みかん
87 件の小説第三話
八月六日 義隆は早起きだった。 義隆は歯磨きに二時間かけていた。 「お前いつまで歯磨きしてんだよ」と圭太。 その後、秦野は言った。 「旅先でみんなぐだぐだだったけど、ここからはみんなで動こう」 「博物館のチケットを取ったんだ」と浜田。 昼頃から五人は博物館に向かった。 博物館は想像していたよりずっと小さく、しかし品のある建物だった。油絵や器を中心に展示されている。 「こんな落書きが三百億か〜」とありきたりなコメントをする圭太。雄介はそれに頷く。 「これ見て、タイムカプセル」 浜田が指差す。約四千年前に埋められたものらしい。 「四千年前にこんなのがあったのか」と秦野は首を傾げる。 義隆は黙りこみ、じっとタイムカプセルを凝視していた。 秦野は次にかつてフィリピンで不老の薬だと言われた植物を見た。 その他にも、液状の火の作り方が書かれた二千年前の文書など興味深いものは多い。 「どうやらこの時代は液体の火があったそうな」 「そんなまさか」 他の四人が一時間くらいかけて他のものを見て一周してきても、まだ義隆はタイムカプセルを見ていた。 秦野は声をかける。 「お前、そんなにこれ面白いか?」 義隆は話しかけられても微動だにしない。 「ほっといてやれよ、義隆はいつも変なやつだからさ」と圭太。
第二話
義隆、四十七歳。 その姿はやつれている。朝から無理をしてランニングした事で、余計に老けていた。 「狂っているよ」と秦野は言う。 「ただ、俺の本気を見せたかったんだ」 義隆は泣いていた。 昼食の時間。秦野と浜田は卵と鶏肉を食べ、圭太はコンビニ弁当を食べた。 雄介は米を買ってきて、おかずを準備してなかったので米だけで食った。 「お前、肉いる?」と、元教え子に対して声をかける秦野。 「いや、いいっす」と断り、白米を無心で食う雄介。 そんな不格好なかつての愛弟子を見て、秦野は吹き出した。 一方の義隆は何も食べなかった。 「俺は食欲がないんだ」 その背中は今まで以上に小さく、骨ばっているようだ。 それからみんなでゲームをしたり、荷物の整理をした。 秦野と浜田はジムに行き筋トレを。義隆は走り出し、雄介はスマホでゲームをした。 圭太はいつも冷静だ。 時間は過ぎていった。 夜ご飯の時間になる。 流石に腹が減ったのか、義隆は牛丼をテイクアウトして、牛丼をものすごい勢いで食べた。 圭太はいつものようにコンビニで済ませ、雄介と秦野は外食をし、浜田は体調不良で寝込んでいた。 外食の際、雄介と秦野はあまり話さなかった。 「いやぁ、このフィリピン旅行。可愛い女の子をナンパして行きたいね」 「そうっすね」 会話といえばそれくらいだった。 「お前が風邪を引くなんて珍しいな」と秦野。 浜田は辛そうに毛布の中でうずくまっていた。秦野の声も無視して、くるまった。 圭太は風邪に効く薬を既に持っていた。 「こんな事もあると思ってね」 「ありがとう」と浜田。 義隆は誰よりも先に寝た。 浜田はそのあと静かに寝て、圭太もすぐ寝た。 その次が秦野で、雄介はスマホをいじり過ぎて午前三時まで脳が覚醒していた。
第一話
八月四日 夕方頃、一行はマニラ空港に到着した。 世界で有数の「衛生環境が悪い空港」として悪名高いマニラ空港だが、実際に行ってみると想像していたほどではなく、トイレも普通に使えるレベルだ。 五人で現地のホテルをとり、その日は寝るとした。 八月五日 その日の朝は遅かった。十時頃に秦野は起き、丁度その頃に浜田、雄介、圭太も起きた。 義隆の姿は既にない。 「どこ行ったんだろう」 「まぁ、買い物にでも行ったんだろ」 どうせすぐ帰ってくると思い、四人で待っていた。 圭太が窓を見ると、なんとホテルの下の道路を義隆が走っていた。 「おい、あいつ走ってるよ」 秦野はそれを聞いて急いでホテルから飛び出して、義隆を追った。 「朝の五時に起きてランニングして……」 「お前何してんだよ」 義隆の服は汗でびしょ濡れ、顔はぐちゃぐちゃになり、死にかけていた。 「ここからの旅行でまず気合い入れなきゃと思って」 義隆の手脚は鉛筆の様に細く、顔は髭も髪の毛も整ってはいるが、シンプルに老けていた。
