史
81 件の小説アダムと屠殺場
『産めよ、増えよ、地に満ちよ』 産まれた、増えた、地に満ちた 満ちすぎた すると、足りなくなった 神はアダムを創造し、祝福した 「地球上の生き物全てを支配せよ」と 神は生き物を生み出し、繁殖する術を与えた そしてあらゆる生き物をアダムに統べさせた アダムは生き物に産まれ、増え、地に満ちるよう促した 生き物は人間の所有物であり、人間は神の所有物である 生き物が増えることで人間も増える 増えることは偉大なる神の慈愛に報いることである 生き物は産まれ、増え、満ちた 満ちすぎた 次第に食べ物が無くなった 限りある穀物だけでは飢えを満たせなくなったからだ 暖をとる術も無くなった 神から与えられた火が隅々まで行き渡らなかったからだ アダムは頭を悩ませた アダムはこれを解決する知恵を与えられていなかった ある日アダムは地を這う邪悪な生き物に尋ねた 「お前はこれを解決する術を知っているか」と 地を這う邪悪な生き物は答えた 「知りませぬ。しかしあの実を食べれば知ることができます」と 地を這う邪悪な生き物はアダムを小高い丘にある木に案内した 木には真っ赤に熟し、芳醇な香りを漂わせる実が成っていた アダムは躊躇した 「父がこの実を食べてはいけないと仰った」と しかし地を這う邪悪な生き物は言った 「この実を食べなければ、生き物たちは飢え、凍え、死にます」と アダムは心を痛ませた 「愛らしい生き物たちが死んでしまう」 アダムは木から実を一つ取り、それを口にした アダムは知恵を手にした アダムは生き物の中に便利な生き物がいることを見つけた その生き物を家畜と名付けた 肉は食べることができ、皮は服に変えることができる 肉があれば飢えずに済む 服があれば凍えずに済む 幸い、家畜たちは多産であった 一匹を葬っても、二匹三匹と産まれる アダムは家畜を手にかけた そして肉と皮を手に入れた おかげで生き物は飢えることも、凍えることも無くなった しかし、神は激怒した 「お前の役目は生き物を統べることであり、 私以外は何人足りとも殺生を行っては行けない」と アダムは述べた 「生き物たちは飢え、凍えておりました。 生き物たちを救うには仕方がないことでした」と 神は尋ねた 「生き物たちはこれからも際限なく産まれ、増え、満ちる。その時お前はどうするのか」と アダムは気づいた 新しく産まれ、増え、満ちた生き物たちは再び飢えて凍える その度に家畜は殺されてしまう 穀物を育て、藁をあみ、慎ましく暮らせば家畜が 死ぬことはなかった 一時の独善的な家畜を殺めたことにより、 これからは家畜が死ぬことが当然の選択肢になった 神は罰した 罪のない生き物を殺し、一時的な解決しか生み出せなかったことを 神との約束を破り、知恵の実を食べたことを 神は命じた 「これからお前は働く苦しみを味わうのだ。 そして、利用されるために産まれた家畜を自らの手で殺すのだ」と 神はアダムとその子らに苦しみを与えた 罪のない動物を箱に閉じ込め殺める苦しみを 動物を守るために、他人の生業を妨害する愚かさと、 それに悩まされる苦しみを 動物を殺め、生きるためにそれを食すことで生まれる 全ての苦しみを与えた アダムの子孫はこれを原罪とし、産まれてから朽ちるまで これを背負う苦しみを味わう
自己紹介
楽しそうだったので参加してみました ①始めた時期 2023年の6月くらい。入れたり消したり繰り返したので ちゃんと書き始めたのは多分それくらいだと思う 実は古株だったりします ②始めたきっかけ 昔から小説を書くことに興味があったんですけどハードルが高そうでした でも国語で羅生門を習った時に、羅生門は昔の作品を何個か繋げてアレンジしたという話を聞いてびっくりしました ゼロから生み出すのが小説だと思っていたので ハードルがめっちゃ下がってNovelee始めました ③書くジャンル 恋愛系と歴史系が得意だと思います。多分 この二つをよく書いてる気がする 自分が体験したこと、知ってることを書く方が楽なので恋愛と歴史に偏ってると思います ④読むジャンル これといったジャンルはないです だいたい何でも読みます 強いていえば日常系?人間ドラマ?そういうのが好きです モキュメンタリーもハマってます 好きな小説は瀬尾まいこさんの「君が夏を走らせる」です 登場人物の心情描写が綺麗で読んでいて気持ちがいいし勉強に なります 「近畿地方のある場所について」も好きです 伏線が回収された時の鳥肌感が半端ないです モキュメンタリーの原点にして頂点だと思ってます 近畿地方がきっかけでモキュメンタリーが増えた気がするのは自分だけでしょうか 最近読んでいいなと思ったのは「この子のために死んでくれ」です ホラー系です これも伏線回収というか、色んなものが線になって繋がる感覚が 楽しいです カクヨムで「猿の器」として投稿されているのでぜひ読んでみて ください ⑤苦手なジャンル ジャンルかどうかは分からないけど詩が苦手です 詩は心が綺麗で繊細で感受性豊かな方が書くイメージがあります 私は真反対なので感情移入がしにくいです あとは結末がぼんやりしてるものが苦手です ちゃんと決めていて欲しいタイプなのでムズムズします 続きがないのにめっちゃ続きが気になります え?ここで終わり?