室永 秋太郎
13 件の小説小学生
三面鏡 私はある女の三面鏡に映された絵を見たことがある。右の鏡にはアンデルセン童話の姫に憧れた幼女だろう。 鏡の鏡の奥にははごっこ遊びに使う小道具で溢れかえり、彼女の左の手には五尺くらいであろうおもちゃのステッキを持ち顔をクシャッとした黒目の多い目が潰れるような満面の笑みで 「お城に住みたい」なんて今にも良いそうな顔をしている。 これくらいの歳の幼女であったらこんなことをやっても通常の大人だったら笑みを浮かべているだろう。 左の鏡には、少女と顔が似ているものもバッサリとまるで男のように髪を切った髪と黒縁の眼鏡をかけている何かしら呆れた笑みを浮かべている少女のえだった。その呆れた笑顔は年頃の人間が出す特定のオーラそのものだった。 しかし正面の鏡に写っている姿はえも言えぬほどに大人の目をしていた。正確に言ってしまえば少し曇っている目といってしまってもいいのかもしれない。女の顔は薄く笑い顔は引きつった笑みを浮かべ甘酸っぱさは極めて少なく道化師のか面を被ったような笑みを浮かべていた。 一 恥と感傷に浸る生涯を送ってきました。 私には人が自然と考えられる物事が一切理解できないのです。私は車で二十分も走ってしまえばすっかり都市部についてしまうような場所かつ母親が車を運転し、そして母親も専業主婦なため車で大抵の場合母親にどこに行くにせよ車で送ってもらったので高校生になって初めて電車の上りの意味を知りました。 それまでは富士山を超えるのかと考え千葉から東京に行くのは下りも蘇我に行くのもすべて下りの電車だと思っていたのです。また東京というものがどれほど都会で千葉の中心地がどれだけ田舎かなんて全くと言ってもいいほど私にはわかりませんでした。東京には数回高校生に上がるまで行ったことがあるのですが全く気が付きませんでした。 私は幼少期から親に本を読み聞かせたり読まされたりされたので絵本も含め本という存在はかなり身近な存在でありました。しかしそれが意味をなすものであるというのを知ったのは十三にもならなければ全くわからず、ずっとただ単調に似たような内容の文字や時々絵が綴っってあるただの紙切れ同然だと思っていたのです。感情が高りすぎるとグシャグシャと丸め破り散らかしそれが如何に無知で恥であることを知りませんでした。十三でやっとその紙切れに綴られてた文字のためにもお金を積むという行為の意味をやっと理解しました、その時は恥ずかしさが込み上げてきました。 また私は空気を読むという行為を大いに理解していませんでした。否、それは空気を読まなくてもそもそもの生活に困らなかったや話し相手以上に物質的な富も得ていたわけではないですし、空気を読まなくても怒る人がいなかったなんてことでもありませんでしたが、人が考えていることなどめっぽう考えられなく自分の考えていることしか全く理解ができなかったのです。小学校低学年くらいまではずっと空気が読めなくてもなんとか集団には馴染めていた気がします。 そもそも私は空気を読めなんてことを言われても空気中に見な文字が見えるのかと十になるまでずっと思っていました。また、小学校低学年くらいの頃私の曽祖母がなくなりました。後で母から聞いた話になりますがどうやら私は親戚に一生懸命話に行って御伽噺や童話に出てくる姫の話をしている姿を見て些細に癒やされたらしいです。 その頃の私は日中は学校へ行けば成績は下から数えたほうが早く人間関係もあまりよろしくはなく、笑ってしまうほど運動も下手でした。しかし仲のいい友人とだけは話し放課後は家で一人で人形の服をひたすら着せ替え写真を取り、勉強はしろと指示されない限り意欲がないので一切しなく夜になれば、母親の枕元に絵本や十分くらいの要約された御伽噺や電気をよく持っていき母に読み聞かせしてもらっていました。 