次は今度こそ私の番ですね」  いくら金を積めば、それを叶えてくれるのかと問われて、でも俺は、いらない、と言った。  三倍の額を貰った、などと標的の女には言ったが、あれは女を恐怖に陥れる為の大嘘だった。 「正直、驚きました。殺し屋さんが、あっさりと私のお願い聞いて下さって。  しかも、お金の受け取りを拒否なさって」 「…………」 「やっぱり殺さなくてもいいから痛い目に遭わせてって、私が怖気付いて言った時も承諾なさって……  良かったんですか?」  俺だって、自分でびっくりしているし、何やってんだ、って思う。  けれど。 「お前が、あんな事言うからだろ」  あんな瞳で。  あんな事を、言うから。  鉄壁だった俺の心は、簡単に、崩れ落ちて。 「なあ、あれ、本気なのかよ」 「貴方を好きって言ったあれですか? 本気ですよ」 「とてもそうは見えねえんだけど……?」  正直今でも、かなり動揺している。  自分の行動だけでなく、これから自分を殺そうとしている相手に「好きだ」と言った、彼女の言葉に。  そして……その言葉と瞳を思い出すだけで、胸が焼き切れそうな程に痛む、この現象に。 「だって、好きになって貰いたい訳では無いし、好きになって貰えるとも思っていませんから。  ましてや自分を殺そうとしてる人にそんなこと言ったって、どうにかなるとも思っていませんし」  そんな俺の気持ちなど知らずに、あっけらかんと言い放たれて、俺は、その胸の痛みを馬鹿にされたような気分になる。  苛立ちに任せて、ホルダーから銃を取り出して、彼女に向けた。  殺したくない、と思った。  一度は確かに。  殺せない、と思った。  でもそんなの……一時の気の迷いだ。  俺に銃を向けられても……やっぱり、彼女は顔色一つ変えなかった。 「……何なんだよ、お前」  ーーその、何もかも諦めたような顔が。 「何なんだよ」  諦めたような顔をしてるくせに、やっぱり瞳の奥に微かに揺れる悲しみが。 「死にたくねえ、って言ってたじゃねえか」  どうしようもなく、俺の苛立ちを煽る。 「何で殺されなきゃなんねえんだ、って言ってたじゃねえか」  そして何より腹が立って腹が立って仕方ないのは。 「おまけに殺し屋の俺に惚れた、なんて」  ーー彼女が、何もかも諦めてる顔じゃなくて、何もかもに対して怯えてるようにしか見えない、俺のこの腐ってしまったとしか思えない目だ。 「……そうですね」  ややあって、彼女がため息と共に呟いた。 「死にたくないですよ。何で殺されないといけないのか、意味が分からないですよ。  そして殺し屋さん、私、本当に貴方のこと好きです。例えば、今貴方が私に、“冥土の土産に一回くらい抱いてやろうか?”とか最低の台詞を言ったとしても、私は喜んで全部捧げます」 「……、っ」 「でもね、殺し屋さん。私……」  ーー生きていくのも、怖いんですよね。  彼女は言う。  初めて、俺に、微笑みかけながら。 「死ぬのも怖いし、生きるのも怖いんです。それで、私の運命の天秤が死ぬ方に傾いてしまったんなら……どうしようも、ないじゃないですか。  死にたくない。生きていくのも怖い。でも人間、生きるか死ぬかしかないんだもの」  怖い、と。  その時、表面上は無機質だった彼女の瞳が、今度ははっきりと恐怖と不安の色に染まる。 「ねえ、殺し屋さん。私、貴方が好きです。  本当ですよ。自分でもおかしいんじゃないのって思うけど、本当に、貴方と初めて目が合った瞬間、貴方の事が好きになったんです。  気持ち悪いでしょう? 気持ち悪いですよね?  ねえ、そう言って下さい、殺し屋さん。でないと……」  想いが、どんどん大きくなってしまうから。  殺さないで、って、殺し屋の貴方に縋ってしまいそうになるから。  ーーそうして俺は、やはり、銃を下ろしてしまっていた。  気付いていた。  本当は、一番最初、彼女を殺したくない、と強く思ったあの瞬間に。  俺は、彼女の命を奪う前に。  彼女の心を奪ってしまって。  同時に、彼女は、あろう事か俺の命も心も全部、奪ったのだと。

