湯呑
97 件の小説月を仰いで 二作
「月が綺麗ですね」 あまりにも見事な満月だったから、文豪気取りに口にしてみた。 隣の彼女はというと、ついと顔を逸らして「ひどいひと」と返してきた。 ハッキリ言わないのが日本の風情と呼ばれるものの、時には厄介なものだ。 俺は彼女に一歩近づきながら、耳元に口を寄せた。 「お前と一緒だからだよ」 タイトル:「月に嫉妬するお前がかわいい」 20240913 「月が綺麗だね」 「曇ってぼんやりしか見えないじゃん」 「月でうさぎがデートしてるからだよ」 「ラムレーズン」 「えっ?」 「食べたいな」 コイツ、と思いながらキッチンに行く。 アイスクリームディッシャーから落ちるラムレーズンアイスを前に、次はどうやって言わせようかと考えた。 タイトル:「たったひと言」 20240913
月と雲のドラゴン
「月が綺麗だね」 眠れない深夜の散歩道。 決まり文句とも言える台詞を口にしてみた。 「月には何がいるんだろうね」 「ドラゴーン」 「えっ?」 「こわーい、にげろー」 おんぶした我が子が、ぎゅっと首にしがみつく。 小走りの真似をすると、「きゃーっ」と楽しい声をあげた。 そんな今年の中秋の名月。 20240917
セルペンティの首輪(声劇台本版)(改訂版)
登場人物 語り手…………………スナック止まり木の常連客のひとり カナヱ(かなえ)……スナック止まり木のチーママ。クセ強い。 ミク(みく)…………スナック止まり木のママ。穏やかな性格。 男性客1…………………常連客。ダンディな愛妻家。 男性客2…………………常連客。酔っ払い(イケボ)。 とある飲食街に隠れるように建てられた雑居ビル。飲食店街ビルの名前の下に並ぶ飲食店とスナック名のライト看板は、令和の時代でも昭和と平成始めの名残りを醸している。 全体的に蛍光灯の光の弱いビル内を奥へ奥へと進んでいくと、紫色のライト看板の目印である『スナック止まり木』が見つかる。 窓ひとつないドアの向こうからは、今夜もまた賑やかな声が響き渡る。勇気を出して押し開けば、口は悪いが懐の大きいチーママと物腰柔らかな料理上手のママがおもてなしをしてくれる。 しかし今夜だけは、客もおもてなし側へと回るようである。 * * * カナヱ「ミクママ〜ン、お誕生日おめでとう〜っ!」 SE (拍手) ミク「(ふぅーっ。バースデーケーキの火を吹き消す)」 SE (さらに喝采と拍手) ミク「みなさん、今日はわたしのためにどうもありがとう。こんなうれしい日を迎えられるなんて、長生きはするものね」 カナヱ「ナーニ言ってんのよ〜っ。ミクママ〜ンは、まだアラシックスじゃな〜いっ。これからも人生の酸いも甘いも味わって、内側から滲み出る色気でみーんなクラックラさせちゃってよぉ〜っ!」 ミク「カナヱさん。とってもうれしいんだけれど、本人に許可なくさらりと年齢をオープンするのはマナー違反よ」 カナヱ「あら〜ン、ごめんあそばせぇ〜っ」 SE (ゲラの笑い声) * * * ここスナック止まり木のママことミクさんは、普段はカウンターの向こうでひとり黙々とお惣菜作りや電話対応などしている。接客はカナヱさんとスタッフの子がメインで対応するため、ミクさんと密で話すことは少ない。 ミクさんは、年齢は五〇代後半で、丸みのある小柄な体格に、いつも季節に合わせた女性ものの和服と白の割烹着を着付けている。小柄でふっくらした身体にぽってりと丸みのある目鼻がついている。まるでベティ・ブープのような顔立ち、と言えばそれだろう。メイクはとても控えめに、今日もラベンダー色のアイシャドウと目尻にオレンジのワンポイント、朱色のルージュをひと塗りといったところである。 一度は愛らしい、しかし二度三度見て女装の男性と気付く容貌。それに被せる声色は高めで全体的にアンバランスな印象を受ける。 しかし指先のささやかな動作でも丁寧な物腰の柔らかな所作は、若さや溌剌さでは手に入らない気品があり、また優しい口調からなる心配りは、ほっとする温もりを感じさせてくれる。 さらにミクさんの作るお惣菜メインの家庭料理は、どれも絶品と評判が高いため、胃袋を掴まれて通う客も少なくはない。 と言っても、今日は台所に立たないため、ミクさんの料理はお預けであり、和装も割烹着なしの紺色の絽(ろ)と生成り(きなり)色の絽綴れ(ろつづれ)の帯がよく見られた。 カナヱ「茶番はこのくらいにして。は〜いミクママ、誕生日プレゼント」 ミク「ふふっ、ありがとう」 (黒い平箱を受け取る) ミク「開けていいかしら」 カナヱ「もちろんよ~。見て見てぇ~っ」 SE (箱の蓋をそっと開ける) (周りから歓声が上がる) カナヱ「ブルガリのセルペンティコレクションよぉ〜っ。絶対ママに似合うと思って〜っ」 ミク「まぁ……ずいぶん贅沢なものをいただいてしまったわ」 カナヱ「ねぇ〜っ、ママ着けてみて〜っ! 早く早くぅ〜っ!」 ミク「ええ、ちょっと待ってちょうだい」 (ネックレスを付けようとするが、なかなか付けられなくて戸惑う) ミク「ごめんなさい。慣れなくて……。んっ、ここかしら?」 カナヱ「そこじゃないわよぉ。もう、ママこっちー」 (割り込むように) 男性客1「ママ、僕がやるよ」 ミク「ごめんなさい……、お手間かけてしまって」 男性客1「とんでもない。ママのうなじを堪能できるなんて役得だよ」 ミク「もう……相変わらずお口が上手なのですから」 男性客1「ひどいことを言うんだね。僕が困らせたいのは、ママだけだよ」 ミク「まあ、いじわるな方」 (しばしふたりの戯れ) ミク「先程から気になっていたのですが、その素敵な時計、どなたからのプレゼントですの?」 男性客1「オーデマピケだよ。先月が結婚記念日でね、妻と買ったのさ」 ミク「ふふっ、よろしいの? 素敵な方がいらっしゃるのに、こんなところで遊んでいて」 男性客1「ママの意地悪かい? 妻が言ってるよ。僕がここへ通うたびに惚れ直してるって。きっと私以上のすてきな方と会っているんでしょう、てさ」 ミク「まあ……妬けてしまいますわ」 男性客1「はは、僕の自慢の妻だよ」 男性客1「ほら、できたよ」 ミク「んふっ、ありがとうございます」 カナヱ「ママ~っ、お披露目ぇー。ほらやっぱり似合うわ~」 ミク「カナヱさんやみんなが選んでくれたおかげよ。ちょっと華やかなになったかしら」 カナヱ「ちょっとどころじゃないわよ~っ。みーんなママに首ったけ」 ミク「ふふっ、大切にするわ」 SE (パンパン、と手を叩く音) カナヱ「さあー、パーティーの始まりよ。皆さーん、今日は無礼講よぉ~っ。持ち寄りたーくさんあるからー、じゃんじゃん飲み食いしてちょうだい。で、も、ふざけたことしたらアタシが許さないから!」 (ゲラの笑い声/会食の始まり) * * * SE(飲み食いする音、食器を洗う音など) それからは賑やかな立食が続いた。ドリンク作りや給仕などは、カナヱさんとスタッフの子たちがメインに動く。招待客の中には同業者もいたので、率先して手を貸す人も多かった。気付けば飲み食いばっかのメンツも、カウンター向こうに入って食器洗いをしている様子も見受けられた。 時間が経つにつれて、みんなの顔が揃って緩んでくる。顔に出やすい人は、首までも真っ赤になって気持ち良さそうに酩酊を楽しんでいた。 自然とおしゃべりの声も大きくなる中、チーママであるカナヱさんの甲高い声が響き渡った。 カナヱ「ラデュレのマカロンじゃな〜い! ステキよぉ〜っ! 一個四〇〇円するんだから〜っ!」 SE (スズメの大群にやられたかのように、一瞬で消えていくマカロン) カナヱ「……アラ、みんなゲンキンねぇ~」 (間) カナヱ「きゃあああああああーっ(歓声)」 カナヱ「キルフェボンの季節のフルーツタルトをワンホール買ってきたの誰よぉ〜っ。夢みたいでサイッコーだけど明日の体重計がこわいわぁ〜っ!」 (んふふふふふっ、と上機嫌に笑うカナヱの前に、酔っ払いがひとり) BGM(OFF) 男性客2「カナヱさんの体重が、今の倍になっても愛してるよ……(超絶イケボ)」 (沈黙) カナヱ「アンタが愛してくれてもアタシが愛せなくなるのよぉぉ〜っ! キスしてやるから唇よこしなさいヨォォォーッッ!」 男性客2「きゃあああああああああーっ! Oh、ディープキィィィス!」 カナヱ「(アドリブのディープタイム)」 (盛り上がるゲラ。拍手等々) 語り手「……ひっく」 (酔い覚ましのため、そっとひとり店の外へ出ていく) SE(小さなドアを開閉する音、ドアベルの音) * * * SE(雑居ビルの廊下をしばし歩く音。やがてビルの出入り口近くまで行く。次第に歓楽街の賑やかな音が近づいてくる) (ビルの出入り口で、ミクさんと誰かが居るのを見つけて足を止める) ミク「……わざわざありがとう。わたしコレ大好きなのよ。ところで、みんな元気?」 (間) ミク「……ふふっ、拗ねてるの? 大丈夫よ、彼女は貴方を一番愛しているわ」 (………) ミク「………ええ、気をつけて帰って」 (相手が立ち去る。少しの空白の後、ミクが振り向く) ミク「お待たせしてごめんなさい。もうおかえりかしら?」 (………) ミク「そう。酔い覚ましに出てきちゃったの。今日は一段と賑やかだものね。少し風に当たるだけでも気分は変わるわ」 (………) ミク「ふふっ、警戒しなくて良いわ。さっきの彼が気になるのでしょう。──わたしの息子よ」 ミク「今年で高校生なの。親バカかもしれないけれど、わたしに似てなくて男前でしょう。とてもいい子で、わたしの自慢なの」 ミク「離婚した親の職場にわざわざ来るなんてねぇ。いくら見た目がしっかりしていても、未成年なんだから心配しちゃうわ。そうそう、あの子のお母さま、少し前に再婚したのよ。新しいパートナーの方ともとても仲良くやっていて、あの子も拗ねちゃうみたい。ふふっ、彼女ったらその方といつも手を繋いで歩きたがるんですって。まるで付き合いたての恋人同士みたいじゃない。ねぇかわいらしいと思わない?」 (………) ミク「……あら、ごめんなさい。わたしったらつい」 (………) ミク「そんな顔しないで欲しいわ。だって、好きなひとに好きなひとができたのよ。どうして喜ばないって理由があるのかしら」 (ミク、小さな含み笑い) ミク「好きだから離れた、て理解されないかしら。でも、わたしは彼女を家族として愛せても、ひとりの女性として愛せなかったから。だってわたしは……そうでしょう? あなたには、わたしがどっちに見られて?」 (少しの間。すぐにミクの小さな含み笑い) ミク「お客さまを困らせてはダメね……今日のわたしは、意地悪が過ぎるわ」 SE(指先で首元のネックレスを引き出す。ミクの指先に螺旋状の蛇のペンダントトップが乗る) ミク「知っているかしら。セルペンティは、イタリア語で『蛇』を意味するの。蛇は古代から叡智や永遠、守護の象徴とされているわ。でもまた別に、嫉妬の象徴とも名高いのよ。 ………わたしにお似合いよね。いつか首を絞められるのかしら」 語り手「……マ、……(聞こえないくらい)」 (間) ミク「……大丈夫よ」 (衿元にネックレスを隠す) ミク「わたしは誰にも恋はしないし、誰もわたしに恋はしないわ」 ミクさんは振り向かないまま、お店に戻りましょうと促してきた。足音もなく遠ざかる小さな背へ、手を伸ばすことも声ひとつもかけられず、しばらく歓楽街の風に当たるしかできなかった。 (終わり)
ルブタンを履いた人魚(声劇台本版)(改訂版)
登場人物 語り手…………………スナック止まり木の常連客のひとり カナヱ(かなえ)…スナック止まり木のチーママ。クセ強い。 ミク(みく)………スナック止まり木のママ。穏やかな性格。 男性客………………常連客のひとり。 カナヱ「あら、あんたブッサイクな顔してるわねぇ〜っ」 この失礼極まりない第一声が、カナヱさんとの出会いだった。 カナヱ「(煙草を煙をふかす音)ふぅぅぅー……。そんなブッサイクな顔でトボトボ帰るなんて許されると思ってるワケ〜っ? そんなのぶら下げてほっつき歩いてるとねぇー、穴があれば掘りたいヤツに捕まってナニされるか分かったモンじゃナイわよ〜っ? アタシの貴重な煙草をクッソ不味くした罰よぉ、一杯付き合いなさい〜っ」 その日は普段より終わりが遅くなって、帰りもほぼ深夜に近かった。せめて明るい道を選ぼうと賑やかな歓楽街の人混みに紛れて歩いていたところ、ある雑居ビルの出入り口でひとり煙草を燻らせていたカナヱさんに呼び止められた。 その鼻にかかるねちっこい独特の口調から、足は本能から逃亡を図ろうとした。 しかしそれは十センチ以上あるヒールで颯爽と駆けてくるクールビューティー(!)により、あえなく阻止されたのであった。 SE (カツカツカツカツ……ぐわしっ) * * * とある歓楽街にある雑居ビル。『飲食街ビル』と名乗るそこは、年季の入ったライト看板により、令和の現代でも昭和と平成の名残りを堂々と輝かせていた。 全体的に蛍光灯の光の弱いビル内を奥へ奥へと進んでいくと、紫色のライト看板の目印である『スナック止まり木』が見つかる。そこがカナヱさんの仕事場だ。 SE (ドアベル/ドアの開く音) 「あら、あんた今日もブッサイクねぇ〜っ」 (BGM 歌謡曲や懐メロより) SE (ぼりぼりぼりぼりぼり/きゅうりの糠漬けを食べる) カナヱ「せっかくのアタシの大好物を不味くさせないでよぉ〜っ。どーせまた上司からネチッネチされたんでしょ〜? またお昼ごはん抜いたって顔してるわよ。