家族間で食卓を囲む際、幾度も空気を読めと注意をされていましたがそもそもの空気という名の文字が見えなかった私は何を言っているかわからず、次第にはその言葉には聞き耳をたてないようにしていた事を今にも印象派の絵はのようにおぼえています。そしてそれ故か小学校低学年の頃の思い出にはっきりと覚えているものは特になく強いて言ってしまうなら御伽噺と人形遊びをひたすら指定たことだと思います。 小学校高学年にもなった行くと流石に空気が読めない自分が浮き彫りになり集団の中では外れ者としてしっかり括られるようになりました。しかし其の一方でずっと静かだった頭はまあまあ良い子が集団の中にいてその集団の中でも司令塔や幹部と言っても良いほどの位置に立っていたのも覚えています。 正直ここからと言ってもいいほど私はこの時くらいから学校という者が大嫌いでした。しかし、しっかりと親友がいて親にも高学年になったら友だちと遊んでいいと言われたため私のコミュニティは広がり並にやんちゃに遊ぶことができました。 そしてこのとき初めて空気に文字は書いて無いと知りました。それまで空気を読めとは空気自体にしっかりと文字が書いてあるかと思ったのです。空気に文字が浮かんでいるかと先生にふとした雑談の合間に質問すると先生が「空気には文字は浮いてないよ空気を読むということはその場で感じた雰囲気とか相手の表情とかをみてどんな事を言うべきかとか行動するかだよ」と言われ私はやっと理解をすることができました。 しかし私は致命的と言ってもいいほどに相手の症状を察することやその場の空気感ということわ知るのが苦手でした。ルールなどはしっかり守れるのですが、定められてなければ何をしても良い位に思っていたので人一倍ルールには厳しい方でしたが空気を読むという行為には全く気にしませんでした。 また私が物事について深めに疑問を持つことができたのはこの頃でしょう。この頃私は夜になればベランダに出てずっと星を眺めていて昼間はその日の星は何かと星座早見盤を回してみれば隅から隅まで見たり、女児向きのファッション雑誌を読んで服をねだるなりして流行りになったりすることが大好きでした。 流行りに乗りだすことで自分に可愛いやイケてるといわれ人が群がり私の前で話されてほんの一瞬だが人気者になっている自分の姿が大好きだったのです。しかしそんな人気者になるときなんて一瞬、なのでたくさんの豆知識や雑学を身につけました。当時の十才くらいの私には小説などは読めなく絵本しか読めなかったので絵本の中でもふしぎ発見や、たまに図鑑を漁り知識をつけるということに必死でしな。 そんなこともしているからだろうか、毎朝の朝礼で出されるクイズには無双していった。
都会夜景 (一)
都会の夜は、硝子細工のように脆く、冷たい。 ネオンがひそやかに瞬き、 煙草の煙が夢のように溶けていく。 空を舞う蝶。 都会の喧騒に馴染まぬその羽ばたきは、 幻のように儚く、 それでいてしなやか。 私の瞳は、 誘われるようにその軌跡を追う。 風が黒髪を遊ぶ。 シルバーの耳飾りが、静かに月の詠を奏でる。 私は微かに唇を歪める。何への笑みかは、私にもわからな 腕から零れる赤。 ひと雫ずつ、冷たい夜の床に吸い込まれ、滲んでいく。 痛みは、遠い。 深紅に染めた唇。 鏡を見ずに塗った色が、夜の闇を切り裂くかのように鮮やか だった。 蝶の影を追い、静かに歩を進める。 夜風が、そっと纏う。 風にふわりと抱かれ、 コンクリィトに無情に叩き潰される。 視界は黒に染まり、 ―それでも、私は微笑んでいた。
古の花
