柚子風呂。
8 件の小説水に流す
今日も疲れた。 そう言って僕は今日も一人暗い帰り道を歩く 昨日降った雨のせいで道路は湿っている 履いている革靴の足音は濡れていた 僕は一人マンションへ歩いて行った 家に着いてからすぐに僕はお風呂に入る 今日の会社での失敗を水に流すように シャワー室に入り、熱い湯を頭からかぶると、一日の疲労が少しずつ溶けていくような気がした 特に今日は取引先との打ち合わせで大きなミスをしてしまった あの時の上司の冷たい視線を思い出すと今でも胸が痛む シャンプーで髪を洗いながら目を閉じていると、ふと小学生の頃を思い出した 初めて絵画コンクールで入賞した時のことだ 「おめでとう」と言われたあの嬉しさ なぜ大人になってから褒められることよりも叱咤のほうが優先されるようになったんだろう 湯船に浸かりながら窓の外を見ると、月明かりが静かな夜を照らしていた 都会の夜景が綺麗だと思いながらも、どこか孤独を感じる 友人とも最近は連絡を取っていない バスタオルで体を拭き、部屋着に着替えた時、スマホが鳴った 画面には見慣れない番号が表示されていた 大学でずっと一緒にいた真からだった 「なんか久しぶりだな。ずっとお前と話してなかったなって思ってさ。最近どうよ。」 僕は疲労の中、目の前に誰もいないのに精いっぱいの笑顔を浮かべて会話を続ける 「最近はピアノなんて初めて楽しいよ。会社もちゃんと就けたし。」 そういうと真は安心したように会話を続けた 「よかったよ。最近音信なかったし死んでんじゃねーかなんて思ったよ。俺はずっと絵描いて漫画頑張って書いてるよ。今度俺の漫画買ってくれよ~。」 僕はあの頃のように笑えなかった 真は大学の頃みたいに楽しそうなのに 僕は知らない間に劣等感のようなものを感じていた 真はこんなに楽しそうに仕事しているんだ 僕の方が人生としては順風満帆なのに 収入もしっかりある仕事に就くことができていたのに 僕は電話でしばらく会話を続けて、再びシャワーを浴びる 今の記憶を水に流すために 感じた劣等感や自己否定を水に流すために
結ぶ
俺は毎日君の制服のネクタイを結んであげた 中学を卒業して高校に入学した日も 朝、君が寝坊して走って登校してきた日も 服装頭髪検査があった日も 体育や部活終わりの着替えの時も 制服で修学旅行に行った日も どんな日でも君の苦手なネクタイ結びをしてあげた 君に彼女ができたと報告された後でもネクタイ結びをしてあげた 君はいつも甘えて俺の元へ駆け寄ってきてはネクタイを俺の胸へ突き出した 俺はいつも渋々ネクタイを結んであげていた でも俺に甘えて前に佇む君の笑顔は好きだった そんな何でもない学校生活だった 今日、君は1人で教室に佇んでいた 誰もいない薄暗い夕暮れの中、教室には俺と君だけ 君はいつもみたいにネクタイをつけていなかった 俺は君の目の前に立って君に触れると、君は静かに揺れるだけだった 違和感のある位置にあるネクタイを取り、君が倒れないよう抱えたが君はいつもより軽くて暗い目をしていた 君を椅子に座らせいつものようにネクタイをつける 君はいつもみたいに頬を染め俺がネクタイを結び終わるのを待ってはいなかった 俺はいつもみたいに優しい目で君を見つめ、ゆっくりとネクタイの形を整える 君はずっと俯いたままだった 俺は静かに涙を流しながら君を見た ずっと一緒がよかったな。
暑い夏とハンディファン
大学の1限目 今日は暑くて湿度の高い最悪な日だった 眠い目を擦って教室の空いている席に座る この授業は一人で受けているためなるべく席が空いている方に行く 授業が始まるまでスマホをいじって時間を潰す 授業がそろそろ始まるとなってスマホをしまいパソコンを出すと隣の席の方から音がした 「ごめんっ、ここ座っていい?」 