これまでのあらすじ
秦野浩司。二十歳。 一年前、このまま日常に沈めば一生動けなくなると悟った男だ。 金なし、仲間なし、希望なし。その状態から一年かけて、知識をつけ、技術を身につけ、経験を重ね、心身共に強くなり、旅の準備を整えた。 だからこそ今、旅に出なければならなかった。 相棒は浜田貴則。同じく不利なスタートを切った男。 この計画ただの逃避では終わらせないため、二人は動く。 大学でサークルを立ち上げ、ビラを配り、人を見極め、選び抜いた。 真面目で誠実だが地味な男、圭太。 虚言癖で卑怯者の中年、義隆。 秦野の元教え子で素直な青年、雄介。 バラバラで、だからこそ噛み合う、不完全なチーム。 行き先はフィリピン。 英語が通じ、若さが溢れ、何かが起きそうな国。この夏を越えれば、人生が変わるかもしれない。変わらなければ、それまでだ。 八月四日。 蝉の声。汗で張り付くシャツ。 新宿集合、羽田空港。 まだ何も始まっていない。 だが確かに、冒険はもう滑走路に立っている。
第五話
蝉の声が、夏の空気を作る。 八月上旬。 汗で張り付いたシャツが、夏が来たことを教えてくれる。 夏休みが始まり、パスポートも手に入れた。ついに、待ちに待った旅行の準備が整ったのだ。 午前八時、新宿駅集合。 最初に到着したのは秦野と浜田。 時間ぴったりに圭太と雄介が現れ、にこやかに挨拶を交わす。 しかし、義隆は十分遅刻。 「待たせたな!」 義隆は息を弾ませながらも、どこか楽しげに笑った。 電車を乗り継ぎ、モノレールに揺られて羽田空港へ。 旅の始まりの空気に、五人の胸も自然と高鳴った。 空港では荷物検査や搭乗手続きなど、さまざまな手順をこなす。みんなはスムーズに検査を通過していく。しかし義隆だけは、なぜか係員に止められた。 「なんですか、これ」 係員に止められる。 「えー、あー、それは……」 言葉に詰まる義隆。 彼の手元にあるのは、なんと日焼け止めのボトル七本。 「ちょっとこれ、持ち込めませんよ」 係員の声には、少しの苛立ちが混じる。義隆は焦って言い訳を探す。 「いやー、でもやっぱり……」 「こういう液体物は機内に持ち込めないんです……」 「じゃあ、これ全部捨てます!」 義隆は半ば投げやりに、しかし必死に袋に詰める。 そうして、ようやく五人は搭乗口前でフライトを待つことになった。 「よし、ついにフィリピン旅行が始まるぞ」 八月四日。 冒険の幕が、今まさに切って落とされたのだった。
第四話
あれから数ヶ月。夏になるまで広報活動を続けたところ、新しく二人が加入した。 圭太は二十二歳の大学四年生で、一橋大学の社会学部。容姿は冴えないが時間と知能だけは持て余していて、この組織にうってつけだ。 義隆は四十七歳の男で、このサークルの公式エックスに連絡をしてきた。ハットを被り、オーバーサイズのよれたシミだらけのシャツで痩せた貧相な体を包み隠している。 しかし、この辺りで陽太郎はこの変な雰囲気についていけず、サークルを引退した。 秦野は考えた。初期構想の十人、それは旅をするには多すぎる。 「よし、五人で十分だ」と断言。 「あと一人は?」と浜田。 現状、リーダーの秦野と参謀の浜田以外に二人しかおらず、五人にするには新しい人材が必要だ。 「俺に案がある」と秦野は言った。 雄介。この春に二十歳になった男で、かつて秦野が働いていた学習塾の元教え子だ。 「未だに雄介とは知り合いでね、連絡してみるよ」 雄介はサークルの概要を聞き入れると、快諾した。