岩木翔
11 件の小説最近の悩み
だいぶご無沙汰な投稿。どころか、小説そのものをここ数年書いてこなかった。 まぁ、これは小説ではなく“日記”だから、気の向いた時に思いのままに書けば良いのかもしれないが。 さて、今回僕が記す内容はここ最近頻繁に抱える、とある悩みについてだ。 同業者には痛いほどよくわかる内容だと思うし、“これ”が朽ちていくことはきっと無いのだとも思う。 回りくどい言い方はこの辺にして、率直に悩みについて言おう。 ーー対人ストレスだ 僕が勤めている仕事は所謂“接客業”という部類のもので、来る日も来る日も多くの人と接し、頭を下げている。 これはもはや、慣れを通り越した“ナニカ”なのだと思う。 今までは気にも止めなかった相手の言動一つ一つにイライラとしてしまう。 例えば、だ。 フードコートやテイクアウトで飲食店に行った時、客側としては食べたいものを自由に言うであろう。 しかし、店員側としては『こういう順に聞かないと操作ができないんだけどな……』なんて悩みが密かに生まれていたりする。 すると、客側は同じ事を何度も言わされる展開に陥ったり、店員側もそれが連続する事で小さなストレスが蓄積していき、やがては爆発しかねないだろう。 あくまで一例であり、僕の勤めている職場とは違う内容の例ではあったが、要するに言いたいことは ーー全ての受付がAI接客やタッチパネルで客側にペースを委ねない仕組みになれば店員側のストレスは減るのに と、言う無茶で無謀な一人の人間の叫びだ。 無論、先程の例をあげるならば客側からすれば『操作の手順なんて知ったこっちゃねぇよ!』となるだろう。その通りだと思う。 しかし、そういう風に仕組みが出来上がってしまっているものを店員側もすぐに修正はできないし、イライラしながらやっているのだ。 だからこそ、客側には一つだけ意識をして欲しいことがある。 “店員側に喋らせる間を作りながら、注文や会話をすること”それだけでいい。 そうすれば、会話のキャッチボールが初対面でも綺麗に決まることであろう。 聞き上手な人間は世の中に少数だと思っているが、それは意識一つで変えられる気がしている。 自分が問いかけのボールを投げたなら、一言だとしても返事のボールが投げ返されるのを待つ。 そういった習慣をつければ、会話におけるストレスは無くなると僕は信じている。というか、無くなれ。願望だ。 かなり長くなってしまったが、僕が伝えたいのは『店員と客という立場の違う者同士の会話では、キャッチボールの意識や相手への配慮が“互いに”大事になること』を認知してほしかった。 無論、今回の例文も含めて逆のパターンというのも世の中にはゴロゴロと転がっているが。 もっと、気楽に生きたいぜ
また、来年
茹だるような暑さ。 年々上昇していく気温には、流石に堪える。 でも、いいんだ。 だって僕には、彼女がいるから。 「お待たせ!」 彼女は、手を振るようにこちらへと近づいてくる。 その満面の笑みに、僕は暑さなど忘れて、ただひたすらに嬉々とした。 「一年ぶりだね」 「うん!」 声をかけると、彼女は活気ある返事をする。 幸せを感じるのはいつか、と聞かれれば僕は迷うことなく彼女と居られる瞬間と答えるだろう。 「それじゃ、行こっか!」 彼女の合図で、僕たちはその場を後にする。 炎天下に晒されながら、僕たちは様々な場所を回った。 何の変哲もない住宅街。暑さにも負けず元気にはしゃぐ人々の居る公園。多くの人が行き交い、大きな建物が並ぶ都会。一転し、自然溢れる山や、陽の光が煌めき透き通った水が流れる浅瀬の川。 そのどれも、何日もかけて自分達の力だけで巡った。 疲れたら休んで談笑し、お腹がすけば木陰で一緒に食事をとり、夜になったら行く先々の気に入った場所で、寄り添いながら体を休める。 その繰り返しだ。 退屈だなんて思わない。 彼女と過ごす一分一秒を、決して無駄にしないため僕は躍起になる。 だから、僕は何てことない時間を勿体ないとは思えども、退屈だなんて思ったことはない。 ……彼女も、そうだったならいいな。 やがて、僕らは行きたい全ての場所を踏破した。 その頃にはもう、互いにかなり疲弊してしまっている。 まぁ、これはいつものことだ。 でも、僕らは必ず最後に行く場所を決めている。 毎年、ここに来ることで最期を悟り、また来年を楽しみに待つ。 夕暮れの街並みを見渡せる、少し小高い建物の上。 そこで僕らは寄り添い、これまでの思い出を話し合いながら、そっと目を閉じる。 たった七日間の短い旅を終えて、再び会える日の事を思って眠りにつくのだ。 「次の夏も、一緒に居てくれる?」 「もちろん……どこにいても、必ず見つけるから」 「……うん。ありがと」 −−また、来年会おうね