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命奪う前に、心奪いました②

 お待たせしました、と声を掛けると、女はゆっくりと振り向いた。  ある程度の距離を保って向かい合っているにも関わらず、化粧品の匂いや香水の匂いが風に乗って鼻を刺激する。  かなりの厚化粧と一目でブランド品と分かる洋服で完全に武装しているが、実年齢は五十を軽く超えている。  “彼女”曰く「そうやって武装して男に可愛く思われたいだけの、可哀想なおばさん」という事だが、俺は別に可愛いとは思わない。 「殺してくれた?」  腕を組んで、真っ赤なルージュを引いた唇で、女は開口一番そう言った。 「……ええ」 「そう」  次いで、短く呟くと俺に背を向けて柵の向こうの夜景を眺める。  後悔していますか、とその背に問えば、「別に」と僅かに苛立ったような返事。 「あいつが悪いのよ。可愛がってやった恩も忘れて調子に乗るから」  “彼女”と目の前の女に何があったかは知らない。知る必要がないからだ。  だから俺はそれ以上、特に何か追及はせずにーー上着の下のホルダーに手を伸ばす。  足音を殺し、女との距離を二歩程詰めて。 「それで、報酬の件だけど……」  と、女が俺の方をもう一度振り向いた瞬間。  ーー俺は、彼女に向けて、銃を構えた。  絶句する女の顔は、やがてすぐに恐怖と絶望一色になる。 「な、何……、一体……何の冗談……!?」  恐怖のあまり後ろへと退る女を冷ややかに見つめながら、俺は撃鉄を起こす。 「ーーあんたが殺してくれと言った相手に、あんたの三倍の金額で引き抜かれた。依頼人と標的の逆転って訳だ」 「嘘……っ、そんな……あの子にそんな大金ある訳ないじゃない! ていうか、おかしいじゃない! あんたさっき、あの子を殺したって……!」 「あんたを油断させるには、一番効果的な嘘だっただろう?」 「っ……ま、待ってよ! そもそもおかしいわ! どうしてあの子が、私があの子の殺しを依頼したなんて知ってるのよ!?」  有り得ない、と喚く女に、俺はふぅ、と一つ大きく息を吐いて。 「ーー“彼女”も、あんたを殺したいくらい憎んでたから、だろ」  もう一歩。女との距離を詰める。  銃は構えたまま、銃口は彼女の体の中心を捉えたまま。 「ま、待って……! やめて……っ、お願いよ……! 大体、こういうの契約違反じゃない!!」  殺し屋相手に“契約違反”と来たか。  まあ確かに、真っ当な考え方ならそうなる訳だが。 「関係ねえな。殺される側と殺す側にどんな事情があろうと知った事でもねえ。  ただ“彼女”にあんたより多く金を貰った。それだけさ」  女は絶望に息を飲み、咄嗟に俺に背を向け逃げ出した、けれど。  刹那、二発の弾丸が俺の拳銃から発砲された。  弾は女には直接当たらず、女の足元に着弾する。  そこで彼女はその場に倒れ込んだが、俺は容赦なくもう一発放つ。  当てはしない。そもそも銃で殺すつもりではないからだ。 「嫌……っ、助けて、お願い……!! い、いくら払ったらいいの!? あといくら払ったら、またあの女を標的に戻してくれる!?」  この期に及んで命乞いついでに元の殺人依頼の遂行まで要求して来るとは、余程“彼女”の事が嫌いらしい。 「悪ぃな。今、俺が一番欲しいのは金じゃねえんだ」  だが、もう。  誰にいくら金を積まれても。  俺は“彼女”を殺さない。 「“彼女”の為に、今すぐ消えろ」  ーーそうして、止めの一発を、発砲する。  フェンス際に追い込まれていた女は、その最後の一発から反射的に身を守ろうとして、フェンスから身を乗り出してしまい。  そのまま、落下した。

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命奪う前に、心奪いました

 その女は、真っ直ぐ俺を見上げた。 「……お前、今自分が置かれてる状況、分かってるのか」  あまりに真っ直ぐで、あまりに感情の読めない瞳で見上げて来るので、俺は半ば不安になってそう問い掛けた。  俺の右手には、拳銃が一丁。  銃口は女の額ゼロ距離。  だが彼女は、一秒後には確実に殺されるという状況下にあって、眉一つ動かさない。 「分かってますよ。でも、殺さないでと言えば、銃を下ろしてくれるんですか?」  冷えた口調で返って来た答えは、予想すらしていなかった言葉。  ーー殺し屋、なんて残忍な稼業をやり始めて随分経つけれど、銃を突き付けられて命乞いをしない奴も、泣いて許しを乞わない奴も、初めてだ。  何故、自分が殺されるのか、と泣き喚かない奴も。 「……死にたいのか」  気付いたら、半ば呆然と訊いていた。 「死にたい訳ないじゃないですか。何で私が死ななくちゃいけないんですか」 「……じゃあ何でそんな冷静なんだよ」 「死にたくないからですよ」 「……なぞなぞやってんじゃねえんだけど?」 「死にたくない。何で私が死ななくちゃいけないの。何で殺されないといけないの」  急に始まった駄々に、流石に俺も戸惑ったけれど。 「ねえ、殺し屋さん。私の殺しを依頼した人の、何倍のお金をお支払いすれば。  そいつを逆に殺してくれますか?」  感情が乗っていない筈の瞳の奥に。  どうしようもない悲しみと憎しみの色が見えて。  俺は、思わず息を飲んだ。 「頑張ってたのに。どんなに理不尽な扱いを受けても、頑張って生きてたのに。  ちょっと意見が食い違ったり、ちょっと以前と考え方が変わって衝突しただけで。  殺したいっていうなら。私だって殺したいよ」  同時に揺らめいた虚無と狂気に。  ーー俺は、無意識に、銃口を下ろした。  何故かは分からない、けれど。  目を、逸らせない。  体の奥が熱くて、熱くてーー。  殺したくない、と。  初めて、思った。  彼女が泣き喚かないのは。  彼女が嫌に冷静なのは。  同じように、気が狂いそうな程の熱に、心が燃やされているからだ。  自分を殺して、と依頼した、誰かに。  そしてーー俺に。 「死ぬ前に言っておきますね。  殺し屋さん。好きです。何言ってんだって感じですけど。  銃口を突き付けられて、目が合った瞬間。  貴方を好きになりました。  気持ち悪いですか? そうですよね。なんかもうどうでもいいです。  いくら払えばいいですか?」  ーー馬鹿野郎。  金なんて、いらねえよ。