彼は路頭に迷った小柄な青年だが、誰よりも素直だ。いつもジャージを着ている。 六月に入り、五人全員が集まる会議を開くことができた。 秦野浩司、浜田貴則、西園寺圭太、杉山義隆、米澤雄介。 「まず、どこ行くかだけど……」と秦野が話し出すと、義隆が割って出た。 「俺はイタリア行きたいな。食べ物とか世界遺産があって……あ、でもトルコも良いね」 義隆の勢いに驚きつつも、みんなは四十七歳に気を遣って愛想笑い。 「雄介はどこ行きたいんだ?」と秦野が聞くと 「俺もイタリアっすねえ……」と控えめな口調ながらもしっかりと意見を述べた。 しかし、ここで圭太が発言。 「現実的に、この夏に旅行するならお金の面だと東南アジアとかが良いんじゃない?」 秦野と浜田はそれに同意した。 「雄介もそれで良い? 今お金がないから今年はイタリア厳しいかも……」と秦野が言うと 「あーーー、そうっすねぇ」と納得したように大袈裟な反応を雄介が見せた。 しかし、頑固なのは義隆だ。 「俺結構金あるし……三百万くらいなら出せるよ? 軽く」 「いや……」と浜田は顔を歪める。 「マジだよ? 今から銀行行くか?」と義隆は顔を赤くして叫ぶ。 「いや、それは本当に。そんな出させたら悪いっすよ」と秦野は断る。それだと義隆の資金頼りになってしまい、申し訳ない。 それに四十七歳のシミだらけのシャツの男に借りを作るのは、あまりにも危険だ。 断られた後、義隆は安心した顔つきになった。 そして、その後何度も何度も説明して、やっと義隆も合意した。 「よし、フィリピン旅行に行こう!」と秦野がまとめる。 「いっくぞぉ!!」義隆もはりきって言った。ついさっきまでイタリアを推していた男とは思えない。 フィリピンは殆どの地域で英語が通じる上に、物価も比較的安く、若い人も多い。 そういうわけで、まず夏休みどこに行くかが決まったのである。
第三話
それから二人は北海道を少し旅した。 時計台を現地で見て拍子抜けしたり、室内温度はどこも東京より高めであったり。 日常の発見に目を向けて、残る春休みを楽しんだ。 「仲間をどう増やそうか」 秦野は問いかけた。 「うーん、俺の友達で仲間になってくれそうな人も居ないし」 そんなことを二人で考えながら、まだ少し雪の残る道路を走行していた。 北海道を出る最後の日、二人は大道公園を歩いた。小雨が降っていたが傘は持たなかった。 結局三日ほどしか北海道に居なかったわけだが、二人にとってはそれが随分長く感じる。 公園を歩いていると、そこに選挙のビラ配りをしている若者の姿があった。 「こんな天気なのに、熱心だなあ」と秦野は感心したように呟く。 すると、秦野はそれを見て閃いたのだ。 「そうだ、ビラ配りをすれば良いじゃんか」 ビラ配りをして仲間を集める。 「それ変なやつ来たらまずいよ」 浜田はやりたくなさそうだった。 「変な奴でも良いさ。何度も会って、確かめれば良いんだ」 秦野は熱弁したが、浜田は流石に納得しない。 「それじゃあ、大学のインカレサークルを立ち上げるのはどう?」 浜田は提案した。二人の大学は違うが、サークルを二人で作れば良いのだ。 「おぉ、それは良いね」 秦野も同意した。ビラ配りなら、今度の新入生に対してすれば良いし、ちょうど春休みが終わったらその季節に入る。 そんなわけでサークルを立ち上げることになった。 サークルのみんなで、何らかしてお金を稼ぎ、そして冒険をする。 それがサークルのテーマであった。 その春、二人は大学の構内でビラ配りに勤しんだ。 新入生はみんな初々しい晴れた顔つきで、沢山の人がビラを受け取ってくれた。 「これ、その辺でビラ配りするのとは全然違うね」 秦野は手応えを感じた。 「せっかく大学生なんだから、このコミュニティを活用しないと」と浜田も自信ありげに言う。 