【第九弾】小説の書き方
今から記すのは、僕がこれまで独学で得てきた小説の書き方(注意点)についてだ。 なぜ、急にこんな事を書くのかと言うと、僕が未だに知らない小説の書き方やルールについて勉強をしてみたいと思ったのと、少しでも誰かの役に立てれば良いな、と考えた末である。 では、早速やっていこう ・「」内の最後に“。”は付けない (例:「わかりました」「〜〜です」「そうか。では、こうしよう」) 「」は、セリフで多く使われる印象があるが、その最後に“。”は不要らしい(詳しい理由は良く知らない) ・地の文(セリフ以外の文章)では、文頭に一字下げ用の空白を一つ入れる。 (例:↓ その悲劇は、突如として訪れた。 僕の名前は〇〇、どこにでもいる十七歳の高校生だ。しかし、僕には他の人とは違う特別な力がある) 一字下げは所謂“段落”と呼ばれるもの(のはず)。これを使用するタイミングは個人によって違うが、基本的には一つの事柄を説明し終わり、次の事柄の説明に映る時など、段落を変える時に文頭を一字下げする、と言った感じだ。(例えば、武器の説明をした後、人物が移動する描写などを書きたい時は“移動する描写”で改行し、一字下げをしてから書き進める。など) ちなみに僕は、この段落(改行)をするタイミングが良くわからないので感覚でやっています…… ・“……”や“−−”は基本的に偶数個で使用する (例:「……な、なんだって」おい…………ふざけるなよ「いや、そんな訳な−−」−−それは突然の出来事だった) “−−”は、セリフを遮る時などにも使用される。“……”は多いほど間を感じられる。しかし、どちらも偶数個での使用が一般的らしい。(地の文の最初に“−−”か“……”が来る時は、一字下げをする) ・“!”や“?”の後には空白を入れる(地の文、セリフのどちらも) (例:「なんだって? じゃあ……」つまり、そういう事だったのか! ならば、あれは……) こちらに関しても、詳しい理由まではわかりません。 ただ、文章やセリフの最後に“!”や“?”が来る場合は、空白は不要のようです。また、“!?”の場合は、“!”と“?”の間に空白は必要ないみたいです。難しいですね ・数字の表記は、縦書きであれば“漢数字”(○、一、二、三)で、横書きであれば“算数字”(0、1、2、3)で書く。 こちらは書き方によって違いがあるので、例文は書きません。 ただ僕もよくわかっていないのが、漢数字の場合のゼロが、“零”ではなく“○”で書くことです。後者は『まる』と打った時の変換で出ます。謎ですね。 ・単位は基本的にはカタカナで表記する (例:パーセント、メートル、キログラム……など) これも理由は(以下略) 僕が小説を書く時に意識しているのは、このくらいになります。 他で例を挙げるとすれば、「」のセリフが連続する時は行を繋げたり、文脈が似ている地の文はなるべく改行せず繋げたり、意味が被る単語は短い間隔で使わないようにしたり、などがあります。 ですが、どれもネットで得た知識や小説を読んでいる時に気が付いた点を自分なりに纏めた結果です。まだまだ知らないルールはあるのだと思います。 なので、もし良ければこれを読んだ方の中で「あれ? これはどうなの?」や「これ間違ってるんじゃない?」など、疑問や訂正箇所をご指摘いただければ非常に有難いです。 さて、随分と長くなりましたが、素人による小説の書き方は、以上になります! ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
【第八弾】思い出せない