ってなるのが嫌です ⑥名前の由来 史と書いてふひとと読みます 史は古代の朝廷で文書の作成を担当していた職務です 小説書くのにぴったりだと思いました あと藤原不比等からも来てます 不比等は「等しい人間がいないほど、比べるものがいないほど素晴らしい人」という意味があるそうです それくらい良い作品を書きたいと思いました 昔は仁で活動してました 優しい人という意味があるそうです かっこいいなと思って使っていたんですけど優しくないし漢字に 申し訳なくなってきたので変えました ⑦活動場所 ちゃんと投稿してるのはNoveleeだけです 最近はカクヨムもダウンロードしました まだ投稿はしてないんですけど書き溜めしてます 良ければ見つけてください ⑧アイコン ピクルー?みたいなところで作りました イラストを組み合わせて商業利用以外なら使っていいよーのサイトです 中性的ないい大人をイメージしました ちょっと恥ずかしくなってきたのでまた変えると思います ⑨活動目標 しばらく離れていて忘れ去られてると思います なのでまずは色んな人に知ってもらいたいです あと失踪した連載もぼちぼち再開させます 少しずつ書いてます 投稿機能も使ってみたいです 企画とかもやってみたいです 募集した時はぜひ参加してください ⑩Noveleeの好きなところ 自由で優しいところです アプリ自体の使い勝手は置いておいて、ユーザーが気楽に交流 出来て、でも出会い目的ではない所が好きです あと気軽に投稿できるところが好きです 気軽に読める作品と思わず「マジか」と言ってしまうくらい重厚な作品が入り交じってるのがいい所だと思います 以上自己紹介でした 昔からいらっしゃる方も、最近始めた方もこれからどうぞよろしくお願いします
金柑草子~魔王と金柑~
━━あの方にとって、この島国は鳥籠だ。 「金柑。儂を殺せ」 「は? 今なんと」 一五八二年某日。澄んだ月が空に浮かぶ静かな夜だった。 安土城の天守閣に影が二つ。魔王・織田信長と忠臣・明智光秀 である。魔王は月を背に不敵な笑みを浮かべた。 「織田信長を殺せ。儂は辟易している。尾張を統一し、幕府を復権させ、朝廷から位も与えられた。絶対的な権力を手にすればこのつまらぬ世の中も変わると思ったが……何も変わらん。お飾りの帝に将軍。仏に尽くすことなく己の利益を貪る生臭坊主。そして、儂の座を虎視眈々と狙うどこぞの馬鹿猿。退屈だ」 安土の天守は天下布武の象徴である。内部は全て朱と金。 柱には竜が掘られ、西の壁には釈迦、東の壁には阿鼻地獄が 描かれた。豪華絢爛という言葉では表現しきれないほど、 安土の天守は美しい。 それでも、魔王の心を満たすことはできなかった。 近頃の魔王はここではない、どこか遠くを見つめた朧な眼を していた。 「……全て捨てて行かれるのですか」 「そうだ。どこか遠くへ、南蛮がいい。切支丹どもが信仰する “いえす”が産まれた地を見てみたい。明もいいな。数年前に代わった皇帝に会ってみたい。評判がいいと聞く」 「随分と遠くへ行かれるのですね。上様がそう仰るのならば私にはもう止められぬでしょう」 「なんだ。珍しく聞き分けがいいな」 「貴方にとってこの国は鳥籠だ。特に近頃は随分とつまらなさそうにしておられた。主君の幸せが家臣の幸せ。貴方が望むなら、織田信長をも殺しましょう」 この夜を機に、日本の歴史は大きく変わる。 * 一五八二年五月末日。織田信長は羽柴秀吉より出馬要請が届き、備中国への出陣を決意する。信長は約百名の軍勢を連れて事前に 京に入り、本願寺にて休息をとっていた。そこへ明智光秀率いる 約一万三千の軍勢が攻め入り“本能寺の変”が起こった、とされている。 しかし、実際はそうではない。 「ほう、本能寺か。悪くない。で、事を起こすのはいつなのだ?」 「三日後でございます」 「急だな」 「一番厄介な羽柴殿……猿は現在備中のため邪魔は入りません。その他家臣団も河内、甲斐、信濃、越中と各地に散らばっているため心配はないでしょう。しかし、何が起こるか分かりませぬ。猿の情報網は恐ろしい。こちらの手配は整いましたのでなるべく早く事を起こすほうがよいかと」 「うむ。任せる。詳細は?」 「まず、上様は百人程度の手勢を連れて本能寺へ向かってください。小姓と僧侶、南蛮人を数名、兵は四十人程度を。私は一万の兵を連れて明朝に本能寺を襲います。頃合いを見て配下の者を遣わしますので、あとはその者が船までご案内いたします」 「貴様に任せて正解だ。まったく、いつも想像以上の働きをしてくれる。では三日後、本能寺にて」 魔王は満足気に天守を去るが、金柑は心に影を落とす。 * 一五八二年六月明朝。太陽すら眠りについている薄暗い時刻に 京の空が赤く染まる。幾万もの兜が音を立て、本能寺をぐるりと 取り囲む。ドンっと一発の銃声が静寂を破った。兵は火矢を放ち、寺内へ攻めいる。突然の敵襲に織田方の兵は反応できず、次々と 討ち取られてしまった。 阿鼻叫喚の中、小姓が一人、森蘭丸が織田信長の元へ急ぐ。 「殿、謀反にございます! 明智の謀反にございます」 魔王は思わず綻んだ口元を引き締める。 「蘭丸まずは女子供を逃がせ。その後はお主も逃げろ」 「殿はどうなさるのですか!」 「気にするな。この謀反も、やむをえない。早く行け! 一人残らず逃がせ」 信長の命により、本能寺から一人また一人と人影が消えて いく。寺内にいる人間がほぼ明智の軍勢になった頃、信長の背後に一人の男が現れた。 濃い藍色の布に身を包んだその男は忍のようだった。 「そなたが金柑の遣いか」 「左様でございます。さあ、こちらを」 忍の男は背中に背負っていた風呂敷の中から木綿の小袖を 取り出し、信長にそれを着るよう促した。 