大学なら、少なくともその辺の人に勧誘するよりは怪しい人が来る可能性もうんと低いはずだ。 ビラ配りをすること数日。やっとサークルに実際に足を運んでくれる人が一人現れた。 「どうも、ビラを見てきました。陽太郎でーす」 背が高く、体育会系の新入生で、名前の通り陽気だ。 「ありがとうね」と秦野はほっとしたように言った。まず最初の一人目を獲得したことは大きい。 「このサークルでは、とりあえず夏に海外旅行に行くことにしているんだ」と秦野は概要を話した。 「めっちゃ良いっすね」と陽太郎。 「夏までに十人は欲しいな」と秦野。 今年の夏は、すべてが違う。海の向こうに、冒険の匂いがする。
第二話
秦野と浜田はまず、東京から北海道に向けて出発した。 出発は朝の九時。夜までには北海道に着くだろう、と目論む。 二時間おきくらいでパーキングエリアに停まって、食事をしたり、トイレに行ったり。その度に運転手を交代した。 しかし、それ以上のことはせず、ひたすら高速道路を運転する生活が続く。 そんなことを繰り返して夜の十一時ごろ、やっと北海道の目的地に着いた。 現地のホテルにチェックインして、その日は寝た。 翌朝、秦野はホテルに浜田を置いて、北海道に住むとある女のもとを訪ねた。 百合香。背は高いが、可愛い女だ。 「百合香かわいい」 「何言ってんの」 秦野は女を可愛がった。そして、 「今日の食べ物を買ってきて欲しい」と浜田に連絡した。 浜田に部屋を空けてもらうと、秦野は女をホテルの部屋に連れ込んだ。 そして、女は困惑しながらも秦野が空気を落ち着かせて、女もそれに納得した。 突然秦野は女の服を脱がせ、抱いてしまった。 とても衝動的な出来事だった。秦野はそれが初めての性交渉で、避妊具の付け方もよく分からないまま、彼女の身体に飛び込んだ。 「まじでやる気なの」 女は引き攣った顔で叫んだ。 「赤ちゃんを作らないとだよ」 秦野はぎこちない甘え方をして、可愛こぶる。 「それはだめでしょ」 女は呆れて笑っていた。 「べいびーを作らなきゃ」 可愛い声を出す。わざとらしい。 浜田が帰ってきて、ガチャっとドアを空ける。 その瞬間、秦野はまず自分が服を着て、裸の女をベッドの中に隠す。 「今、着替えてるから少し待って」 「いいよ」 それから三人でカラオケに行った。 浜田は下手だ。女は上手い。秦野は上手い曲と下手な曲の差が激しい。 しかし、上手い下手なんか誰も気にしない。 秦野は何も恐れずに、女の身体を触る。口付けをする。抱擁を交わす。 「百合香は本当に可愛いな」 「やめてよ」 女は照れ臭そうに言う。 カラオケを出ると、女とは解散した。 「また会おうね」 次があるのかは分からない。 「ごめん」と、秦野は絞り出すように言った。 返事はなかった。暗い夜道で、気まずい雰囲氣の中歩いていく。 笑いで誤魔化すこともできた。 しかし、謝る選択をしたこと。 それが秦野の弱さなのだ。
第一話
秦野浩司は、旅に出なければならなかった。 そうしなければ、腐ってしまう。 十九歳。 行く仲間もない。金もない。魅力? 多分ない。 旅に必要なものは、何ひとつ揃っていなかった。 それでも、今でなければならない。 焦りだ。衝動だ。だが、無謀ではない。 この感覚をやり過ごして日常に戻れば、自分は二度と動けなくなる。 旅に出たい。 とにかく、ここではない場所へ行きたかった。 秦野には、相棒が一人だけいた。 浜田貴則。十九歳。都内の国立大学に通う、小柄な青年だ。中学からの友人で、秦野と同じく、世の中を器用に泳ぎ切れていない人間だ。 高校までは学校が同じだった。 しかし卒業してからは大学も違うし、家も遠い。 二人が再会したのは春だった。 数か月ぶりのことだ。 「旅をしたいんだよ。一か月くらい」 秦野が突然呟いた。 