さっさとこっち来なさい」 SE (ドアベル/ドアの開く音) カナヱ「あら、あんたも今日もブッサイクな顔してるわねぇ~っ。ジャケットの襟めくれたまんま来るんじゃないわよ。外回り疲れたってぇ? 知らないわよンなんの! アタシのスチームアイロン貸してやるからすぐに直しなさい!」 * * * カナヱさんは、ここでチーママとして働いている。年齢はだいたい三〇半ばあたりで、手足の長い長身痩躯な体型に、いつもレディースの開襟シャツとスラックス姿で出迎えてくれる。口調からしてオカマ、と当初は思っていたものの、本人曰くオネェらしい。 カナヱさんはきれい、いうつもよりかなりカッコいい。黒のワンレンショートと滑らかな褐色肌に乗る顔立ちは、一重の切れ長な目元に形の良い鼻立ちと薄い唇。顎から首にかけてのシャープ感は、巷のモデルや俳優にも引けを取らないと思う。今夜のブラウンゴールドのアイシャドウとオールドローズのルージュも、派手とならずにカナヱさんの良さを引き出している。 黙っていれば近寄りがたいエキゾチックなクールビューティーだけど、口を開けばイメージは逆転する。 鼻にかかるねちっこい独特の口調は、来店のご挨拶以外は陽気に相手をしてくれる。お酒も強く、テンポの良い相槌と(カナヱ「やだ~」「うそ~」遠くから。豪快な笑い声も)気持ち良い程のオーバーリアクションから、酔いの回った客は、さらに饒舌なおしゃべりを続けたくなるのだ。 だが、あまりに羽目を外し過ぎると、高さ十二センチのヒールの逆鱗に触れる。 カナヱ「この浮気者がぁぁぁーッ!」 SE (どんがらかっしゃん/ソファーから転げ落ちる) カナヱ「アタシが目の前にいるってのに、ナーニ他のオンナの話なんてするワケよぉ〜っ! しかもナニ、おれのヨメなんかより色っぽいですって? 色っぽいって言ってくれたのはイイわよ。でもねぇ、ナーンかよりって比べられてダーレが喜ぶなんて思ってるワケ〜ッ! 馬鹿にすんの大概にしなさいッ! 今すぐヨメちゃんとこすっ飛んで土下座して来なさいボケナスゥゥゥゥッ!」 SE (逃げる音。ドアベル/ドアの開く音(乱暴)) カナヱ「……まったく。……皆さま、ごめんあそばせ」 SE (スツールを引く音。カーペットの床を歩いてくる) カナヱ「……隣、失礼するわよ」 SE (キィ……/カウンターの席に身体を滑り込ませる) ミク「カナヱさん、口がブスになってしまうわ」 カナヱ「(甘え口調で)ママ〜ン、だって見たアイツの服ー。シャツの襟も袖も真っ白で、ちゃーんとアイロンで糊付けされてたのよぉ〜? あんなデリカシーのナイのが自分でやると思う〜っ? アイツのフランクミュラーをツケ代わりに奪っておくんだったわよぉ〜っ。(ぶつぶつぶつ)」 (沈黙) SE (ミクが大皿に総菜を盛り付ける音。箸の当たる音、グラスに炭酸水を注ぐ音) ミク「(感情を抑えて)カナヱさん、わたしはあなたの優しさを知っているわ。顔も知らない相手のためにあすこまで怒れるなんて、そうそう出来るものではないもの。でも誰もがみんな、あなたの優しさに気付くとは限らないのよ。だから、あなたをかなしませないでちょうだい」 SE (コトン、コトン。テーブルに小鉢とグラスの置かれる音) ミク「ちょっと行ってくるわ(カナヱさんに言うように)」 SE (カウンターの開く音。カーペットを草履が滑る) カナヱ「………ん」 SE (カナヱさんが背筋を伸ばす) SE (箸を持って、小鉢をつまむ。ジンソーダをゴクゴクとふた口) カナヱ「………んふっ」 (しばらく咀嚼音と飲む音) カナヱ「ん、なーに。そんなに見つめちゃって。さすがのアタシも飲みづらいわよ」 (…………) カナヱ「ああ、これ。アタシのヒールを見てたのね……」 カナヱ「ルブタンよ(静かな調子)」 SE (もぐもく。ごくん。一息ついてから) カナヱ「このルブタンがね、アタシを息苦しい社会の海から連れ出してくれたのよ。あんた、人魚姫の話を知っているかしら?」 (小さな間) カナヱ「そう。大まかな流れは、ね。でもアタシの話は少し違うわ。海の世界に疲れたひとりの人魚が、ある日の晩に海の上の王女さまに助けられたことをきっかけに、陸へ行きたい望みを膨らませるのよ。人魚は魔女にお願いして、夜だけ陸へ行ける足を手に入れたわ」 SE (ごくり/カラン。ジンソーダを飲む。グラスに氷が当たる) カナヱ「でもずっと海の世界に住んでいた人魚は、陸の生活に戸惑うばかりだったわ。特に生まれたての足は、すぐに歩けるなんて出来ないのよ。足の裏で地面を踏むことなんて知らない、脚の運び方も知らない、自由に泳げる魚の身体とヒレのしなやかさが恋しく思ったこともあったわ」 SE (カウンター席で足を組み替える。シュルリと布が擦れる) カナヱ「そんなある日、人魚はある一足の靴を見つけるの。何の飾り気のない足を、美しいヒレのように魅せるそれに一目で恋に落ちたの。アタシもそれを履いて、自由に歩きたいって」 カナヱ「それがアタシのルブタン」 SE(カラン、と空のグラスがカウンターに置かれる) カナヱ「憧れを手に入れるにはね、お金も確かに必要よ。でもそれを身に付けるのに見合う自分も仕上げていかなくちゃダメ。もしティファニーやカルティエのネックレスが欲しいのなら、最低でもデコルテを人前に出しても恥じないくらい磨いておくべきよ。それで身に付けたものは、見間違えるほど自分を魅力的にして、新しい世界を教えてくれるんだから。見て」 SE (袖から長い手が伸びる。腕に布が擦れる) カナヱ「手だってそうよ。ハンドクリームを使う習慣を身に付けるだけでも、相当変わってくるわ。ふふん(含み笑い)」 * * * ミク「(とても申し訳なさそうに)カナヱさんごめんなさい。わたしったらつい忘れてしまうの」 (小さな間) カナヱ「(通常モード)ママ〜ン! ママの手は最高にステキよぉ〜っ。ずっと仕込みの水仕事して塗る手間も惜しんじゃうの知ってるわぁ〜っ、責めてるわけじゃないのよぉ! その手で毎日ぬか床こねくり回してくれてるから、いっつもおいしいぬか漬け食べられるんだもの〜っ、アタシだーいスキ! ママの手料理もどれも愛情たっぷりだからおいしいわぁ〜っ、今日の小アジの南蛮漬けもサイッコーッ!」 (もぐもぐもぐもぐ) カナヱ「だからね。せめて寝る前はハンドクリームとシルクのナイトグローブでおやすみして〜。だってずっと頑張ってくれているんだものぉ。ちゃーんと労わってあげて〜っ」 ミク「……もう。カナヱさん、たら」 男性客「ママの手ってふっくらしていて柔らかそう」 カナヱ「ちょっとーっ! ママへのお触りは五〇〇〇円追加よッ!(怒声)」 (周りから笑い声。