「女の真似事をしろと?」 「明智側に女子供は殺さぬようにとお触れが出ております。女に扮すれば安全に逃げられます。ご辛抱を」 「面白い! 金柑め、この第六天魔王に女になれと言うのか」 信長の高笑いが燃え盛る本能寺に木霊する。 小袖を纏い、笠を被った信長は忍が導くままに山道を駆けた。 太陽が天高く昇った頃、信長は由良川の畔に着いていた。 よく茂った葦の下には小さな小舟が一つ。 小舟には忍の男と同じ風貌をした船頭もいる。 「こちらの小舟にお乗り下さい。一日もすれば舞鶴に着きます。舞鶴には南蛮船が停泊しておりますので、その船に乗り込めばやがて南蛮に」 「そうか。ご苦労だった。金柑はどうするのだ」 「舞鶴で合流されるとのことでした」 「相分かった。下がってよいぞ」 小舟に乗り込むと、水がちゃぷちゃぷと音を立てて信長を歓迎する。太陽が沈み、昇り、また沈みかけた頃、小舟は舞鶴の港に 到着した。 南蛮船がいくつも停泊しており、港は大きな賑わいを見せて いる。小舟を降りると、どこからともなくまた忍が現れる。 信長は港から少し小高い丘に案内された。丘の上には粗末な小屋がぽつんと建っている。戸を開けて中に入ると、そこには血と泥に塗れた光秀が居た。 「ご無事で何よりです」 「貴様は無事ではなさそうだがな。ご苦労だった。その体で南蛮まで耐えられるのか?」 「私は南蛮へは参りませぬ」 「なんだと?」 「日ノ本に、やり遺したことがありますゆえ」 「……そうか」 「まもなく出航します。お急ぎください」 「光秀、達者でな」 「勿体なきお言葉」 信長は頭を垂れる光秀を一瞥して小屋を出た。 光秀は去っていく信長を見届け、再び血生臭い戦場へと戻って 行った。 * 近頃の上様は大変退屈そうにしておられる。 自由を求めて登れば登るほどしがらみが増えていく。 政治的なしがらみ、立場的なしがらみ。 そして、いつ背を刺されるか分からぬ緊張感。 織田家臣団の中に、毒が混じっている。 下賎な身から家臣団の頂点へと駆け上がった羽柴秀吉。 あの猿は、いつだって上様の座を狙っている。 上様が居なくなった後、あの猿は必ず織田家を身中から 食い尽くす。 上様は今あらゆるしがらみから逃げ出し、世界に羽ばたこうと されている。 ならば、家臣のすることは一つ。 上様の心を煩わせることなきよう種を全て摘まなければ ならない。 生は充分に謳歌した。 今こそ、この爺を拾ってくださった上様に恩を返す時。 ただ一つ、気がかりなのは、あの猿が己に都合のいいように 歴史を改変しかねないこと。 私はきっと猿に殺される。それはよい。 しかし、私が死んだ後、あの猿は間違いなく織田家を 乗っ取る。 そして「織田信長は暴君だった」と偽りの記録を残し、 「逆賊光秀を討った秀吉こそ後継者に相応しい」と自らの正当性を示す。 それだけは我慢がならない。 見つからなくてもいい。正しい歴史を遺したい。 手記として、手紙として、この騒動の顛末を書き記さなくては ならない。 上様は生きていると、猿こそ下賎で卑劣な者だと。 何百年後の未来でもいい。 どうか、この金柑頭の記した御伽噺が届いて欲しい。 『金柑』−明智光秀のあだ名 『草子』− 紙を綴じ合わせた冊子本、または物語や随筆などの 読み物の総称
「ありがとう」と「ごめんね」
忘れられない人がいます。愛を教えてくれた人です。 私は、これからの人生で多くの人と恋をして、多くの人を愛す でしょう。ですが、永遠にあの人に囚われたままだと思います。 私は、一生あの人を愛し、あの人に執着するのです。 中学の頃でした。同じクラスに可愛らしい女の子がいました。 あの人は色白で、華奢で、生意気な中学生という年代には 珍しく、凛とした姿勢で座っていました。一目惚れでした。 私は可愛い女の子が大好きなので、すれ違っただけでも「あの子可愛いな」と思うほどには惚れやすいです。ですが、あの人だけは違って、初めて見た時、「一目惚れ」という言葉にふさわしい衝撃を受けました。 とにかく、詳細は省きますが、私はあの人と付き合いました。 初めて一目惚れした、初めての彼女。執着しないはずがない。そして何より、中学生の私は若かった。ただただ若かった。 もちろん今も若いですが、中学生の私は物事の分別というものができていませんでした。 「初めての恋愛」ということを含めても、あまりにも恋愛に 対する常識がなかったのです。 あの人は友好関係が広く、男女問わず仲のいい友達が多く、 いわゆる「たらし」だったと思います。束縛はしなかったものの、私はそれに嫉妬し、毎日のようにあの人を問い詰めていました。 するとあの人はいつも「相手に合わせるタイプだから」と言うのです。この言葉は私を不安にさせました。 それではあまりにも「自分」がないだろう。恋人がこういうからこうして、恋人がああいえばああするのか。 本当に愛しているのか、と思いました。 愛の重さを正義とし、愛があればそれはもう相手にとって 幸せで、愛は思いやりなのだと考えていました。独り善がりの恋愛でした。今風に言うと、中学生の私は感情ジェットコースターの メンヘラ女でした。 もちろん上手くいくはずがありません。 あの人とは一年半付き合いました。でもその一年半は全てあの人の我慢でできていて、もちろん楽しかった時もあったでしょう けど、大半は苦しみでできた一年半だったはずです。中学三年生の十一月に別れました。 別れてから私は大いに反省しました。 