あねもね
4 件の小説秋のある日
ある日は 秋刀魚を買って、焼いてみた。 焼けてくる匂いに高揚する。 箸を立てると柔らかくほろほろ崩れる。 焦げ目。 立ちこめるかぼすの香り。 小骨との対戦。 そのあとの幸福感。 何年ぶりだろうか。 シンクは掃除してもしばらく生臭かった。 またある日は りんごを2つ買った。 パリパリシャキッ。 ひとつはとてもおいしかった。 硬さも甘さも酸味も良い。最高だ。 もう一つはモショモソシャリシャリ。 なんだろう、このガッカリ感。 味はよかったから— カルパッチョもどきを作る。 メインは真鯛。玉ねぎと、ミニトマト、りんごで彩る。余りの玉ねぎとりんごは微塵切りにし、香り高い黄金色のオリーブオイルと酢、塩、胡椒を合わせソースを作り、回しかける。 きらきらした輝きに誘われ、一口食べる。 我ながら絶妙な味付けができた。 まあ、盛り方が汚いし、緑が寂しい気はするがよしとしよう。 よく洗ったリンゴの皮と少量の果実は冷凍することにした。あとで使うためだ。皮でルビー色のもったりしたジャムが作れるとのことだ。 青林檎でならペリドット色が作れるかと思いきやただの濁り水ができてしまった。 風呂上がり。 肌寒く今年初めて長袖のパジャマを出す。 そしてなんとなく目に入ったカレンダー。 1年ももう終わりに近いことにある種の安心感と絶望感を覚えた。 もうこの新しい地に半年も住んでいるのかと不思議な気持ちになる。 その日はなかなか寝れず、気づいた時にはカーテンの隙間からいつのまにか日が出ていた。
空白
「僕はここに囚われている。」 壁も鉄格子もない。 ただ、時間だけが見えない鎖となり 僕をこの体に縛りつける。 夜だけが、唯一の自由。 体は鉛のように重いのに 思考だけは鋭く研ぎ澄まされて 自分をさらに刺す。 朝が来ても、清々しかった記憶はない。 光は祝福ではなく、暴力だ。 日が差すたびに、またか、と思う。 空が明るくなるのと反比例して 僕の内側は沈み、溺れていく。 僕は早く終わりたい。 なのに、なぜ体は動いてしまうのか。 呼吸をやめることも、目を閉じることもできない。 その矛盾が、僕を絶望の底に押し込む。 眠ることが好きなわけじゃない。 むしろ大嫌いだ。 夢は僕を救わず、 朝は必ずその夢を壊して現れる。 もう二度と、朝なんて来なければいいのに。 光が世界を暴くたび、僕は消えたくなる。 それでも体は目を開けてしまう。 この矛盾こそが、僕の牢獄。 夜である限り、ここはまだ僕の世界だ。 眠っているあいだだけ、朝は来ない。 それしか手段がない。 「だから僕はまだ眠る。」
復活記念 ベルセルクについて紹介してみる
お久しぶりです。若しくははじめまして。 実は、このアカウントの小説を消したくてうずうずしていたのですが、方法もわからず、放置し続け月日が経ってしまいました。 兄弟にアカウントがバレていたので(なぜ⁈)変な事を書いてないか不安でしたが、大丈夫そうで何よりです。 しかし、このアカウントを開いてみて、書きたい気持ちが蘇ってきたため、少しずつ書いていくかもしれません。よろしくお願いします。 最近再熱してるもの まずはこちらから。 「ベルセルク」です。 基本情報等 超といっていいほど有名な漫画です。 ジャンルはダークファンタジー。 1989年から連載開始、既刊43巻。 作者さんは数年前に亡くなってしまいまし たが、作者さんのご友人やアシスタントさ んが続けられています。 海外でも人気が高いですね。 アニメ、アニメ映画化、ゲーム化、パチンコもあります。 私はアニメ化シリーズの中だと「剣風伝奇ベルセルク」(1997)が好きです。今の技術でキラキラしたアニメーションも素敵ですが、セル画で、泥臭い感じと音楽が合わさって素晴らしいです。(再熱した流れ、音楽については後日投稿します) あらすじ 一言でいうならば長く苦しい復讐の物語です。 