ゲラ) 語り手「……ははっ、あははは(ゲラに混ざるように) SE (ぴっ。目の前に会計用紙の置かれる) 語り手「……え?」 カナヱ「ごめんなさ〜いっ。このヒトをお見送りに行ってくるから、もうちょっとだけママと贅沢タイムしてて〜」 (小さな間。カナヱさんが呆れたように「ふんっ」と鼻を鳴らす) SE (コツン。グラスを指で弾く) カナヱ「あんたはもうおしまい。分からないでしょうけど、酔っ払いの顔になっているわよ。これ以上だらしない顔を見せびらかすなんて、アタシが許さないわ」 * * * SE (暗い廊下を歩く音。カツカツと響くヒールの音と靴の音) カナヱ「もっとシャンと歩きなさいよ〜っ、襲っちゃうわよぉ〜?」 SE (カツカツカツカツ、響くヒールの音) * * * SE (歓楽街の賑やかな音。人混みの音) カナヱ「はーい、アタシはここまで〜。ベッドに着くまでは、嘘でも『酔っ払ってませ〜ん』て顔してなさいよぉ〜っ?」 (カナヱさんが離れる) カナヱ「ふむ……」 (カナヱさんが顔を覗き込んで) カナヱ「ホント、あんたってブッサイクねぇ〜。最初に会った時なんてサイアクだったわよぉ〜。顔はこの世の不幸全部背負ったみたいだったし、身だしなみもヨレヨレ、しかも猫背でトボトボ歩いてるんだから、変な店に捕まるんじゃないかって危なっかしいったらありゃしなかったわよぉ〜っ そんな隙だらけの顔ぶら下げて他店(よそ)にはしごなんてすんじゃないわよッ!」 口の悪さはあるものの、それに隠れた優しさが少しだけ酔いを覚ます。きっとカナヱさんには、このやり取りをされ続けるのだろうと思った。 語り手「……はは」 カナヱ「うん?(なんで笑っているんだって顔)……ふふんっ」 (カナヱさんが一歩離れる) カナヱ「あんた、もしアタシ以外にブッサイクなんてふっかけられたら、こう言ってやんなさい」 SE (カツン。とひと際響くヒールの音) カナヱ「『ごめんあそばせ。アナタのタイプじゃなくて』」 挑発的ながら自信たっぷりなそれに、つい胸の奥が強く跳ねた。声をかけようとした時には、すでにカナヱさんは雑居ビルの奥へと消えてしまっていた。耳の奥にルブタンの足音だけ残して。 ルブタンを履いた人魚は、今夜もまた歓楽街の地で泳いでいる。
四季の雲とぴょんと兎丸!(声劇台本版)《冬》(完結)
登場人物 ナレーション…………タイトルと冒頭説明係。今回超がんばれ。 兎丸(うさまる)……没落名家の一家来。苦労人。超がんばれ。 雪斗(ゆきと)………没落名家の長子。美形だがバカ若様。 カナヱ(かなえ)……居酒屋の副店主。女形(つまり男) 志織(しおり)………雪斗の婚約者予定の名家の姫君(ちょい) 《冬》寒雲とぴょんと兎丸また明日 冬となるとより一層気温が下がり、空気中のちりや水蒸気も少なくなるため澄んだ空と呼ぶに相応しい『冬晴れ』が拝めるようになる。そんな空に浮かぶのは、輪郭のぼやけた凍ったような白雲である『寒雲(かんうん)』『凍雲(いてぐも)』が主流となる。 また鈍色の空に垂れ込めた雲も同じく指す。空気さえも冷え込む日、仰ぎ見る鈍色の雲はさらに身体の芯を冷やしてくる。これからはらはらと白い粒が降ってくるかも、と考えてみれば、縮こまった手をさらに擦り合わせたくなるだろう。 しかし、そんな空の事情などにかまける余裕のない者とは、どうしても少なからず居るものである。高い空よりも地に近いやり取りばかり気を取られ、いつも背中を丸めながら駆け回るのが日常茶飯事の者も存在する。 そして元名家の家来の兎丸も、その忙しないひとりである。 今日とて日の出る前に起きては、井戸水を汲んで土間に向かい、火を起こして朝餉の用意をし始めた。しばらくすれば朝の鍛錬から帰って来た主君を出迎える。井戸水で行水したままのあられもない姿、ちなみに越中褌(ふんどし)一丁へ、毎度絶叫して着替えを促す。 主君が着替えている間に、昨日漬け込んだ白菜の糠漬けを取り出し、朝餉の握り飯と汁物に並べる。それから納屋の広間にて、ふたり向かい合っての食事を始める。 ここまでがまだ穏やかな時間であり、以降は忙しない。突然舞い込んで来る町の騒動に、主君が電光石火の如く駆け出して行く。それを追いかけながら、吊し上げしているたくあんの具合や、先日また主君がやらかした縁談先の謝罪について思案する。自分が到着した頃には、すでに主君の手によって伸び切った野盗たちに安堵とため息をつきながら、簀(す)巻き状態にされたそれらを守護大名のところへしょっ引いて行った。 町の皆々に御礼の品を頂戴する主君の傍で、大乱闘で汚れたお召し物に頭を抱え、急ぎ足で納屋に戻って主君の二度目の着替えをさせた。 その間に吊し上げのたくあんの具合を見ていると、またもや騒動がやって来た。町の若い衆たちのいざこざが起きたとのことで、仲介として主君はまたもや駆け出して行った。もみくちゃの若い衆の輪に突っ込めば、あっという間にいざこざは治った。満面の笑みの主君を住まいの納屋に引っ張れば、乱れた着物や御髪(みぐし)を丁寧に整えた。 これから縁談先との待ち合わせがあることを思い出しながら、日の動きから時間を計る。何とか見た目に恥じない程度に主君を着飾れば、ほぼ強引に納屋を飛び出した。 駆け足で目的地に向かう中、突然主君は団子屋に寄って行くと言い出した。こんな時に好物の甘味に目移りするなと、つい叱咤しそうであったが、主君は曇りのない眼(まなこ)でこう告げてきた。 雪斗「せっかく会うのに手持ち無沙汰は失礼であろう」 どうして急いでいる時にこそまともなことを……と兎丸は団子屋に吸い込まれる主君へ内心で苦虫を噛み締めた。 間もなくして、みたらし団子とごま団子を三本ずつ両手に持った主君へ目玉が飛び出そうになった。 雪斗「美味そうな団子に俺も食いたくなった。安心しろ、手土産の分は食わないぞ」 だったらせめてタレモノはお避けくだされ、と指摘する前に主君は駆け出して行ってしまった。韋駄天の如くの健脚で駆けながら、もぐもぐと団子を平らげていくのは見事と言うべきなのだろうか。しかし食べているのはタレモノ、案の定、端正な顔の口元はみたらしとごまだれのべったべたまみれとなった。 途中、主君は突然首根っこを掴まれて停止した。掴んだ相手は、町の酒屋の副店主兼主君の料理指南の師匠であるカナヱであった。相変わらずの派手な小袖と一ツ歯の高下駄を粋に着こなした姿で、団子のタレまみれの主君を睨み付けた。 カナヱ「ナニよあんた。そんな顔でお姫様に逢いに行くつもり? アタシに任せなさい」 と、懐から手拭いと化粧筆を数本引き抜けば、主君の顔へチャッチャと何やら施した。 兎丸はその間に待ち合わせ場所へ先回りして、灯籠(とうろう)の被り物にてふたりの逢瀬の見守りへ入った。 待ち合わせ場所いたのは、袴姿の若い剣士であった。