自分には我慢が足りなかった。相手を思いやる気持ちが足り なかった。 次付き合う人にはあの人と同じ思いをささてはいけない、と。 高校に上がってしばらく経った頃、2番目の彼女ができました。一歳下の後輩でした。私は反省を活かして、彼女にただひたすら 尽くしました。 2番目の彼女はかつての私を見ているようでした。 情緒不安定で、でも真っ直ぐ(?)に愛す。 ただ、彼女と私とでは違う点が二つありました。 一つ目は束縛です。彼女は私を束縛しました。仲のいい女友達がいたのですが、移動教室を一緒に行くのは禁止でクラスでも 話すなと言われました。その女友達だけではありません。 他の人、つまり、友達とも用事がなければ話すなと。 正直思うところはありますが、私は束縛されることをそんなに 苦としない性格ですし、束縛するならこちらも束縛すると事前に 話してあったので、特に気にしていません。 二つ目は浮気です。 浮気されて、私は誕生日の夜に振られました。私はこの女のことを一生恨み続けます。あまり人前で口にするのは憚られる言葉 でしょうが、あえて言います。 こんなにも誰かの不幸を、誰かの死を願ったことはありません。 いつかあの糞女がまた他の人と付き合って、本気でその人を 愛した時、今の私のように酷く振られて欲しい。そして私のように苦しんで欲しい。 お前が私にしてきたことを、今度はお前がされてしまえばいい。 散々尽くした。別に見返りを求めるわけではない。好きでやっていることで、愛していたからやっていた。尽くして喜ばれるなら それでいい。 付き合っていた頃の、どちらが正しいかとか、そういうものに ついて言及するつもりはありません。傷つけ、傷つけられるのが 恋愛ですから。 だからってこんな終わり方はないだろ。 愛した人に裏切られた日が誕生日だなんて面白くもない冗談だ。 私は歳を重ねるごとに浮気されたことを思い出して、苦しむことになる。 誕生日が呪われた日になった。 怒り、悲しみ、衝撃、彼女を取られたことへの悔しさ、嫉妬、 下衆な人間性への呆れ。 しばらくの間、色んな負の感情が私を支配しました。 とりあえず、私は仲のいい友人や、私の事情を知っている 友人たちのLINEグループに別れたことを報告しました。 そのグループの一つにあの人がいました。 別れてから数日経ったある日、私はあの人に連絡しました。 喪失感に耐えきれなくなって、来週の休日にでも遊びに 行かないかと誘いました。 残念ながら誘いは断られました。 ですがあの人は何を思ったのか、「お別れしたの?」と、今私が一番触れて欲しいことに触れてくれました。 縋れるものを探していた私にとってその一言は天からの贈り物のようでした。 私はここぞとばかりに「元カノに言うことじゃないだろうけど、話を聞いて欲しい。もしいいなら通話で話したい」と、あの人に 縋りました。 その日の夜、寝る前に私たちは通話しました。 別れた経緯と、私たちの昔話を少ししました。 ようやく私の過ちに気がつくことができました。 私とあの人の愛し方は少し違っていて、どちらも全身全霊で 愛し合っていました。私の方が愛が大きくて偉いだなんて 思い上がりも甚だしいです。 片方が正しくて片方が間違っている愛なんてありませんでした。 まあ糞女の愛は間違っていると思いますが。果たしてあの糞女に愛だなんて崇高な感情があるのかも知りませんし。 とりあえず、今はただあの人に申し訳ないです。 そしてずっと私を救ってくれたあの人には感謝しかないです。 通話した次の日は普通に学校がある日だったので、あの人に謝罪と感謝を伝えました。 あの人と付き合った一年半は思ったよりも強烈でした。 Noveleeで三作品ほどにあの人との恋を登場させて いますし、かなり気持ち悪いですが、たまに訪れるメンヘラな夜 にはあの人を想って涙も流します。 あの人への感謝と謝罪と、やっぱり好きという気持ちに囚われています。 そして復縁したいなーなんて思ったり。 今年で別れてから三年経ちました。 あの人には二年続いている彼氏がいます。 それを壊してまで復縁しようとは思いません。 だからと言って諦めきれるわけでもない。 復縁したとしても一度は嫌って別れたもの同士なので、 結局お互い苦しむだろうし。 多分好きというより情や執着に近いと思います。 ただ、愛が「ありがとう」と「ごめんね」で成り立っているの ならば、この気持ちは間違いなく愛です。
第8回N1 決勝 死神の革命
思い出を綴ったこの手記を、私が愛したあの方へ捧げます ━━シャルル=アンリ・サンソン 初めてあの方とお会いしたのは一七七〇年、陛下が結婚された年だった。私はムッシュ・ド・パリである父の代理として、そして 陛下の良き友人として宮殿に招かれた。 あの方はまだ十五歳のあどけない少女だったが、その容貌は驚くほど美しかった。輝くばかりの真珠のような白い肌と、眩い金髪はまるで絵画から飛び出してきたかのようだった。 しかし礼儀作法はパリのものではなく、田舎王室からやって来た少女という印象を受けた。 そして、一番は、類を見ない怖いもの知らずだと思った。 「お目にかかれて嬉しく存じます。ムッシュ・ド・パリ代理、 シャルル=アンリ・サンソンでございます」 「まあ! まるで死神みたいな方ね」 ムッシュ・ド・パリはフランス全土の死刑執行人の頂点に位置 する。死に触れる職業柄、幼い頃から“死神”と罵られてきた。 サンソンに近づいたら寿命を吸い取られる。