はじめは現在の時間軸から始まります。主人公のガッツが妖精パックと出会い使徒(異形の魔物たち)を狩る旅が少し描かれます。 この時点ではなぜガッツが巨大な剣を持っているのか、義手なかのかグリフィスを憎むのか、そもそもグリフィスとは誰か、使徒を狩るのか「?」がたくさん浮かびます。 これらの補完も兼ねて、過去の話がはじまります。ここでは、ガッツの生い立ち、傭兵団、「鷹の団」に入り団長のグリフィスをはじめ、個性的な仲間たちを得て、戦いながら、比較的幸せな時間を過ごし、深い友情を育む姿が描かれます。 3年が経ち、ガッツは鷹の団を退団します。ここから歯車が狂い出し、グリフィスはそのショックから自暴自棄非行に走り、投獄&拷問。 グリフィスの「非行」について知らない鷹の団は訳ももわからぬまま逆賊として追われる身になります。 さらに1年後武者修行を終えたガッツが鷹の団に合流し、グリフィスを救出しますが、グリフィスは目も当てられないような廃人同然の姿に。 投獄中、救出後も深い絶望感を抱いていたグリフィス。 自分の王国の建設を夢見る彼は、夢を再認識し、 またとんでもない事件を起こします。 この出来事でガッツは様々なものを失います。ガッツは酷い裏切りにあい、絶望に飲み込まれます。 そして復讐の旅が始まるが…… ここから現在時間軸に戻っていき、さらに先に進み、新たな仲間を得ていきます。 全てがネタバレ、重要なのでだいぶぼかしてます! どんなところが魅力か •とにかく迫力がある絵 書き込みがすごい。時代を感じさせません。 •言葉の選び方、ルビの振り方が面白い 小説が好きな方 •細かい設定、壮大な世界観 どんな人におすすめか •厭世的な人、ダークを求める人 •ちょっと日常を忘れて壮大な世界に浸りたい •哲学が好きな人 •刺激が欲しい人(新たな性癖探しになるかも?) •綺麗な絵の漫画を読みたい人 •戦闘シーンが見たい人 •伏線が好きな人 •不憫すぎる、でも折れない主人公を見たい人 彼は私の知る限りもっとも辛い状況にいる主人公です。現実世界では30年以上ずっと戦い続けてます(笑)。敵に襲われて寝れない。友人たちは……。恋人(?)を守るため一生懸命戦ってるのに、恋人からの矢印が自分に向いているのかも不確定。もうめちゃくちゃです。 ジャンプではよく 友情 努力 勝利 が鉄則ですが(例外あり) ジャンプではないそしてダークファンタジーの子の作品は 友情?努力花丸 勝利× (勝ってはいるが目指す敵には遥か敵わない)みたいな状況です。 読みたい人へ注意 好き嫌いはだいぶ分かれてしまうかなと感じます。 もしかすると、エログロ耐性がないときついです。中学生くらいだと△。人によりけりですが、私個人としては中学生にはおすすめしたくないです。受験終わってからなら個人の判断で読んでみてください。 私はエログロはあまり気になりませんでした。確かに残酷ではありますし、深い絶望感に見舞われるシーンも多々あります。 とある巻がトラウマ巻と言われているのですが、身構えず、知識なしで見た方が絶対楽しいと思います。そこで挫折の可能性もありますが……。私としては物語の核であるため、飛ばす事は推奨しません。 感想 個人的にアイスランドに興味があり、北欧神話、エッダやサガを読むのですが、バイキング時代など荒々しい北欧世界を簡単に言うなら 復讐復讐復讐 名誉 己は己で守らずしてだれが守る そんな印象を勝手に受けます。 BERSERKも古ノルド語であり、北欧神話にでてくるのもあり、多少その要素も含まれているのかなあと。 本作はダークファンタジーを銘打ってますがダークと言うと簡単にまとめすぎだし……。など悩み、紹介の難しさを痛感しました。拙い紹介で申し訳ないですがら興味をもってくださったら嬉しいです。 コメントいただけると嬉しいです。 お読みいただきありがとうございました。