「何のために?」 浜田は自然に聞き返した。 「可愛い彼女を作るため」 「なるほどね」 それで話は成立してしまった。 秦野の人生は鬱屈としていた。 そして、彼が女に求めるものもまた、少し特殊だった。旅にでも出ない限り、女は作れない。 「金を稼ぐにしてもさ、何をやるにしても、まず女を作ることから始めないといけないんだよ」 だが、現実は厳しかった。 二人には、旅に出るための最低限の資金すらない。運転免許も持っていない。 前触れもなく秦野が言った。 「一年後を目処にしよう」 浜田は少しだけ考え、そして頷いた。 ――一年後。 桜舞い散る公園。 浜田の車が、ゆっくりと停まる。 「さあ、出発だ」
バレンタイン
鉄の男、アンドリュー・ドーランも、怪物マイクも、新世代最高の逸材ケビンも、ゲーム開始前夜は静かに寝た。 二月十三日。ゲームが正午に始まる日の朝とは思えないくらい、穏やかな朝だった。 「ケビン・ストークス、お前は随分派手な男だと聞いているよ。前回のゲームもざっくり見た」 アンドリューが早朝まず話しかけたのはケビンだった。 「毎度あり。前回のを見られたんじゃ、俺のスタイルは大体バレちゃったかな」 「何をふざけたことを。まあその実力も光るものがありそうだが、それ以上にお前の歳であんな女としてるのが羨ましいね」 アンドリューはケビンの隣のベッドで気持ち良さそうに眠る大層色っぽい女、アルディス・スキナーを見た。 「昨日は女とは寝てないよ」 ケビンは笑いながら答えた。この三週間、連れと遊び呆けたり女を取っ替え引っ替えして遊び歩いたせいで疲れて爆睡したのだ。 「ん、なんだ?」 アンドリューはケビンのシーツの上に座り込むと、何か固いものを感じた。お尻の肉に分厚い尖ったものが食い込んでしまい、思わず立ち上がった。 「ああ、ごめん。俺が昨日読んでた本だよ」 ケビンはそういって見せた。タイトルは「人狼ゲーム戦略論入門」というものだ。 「戦略論入門読んでんのか、まだ十二だろ? すげえな」 戦略論入門、それは十八、九の、U18から大人の人狼の括りに移行する時期のハイランカーを目指す子達が読むものであって、一般に十二歳の少年が手を出せるレベルの本ではない。 「そこらのガキとは違うんだ」 「俺も実はお前らくらいの時にこういうの読んでたんだ」 「おお、ためになったか?」 ケビンが尋ねると、アンドリューは掌を表にして首を傾げて、ゆっくり立ち去った。 正午にゲームは始まった。七十六人の参加者に役職が書かれた紙が配られる。六十四人の市民、九人の人狼、三人の占い師が広場に集い、二千二十四年の二ゲーム目が始まった。 「今回は九人しか人狼がいないらしい。早く決めてしまおう」 ケビンがまず声を挙げた。 「さあ、誰なんだろう。まだ始まったばかりで分からないけど」 マイクが応じる。 「僕の考えではケビンとアドルフが怪しいよ。彼らは役職表を見たとき動揺していた様に見えた」 「セルジオ・シュミットか。情報提供ありがとう」 ケビンの額には冷や汗が僅かながら流れ、それをオリバーは見逃さなかった。 「ちょっと飯行ってくるわ、俺」 ケビンがそういうとオリバーとアンドリューは後を追うことにした。 「ロータスは行かないの?」 「僕はここで色々見とくよ。しかしもうケビンを観察するなんて、まだ分からないだろうに」 「この館では彼の動きが鍵になるからね。ここ最近は特に。だから全ては分からなくても見ておきたいんだ」 ケビンが向かったのは本格ナポリピザのレストランで、入店時にオリバーとアンドリューは初めて接触することになった。 「おい、お前もケビンが気になるか」 アンドリューはオリバーの方を見た。アンドリューは前回のゲームを視聴していたので、ほぼ一方的な認知だった。 