サンソンが歩くと 人が割れ、歩いた後には何も残らない。パリでは有名な話だ。 サンソン家に生まれた以上、軽蔑されるのは避けられないことだが、こうも堂々と面と向かって言われたことはなかった。 「こら、マリー。僕の友人だよ。優しくしておくれ」 「あらごめんなさい。あなた背丈も高いのね。ねえ、おじ様とお呼びしていいかしら。あなた私の叔父にとっても似ているもの!」 「構いませんよ。殿下のお好きなように」 「お友達が増えたみたいで嬉しいわ! 私のことはミミと呼んでちょうだい。親しい方が呼ぶ愛称なの」 「いえ、恐れ多いです。マリー様とお呼びしますね」 「堅物な死神さんだこと」 私が心底驚いたのは見送りの時だ。私が席を立つとあの方もそれに合わせて席を立った。するとこちらへやって来て、ハイヒールの踵でグッと私の足を踏んだ。突然の痛みに耐えきれず、思わず顔をしかめると、あの方はこっそり私に耳打ちをした。 「ごめんあそばせ。わざとよ。ミミと呼んでくれない死神さんに悪戯してみたくて」 あの方はそう言って屈託のない笑顔で鈴を転がすように笑った。 あの方との出会いは今も忘れることができないほど鮮烈だった。 そして、私はあの方に心を奪われたのだ。 それから度々あの方の庭園に招かれるようになった。小さな宮殿を庶民が暮らす村里に作り替えた“王妃の庭園”は国王一家が 近しい者と過ごす憩いの場になっていた。私は庭園であの方の 様々な側面を知ることになる。 何も知らない者から見れば、あの方はパリのことを分かって いない田舎からやってきた破天荒な王妃に見えるだろう。しかし 近しい者ならばあの方は繊細で素朴で、慈愛に満ちた優しい方だとよく分かる。 庭園で過ごすあの方は“母”そのものであった。王子達に王族 としての心得を説き、庶民の生活を体験することで民に寄り添う。 顔も知らない何百万人ものフランス国民を想いながら日々を 過ごすあの方を見る度、私はあの方を、フランスを守らなければという使命感に駆られる。 だがあの方の優しさが国民に伝わることはなかった。あの方を 嫌う貴族が、あの方が飢えた国民を嘲り笑っただとか、国の予算を使い込んで新しいダイヤモンドの首飾りを買っただとか、ありも しない噂を流した。 あの方は“パンがなければケーキを食べればいいじゃない”なんて言わない。 あの方は国民が飢えていたら宮殿の食料庫を開放して食料を 分け与える。 あの方は何十億もの首飾りなんて買わない。 あの方はそんな大金があるならパリ中に水路を敷く。 あの方の慈悲深い心を知る由もない民衆は貴族の口車に乗せられて革命を起こした。初めは小さな集団だったが、やがて革命の炎は国中に広がり、ついにはバスティーユ牢獄まで占領される事態に 陥った。 革命はパリにも大きな影響を与えた。有力貴族の屋敷は襲撃 され、王の住まう宮殿ですら連日暴徒たちが押し寄せ、今にも門を突き破らんと暴れている。 それによりあの方の心の支えでもあった“王妃の庭園”は閉鎖 されてしまった。国王一家も革命から逃げるためにパリ郊外の 小さな屋敷へ避難することになった。 私も、宮殿への出入りを禁じられてしまった。国王一家が宮殿を去る日、あの方は目を潤ませながら震える声で私に囁いた。 「私たちを、フランスを守ってください。おじ様の剣はフランスを守る剣です。その剣は必ず正義のために……」 「貴女は必ず守りますのでご安心ください。革命はまもなく鎮圧されるでしょう。それまでしばらくご辛抱を」 私がそう言うと、あの方は安心したのか笑顔で馬車に乗り込んでいった。その後ろ姿はどこか寂しげで、なんだかもう二度と 会えないような気がした。 しかし、私はすぐにあの方と再会することになる。 断頭台の上で。 ◆ その知らせは突然だった。宮殿から去ってから約一ヶ月、 国王一家が捕らえられた。 「なんだと?! あまりにも早すぎる! なぜ捕まったんだ」 「馬車で逃げている時に民衆にバレたんだ。ルートが事前に漏れていたんだと」 「それで、あの方は、マリー様は無事なのか?」 「王妃はコンシェルジュリーの監獄に幽閉されている。国王陛下は……おそらくもうダメだろう。近日中に処刑されるそうだ」 この世界は地獄だ。あれほど高貴な方が幽閉されて罪人と同じ 扱いを受けている。民衆はフランスを良くするためにと王政打破や自由・平等・博愛だなんて掲げているが、国母であるあの方を 支えるのが一番幸せだと言うのに、なぜそれが分からないの だろうか。 あの方を解放しなければフランスに真の幸福は訪れない。 フランスを正すのが革命ならば、私も革命を起こさなければ ならない。 私と同じ思いを抱いている人々も多かった。そのうちの一人に ルージュという男がいた。彼はかつてアンドラ公━━国王陛下の弟に仕えていた。本人は騎士だったが出身は平民で人脈が広かった。貴族、商人、騎士はもちろん平民、看守にだって友人がいた。 「ルージュ、君はコンシェルジュリーにも友人がいるのか?」 「一人知り合いがいます」 「私はコンシェルジュリーに捕らえられているマリー様をお助けしたい。逃亡費用と手段はこちらで用意する。君の知り合いに協力をあおってはくれないだろうか。マリー様にもこのことをお伝えしなければ」 「分かりました。王妃を担当している看守は金で買収しましょう。王妃にはどのようにお伝えするつもりで? お会いできたとしても見張り付きで堂々と逃亡計画を伝えることはできません。手紙を渡すとしても、他の看守に気づかれてしまっては計画が破綻してしまいます」 「マリー様が気づき、看守には気づかれない方法か。