Stella
4 件の小説アステリズムのノイズ②
一章 耳をすましている 二話 見せない音 学校の準備が好きだ。よれたノートに教科書、誕生日にもらった筆箱、珍しく洗濯したハンカチ、高級ティッシュ。それに書道のセット。スクールバックに全部を詰め込んで、ネクタイをしっかり巻いて、スカートを一つ折る。髪を一つにまとめて日焼け止めを塗る。これで私は完璧にかわいい、ような気がするからいい。白い靴下にローファーを履けば、最高の女子中学生になれる、かもしれない。 マンションのエントランスも好きだ。一日が始まる感じ、アニメのオープニングみたいな感じがする。清潔感のある香りがして、背筋がしゃんとする。 最寄り駅までの道のりが好きだ。街路樹の緑が目に眩しい。空は青く、どこまでも高い。朝日がきらめいて、私を応援してると思えばいいことづくめだ。たまに毛虫がいると、十分くらいは涙目になってしまう。 電車は人が多すぎて苦手だ。1時間近くいろんな人に揉まれるのはなかなかハードだ。それでも、窓の方に陣取れたときは嬉しい。遠くに海が見えたり、高層ビル群が見えたり、何万人もいるだろう住宅街を見たり。人が動いてるのを見たり。まどろみながら景色を見れるのは幸福と言っていいだろう。 学校は平均的に楽しいと思う。親友のみーはは大好きだし、大柳くんとか男子の友達もいる。国語と英語はとても得意だと思うし、歴史の授業も面白くなってきた。数学はなかなか感覚で解けないけれど気にしない。慕ってくれる後輩もいるし、可愛がってくれる先輩もいる。さっき平均的に、と言ったけど、やっぱめっちゃ楽しいかも。 学校に着いたら教室に荷物を置いて書道室に急ぐ。今日はずいぶん余裕を持って登校したから、書道の基礎練をしておこうと思う。 墨を摺るのが好きだ。でも今回はうまくいかず、ほっぺたに墨が飛んでしまった。ほくろっぽいからバレないだろう。何も考えなくても全ての準備を終わらせて、もう構えている。 す、と。線が引かれる。その下にも同じものを。またその下にも。心が落ち着く。あ、そういや今日の給食は魚か……。そう呟いた瞬間、線が少し歪んだ。 時間はすぐに過ぎて、もうホームルーム十分前になってしまう。急いで片付けて教室に戻る途中、放送のアナウンスが聞こえてきた。 「皆さん、おはようございます」 あまりにも、体の中にすんなりと入ってくるような声だった。程よい低音は心地よく響いて、思わず顔を上げる。しばらく廊下に突っ立って、放送に聞き入っていた。 「これで朝の放送を終わります。担当は2A、結城奏でした」 結城奏。同じクラス。 美しい低音は私の胸の辺りにとどまって、小さな痛みを残した。 私、一ノ瀬環はまだ、結城奏のことが何も見えていない。
アステリズムのノイズ①
一章 耳をすましている 一話 まだ聞こえてこない 一ノ瀬さんはひどく魅力的な人だった。 おはようございまーす、とまっすぐな彼女の声が聞こえると、目が覚めて背筋が伸びる。制服を着崩すことなく、でもシャツの袖はいつも捲っていた。黙って本を読んでいると思えば、近くの女子生徒と談笑をしている。しばらくすると前髪をちょんまげにして遊んでいる。綺麗だ。 授業中に真っ直ぐ手を挙げているのを見ると、教科書の表紙に載せられそうなくらい絵になる。髪を耳にかける仕草も、控えめなペン回しも、全てが目を引いた。決してアイドルのような美人ではない。しかし彼女にはなにか、恐ろしいほどの魅力があると思う。中学生には似合わないような。 それに比べて僕はどうだろう。何か目立った取り柄はない。数学は得意だけど、天才の友達の裕士郎には敵わない。古典と英文法は壊滅的だ。一ノ瀬さんはどの教科もよくできた。彼女には「苦手」というものが存在していない、ような気がしてしまう。足なら男子である僕の方が速いだろうが、彼女は運動においても目立つ方だった。去年の体育祭では、一部の先輩から歓声が上がっていた。 作文や絵ではときどき賞を取り、運動もよくできて、テストだってかなり上位で。 得体の知れない魅力。隙のなさ。以上の点から僕は一ノ瀬さんを目で追ってしまう。彼女の弱点を見つけたいけれど、始業式から一ヶ月経った今でも収穫はない。 かさかさ、と横で課題を終わらせる生徒の筆記音がする。廊下で駄弁ってる男子の低音は、心地よく腹のあたりに響いてくる。机と椅子を引きずる音、キーホルダーが重なって揺れる音、運動部だろう、朝練が終わって寝てる奴のいびき。 窓から光が差し込む。眩しさに目を細める。ほこりが朝日に照らされてキラキラ輝いている。 また、変わり映えしない今日が始まる。 僕、結城奏はまだ、一ノ瀬環のことを何も掴めていない。
魚