数日前の話。僕は、不思議な夢を見た。 その内容が衝撃的だったからか、今でも良く覚えている。 −−それは、真っ暗な深夜の時間帯だった。 夢の中で、僕は友人が運転する車の後部座席に乗車していた。ちょうど、助手席の後ろ側。隣と助手席にも、他の友人が乗っている。 経緯までは不明だが、僕達は“本当に出る”と噂の心霊スポットに向かっていた。 しかし不可解なのは、その心霊スポットがトンネルや廃墟などではなく、普通に人の住む住宅地である、という事だった。 そして夢は、あと一つ角を曲がれば例の心霊スポットに到着する、という所まで進み……遂に車は角を左折した。 車一台が通れる程の道。深夜という事もあるのか、建ち並ぶ民家からは灯りが一切伺えない。 −−だからこそ、その“存在”は際立った。 車の、薄黄色いヘッドライトに映し出された、赤い服を着た髪の長い女の影。 少し距離は空いていたものの、僕含め乗車していた友人全員がその女に気が付き、短い悲鳴を上げながら一様に顔を伏せた。 「本当に出た……」 「やばいやばいやばい」 「帰ろう! 早く車出せ!」 車内では、恐怖に染った友人達の声音が響いていた。 しかし、再び顔を上げた時……女は消えていた。 「…………」 車内に訪れたのは、一拍ほどの沈黙。 しかし直ぐに−− 「早く、離れよう」 誰かが言った、その言葉に。催眠状態が解けたかのように運転手の友人はアクセルを踏んだ。 道は狭く、引き返すことは出来ない。その為、女が立っていた場所を通過して、奥に見える少し開けた道へ出る必要があった。 車はゆっくりと動き出し、何事もなく次の角を曲がる。 片側には住宅地、反対側にはガードレール向こうに海のような景色が広がっていた。 車内は、安堵の息が流れると共に『もう、遊び半分でこういう場所に行くのは止めよう』という、反省の念が漂っていた。 −−だが、恐怖はまだ終わっていなかった 角を曲がってから、数十メートルほど進み、車もそれなりのスピードを出し始めていた。 しかし、すぐに気がついた…… 奇声を上げながら、もの凄い勢いで迫る赤い服の女に。 「「うぁあああああああっ!」」 車内は、一気に騒然とする。 僕は、恐怖からか窓を背にするように体を丸め、顔を伏せる。 だが、既に女は“僕の座る”窓横まで迫ってきていて、奇声を上げていた。 そして何故か、僕の席の窓は半開きになっていて、女は一際大きな声で“何か”を叫んだ。 その瞬間、僕は目を覚ました。 鼓動は早く、体中からは汗をかき、首の後ろがやけに暖かかった。 夢から覚めた時、僕は真っ先に思い至った事があって、それは決して『怖かった』などの感情的なものではなく−− 最後に女は、なんて言ってたんだっけ…… という“疑問”だった。 夢の中では鮮明に聞こえていた、最後の“何か”。 しかし、夢から覚めた時、綺麗さっぱりその部分だけ忘れていて、他の情景などは鮮明に記憶に残っていた。 以降の数日、僕は夢の中で最後に聞いた女の言葉が思い出せなくて、フワフワとした感覚になっていた。 でも、その言葉の意味は薄らとだが覚えている。 女は確か、こんな事を言っていた −−早く、コッチに来い
【第七弾】十年前に戻れたら
以前『十年後の自分』という題材で、自身の思いを綴ったものを投稿した。 では、仮に。仮に、だ。 今の記憶を持ったまま、過去に戻れたとしたら? そうだな、例えば……十年前とか。 十年前−−僕は、世間というものを知らない無邪気な子供だった。 目の前の欲に手を伸ばし、無為な時間を浪費し、嫌いな事からは言い訳と駄々を並べて逃げ、我武者羅にその時その時を楽しんでいた。 だが、あの頃……ちゃんと勉強をしていれば。 人間関係を上手く行えていれば。 親に反抗しなければ。 モノの価値を理解していれば……今の自分は居なかった事だろう。 と、まぁ後悔してもしきれない事というのは山ほどある訳だが。 過去に戻って“一つだけ”何かを変えられるのなら……僕は迷わず『学校に行く』という事を選ぶだろう。 お恥ずかしい話……というか『え!?』と驚かれるような話かもしれないが……僕は中学生の頃から引きこもりで、高校は行っていない。無論、大学や専門学校なども。 理由は色々とあったが、何よりも“夢”を持った事が学校に行かない理由……いや、原因となった。 時間はある。自分にはきっと才能がある。どうにかなる。 そんな漠然とした感情が当時の僕を支配し、結果として今の僕を作った。 