「一応ね、僕は彼が人狼だと踏んでるよ」 「ふん、甘いな、オリバー・ハンクス。さっきのケビンの顔色で予想したんだろうが、演技ということもあり得る」 「それくらい分かっているよ。彼が冷や汗くらい駆け引きの為に流せる程の人だってことくらいはね」 「じゃあなんでそう思った?」 アンドリューが尋ねると、オリバーは困った様な顔色で答えた。 「男の勘、かな」 「笑わせる」 二人はケビンとは少し距離を置いたテーブルでピザを食べた。 「オリバー・ハンクス、お前のプレイを今冬一ヶ月ほど視聴させてもらったが……」 オリバーはピザを一口一口、噛むたびに口の中に汁が溢れ出るのを味わって食べながらアンドリューを見た。 「素晴らしかったよ、一緒に戦えて光栄だ」 アンドリューは冷酷な表情を見せたり、急に畏まって褒めたりするのでオリバーは少し彼を不気味に感じた。 「ありがとう。でも堅苦しいのはよしてよ、気軽にオリバーって呼んで」 強面で屈強な男とのぎこちない雰囲気のランチを終えたオリバー。ピザの美味しさとアンドリューの怖さに気を取られて、肝心のケビンを全く観察しないまま店を後にした。 「何か分かった、オリバー?」 「何も。アンドリューと話してたら何にもならなかったよ」 「ああ、アンドリューってあの怖い奴か」 「うん。それでケビンの様子をじっくり見るはずが、ただ四十ドルと五十セントを失うだけだった。まあピザの美味しさは流石のものだったけど」 「もしやナポリビザ?」 「そう、マジで美味かったよ。ロータスも前回の給料がまだ残ってるだろうし、あそこ行った方がいい」 ロータスはマイクやジュリアンを中心とした広場の動向を窺っていたが、なんてことなかったし、何の変化もない。 「しかし、すごいゴミの量だね。こんなに昼に食べたの、ロータス?」 ロータスはただ、アドルフに奢ってもらったマクドナルドのハンバーガーを十個程、大量に食い散らかしただけだった。 「うん、朝ごはん食べてなくてすごくお腹が空いてたんだ」 マクドナルドのハンバーガーを食いまくったロータスは、ベッドに横になると気持ち悪いので、枕元に大きなクッションを置いて、そこに背をもたれて座った。 初日にも関わらず、セルジオの考察は続いた。どうやらアドルフとエイドリアン、そしてケビンが怪しいという話でまとまった。 「こういう推理を進めるあなたが一番怪しいって考え方もありますな」 エイドリアン・グッドマンはセルジオに不満を漏らした。 「ほんとだよ、君こそ人狼だろう?」 アドルフも続く。 「さあ、それはどうだろうね」 とぼけるセルジオをケビンは黙ったままじっと見つめていた。 二日目。今日は二月十四日、バレンタインデーで、多くの男の子は好きな女の子にチョコを渡した。 「これ、僕の手作りなんだ、受け取ってよ」 青年の館にもそういう男の子の姿があった。ジュリアンはジェーンに渡した。 「え、良いの? ありがとう」 「アルディス、これ」 ケビンはアルディスに高級なチョコを渡した。これで四年前のあの日から五回目になる。 「ケビン、ありがとう」 彼女の為に目を輝かせて一日中チョコを手作りし、不恰好な手作りチョコを渡すいじらしい少年の姿は、もう遠い過去のものになってしまった。 「これ、俺がゴディバにオーダーした特注品なんだぜ」 最早今の彼は、ただ市販の高級チョコを渡すだけになってしまったが、それでも彼女は嬉しかった。 「ケビン、実はね……」 アルディスは少し恥ずかしそうに、ケビンに手作りチョコを渡した。 「え、良いの? ありがとう」 アルディスが渡すと、他の女子も続いた。 「ケビン、私も作ってきたの」 「私も私も」 プレイヤーの女の子に加え、青年の館のスタッフの女の子まで含め、四十人以上からケビンはチョコを受け取ることになってしまった。 「あいつ流石だなあ」 オリバーは呆れつつも驚いた。 