よくよく見ればそれが待ち合わせ相手のご息女である志織と気付き、兎丸は灯籠の頭をがたがたと震わせた。 そして数分と掛からずに、主君も待ち合わせ場所にやって来た。 急いで駆けて来たために、着物は着崩れた様になってしまった。両手に計六本だった団子は、右手のごま団子一本と変わった。それは致し方ないと諦めていた兎丸は、灯籠の穴から主君の顔をじっと覗き込んだ。 主君のタレまみれの顔はカナヱの手によってきれいに変わっていた。端正な顔に濃いめの化粧を施された様は、明らかに昼より夜の花街にふさわしかった。 灯籠の頭がこれ以上になく震えたのは言うまでもない。そしてやっとふたりが対面すれば、間髪入れずにこのような台詞がぶっ飛んで来た。 雪斗「何だ志織、そのふざけた格好は」 * * * 兎丸「はぁ……今日とて気付けば夜であるか。……ああ、手足がしもやけでかゆい。寒川での洗濯とは苦行であるな。若様のお召し物は土間に吊るしたからな、明日には乾くだろう。ああ……朝餉の後は何をしていたか。思い出すのは若様の背中ばかり。隙を見てたくあんの具合を見つつ、若様を影ながら見守り、またどうして石材屋に運ばれて……ああ、嗚呼~~っ、嘆かわしい……(涙目)」 兎丸「……以前から若様の天真爛漫に振り回されるのは日常茶飯事であったな。それでも戦場で一際輝く武勇には、側近の身としてこの兎丸は、誰よりも喜びを感じていたとも。それにいずれ家長となる身分の主君へ、今だけは出来る限りの自由を許せたらと願う胸の内もあったからこそ、あの忙しない日々を耐えられた。 しかしとかの戦で敗れたがために、名家の地位はみるみる崩れ落ち、今でも町外れの納屋で夜露(よつゆ)にて凌ぐ生活を余儀なくされてしまった……。 衣服もどうだ。生地は絹から麻へと代わり、椀や箸も漆塗りのものから町民からの使い古しへと変わってしまった。食事も今は一汁一菜が良いところ。魚など雑魚さえ口にしていないではないか。だからせめて塩と味噌だけは良いものを評判の良い店から仕入れているが……」 兎丸「若様にこのような生活を強いてしまうことへ苦悩した末、この兎丸は名家のご息女への縁談を持ち掛けたのだ。元名家とはいえ、長子が婿養子を申し出るのは、苦虫を噛み締めるほどの行為であると承知の上で。それなのに……」 兎丸「はぁぁぁぁぁ………あの御方はどうしていつもいつも……。御家復興の道は成就どころか衰退の道を歩んでいるではないか。若様は縁談相手の志織様に今まで何をされていたか。ああ……いたたたた、思い出すだけで胃腸が悲鳴を。……もう考えるのはよそう」 兎丸「……けれど……けれど……」 兎丸「この納屋の生活を始めて幾月か。若様は持ち前の器量良しと人当たりの良さと豪傑なる腕で、瞬く間に町民たちと打ち解けて人気と信用を得られた。町の娘から言い寄られるのはもちろんのこと、男衆や小童たちからも「わかさまー」と親しみを込めて呼ばれていらっしゃる。時には肩を並べ合うことも。ああ、その時の若様のお顔ときたら。快活でさぞ楽しそうに笑われるのだ。眉を顰めたお顔など、ここ最近見たことがあっただろうか。むしろだ、そんな若様のお顔を見るたびに、この兎丸は眉を顰めるばかりで………」 兎丸「……う、うう………(涙ぽたりぽたり)」 兎丸「若様ぁ……兎丸は……兎丸は、間違っていたのですか……」 雪斗「おお、兎丸。ここにいたか」 兎丸「若様」 雪斗「夕餉の支度ができたぞ。何度呼んでも来ぬから寝込んだと思ったぞ」 兎丸「それは、失礼申し上げました! 若様のお手を煩(わずら)わせてしまい、この兎丸」 雪斗「飯の前に堅苦しいことを申すな。今晩は一段と冷えるから鍋物にした。町の者からたんと食材をもらったからな、いつもより具沢山で豪勢だぞ」 兎丸「はぁ……確かに具沢山でございますね。根菜や葉物、芋の茎も丁寧な仕込みのされておりますね。以前のとんでもない腕前を思い出しますと……。若様、御手をどうされましたか」 雪斗「はははっ、配膳の際にまた鍋に触ってしまった。なぁに、薬を塗っておけばすぐに引く。大したことでない。そんなことより夕餉が冷める。早く食べよう」 兎丸「はぁ、はぁ………(小声)以前は竹刀(しない)だこの目立つ御手が、土間に立つために火傷と切り傷だらけに……」 雪斗「んん、どうした。腹は空いていないのか?」 兎丸「いえ、そんなことは……」 兎丸「……若様。兎丸は、御家復興こそが若様の幸せであると思っておりましたが」 雪斗「まだそんなことを言っているのか。お前は利口であるがなかなか阿呆だな」 がーんッ!(頭をたらいで強打される音、また兎丸ボイス) 雪斗「いつも言っているだろう。俺は志織に『ごちそうさま』を言わせたい、とな。それがあの縁談の日に、わざわざ不味(まず)い飯をもてなしてくれた志織への謝罪にもなると思っている」 兎丸「………台所に立つのが不慣れなのに、でございますね」 雪斗「俺も台所に立ってから分かったことがある。飯を作るというとは、決して単純ではないとな。握り飯ひとつ作るだけでも、稲を育て、脱穀し、糠を取り、水を汲み、米を研ぎ、火を焚き、炊けるまでの番をし続ける。それから手を清めて握る。こんな手間を毎日欠かさずなど、気が狂いそうだ」 兎丸「……それは、仰る通りでございます。この兎丸も納屋暮らしを始めたころは、ひどい食事をお出し続ける日々でございました……。その度に兎丸は胸の締め付けられるお気持ちとなりました……それでも」 雪斗「それでも毎日台所に立つのは、面倒よりもよろこばせたい気持ちが勝っているからだ。と、カナヱが言っていた。その気持ちが、今はとてもよく分かる」 兎丸「……仰る通りでございます。この兎丸、若様に初めて食事を『旨い』と言われたことを、つい先ほどのことのように覚えておりまする。……恥ずかしながら、その場に泣き崩れたくなるほど胸が熱くなりまして……。 ああ、若様、若様はそれほどに志織様をお慕いに」 雪斗「俺が志織に『ごちそうさま』と言ってもらえたら、さぞよろこんでくれるだろう。兎丸!」 兎丸「ぶぇっ??」(盛大に) 雪斗「ぶぇっ?」 兎丸「ああ、いえ、申し訳、え、え、え? ど、どど、どうしてここで兎丸が出てくるのですか?」 雪斗「何だ、お前はよろこんでくれないのか。薄情な奴だな」 兎丸「何でそうなりまする?? この兎丸にお分かりになるように仰ってくださりませぬと、流石に分かり兼ねて」 雪斗「俺こそ分からないぞ。どうしてまだ数回しか顔合わせていない無礼な女子のためにがんばれと言うのだ。そもそもお前がよろこんでくれなければ意味がないだろう?」 兎丸「わ、若様、顔が近うございます。ああ、相変わらずの美丈夫が幼子(おさなご)のように頬をふくらませては台無しに」 雪斗「むぅぅ、俺のことなどどうでも良いだろ。