だが夢を持ったことや、同年代の子が学校で勉強をする中、労働をし社会経験を積んできた事に関しては後悔していない。 ……しかし、後悔はしていなくとも壁はあった。 学歴、資格の有無、安定した暮らし…… それらは、もう簡単には手に入ることはなく、仮に手にできたとしても同年代の子とは差が生まれてしまう。 『せめて』という言葉が、深く刺さるようになった頃には、全てが“遅かった”と感じ、後悔と苦悩を抱える日々が続いた。いや、今も続いている。 もちろん、学校に行っていたからと言って安定した暮らしが手に入るとは限らない。 だが、今の自分を見てると思うのだ。 あぁ、これなら学校に行っていた方がマシな結果になっていたな、と。 未だ夢は叶わず、安定も得られていない。 でも、仮に学校に通いながら夢を追っていたら……金銭面に多少の不満はあったものの“安定”に近づきながらも活動を続けられていただろう。 少し脱線してしまったね。 要するに、僕は“今の自分”に不安を感じている。 だから、その不安を取り除ける事を過去に戻れたら行う、というのが今回の題材の結論だ。 しかし、こうも考えることは出来る。 今の自分が居なければ、その“不安”と出会うことは無かっただろうし、仮にその後悔の種を解決したところで、また新しい“不安”が生まれ、過去に後悔を抱くのだろう……と。 だから、以前投稿した『十年後の自分』というものにも書いた通り。 どうあっても、僕は今の自分を受け入れ前へ進む。 過去を悔やんでも、『変えたい』と願っても、何も実現しない。 だから、未来で後悔しないように過去を糧とし、生きていく。 これを読んでくれた人は、『何を見せられているんだ?』と思うかもしれない。正直、僕も思う。 でも、少し……本当に極僅かでも、僕の経験が誰かの参考や注意喚起になれていれば……僕は後悔する過去を経た意味があったと、胸を張れる。 …………そんな、気がするんだ。
【第六弾】十年後の自分
−−ふと、思った。 十年後の自分は、どうなっているのだろうか。 夢は叶っているか? 結婚はしているのか? 仕事は上手くいっているか? 好きな食べ物や趣味の傾向に変わりはないか? 想像もつかない“それら”は、好奇心と共に不安を抱かせる。 何も上手くいっていなかったら。 何も成せていなかったら。 何もかもが嫌になっていたら。 −−と、ここでまた一つ思う。 そういえば、十年前の自分も“十年後の自分”を想像していたな、と。 あの頃の自分が、今の自分を見たらどう思うのだろうか。 幻滅するか? 賞賛するか? 『ま、こんなもんだな』と安心するか? 十年前と比べれば、今の自分は多くの事を経験し、学び、培ってきた。 だが、本当に欲する物や願いは、一つとして叶っていないように思える。発展途上というのも烏滸がましいかもしれない。 でも、後悔する事もあれば『やって良かった』と思える事もあった。 『あの時、あっちの道を選んでいたら』と、幾度となく思ったけれど。 結果として残る今の自分を受け入れるしかないことも、ちゃんとわかっている。 ……はぁ。 十年後の自分は、何を見て、何を食べて、何を経験して、日々を過ごしているのだろうか。 気になる。 好奇心的な意味合いでも 不安という意味合いでも けれど、どんな姿であろうとも。 今と同じように、十年後の自分は“その時の自分”を受け入れ、生きていくのだろう。
【第五弾】視覚情報
僕は、創作の活動を始めて五年ほど経つ。 これと言った実績は出せていないが、少し前に気がついた事がある。 それは、物語が生まれる瞬間がいつも同じ状況下である、という事だ。 まず、僕が物語や展開を思いつく時を紹介しよう。 とは言っても、たったの二つだけだ。 一つは、風呂に入っている時。 もう一つは、眠りにつこうとする直前だ。 一つ目から解説をしていく。 僕が、この創作界隈に興味を持ったのは中学生の頃だ。 その時は、ただ漠然と『オリジナルの作品を世に出したい!』と思うだけだったが、時間が経つにつれて、その思いは行動に繋がるようになった。 その始まりが、風呂に入ってボーっと天井の一点を見つめている時に浮かんだ、初めての自身の作品。とは言っても、その時に浮かんだのは"終盤の設定"だけで、実際に文字に起こす時には他の場面を考えないといけなかった為、かなり悩んだのを覚えている。 