「男がバレンタインにチョコを貰うなんて、聞いたことないよ」 投票の時刻がやってきた。ゲームの鍵を握る最初の処刑。誰に票が集まるだろう。 「さあ、アドルフかな、死んじまうのは」 ケビンは嬉しそうにアドルフの顔を覗き込んで、親指を地面に向けた。 「アドルフは違うと思うわ、彼は昨日疑われた時に本当に違うって訴えていたし。ああいう場面で余裕そうにする人ほど人狼で、本気で焦る人ほど人狼でなかったりするのよ」 メアリーは必死にアドルフを庇った。 「確かにそれは一理あるな、でも彼がその態度を意図的に作り出していたとしたら?」 ケビンが尋ねる。 「うーん、そこまで言われたら誰も分からないけどね、すかしてるセルジオやケビンの方が怪しいと思うの」 「ケビンの方が怪しい、か。この館で俺の名前を出すなんて随分勇気があるんだな」 この会話の中で、他の七十四人のプレイヤーの多くは自分の名前が出ないことを祈った。 「エスター! お前はどうだ? 昨夜怪しい動きをしていたという情報が入っているんだ。本当だよ?」 エスター・リリーは肩を少しびくつかせた。長身で丸顔の女は答えた。 「それは、昨日寝付けなかっただけよ! もう私は夜寝れないタイプなのよ」 エスターは恐怖を隠してケビンに反論した。 「なるほど、まあ昨日死者は出てないから、今日の処刑を決めるのはムズイよな」 ケビンは落ち着いていた。注目を最も浴びる危険な立ち位置にいながら、逆にその立場を利用しているのだ。 「だが、俺はアドルフが怪しいと思う。それだけだ。さあ話は終わり」 ケビンがそういうとアドルフは焦った。 「そういうなら怪しい根拠を言ってくれ」 「昨日の夜、お前が午後九時からぐっくり寝ていたのを覚えている。いつもは人狼が怖くて寝つけないお前が? おかしいな」 「そういう日もあるよ、俺は本当に違うんだ」 「俺はアドルフは違うと思うぜ」 そう切り出したのはジュリアンだ。彼は昨日アドルフと一緒にいたときの様子を説明した。 「お前もアドルフを庇うか。まあジュリアンは妥当だな。問題はあのメアリーとかいう……」 ケビンはメアリーの方を見た。そして彼女のベッドを見た。 「上手くやったな、アドルフ。お利口さんだ」 ケビンは含み笑いをした。 投票がそれから始まり、正午に発表があった。 七十六人による投票で、今回のゲームの最初の死者が決まる。 投票結果は張り出された。一番上に書かれていた名前。それはセルジオだった。 「何で僕なんだよ? 僕は市民だ! お前ら後悔するぞ」 セルジオは三十二票を集めた。圧倒的な数だ。 メアリーは二十票、ジュリアンは九票、アドルフは六票、ケビンは五票だ。 「ケビンのアンチも随分減ったな」 オリバーはそう言った。彼はケビンに投票した。それはこの館では最も平和的な投票の仕方だ。ケビンが死ぬということ? そんなのはあり得ないからだ。 「今回はセルジオとメアリーが狙われたからな、投票前に物議を醸した人間が多すぎた」 マイクが分析した。マイク、アンドリューの兄弟の初日の立ち上がりは落ち着いたものだ。注目を浴びるタイプかと思えば、むしろ冷静でいる。 さっきまで考察に耽っていたセルジオは、残酷なことにその首を切断されてしまった。 断面から血が飛び出し、頭は吹き飛んでオリバーの近くに落ちた。遺体をスタッフが回収するまでの間、オリバーは切り落とされた首の断面を凝視した。 そして数学が得意なオリバーはセルジオ・シュミットの首の断面積を求めようとした。 というのは勿論嘘で、優しい彼はしっとりとした雰囲気のまま、彼が天国で上手くやることを祈った。 「アドルフ、お前の勝ちだよ」 ケビンがそう言ってアドルフの背中を軽く叩くと、アドルフは誇らしげな顔をした。 メアリーの枕元には、アドルフが渡したバレンタインチョコが置かれていた。