“推し”と“言葉”について
⚠️あくまでも一意見です 「推しっている?」 よく聞かれます。 「いないよ」と自分は答えます。 自分には“推し”はいません。 凄いなと思う方、応援している方はいます。 「え?それって推しじゃん。」 自分は“推し”と言う言葉をあまり使いたくありません。特に人には。 その言葉を使うことで価値が下がっていくように感じるからです。 また押し付け感があって重たい言葉だなあと感じてしまいます。 自分でもちょっと捻くれてると思います。 自分の感覚だと“推し”と言う言葉が世界に溢れるようになったのはここ最近、特にコロナ禍においてであると認識しています。 せっかくなのでこの機会に“推し”の意味について調べてみました。 歴史は思っていたより古く、1980年代のアイドルブームの流れを汲んでいるそう。 推し 人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のことをいう なるほど。初めて知りました。 だとすると同担拒否の方はどうなるのだろうか…?きっと薦めたいとは思っていないだろう。 自分も知らなかったけれど、どれだけの人がこの言葉の意味を理解して使っているのでしょうか。 自分が“推し”という言葉が苦手な理由を分析してみて、自分は何かを言葉で括ること、括られることに抵抗があるのだと気づきました。 人によって好きの尺度は違います。一つの言葉にできるはずがありません。言葉で括って、幻想に名前をつけて安心感と居場所を得ているように見えてならないのです。 また、“推し”ラベリングをすることでその人がいかにも“商品”ですと言われているように感じ、実際はそうなのかもしれませんが人は物ではないのになあと感じます。 因みに自分はどちらかと言われると2Dよりの人間です。過去“オタク”はキモいと思っている人から“オタク”に括られて現実逃避人間レッテルを貼られたことがあります。決して自分はオタクではない。人よりかは絵やアニメが好き。現実逃避もしていない。“オタク”と言う名の瓶は彼らから“自分(あねもね)”を消しました。 推されている側の人にも同じようなことが言えると思います。 他に、友達や個性、尊いなんて言葉も苦手だなと気づきました。 過去の経験から考えると… 「友達だよね」 と言いながら 裏で陰口言う人。実際は束縛。弱い側の人間は強い側の人間に逆らうと“居場所”がなくなる。一人が怖い。結果「友達だよね!」と返す。“友達”に括られていく。 自分には理解が難しいですが、そう言う生き方で成功する人もいます。 「個性を大事にしよう」…受け入れられないものは排除していく癖に。よく考えて使ってる? 「尊い!尊い!」…尊いって意味わかって言ってるのかな。素敵な、唯一の物に使うのならいいと思うけれど…。あの歌詞みたいな内容を本当の尊いというのだと思うよ。(勝手な私情) “言葉”で括っているつもりが“言葉”に括られてしまっている。自分も気づかぬうちにきっと同じことをしている。 愚痴気味になってしまったのでやめておきます。 最近は“エモい”など言葉で表現できない、広い意味を持つ言葉があったり、“めっちゃ”や“マジ”のみの会話があったり。よく考えて使わないといけないなと常々思います。多様性と言われたらそれまでなのかもしれません。でも自分の考える本当の多様性とは受け入れられない世界があることも知ることであって、排除が許される訳でも、“多様性”を武器にして言い訳でもないです。 なかなか難しいことになってしまって足りない脳の限界がきています…。 拙い文章しか書けませんでしたが “推し”や“言葉”について皆さんはどう思いますか? コメント等で意見をお聞きしたいです。