そんな自分も、数年経つ頃には日常的に文字を書く習慣が出来てきて、次の壁に当たった。 それが『続きの展開や、他作品のアイディアが浮かばない』という問題。 もちろん、まだまだ初心者だったので向き合うべき所が、そこじゃなかったと言うのはよく分かっている。 だが、当時の僕はそれでも『新しい物語を作りたい』という気持ちの方が先行しており、結果一時的に手を止める事となってしまった。 しかし、ある日の事。 普段通りの一日を終え、床についた僕はいつもの様に部屋を真っ暗にして眠りにつこうとした……その時だ。 まるで、一本の映画を見ているかのような感覚と共に、僕の脳裏には映像が流れた。 それは、見た事のない展開や情景で、他の事を考える暇が無いほどの勢いで進んで行く。 飛び起きた僕は、今見た映像を文字に起こすべく再び白紙のページと向き合い、腕を動かし始めた。 と、ここまでが僕が作品を生み出すキッカケとなる瞬間で、その過程だ。 そして、どちらにも共通するのが『視覚情報を遮断している』という事。 少し聞いた程度に過ぎないが、人間は脳の大半を視覚情報に当てているという。 だから、僕は視覚情報を遮断する事で頭の中に視覚情報の代わりとなる物を浮かべ、それを『オリジナルの作品』という形で生み出しているのだと、気がつく事が出来た。 風呂に居る時、僕はスマホなどを持ち込まない。 だから、やる事がない。 やる事がないから、何も考えずにボケーっとすることしか出来ない。 だけど、その結果……僕の頭の中には作品が生まれる。 眠りにつく時も同様だ。 スマホを閉じ、行っていた全ての作業を終わらせて一日の幕を閉じる……そして、完全に眠りにつくまでの時間は、暗闇の中でボケーっとするしかない。 これ以上の説明は、もう不要であろう。 さて、そろそろ僕の言いたい事を纏めるとしよう。 つまり、人間……いや少なくとも僕は。 視覚情報を、ある程度遮断する事で脳内に自身の『オリジナルの作品』を生み出すことができている。 もちろん、いつでも浮かぶ訳じゃないが。 だけど僕はこれまで、風呂と眠る直前の二つに散々お世話になってきた。 たまに『これは本当に僕の実力と言っていいのか?』と、自問自答をする時もある。 だが、形として生み出すのは間違いなく僕の腕だ。 だから、これからもこの二つにお世話になりつつ"作家になる"という夢のために、努力を続けていこうと思う。 ちなみに、あまり風呂は好きじゃない。
【第四弾】身長
今から記すことは、決して誰かに対する嫌味ではない。 ただただ僕が思い、感じている事をありのまま書くだけだ。断じて嫌味ではない。 ここまで念押しすると、返って信頼性を失うかもしれないが、信じて欲しい。 これは、全然これっぽっちも嫌味じゃなーー まずは、単刀直入に言おう。僕は身長が高い。一般的に見ても、確実に高い部類であることは間違いない。 だが、僕が今回伝えたいのはそこじゃない。いや、まぁそこが関係してはいるのだけど…… 要するに、身長が高いからって良い事ばかりだと思うな、ということだ。 順を追って説明しよう。高身長のデメリットを。 まず一つは、とにかく目立つという事だ。 派手な格好をしていなくとも、美形でなくとも、一瞬だが周囲から"見られている"と感じることが多い。 これは、僕の自意識過剰とか周囲の目を気にしすぎとか、そういう個人的な部分も含まれているかもしれない……だが、明らかに名前も声も顔も知らない初対面の人間と目が合う頻度は高い。 もちろん、目立ちたがり屋な人なら大いに喜べるだろう……しかし、僕はそうでは無い。極力目立ちたくないし、穏便に生きていたいのだ。あ、別に目立つからと言って穏便に生きられない訳じゃないけどね? さて、それでは次だが……とにかく衣類の値段が高くなる! 身長が高い事に比例して、僕の手足は並の人よりも断然デカい。 少し調べて見たら、海外の一般レベルって数値が出たほどだ。 つまり、洋服やらズボンやら靴やら手袋やら……何もかもが、大きいサイズしか入らなくなり、大きくなるにつれて値段も上がる。 もう言わなくてもわかるだろう? ……そう、出費がえげつないのだ。 次だが、これは比較的に個人差があるだろう……だが、大抵の人は患うはずだ。