……カーネーション、カーネーションに密書を仕込もう。あの方が好きだった花だ。誰も花に逃亡の手引きが書いてあるとは思わないだろう」 「ええ、ではそのように」 ルージュは看守を買収してあの方に面会し、胸に刺したカーネーションを牢の中に落とした。そして看守に見つからないように 小声で、花をよく確かめるように伝えた。十日後に再び面会する 約束だったため、その時に脱走する計画だった。 あの方はペンもインクも取り上げられていた。持つことを許されていたのは刺繍道具と定期的に与えられる本だけだった。あの方は本のページを破り、紙に刺繍針で穴を開けて返事を書いた。 その返事を例の看守に渡したそうだが、看守は土壇場で 怖気付いて上官に報告してしまった。逃亡計画は露呈し、あの方はアリ一匹すら通れないほど警備の厳しい監獄に幽閉された。 「失敗、したのか……あの方ももはや無事では済まないだろう」 「革命政府は予定を早め二日後に王妃の裁判を行うそうです。王政復古を掲げる対抗勢力が現れたため革命も危機的状況なのでしょう」 「対抗勢力に耐えてもらうしかない。王妃とご子息さえ生きていれば王政は何度でも立ち上がる」 「いいえ、それを阻止するための裁判です。恐らくこの裁判で王妃の死刑が決まります」 「なんだと?」 「国王陛下はすでに処刑されました。王妃ももうすぐでしょう。王政の象徴がいる限り革命は続きます」 「…………なあルージュ。私が逃亡計画を立てなければあの方は少しでも生き長らえていたのではないか? 教えてくれ。何が正解だったのだ」 「私の口からはなんとも……」 私は、あの方を助けるばかりか殺す手伝いをしてしまった。逃亡計画を知った革命政府は裁判を早めた。その裁判も名ばかりの もので、実際にはひたすらあの方を糾弾し罵る場でしかなかった。 そもそも裁判なんてするべきではなかったのだ。どうせ判決は 既に決まっていたのだから。 あの方は三日後処刑される。 ムッシュ・ド・パリである私の手によって。 ◆ 一七九三年十月十六日。あの方を処刑する今日、パリは憎らしいほどの快晴だった。雲は一つもなく、太陽は眩く輝き、まるで あの方がいなくなることを喜んでいるかのような天気だった。 朝十時、私はあの方をお連れするために監獄へ向かった。 久しぶりに見るあの方は酷くやつれていた。 かつての真珠のような肌と輝く金髪は失われ、肌は痩せこけた土色になっており、髪に至っては今までの苦労が祟ったのか全て白髪に変わり果てていた。 私はあの方の両手を後ろで縛り髪を切った。 ただ、謝ることしか出来なかった。 「申し訳ございません。貴女を守ると誓ったのに。守るどころか死期を早めてしまうような真似を……」 「謝らないでおじ様。私はその心だけで十分でした」 髪を切られ、拘束されたあの方は粗末な馬車に乗せられて監獄を出発した。革命広場へ向かう道には民衆が押し寄せ、無抵抗であるのをいいことにあの方に罵声を浴びせた。生ゴミを投げつける者もいた。だが、あの方はそれでも毅然としていて王妃である威厳を 崩さなかった。 革命広場には約一万人程の群衆が集まっていた。 馬車が止まると、あの方は誰の力も借りずに断頭台へ登って いった。 その姿は太陽に照らされ、神聖さすら感じるほど美しかった。 その途中、あの方は一瞬ふらつき、私の足を踏んだ。 そして、あの時と同じようなあどけない笑顔でこう言うのだ。 「ごめんあそばせ。わざとではありませんのよ」 あの方の最後の言葉だった。 あの方の白髪が紅く染まると同時に私の世界から色が喪われた。 「ああ……私の愛しいミミ。貴女はもうどこにも居ない」
第8回N1 Third
一目惚れした。運命の人だと思った。何万回も咀嚼された陳腐な表現だったが、今の気持ちを表す言葉はこれしか知らなかった。 「あの、好きです」 「急になんですか」 名前も知らない、初対面のその人は迷惑そうな顔をしてこちらをじろりと見つめてきた。大学の講義室でのことだった。大学生にしては珍しい黒い絹のような髪、白く滑らかな肌、潤った薄紅色の唇。一人で座っていたその人に目を奪われた。 「急にごめんなさい。あまりにも綺麗でつい」 「はあ、そうですか」 「迷惑じゃなければ隣いいですか?」 「……どうぞ」 彼女は怪訝な顔をしながらも椅子に乗せていたカバンを移動 させて私の座る場所を用意してくれた。講義はこれっぽちも集中 できなかった。視界の端に映る彼女の勉強している姿が私の心臓をざわつかせた。まるで左胸にエンジンを積んでいるようだった。 彼女の動き一つ一つが私を狂わせた。こんな恋は初めてだった。 気がつくと講義は終わっていて、彼女は帰りの支度をしていた。この機会を逃すともう二度と会えないような気がした。 「連絡先交換しませんか?」 「なんでですか?」 「もっと仲良くなりたいと思って。それに、授業も同じだし連絡先あった方がいいかなって」 「ああ……インスタでいいですか?」 「え? あ、はい! もちろんです!」 僥倖だと思った。自分でも初対面で「好きです」なんて言って、隣に座ってくるキモイやつという自覚はあった。ダメ元で連絡先を聞いたが、まさか交換できるなんて夢にも思わなかった。 「ありがとうございます! さくらさんでよかったですか?」 「はい。これは、“ゆう”か“ゆい”どっち?」 「結ぶって書いてゆうって読みます 」 「なるほど。じゃあ私バイトあるんで」 そう言って彼女は去ってしまった。