俺はお前に尋ねているのだぞ(ぷくーっ)」」 兎丸「むぎゃっ!(……頭の中混乱)……ああ、ああ、若様はいつもそうだ。ご自身のことには腰が重いくせに、他人のことにはすこぶる腰が軽い。だから行く先々で色々と巻き込まれては、この兎丸が尻拭いに駆け回っているのですぞ。 ほんとうに、根はどこまでも真っすぐで前向きで喧嘩っ早くて、身分関係なしに人当たりよろしくて頭はまだまだ幼子同然で馬鹿で、甘党でやることなすこと予想外で目を離さなくて、誰よりも人思いで……(早口)」 雪斗「何をぶつぶつ言っているのだ。早過ぎて聞き取りづらいぞ。それに兎丸、熱でもあるのか。顔が真っ赤だぞ」 兎丸「え……? ああ、熱は、ございません、が、熱は……。若様、あまりにも近うございますと、せっかくの椀をこぼしてしまいまする」 雪斗「おお、それはすまんな(離れる)」 兎丸「ほっ……も、もうこの話は終わりにいたしましょう。せっかくの汁が冷めてしまいまする! (ずずず……ずず)……若様……大変美味しゅうございます」 雪斗「ははっ、そうか」 兎丸「ええ、とても……(ずずず)。こうして若様と並んで食事をとるのも、この生活が始まってからでございました。……もしかしたら、決して悪いものではないのかもしれませぬ」 兎丸「して若様、食材がいささか多くありませぬか。他に何処から仕入れたのです?」 雪斗「んむ? 以前お前が捨てた米糠、あの糠床からだ」 兎丸「ゑ(え)?(めちゃくちゃ低い声)」 雪斗「米糠は良い肥やしになると、町の者に教えてもらっていたのだ。あの糠床に生えていたきのこは丈夫だな。土に埋めてやったらすぐにまた生え始めた。干した茸は糠床に旨みを与えると聞いてな、先日こっそり入れておいたぞ。どうだ、今朝の糠漬けは一段と美味しかっただろう?」 兎丸「……は、は、は、はぁ? では、この椀の中のきのこは、じゃあ、見覚えがあるのは……」 雪斗「兎丸、鍋はたんまりこしらえたぞ。遠慮せずどんどん食え。全部お前の分だ」 兎丸「若様、もしや……もしや!」 雪斗「うむ、全部使い切ったぞ!」 兎丸「……冬の食糧は少ないため少しずつお使いくださいとあれほど、あれほど申し上げて……。それを、すべて、あの初春(はつはる)の腐った糠床に生えた得体の知れないきのこ、きのこ、と……やっぱり、嗚呼、バッ……若様ぁぁぁぁぁっっっ!」 (終)
四季の雲とぴょんと兎丸!(声劇台本版)《秋》
登場人物 ナレーション…………タイトルと冒頭説明係。 兎丸(うさまる)……没落名家の一家来。苦労人。 雪斗(ゆきと)………没落名家の長子。美形だがバカ若様。 カナヱ(かなえ)……居酒屋の副店主。女形(つまり男) ミク(みく)…………居酒屋の店主。女装(つまり男) 志織(しおり)………雪斗の婚約者予定の名家の姫君。 《秋》いわし雲グチを肴の下戸兎 秋の雲、もとい秋の空は一年でもっとも美しいと言われている。夏の暑さが抜けた、朝晩のひんやりとした空気の中で仰ぐ『澄んだ青空』は、秋の空の代表として挙げられる。 そんな青空に描かれる雲は、『巻雲』と呼ばれる空へ筆を滑らせたかのようなすじ状もの。また高い空にぽつぽつと小さな雲のかたまりが群れる『さば曇』『いわし雲』『ひつじ雲』などがある。 ちなみに秋さばや秋のいわしは、同じく旬の味覚である秋刀魚に負けず脂が乗って美味である。これを肴にすれば、どんな安酒でも気持ち良く味わえると、呑兵衛たちの舌鼓は止まらなくなる。 うまい肴にうまい酒で酔えるなら馬肥ゆるように肥えても文句なし。しかし世の中には、どんなにうまい肴を目の前にしても、自らの口から出す愚痴ばかりを肴にする輩とはいるもので……。 兎丸「若様がぁぁぁぁぁっっっ!」 兎丸「う…う、うう……ゴクッ(お猪口から飲む音)、はぁ……」 カナヱ「あんた今日もブッサイクな顔してるわねぇ〜っ。開店早々来てくれるのはありがたいけどねぇ、うちの卓上にあんたの涙やよだれを飲ませないでくれる~?」 兎丸「ええ、全く。カナヱ殿ほどの美丈夫には、この兎丸の気持ちなどお分かりになりませんでしょう。本日も南蛮柄のお召し物がよくお似合いでございまする」 カナヱ「あらン、褒めてくれたのはありがとう。でも酒の一滴も入ってない白湯で絡むんじゃないわよぉ〜っ。そーいうところがブッサイクになるっつーのぉ(デコピン!)」 兎丸「ひんッ! ……う、うう……(ちびちびと白湯を啜る)」 ミク「カナヱさん、これ以上いじめないの。兎丸さん、先日いただいた秋茄子を味噌和えにしてみたの。良かったら味見してくださる?」 兎丸「ミク殿ぉ〜っ、この秋茄子の艶やかな照りと味噌の芳しい香りだけでも、この兎丸の胃袋はむんずと掴まれてなりますぬぅ〜。わざわざ焼いてくださったこのシログチの塩焼きも非常に美味で……アイタタタ……」 ミク「ふふっ、そんなに急いで食べなくても平気よ。兎丸さんのお腹が驚いてしまうわ」 兎丸「う、う……ミク殿の優しさがこの兎丸の弱った五臓六腑に染みわたります」 ミク「まあ、お口が上手ですこと。んふふっ」 カナヱ「…………で、今度はナニがあったってワケ?」 兎丸「はぁ、あれは若様と志織(しおり)様、あぁ若様の婚約者になるご息女との逢瀬を見守るため、兎丸は松の木に化けておりまして」 カナヱ「え?」 ミク「え」 ポン・ポン・ポン(脳裏に浮かぶ松の木の被り物をする兎丸) カナヱ「あんた、ナニ菜種忍者(なたねにんじゃ)みたいなことしてるワケ?」 ミク「カナヱさん、なずな姫は分からないと思うの。せめてあんみつ姫でないと」 カナヱ「(小声)あらママン。『なずな姫様SOS(えすおーえす)』面白いわよぉ。ペンペン丸のバカっぷりが特にねぇ~」 ミク「(小声)カナヱさん、それを言うなら『あんみつ姫』も名作よ。カステラ夫人は憧れだったわ……」 兎丸「(白湯を啜る音)ずずず……(ため息)はぁ。指折りの名家である志織様のお家とは、以前ご縁談のお話を持ち掛けさせていただいたのですが、若様の不祥事のために……」 カナヱ「それはもう耳に蛸(たこ)が出来るほど聞いたわよぉ〜っ。雪斗が縁談の席に出された志織姫の手料理を、けちょんけちょんに貶しちゃって、その場で縁談が破棄になったって〜。で、反省した雪斗がアタシのところで料理修行することになったのよねぇ〜?」 兎丸「仰る通りでございます。カナヱ殿のおかげで、当初は『納屋の食糧をすべて家畜の餌にしてしまった』若様の料理のお腕は着々と上達しまして、今では一汁三菜もおひとりで仕込める程になりました。して、自信をおつけになった若様は、志織様の元へ御弁当を作って行かれたのですが……」 ◇ ◇ ◇(回想始まり) 志織『何ですか、この地味な色合いは。