そう、腰痛である! 偏見かもしれないが、身長が高い人ほど腰を曲げる頻度や角度は増幅すると思う。 だから、高身長の人は腰痛持ちになりやすい傾向にあると僕は感じる。無論、僕もその一人だ。 生活をしていると、何もかもが低い位置に感じられ猫背にもなりやすく、物が床に落ちた時なんかは最悪の一言に尽きる。 つまり、腰痛とは切っても切り離せない関係にあるという事だ。 さて、ここまで大きく分けて三つほど高身長のデメリットを記してきた。 目立つ、衣類の値段が上がる、腰痛持ちになる。 ぶっちゃけた所、デメリットはこんなものではない……が、全てを書き記したところで共感を得られるのは一部であろう。 だから、一先ずはこの辺で終わらせておく。 でも、最後に言いたい事がある。 スポーツをやっている人、恋愛事において積極的な人、年齢に対して自信の身長をコンプレックスだと感じている人……恐らく『身長』というワードで悩む人は様々だろう。 だから、これは嫌味ではない。 同じように『身長』というもので悩み、生活において苦労をしている人間の、ただの愚痴だ。 真に受けるな、と言うと少し方向性は違うかもしれないが……まぁ、要するに 身長が高くても、良い事ばかりじゃないよ。 そういう、話だ。
【第三弾】失恋
……少し前、失恋をした。 片想いで、"絶対に"叶うことはない恋だった。 でも、僕はその人に対して、たくさんお金と時間を使った。 結ばれることが無いとしても、僕は後悔なんてしないと思った。だって、僕がしたくてしている事だから。 唯一救いだったのは、その人に恋人が居なかった、という事。 叶うことはなくとも、誰のものにもなっていないその人に、僕は一方的な好意を抱き続けた。 そんな、ある日の事だ。 かなり前から楽しみにしていたその日に、僕はとある場所へと向かっていた。 そこには、僕が想いを寄せる人も居る。 僕の目的は、その人に会いに行くことでもあった。 到着し、その人を視界に捕える。 だが、少し様子がおかしい。 その人の近くに居た異性に対し、その人はよそよそしかったのだ。 あ……これは 既に、僕は察した。 そこからの時間は、ただただ拒絶と受け入れ難い現状に焦っていた。 やめてくれ、嘘だと……そう言ってくれ 願う。心の底から。 だけど、僕の想いも虚しく……その人はキスをした。 よそよそしい態度をとっていた、例の異性に。 僕は絶望した。何かが崩れ落ちる感覚と、ポッカリと胸に穴が空く感覚に、ひたすら呑み込まれた。 ……それが、僕の人生で初めての失恋だった。 「〇〇〇ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」 その日の夜、僕は枕に顔を埋めながら二次元のキャラクターの名前を叫んだ。
【第二弾】神話の存在
あなたは、神を信じているか? 私は、信じている……と、いうか『居たら面白いだろうな』といつも思っている。 これは、宗教的な意味合いとは少し違うが、私が神ーー基、神話の存在について想うことだ。 神話の世界は、凄くファンタジーに溢れていると思った。 出鱈目な力を持つ生物を生み出したり、生まれつき体に妙な能力を宿していたり、生まれ方自体、驚くようなものだったり。 もちろん、全て人間が勝手に"想像"しているだけかもしれない。 けれど、根拠があったなら。 本当の出来事や話なのだとしたら。 それは、凄く唆られる。 それに、もしも神が人間を作ったのだとしたら。 宇宙の起源に関与しているとしたら。 その産物たる我々には、自覚も発見もできていない"特別な力"が備わっているのではないだろうか。 それが"努力"や"知恵"なのかは、定かではない。 だが、もしかすると……人間には、まだまだ無限の可能性が宿っているのかもしれない。 これは、単に夢を抱く私が想っているだけのこと。 けれど、その存在自体を勝手に想像して良いのなら……勝手に、夢や妄想を膨らませても良いのではないだろうか。 つまり、何が言いたいのかというと 神話とは、知れば知るほど好奇心を刺激される面白い話であるということだ。 実際、神話をモチーフにした創作物は沢山ある。 もし、あれらが"事実"だったなら……あなたも、面白いとは思わないか?