涼しい顔つきの男性がこっちを見ていた 竜くんだった 私の初恋兼現在片想い中の彼だった 私は周りを見渡すと席はほとんど空いていた 私は顔を赤くしながら何度も頷く 彼はニカッと笑うと隣に座った 外が暑かったのか首元は汗でキラキラ輝いていた 彼は座ると鞄からハンディファンを取り出しスイッチをつけた ハンディファンを机に置き鞄からパソコンを出そうとしていた そのハンディファンからの風が私の腕にかかっていた 風は涼しいはずなのに私は全身暑かった 彼がパソコンを取り出し授業が始まってもハンディファンは回ったままだった ハンディファンは彼の香りを私まで届け続けていた 彼の柔軟剤の香りと制汗剤の香りが混ざってクラクラとした 爽やかであり優しい香りだった 授業に集中なんてできなかった この授業はいつも眠いはずなのに今日は寝れる訳がなかった 彼がずっと隣でタブレットにノートを取っていた 真面目な彼に改めて乙女心を撃ち抜かれた いつもはヘラヘラしている彼とのギャップに最も簡単に堕とされた 授業が終わると彼は伸びをしてのんびりしていた 授業が終わりいつも見ている彼に戻っていた すると彼は私の方にチョコを差し出した 「隣ありがとね」 そう言って彼は教室の扉の方へ歩いて行ってしまった 涼しい教室にあったチョコは私の体温で最も簡単に溶けていった 机を見ると彼のハンディファン 私はすぐに手に取り彼の方へ駆け出した 名前を呼ぶと振り返る彼 「これっ、忘れ物...」 彼はあちゃー、という顔をしてハンディファンを受け取る 「ありがと、忘れてたー」 彼は私の手に触れハンディファンを受け取る そのまま彼は立ち去ってしまった 私はただ溶け始めたチョコを持ったまま教室の端に立っているしかできなかった
恋する乙女
風で運ばれた気になる彼の噂 彼女いるらしいよ。の一言で動けなくなった もしかして好きなの?の言葉はなんとか否定した こんなことバレたくない ずっと好きだったのに 彼しかいないと思って恋したのに 毎日辛くなるほど彼を思って泣いて 自分がどうしたいかわからなくなってた 自分でもすぐに彼への想いなんて消えると思ってたのに 都合の悪い言葉ばっか引きずって自分から傷つきにいく ずっと彼の笑顔は自分のものだと思い込んでいた どうしてそんなことに気づけないんだろう 教室で友達と笑い合う彼を見て彼の方へ手を伸ばすと彼は嬉しそうに此方へと駆け寄ってくる 彼は緊張で赤くなった自分の手を握ってくる 「将太!今日マックでも寄ろーぜ!」 握られた自分の手を見ると、白くもなく華奢でもなく彼に似た骨張った手だった あーあ。やっぱり"俺"じゃ無理か 彼が好きなのは白くて華奢な吹奏楽の女の子 窓を見ると彼の隣にいる、彼よりも背が高くて彼と同じ制服を着る男子高校生と目が合った
プレゼント
気になる彼からのホットアイマスク 初めての大学生活でパソコンの見過ぎで最近目が疲れた、なんて言っただけなのに あなたは私の心も知らないで 「使い捨てだけどあげる」なんて 私の名前が「ゆずき」だから柚子の香りのを買ってみた、なんて そんなのずるいよ 私は疲弊した体を休めるためにベッドに入る 手にはもらったアイマスク 袋を開けるとすぐに香る柚子の香り 勘違いではないほどに香る柚子 私は照れながらホットアイマスクをつけると暖かさに静かに身を委ねた いつもは何時間も寝付けないのに今日はすぐに寝付けた 彼がいるみたいに安心する暖かさだった 今日はよく眠れそう 「昨日はありがとう、いつもより寝れたよ」 そう言ってお返しのチョコを彼に渡す ありがとう、なんて爽やかに返事をしてチョコを受け取る 彼も私を好きだったらな、なんて思うのに そんなはずないと分かっているのに 私はいつも彼と話すようにたわいもない話をする 今日の彼はいつもより言葉がたどたどしい気がした
大好きで大嫌いな君へ
2012/10/15 僕は君の一番になれやしない 君の隣はいつも決まってる 君の隣が決まってない時は僕がいつもいたのに 君はいつの間にか勝手に隣を決めていた それからは僕といるのが気まずいのか 僕と話してもその子より面白くないのか 僕が何か怒らせることをしたのか 僕と話さなくなる でも僕が近くを通ると たった今気づいたのか笑顔で話しかける ほんの少しだけ話しかける 僕がどんなに一人でいようとも 僕が君と目が合おうとも 僕の隣に来て話しかけてくれない 今まで仲良くしてくれたのが 夢だったかのように感じるほど 君は遠くに行ってしまった 仲良くしてくれないのに どうして僕と話すの 僕と仲良くしてくれないのに どうして僕に一瞬でも笑顔を見せたの 一緒に行った花見で見せてくれた麗な笑顔も 一緒に遊んだ海での水を掛け合った無邪気な笑顔も 一緒に歩いた紅葉の森の中でのしとやかな笑顔も 一緒に走った雪の中での鼻まで赤くなった可愛らしい笑顔も 大好きだった君が今では大嫌い 君の目には あの頃のように恋焦がれた僕はもう現れない なのにどうして気づかないの?