田舎は嫌いだと思う。 東京は人が多くて、いつだって煌めいていた。人は流れ続け、ネオンがぱちぱちと瞬き、誰も私を気に留めなかった。学校でだってそうだ。芸能人の子供から訳アリの子供まで、ごちゃまぜに校庭で遊んでいた。社長の息子がボールを投げ、犯罪者の娘がそれをキャッチする。そんなことだって多分あった。みんなが泳いでいるようだった。私たちは都会の魚だったから。 五年生になって、親の都合で引っ越すことになった。行き先は微妙な田舎で、しばらくしてからその気持ち悪さに気付いた。 全員にラベルが綺麗に貼られているのだ。 もちろんこれは比喩である。しかし、頭の良い子は「優等生」をきっちり演じ、バカで幼稚な子は「問題児」をしっかりこなしているのだ。また、変な噂は消え続けることなく、それどころか町中に広まっていく。距離感も妙に近くて、プライバシーとやらは何処に行ったのかわからなかった。 転校してすぐの漢字テストで満点を取り、無事に私は「優等生」の枠に割り振られた。先生の信頼もすぐに勝ち取り、友達からも一目置かれるようになった。私は都会の酸素がなくなり、もう瀕死の魚だった。いつも愛想を安売りして、にこにこにこにこと笑っている。そんな面白みのない奴に成り下がってしまった。 クラスにはもう一人優等生枠の奴がいた。彼は勉強と運動が相当秀でていた。比較的大人しく、ひょろっとして眼鏡をかけている姿から、いかにもな雰囲気を私は感じ取っていた。 そして今。彼とペア活動で同じになり、酷く気まずい沈黙に置かれている。どうしようもなくなって、二人で俯き、汗で手が湿り始めているのを感じた。 「……ごめん」 いたたまれない状況を打ち破るように、努めて明るく私は言った。 「他の子とがよかったよね、申し訳ないわー」 「なんで」 彼は急に呟いた。いつも人と喋ったりしない彼が、急に声を出したものだから驚き、続きの言葉が思いつかなくなった。 「そうやって謝るわけ。不快なんだけど」 「は」 不機嫌そうに彼は言う。彼が自己主張するのを見たのは初めてだったから、しばらく吃驚していた。それから、失礼なことを言われたことへの怒り、そして。妙な喜びが込み上げてきた。 初めて、ラベルじゃない中身を見てくれたのだ。彼が。胸が高鳴る。肺に酸素が送り込まれて、心が軽くなって飛んでいきそうな気がするくらいだった。色鮮やかな中身を、彼は見つけてくれたのだ。 「随分失礼じゃん」 「別に。思っただけ」 ふうん、と呟き、私は嬉しい気持ちをこっそり噛み締めた。 「じゃあ、もうしない」 そう言うと、彼は少し表情を緩め、安心したように力を抜いた。あ、ちょっとかっこいいかもこの人……なんて考えたあたり、私はかなり恋愛脳である。 「ところでおまえ、都会好き?」 「わかんない。ここから出たことないから」 私が驚いて目を見張ると、彼は困ったように笑った。 「じゃあさ、田舎好き?」 私は嫌い、と言うと、彼はだろうねと言い、鉛筆を削り始めた。しばらく訪れた沈黙の後、ぼきっ、と嫌な音がする。 「俺も田舎、大っ嫌い」 一瞬の後、二人で顔を見合わせ、くすくすと笑った。 友達ができた瞬間であり、また、初恋の瞬間でもあった。
友達以上恋人以上
彼女はあまりにも綺麗だった。 「聞いてる? ケイコ。ケイコー」 「ああ、ごめん」 「んもう」 不満そうな顔をしながら、高橋カレンはスマホを操作し始めた。塾のプリントには汚い犬らしきもの、そしてその下に相合傘を描いていた。カレンの美術の成績が二だったことを思い出し、永井ケイコは苦笑する。 「ねえ、拗ねないでよ」 「だって。ケイコ勉強ばっか集中してさあ」 長い髪の毛を指でくるくると巻き、カレンの爪は午後の光を反射していた。自分のささくれだった指、短くてずんぐりした爪を思い出してそっと机の下に手を仕舞う。ちくちくと胸が痛むのをケイコは感じた。 ケイコとカレンは幼馴染同士で、幼稚園から中学生に至るまでずっと一緒だった。ケイコは有名私立に進学し、カレンは地元の高校に通うようになった。それでも月に一度はどちらかの家で会い、近況を報告し合っている。 「ケイコさ、好きな人とかできた?」 ぐいっと身を乗り出し、カレンはにやにやと鬱陶しい笑みを浮かべている。それでも美人だから絵になるな、とケイコはぼんやり思う。 「カレンは?」 「んー。ケイコが一番すき」 へえ、と適当に流しながら、ケイコはひどく安堵しているのを感じた。そして、自分の心の奥で、独占欲と嫉妬、得体の知れない不安が渦巻いていることを再確認する。 カレンの言う「好き」は、友達以上恋人未満くらいのものである。それをケイコは初めからわかっていた。そもそも彼女は執着心というものがあまりないようだ。金にも友達にも美しさにも、そして愛にも。 ほんとうらやましい。 一緒にいていつも思っていた。全てを持ち合わせているくせに、それらを失う恐怖を知らない。正直苛々してどうしようもなかった。けれど、その百倍くらいはカレンに恋してしまっていた。もはやそれが盲信の域に達していることを、ケイコは知らない。 「ケイコも、カレンのことすきでしょ」 「まあ」 冬の昼下がり、外の眩しい青空は、カーテンに優しく遮られている。少し薄暗いケイコの部屋の中、スタンドライトだけが淡く自身を主張していた。 「好きならさ、えっちなこと、できる?」 「揶揄わないで」 カレンはくすくすと笑った。髪がさらさらと踊り、またいつものように頬杖をついた。そして色気のある流し目なんかをして、ケイコを弄んでいる。ほの明るい部屋の中、ケイコは少し頭が悪くなってしまうような気がしていた。 「うっそー。ケイコ怒んないで」 カレンはケイコの肩に頭を乗せた。二人の間の空気が揺れる。脳の軸がブレて、理性がどろどろと流れていくような気がした。 「カレン」 「なあに」 「キスだけしようか」 「やった」 手と手をゆるく絡ませた。残りでカレンの頬にそっと触れる。 カーテンに映る二つの影が、一瞬だけ溶け合った。