栗おこわはごはんが甘くなって好みません。しかも根菜や雑穀を混ぜて炊いた貧しい料理を、わたくしに食べろと仰るのですか。茄子は口が痒くなります。里芋も触感を好みません。はっきり申し上げますと、全て口に合いませんわ』 ◇ ◇ ◇(回想終わり) 兎丸「そう言って志織様は、若様の御弁当をひと目見るなり突き返したのです。それを見ていたこの兎丸、両腕の松の枝が震えそうになるのを必死に耐えましたとも。しかし若様は、突き返された御弁当を目の前に志織様へ声を張ったのです」 ◇ ◇ ◇(回想始まり) 雪斗『文句を並べるよりもまずは食ってみろ。あまりに好き嫌いが過ぎると、これ以上育つところも育たなくなるぞ。ほら見ろ、まるで皿みたいではないか』 兎丸「と、若様は志織様のなだらかな懐に躊躇なく手を置いたのでございまする……」 ◇ ◇ ◇(回想終わり) カナヱ「ぶふっ……! 雪斗、アタシがその場にいなかったことを感謝なさい。一瞬で美丈夫をつぶれ饅頭にシテあげてたから」 兎丸「カナヱ殿の一ツ歯の高下駄で蹴り飛ばされるものなら、屈強な牛さえも気を失いましょう。しかし恐れながら、カナヱ殿の仰りたいことへ大いに同意いたします。この兎丸も、今すぐ若様の元へ駆け出しとうございました」 カナヱ「おヤメなさいって〜。松の木で駆け寄ったりなんかしたら、あんた祈願のお家復興の機会を未来永劫失ってたわよ〜っ、あはははは!」 兎丸「……う、う、う………」 ミク「でも、口は相変わらずでも雪斗さん頑張っているわね。栗おこわに根菜や雑穀入れたのも、食の細い志織さんに少しでもたくさんの食材を食べてもらう工夫だし、茄子もクセがないから食べやすいし、里芋も、以前わたしが教えた蛸との甘辛煮でしょう? 町の娘さんたちに好評だって言ったから、作ってみたのね」 兎丸「さすがミク殿、仰る通りでございます。若様はこの日のために、何日も前から仕込みをしておりまして。けれど………ひっ(泣きそう)」 カナヱ「………はぁ。あんたンとこのバカ若は、確かに見た目だけなところあるけれど、根は真っ直ぐなのよね〜っ。四六時中、誰かの食事を考えるのって、見返りがなくちゃやってらんないわ。そんなにムキになるなんて、雪斗にとっては相当なワケでもあるかしら?」 兎丸「………あ」 (秋茄子の味噌和えをひと口もぐもぐ) 兎丸「分かっておりまする。この兎丸とて、分かっておりまする……」 ◇ ◇ ◇(兎丸脳内回想始まり) 兎丸「糠床を菌床にした時も、きのこの糠漬けが旨いと学んでいたこと。春には女子の気持ちを知るために、あえて女の装いを施されたこと。夏には早採りの桃を勝ち取るために、泥相撲で奮起したこと。そして秋、甘栗南京は女子の好物と聞いて、手間のかかる栗の皮剥きを何日もかけてやったことも全ては志織様に『ごちそうさま』と言わせる、言ってもらえるための努力である、と雪斗若様の家来である兎丸は重々承知しておりますとも。元々名家の長子であり、台所に立つなど無縁であったはずなのに……」 ◇ ◇ ◇(兎丸脳内回想終わり) 兎丸「……………………ぐっ。その後ときたら」 ◇ ◇ ◇(兎丸脳内回想始まり) 兎丸「糠床を菌床にされた時には、泣きながら米屋に米糠をもらいに行き、春の酒宴では女子たちに厚化粧を施されて男衆の見世物として放り込まれ、夏には褌一丁にされて泥の中で小童と屈強な男衆にもみくちゃにされ、そして秋は松の木に化けてふたりの逢瀬を見守っていた後、通りすがりの大工の運んでいた木材に当たって半日間気絶して………」 ◇ ◇ ◇(兎丸脳内回想終わり) 兎丸「う、う、う……ううっ!(涙目)ゴクゴクゴク(白湯)、若様ぁぁぁぁぁっっっ……」 (続く)
四季の雲とぴょんと兎丸!(声劇台本版)《序章・春・夏》
登場人物 ナレーション…………タイトルと冒頭説明係。 兎丸(うさまる)……没落名家の一家来。苦労人。 雪斗(ゆきと)………没落名家の長子。美形だがバカ若様。 《序章》初春や糠床抱いて兎泣く 世が戦乱であろうとも、見上げる空と雲は時代を映さずに悠々と流れ変わるのみである。 季節によって色味を変える大地と同じく、天もまた季節の衣を広げながら、浮き立つ雲へ 風のひと筆を振っていく。その一時として同じ形のない芸術へ、忙しない日々に娯楽を興じることすら忘れた者たちは、ほんのひと時の余暇を味わうのである。 兎丸「若様ぁぁぁぁぁっっっ!」 ここにもまたひとり、心身共に忙殺、また苦悩の日々を過ごす若者がいた。かの名前は 兎丸(うさまる)。かつては名家の一家来であったが、かの戦に敗れたがために当家は没落し、仕えていた主君と共に土地を追われ、今はとある町外れの納屋で細々とした生活を余儀なくされていたが、 はぁぁぁぁ……もう良いであろうか、このようなくだりは。 雪斗「どうした兎丸、そんなに血相を変えて」 兎丸「どうしたもこうしたもございませぬ! 雪斗若様、こちらをご覧になりましたか!」 雪斗「くんくん、くん……何だこの鼻の曲がりそうなにおいのする壺は。しかもきのこまで生えているではないか」 兎丸「何だこれはではございませぬ! 若様、糠床の手入れをお忘れになりましたね!」 雪斗「ああー……忘れていたようだな」 兎丸「……若様、糠床は毎日手入れを怠らないように、とこの兎丸口が酸っぱくなるほど申し上げました。若様が、自ら糠床の番を担うと仰ってくださいましたから、私もそのお言葉に甘んじ過ぎてしまったのは反省する他ございません。しかし、しかしこのようなにおいのするまで、しかもきのこ、きのこが生えるまで放置されるとは……う、う、う……」 雪斗「………悪いことをしたな」 ぬじゃり 兎丸「………へっ?」 雪斗「糠床は混ぜれば良いのだろう。ならすぐに混ぜ込んでしまえば良いではないか。それにきのこの糠漬けもうまいらしいぞ。明日の朝餉に出してくれ」 兎丸「………若様ぁぁぁぁぁっっっ!」 ◇ ◇ ◇ 《春》春曇り花の集いや兎舞う 春曇りとは桜の咲く頃の薄い曇り空を指す。また桜を雲に例えて、花曇りなどという言葉もある。 春の雲は灰色がかかり、上空で広範囲に広がっていることが多い。晴天の日には『巻雲』(まきぐも)と呼ばれる空へ筆を滑らせたような、すじ状の雲の見られることもある。 また『春うらら』と呼ばれる晴天の日にぽつりと綿雲は、冬から春にかけての期間に多いらしい。 しかしヒトとは、遠い空より近くの花を愛でるものである。桜が咲けば賑わいたくなるのは今昔変わることはなし。また身分が変わろうとも慎ましくなどする道理もなし。桜の下では安酒と旬の食い物を寄せ集め、やいのやいのと花に負けずと謳(うた)い笑うこそ道理であろう。 それは当の主君と家来も変わらぬのであるが……。 兎丸「若様ぁぁぁぁぁっっっ!」 