チューインガム
君が好きなチューイングガムをいつも噛むみたいに 君のお気に入りになりたくて 毎日君の好きなタイプのように装う 君の好きな味であるように装う そうして君に好きになってもらえるように 僕は好きでもないゲームの話も君のためにできるし 僕は嫌いなカラオケに君となら何時間でもいれるし 僕は苦手な電話も君となら何時間でもできるし 僕は嫌いだった雨も君との相合傘でなら平気なのに なのに君は思い通りな僕がすきじゃない 予想のできない刺激のある女が好きみたい 自分の知らない味に惹かれるみたい だから僕は 飽きられたいつもの味のチューイングガムは すぐに吐き出されて捨てられちゃうんだ どんなに君を追っても どんなに安いチューイングガムになっても 君は一緒にいて楽しい人に 噛んでて楽しいチューイングガムに惹かれる 君に捨てられたいつものコーラ味のチューイングガムをコンビニで買う 僕も君を思ってチューイングガムを噛む でもやっぱり平凡な味しかしなかった
僕の中の空白
雨が降る中 君は傘も差さないで僕に別れを告げた 「貴方とはもういたくないです」 他人行儀なその言葉に 今までの親しくしてくれた君と目の前にいる君は 全くの別人とも思えてしまった 「いかないで」 僕がそう言っても君は僕の方を向かない 決して僕の前で足を止め抱きしめてくれない 目の前の雨が止むこともない 別れる前 君は僕の言葉が嫌いだと言った 僕はそんなことを言う君をブってしまった 「僕は君のことを嫌いなんて言ったことないのに」 なのに君は僕を睨め付ける その目に覚えがあった 僕が君に文句を言った時と同じ目だった あの時は思ったことをそのまま言っていたが 今になって考えると どうして昔の僕はあんなに君に意地悪したのだろう 僕は誰の料理と比べて 君のご飯を不味いと言ったのだろう 僕は誰の字と比べて 君の字を下手くそだと言ったのだろう 僕は誰の接待と比べて 君のことを気の使えない奴と言ったのだろう 僕の中の君が曖昧になってゆく 僕の中にあった基準がわからなくなると 君のご飯の味も 君が書いてくれた僕の名前の形も 君がいつもしてくれたマッサージも 君の笑顔も 全部ボヤけて霧のようにいなくなってしまう 君が雨の中へ消えていくのと同じように 君の髪の艶も 君の頬の赤みも 君の優しい肌ざわりも 君の愛しかった声も 全てが水で流され消えてしまう 僕がどんなに消えて欲しくないと願っても 水は流れていき僕の中の君の記憶を蓄積して すべてもっていってしまう 僕の中に君の輪郭だけを残して空白が生まれる そしてこの空白の輪郭に近いものを求めてしまう 何度も埋め合わせた 今まで埋め合わせた人の輪郭が重なり 元の輪郭が消えていってしまう 君の輪郭はもう消えてしまった また僕の中の空白だけが増えただけだった どうしてこの不幸を知っているのに 僕はいつの記憶の幸せと比べて 君との時間を幸せだと思えなかったのだろうか