私は彼女が去ってから しばらくの間夢見心地だった。気持ちがふわふわして、落ち着か なくて、現実とは思えなかった。 仲良くなりたい、もっと話したい、付き合いたい、ずっとそばに居たい。そんな感情が私を支配していった。 あれから彼女とは少しずつ話すようになった。同じ授業を取っているから会う機会は多い。第一印象が最悪だった分、適度な距離をとってまずは挨拶から始めた。挨拶を交わす仲になったら、次は 共通の話題を探して話かけた。 だいたい授業の話で、あとはサークルや就活の話もした。授業の時はなるべく隣に座るようにもした。基本的に私は緊張して 上手く話せなかったけど、それでも彼女はずっと待っていて くれた。すると次第に彼女の方から私に話しかけてくれるように なった。わざわざ話題を探さなくても雑談ができるようになって、くだらないことで笑え合える仲になった。花が咲いたような彼女の笑顔を見る度、私の心はざわつく。 大学構内で会えば手を振って、授業が被った時は一緒に学食に 行って、インスタでも話をして。ささやかだけど、彼女の生活に 私が登場できる幸せを噛み締めていた。でも、どうしても次の ステップに踏み出せなかった。 彼女と付き合いたいという思いは最初から変わっていない。一回それとなく恋愛の話を振ってみたが上手く逸らされた。今の関係が壊れるくらいなら、彼女に嫌われるくらいなら一生このままでいいとさえ思った。 ◆ 「結って最近経営論取ってる子と仲良いよね」 「さくら?」 「そうそう。好きなの?」 「好きだよ。初めての授業の時に一目惚れして連絡先聞いた」 「でもあの子ガード固いよね」 「そうなの?」 「関わりはないんだけど同じサークルで、新歓の時に三年の先輩から言い寄られてたよ。けどその時も無理ですって断ってて。結構告白されてるけど全員玉砕してるらしい」 「へえ……」 叶いそうにない恋なのは分かっていた。ただ、それでもこの恋を諦めたくない。 どうしようもないほど好きなんだ。笑うと細くなるあの目が、落ち着くあの声が、丁寧に言の葉を紡ぐあの口が、私に向けられるあの優しい笑顔が好きだ。こんなにも誰かに恋焦がれたことがない。日に日にこの恋心が私を灼き尽くす。もう、おかしくなりそうだ。 どうせ叶わない恋ならば、最後に想いを伝えたい。今のささやかな幸せが無くなるのは怖い。でも、奇跡が起こって付き合えるので はと夢見ない日は無い。 彼女を想ってどれほど涙を流したのだろう。大学を卒業して、 彼女が誰かと家庭を持って、このままいつか彼女の中から私が 消えるくらいなら、この恋に自分で終止符を打ちたい。 「ねえさくら今日暇?」 「経営論終わったら暇だよ」 「じゃあ大学近くのカフェ行かない? 最近オープンしたみたいで個室もあるらしい」 「いいね! 行こうか」 カフェに着くまでの間話したことはほとんど覚えていない。自分の心臓がいつもよりおかしくて、彼女がいつも通り綺麗なことだけは確かだった。 「さくら、話があるの。」 「どうしたの?」 「私さくらが好き。出会った時から好き。付き合いたいです」 「えっ……」 彼女は驚いた顔をしていた。吸い込まれるほど美しい瞳はいつもより潤んでいて、真っ白な肌は少しだけ紅潮していた。でもそれは一瞬の出来事で、彼女は私の目を見てすぐ逸らしてしまった。 「ありがとう。私も結のことは好きだよ。でも……ごめんね」 「そっか。こちらこそごめん」 しばらくの間沈黙が続いた。喉から込み上げてくる声と、目頭 から溢れそうになる涙を堪えるのに必死だった。ふと顔を上げると彼女はいつものように優しく、私を待っていた。その優しさに どうしても縋りたくて、醜い手で彼女を掴んでしまった。 「……最後にお願いがある。私のことは嫌いじゃないんだよね?」 「うん」 「一ヶ月、一ヶ月だけ時間が欲しい。どうしても諦めきれないの。一ヶ月の間に振り向いて貰えるように頑張らせてください」 「いいよ。一ヶ月よろしくね」 ◆ とりあえず恋愛対象として意識させようと思った。 だからたくさんデート(仮)をした。 巷で有名な恋愛映画を見に行った。 ショッピングセンターに行った。 彼女は食べるのが好きだから、よくご飯を食べに行った。 私の家でお泊まりもした。 新しくオープンしたスーパー銭湯に行った。 カップルがすることをSNSで調べてそれを一つずつ実行した。私を恋愛対象として好きになってもらうために。 それと、恋が実らなかったとしても、この一ヶ月の思い出と一緒に生きていけるように。 彼女はいつも子供のようにはしゃぐ私を見て笑う。そして私が 話す時はジッと見つめて微笑む。私を愛おしそうに、寂しそうに。 私はその表情を見ると無性に腹が立ってくる。彼女に寂しそうな目をさせる“何か”が憎くて、その“何か”から彼女を解放させてあげられない自分が情けなかった。 彼女の慈しみと悲しみが混ざったような顔を見る度に、もっと彼女に触れたい、近づきたいという思いが募る。 一ヶ月はあっという間に過ぎていった。最後の日はあのカフェで過ごすことにした。一か月前と同じように個室で彼女と向き合う。 「一ヶ月経ったね」 「そうだね。あっという間だった」 「私のさくらに対する思いは変わらないよ。好きです。付き合ってください」 「ありがとう。私も結のことは好きだよ。でも……」 「付き合えないってこと?」 彼女は小さく頷き、それ以上口にすることなく下を向いた。 「理由だけ聞いてもいい?」 「……結のことは好きなの。