雪斗「兎丸、どうしてそんなところに突っ立っている。せっかくの宴だぞ。お前もこっちに来て呑め」 兎丸「若様、この兎丸は下戸でございます。して若様は、兎丸が角(つの)を立てている理由をお分かりになりませんか?」 雪斗「お前に立っているのは角(つの)ではなくて髷(まげ)だろう。ほら、早く来ないとお前の絶品な鰊(にしん)の煮付けがなくなってしまうぞ」 兎丸「若様。この兎丸の鰊(にしん)の煮付けを褒めていただき大変光栄でございます。若様の第一家来として誇らしい所存でもございます。しかし、しかしですが、若様ぁっ、何ゆえに女子(おなご)の格好をなさっているのですかぁぁぁっ!」 雪斗「おお、俺がいうのもなんだがよく似合っているだろう。どうやら町娘たちの“女子会(おなごかい)”では化粧を施すのが作法らしいぞ。どうだ、俺も女子に見えるだろう」 兎丸「仰る通り、腰まで伸びた緑なす黒髪の髢(かもじ)も、淡い桃色の打ち掛けも、施された薄化粧も、生まれつき美丈夫な若様の容貌をよく引き立てております。恐れながら、下手な女子(おなご)が裸足で逃げ出すほどに見目“は(強調)”麗しゅうございます。そのためお気づきでございましょうか。周りの町娘たちのうっとりとした惚けた顔を。離れの男衆も若様の美姫(びひ)見たさに首を伸ばしている始末でございます」 雪斗「そうだろう。俺もなかなか様になっていると思っているのだ。はっははは」 兎丸「若様、何ゆえにそうお笑いになれましょう。いくら離れの男衆の話が合わぬからと席をお立ちになったがために、町娘たちに囲まれる羽目になったとはいえ……。若様、たとえ名家が没落しようとも若様のご身分の揺らぐことはございませぬ。なのに、どうしてこのような仕打ちを甘んじてお受けになるなど……う、う、う……」 雪斗「兎丸、何を泣いているのだ。確かに身動きはしにくいが、決して悪くない。それにこれは、女子の気持ちを知るにも良いと思うぞ」 兎丸「若様……?」 雪斗「ふふっ」 兎丸「……ッ(ドキッ)」 雪斗「お前も女子の格好をやってみるといい。お前は日頃から好き嫌いをするなと言っているだろう。何事も身に覚えていけ」 兎丸 「え、待て町娘たちよ。この兎丸は女子の姿に興味などないぞ。待てそこの娘! 袖を引くな、衿(えり)を、袴をッ、若様ぁぁぁぁぁっっっ!」 ◇ ◇ ◇ 《夏》四股を踏む入道雲や兎かな 夏の雲は、地表面から近く、まるで綿菓子のようなぽこぽことした雲が多い。特に青空に映えるほどに成長した『入道雲』は、夏の風物詩とも言えるだろう。 しかしこの『入道雲』は、通常積乱雲と呼び、落雷や局地的豪雨をもたらす厄介な雲でもある。特に灰色や黒に近い雲は、分厚く発達しているため、突然の豪雨に注意した方が良い。 と言っても、立っているだけでも汗ばむ日中で見上げる『入道雲』は、やはり圧巻であり夏をより感じさせる。 これを見上げながら、民衆は川や井戸で冷やした西瓜(すいか)や胡瓜(きゅうり)に齧り付いて夏を味わう。また田起こし前の田んぼで大暴れしたりなど……。 兎丸「若様ぁぁぁぁぁっっっ!」 雪斗「何だ兎丸、せっかく水入れの田んぼで冷えているところを。暑苦しいぞ」 兎丸「恐れ入りますが、暑苦しいのは夏の日差しのためでございます。若様、町の者たちと交流を深めるのは大変よろしゅうございます。自ら田畑(たはた)に入り土に触れ食物を育てるのも、御台所(おだいどころ)に立つ者としては良き経験となりまする。しかし、しかし何ゆえに小童(こわっぱ)たちと泥相撲をなさっているのですか! しかも、そのようなあられもないお姿でぇっ!」 雪斗「あられもないとは失礼だな。ちゃんと締めているだろう?」 兎丸「名家の長子(ちょうし)たる御方(おんかた)が、聴衆の面前で肌を覗かせるだけでも羞恥の沙汰でありますのに、ましてや褌(ふんどし)、褌一丁を晒すなどこの兎丸、黙って見過ごすことなど出来ませぬ! お気づきになりましょう。若様の白木の肌に引き締まった造形美たる身体に集まる視線を。女衆もはしたなくチラチラと覗き見る他、筋骨隆々の黒い肌の男衆でさえ、遠目で見ているのですぞ!」 雪斗「お前が言ったのだろう。田畑仕事は着物が汚れるからやめてくれとな。だからこうして汚れてもそのまま水を被れる格好になったのだ」 兎丸「確かにこの兎丸、若様が白練(しろねり)の狩衣(かりごろも)で泥まみれの田んぼへ入ることをお止めいたしました。なのでせめて古着の小袖を着付けまして」 雪斗「兎丸、町の者にとって着物がどんなに貴重か知らぬはずがないだろう。泥で汚れた着物を洗うなど大変な重労働だ。だったら潔く脱げば良いだろう」 パアンッ(小尻を勢いよく叩く音)) 兎丸「おやめくださいませ! 小尻(こじり)に手形が残りまする!」 雪斗「はっは、それはまた愉快だな。して兎丸、今俺のやっている泥相撲であるがな、勝ち取った者に早採りの桃をたらふくくれるそうだ。桃は冷やすだけでも甘味になる。それに食の細い小童共もむしゃぶりつく旨さらしいぞ」 兎丸「若様………?」 雪斗「ふふっ」 兎丸「……ッ(ドキッ)」 雪斗「お前も泥相撲に参加しろ。そんなところに突っ立っているより田んぼの中の方がずっと冷えて気持ち良いぞ。最近鍛錬を怠っていただろう、俺が鍛え直してやろう」 兎丸 「え、待て小童たちよ。この兎丸は泥相撲などせぬぞ。これから貴様らの雑穀飯を握ってだな、待て泥だらけの手で衣(ころも)に触るな、脱がすな、それは越中(えっちゅう)の垂れだァッ! 若様ぁぁぁぁぁっっっ!」 (続く)
夏の思い出(俳句・短編)
夏祭り兵児帯揺らす金魚たち 茹だる夜も下駄を鳴らせや阿波踊り 缶ビール具なし焼きそば夏を喰う ある蒸し暑い晩、家族に連れられて地元の夏祭りに出かけた。 祭りというだけあって、周囲では鮮やかな浴衣姿が金魚の群れのように行き来していた。 そして商店街の一角で、目玉である阿波踊りを覗き見た。賑やかな祭囃子は肌を伝い、下駄の鳴らす音が鮮明に耳に触れた。 気が付けば汗は涼しかった。
とある恋文 ─愛逢月─
貴方と逢えない日々が長く重なるたび、 私は自分のこころも離れていくことに怯えております だから貴方と逢えることの許された日が 近づくたびに また貴方を恋しく思える自分に安堵するのです もし貴方もこの長い日々の中 ひと時でも私を恋しく思ってくださっているのなら 私はこの上なくうれしいです 彦星様へ 織姫より
プリンの日(短歌)
記念日のまちがいポストの赤っ恥 フライングでもプリンは旨い 《追記》 毎月二十五日は、『プリンの日』。 昨日(二十四日)に『プリンの日ですね』とXに投稿して ひとり赤っ恥をかいた実話からの一首。 その後開き直りのほうじ茶プリンを作りました。 おいしかったです。