黄色き夕焼けが京都の街をやさしく包み込む、橙色の空の下、静けさの中に鳥のさえずりが響く。ひんやりとした空気に海の香りと、どこか遠くから漂う沈丁花の香りが混ざっていた。それは、まるで時間が止まり、街そのものが深く息をしているかのような瞬間だった。 道を歩くを歩く少女の名は彩葉(いろは)。彼女は黒髪をゆるりと結い上げ、真紅のスカーフにセーラー服を身に纏っている。傘をつきながら進むその姿は、どこか儚さを感じさせる。路地のアスファルトには、昼間の雨が残した透明な輝きが散らばり、彼女の足音が静かに響くたび、微かに水滴が跳ねた。 「ここは、本当に夢のような場所だね……」 小さな声で呟いた言葉は、誰にも届かず夕焼けに溶けていった。彩葉の心には、今でもあの日の記憶が深く刻まれている。祖母から聞いた伝承京都には"舞い降りる花"があるという。その花は春先の満月の夜、静かな庭や神社の境内に現れ、かすかに発光すると伝えられていた。かつて古の時代、人々はこの花を"想い桜"と呼び、神聖なものとして崇めたという。それはただの花ではなく、人々の心の奥深くに宿る記憶や感情が形を成したものだとされる。そして、その花を見た者は、過去と未来をつなぐ秘密を知るとともに、心の奥に秘めた想いが解き放たれるのだという。 彼女がその話を信じた理由は、祖母が亡くなる直前に見せた微笑みにある。何かを伝えたかったような、その笑顔。そこに込められた意味を知りたくて、彼女はここへ来たのだ。 やがて足元に、ひらりと舞い降りる桃色の花びら。その花びらはまるで空からの手紙のように、軽やかに旋回しながら地に触れる。ふと顔を上げると、雲ひとつのもが空中に浮かび、淡い光をまとっていた。それは、風に乗った蝶が戯れるかのように、揺れながら彼女を誘うようだった。花びらの舞う軌跡が、まるで見えない糸で彩葉と結びつけられているかのように感じられる瞬間だった。 「……これがあの舞い降りる花?」 声に応えるように花は軽やかに動き、彩葉を導く。足取りも軽く、胸が高鳴る。行き着いた先は静かな庭。中央には古びた石灯籠があり、その傍らに咲き誇る白い梅の花。 彩葉は膝をつき、そっと花を見つめた。その瞬間、彼女の瞳に過去の映像が映し出される それは祖母が若かった頃の京都、笑い声、涙。すべてが色鮮やかに甦る。 「これが、祖母の秘密……」 涙が頬を伝う。その雫が花びらに落ちたとき、梅の花は柔らかな光を放ち、ひとつの言葉を紡いだ。 「人は記憶を花として刻む。大切な人を思う心が、その花を咲かせるのです。」 彩葉はその言葉の意味を噛み締めた。静寂の中で、椿の花びらが風に揺れる様をじっと見つめながら、彼女の胸には幼き日の記憶が蘇る。 その声に、彩葉はただ静かに頷いた。霧が晴れると同時に、心の中の霧もまた消え去っていく。 京都の街には、また新たな朝が訪れる。彩葉の胸には、祖母から託された温かな記憶が根を張り、これからも彼女の道を照らすだろう。
蛾
蛍光灯に蛾ぶつかる ぶつかり離れ ぶつかり離れ 暑いや寒いや 暑いや寒いや 離れ飛び 光に寄せられ 目に寄られ 蛾は尽きた 光に尽きた 倒れ尽きた 哀れかな 哀れなり
如月
鳴呼 朝が来た 布団も外も少し暖かい 春が来た 明日は寒かった布団に足も出せぬほど寒かった 四年一回二十九日 ほとんど二十八日 出会い別れまで短きどうしてくれたものか 北風がぴゅるるんと 南風がサラサラと 白い息が白なき青空が月の如く
ひまわり
ひまわりは 太陽向かって伸びゆく ひまわりは太陽になりたいのか? ひまわりは花びら散らし首を吊る 嗚呼非常に馬鹿な花である
青き頭蓋
青海の中で僕は呼吸している 鈍いベタベタに潰されている ゆよーん ゆよーん アイスピックで砕き給え 青き頭蓋を砕き給え 青海の水も抜け 跡形もなく
グレェスカイ
家を出て 鉛のような足 灰世界 ばたばたと 青のない 味気ない空ザラザラと アスファルトですらも光なく
溝
ぶくぶくと落ちていく 冷たい ああ、ああ ぷくぷくぷくぷく…… 泡が止まり ぼやぼやと 浮かない ぷかぷかと ぶく ぼこ 目を閉じ 暖かい 原っぱに のどかな 原っぱに ひらひらと舞う 蝶に その先に 川に
うみそとの踊り子
踊り子よ 透明なる狭き海(ゲェジ)に入り 光たり ふわふわと 光たり ぴくぴくと動く ひらヒラと舞ふ 踊り子のやうに 踊り子開きたり ぱかんと開きたり ぞわぞわと震るへたり 暗ひ部屋 元に戻りたり 狭き海(ゲェジ)へ