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こんな女で悪いか

「休日は何をしてますか?」 「お仕事は何を?」 「好きな食べ物は何ですか?」 「連絡先教えて貰えますか?」  あー、うるさいうるさいうるさいうるさい。  どうして世界一どうでもいい相手に、休みの日に何をしているか、仕事の内容とか、食べ物の好みとか、ましてや個人情報を教えないといけないの。  それもこれも、三十五を過ぎて独身彼氏無しの私を勝手に心配して、勝手に見合いなんてセッティングした母のせいだ。  そんな境遇、今時珍しくも何ともない。  昭和の時代の結婚観から、何故かアップデート出来ない男しかいない日本で結婚したって、女は幸せになれないのだ。  結婚したら家庭に入る、なんて、そんなことしたら間違いなく飢えて死ぬ。  そういう世の中だ。  相手がすっごいお金持ちならいざ知らず。  けど残念な事に、目の前の彼はまさかの介護職。  私は契約社員。  どうしたって、共働きでないと生きていけない。 「お料理とか得意ですか?」  その辺を分かってるか分かってないか、判断する為の質問が飛んでくる。 「いいえ、それが全く。するのはしますけど、正直苦手な方ですし、普段からあまり時間もないので、手軽で簡単に出来るのしか作らないです」  愛想笑いを浮かべて答えれば、明らかに表情に一瞬落胆と呆れが混じる。  この人は私よりいくらか年上と聞いていたので予想はしていたけれど、まあ、案の定だった。 「今の女性は大体皆そんなもんですよ」  今度は更ににっこり笑顔で言ってやる。 「まあ、独身はそうかもですね。でも、結婚したら家事育児をやらないといけないですし、徐々に上達していきますよ」  すると相手もにっこり笑顔。  ご丁寧に、「だから大丈夫ですよ」と付け加え、地雷をしっかり踏んでいく。  ーーああ……この人もか。  励まそうとして言ったであろうその言葉に、私はもはや敵意を覚えた。 「何故私だけが、家事育児を全部やること前提なんですか?」 「え、」 「結婚したら、その家は貴方の家でもありますよね? 子供が出来たら、その子は貴方の子供ですよね? 何故私だけが、その全てを背負って、その全ての責任を負わないといけないんですか? 私だけが住む訳でも、私のお腹に不思議な力で宿った命でもないのに」 「あ、いや……」  私が結婚というものに夢も希望も抱けない理由。  つまり、そういうこと。  何故世の中の男性は、結婚したら女には男のご飯や洗濯、子供の世話まで全てやって貰うのが当然だと未だに思っているのか。  いつまで、嫁と書いて奴隷と読む、それが結婚であるのか。 「……申し訳ありません。貴方と私では価値観が合わないようですので、今回のお話はなかったことにして下さい。今日はお忙しい中、お時間を頂いてすみませんでした」  とても事務的に言って、席を立つ。  外に出ると冷たい風が強く吹き付けて、かぁっと頭に上った血が一気に下がった。  これで三人目。  いい加減、母に怒られるだろうな。  今までの事と、帰宅してからの事を考えて、何だかもう死にたくなってくる。  ああいう人達ばかりじゃない。  分かってる。分かってるけど……。  どうして私はこうなんだろう。  信じてみたい、と思いながら、駄目だ、と思った瞬間にお腹の中が真っ黒になる。  目の前の男の人が、自分を貶めてゴミみたいに扱おうとしている敵に見えてしまう。  こんなんじゃ駄目だ。  結婚云々の前に、人間として良くない。  分かってる。分かってるんだ私だって。  ーー抜けるような青空を見上げていたら、余計に死にたくなってきて。  なんかもう、どうしていいか分からない。  いっそここで、「どうしましたか?」って誰かが声を掛けてくれて。  それが男性で、適当に媚びを売って適当に好いて好かれて。  それで万事解決してしまえればいいのにな、なんて。  失礼な上に投げやりな事を思った。

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