でも、私はずっと過去の恋愛に囚われている。結はいつも私に対してまっすぐ向き合ってくれる。それなのに私がこんな状態だと結に失礼でしょう?」 「私は気にしないよ。昔の人のことが今も好きなら諦めるけど」 「未練があるわけじゃないし、好きじゃない。復縁しようとも思わない。ただ、ずっと囚われてる」 彼女が私を寂しそうな目で見る理由が分かった気がする。彼女はずっと囚われていたのだ。私を好きだという気持ちと、過去の恋愛が忘れられない、その矛盾に囚われていたのだ。 彼女は少しぬるくなった紅茶を口に含んで、またあの寂しそうな顔で私に笑いかける。 「私の話、聞いてくれる?」 「うん」 「今まで二人付き合ったことがあるの。一人目は中学生の時、同じクラスでそこから仲良くなって付き合った。一年半くらい付き合ったんだけど、性格の不一致で別れたの。二人目は高校生の時、部活の後輩で向こうからアタックされて付き合った。だけどいつの間にか私の方が好きになっていて、最後は浮気されて誕生日に振られた。半年くらい続いたかな」 彼女は何事もなかったかのように淡々と語る。でも、言葉の節々から痛みと怒りを感じる。ふう……と一息ついてから彼女はまた話し始めた。 「一人目の人は初めて付き合った人だから、恋愛の基準が全部この人に決められたの。天真爛漫な人だったんだけど友好関係も広くて、いつも異性と一緒にいて……。それで私が不安になって束縛してた。別れた時、次は浮気性じゃない人と付き合おうって思った。二人目は一年くらい私にアタックし続けてきてた。最初は普通に可愛い後輩くらいにしか思ってなかったんだけどいつの間にか意識してて。浮気しないって思っていたのに、連絡を控えようって言われてた期間にSNSで知り合った配信者と通話してて、 私の誕生日に振られた。ずっとアタックし続けてきたくせに捨てる時はあっという間だった。このクズのせいで私は今でも恋愛するのが怖い。どんなに一途でも最後は捨てられるんじゃないかって思うの」 いつも優しく穏やかで、笑顔が絶えない朗らかな彼女からは想像もつかないほど苦痛に満ちた声が静かに個室に響く。そして彼女は顔を上げてまっすぐした瞳で私を見つめる。 「だからごめんね。結のことは好きでも付き合えないの。付き合ったらすごく幸せなんだろうなってこの一ヶ月で感じたよ。でも、私がこんな状態だし、最初から向き合ってくれてた結に申し訳ない」 話を全て聞き終わって、まず頭に浮かんだのは「幸せにしたい」という思いだった。今まで散々裏切られ続けてきたこの人を幸せにしたいと思った。愛にまっすぐなこの人は幸せになって報われないといけない。 「ねえさくら、知ってる? 人は運命の人に三人出会うらしいよ。一人目はあなたを変える人。二人目はあなたに傷を残す人。三人目が本当の幸せを教えてくれる人。私を三人目にしてください。やっぱりさくらと付き合いたいです」 「なんで? 本当にいいの?」 彼女は声を震わせながら泣きそうな顔でこちらを見た。 「うん、いいよ。三人目がいいです。私がさくらを過去の恋愛から解放させる。一緒に、幸せになろう」 私がそういうと「お願いします」と言ってくれた。私は彼女の 隣に移動して大粒の涙を流す彼女に肩を貸す。そして、絶対幸せにしようと心に誓った。
あなたとぼちぼち、【20】
「朱音、話がある」 「どうしたの? そんなに改まって」 「雄真さんから藍莉を引き取りたいという連絡があった」 「雄真って……藍莉のお父さんの?」 心臓を締められた。 夜、仕事帰りの父から告げられたのは最低最悪の話だった。 早沢雄真。藍莉の父で、母さんが亡くなってから我が家に引き取られるまで藍莉と一緒にいた男。母さんを亡くしたショックから藍莉に当たり散らかしていた男。自己中心的で幼稚な性格だと父から聞いている。 「なんで今さら……。早沢雄真が自分で子供を育てられないから藍莉はうちに来たんでしょ?」 「藍莉には酷いことをしてしまったと反省している。心を入れ替えるからもう一度藍莉と一緒に住みたいんだと」 「反省してどうにかなる話じゃないよ。ていうか、藍莉って父さんと養子縁組したんじゃないの?」 「その辺は話すとややこしくなるんだ。それで、雄真さんとは三日後の水曜日に我が家で話し合うことにした。朱音も同席して欲しい。とりあえず藍莉にも伝えてくる」 怒りが湧き上がってくる。娘に当たるような男が、娘の手を振り払うような男が、もう一度一緒に過ごしたいなんてよく言えたものだ。自分の気持ちで散々藍莉を振り回して。そんな人に子供を育てられるわけがない。 藍莉はここにいる方がいいに決まっている。母親が居ない辛さは誰よりも分かっているから、少しでも母親の代わりになれる ように、少しでも寂しさを忘れることができるように接してきた。 “自分がした苦労を妹にさせるわけにはいかない” この思いは誰にも負けないし譲れない。 それなのに、あんな男が……。 でも、法律上私はただの他人でしかない。 たかが同じ家に暮らす未成年がどうにかできる問題ではない。 実父が引き取りたいと言ったのならば十中八九、藍莉は早沢雄真に引き取られるだろう。強く思っているからと言って覆せるほどこの国の法律は甘くない。 漫画じゃないんだ。現実を見なければ。 二階から父が降りてきた。藍莉にも伝えたのだろう。 ドタバタと、転がり落ちそうなほど急いで階段を駆け下りる藍莉の足音が聞こえる。 「ねえ! おねえちゃんきいた?」 「うん。聞いたよ」 「もうばいばい? あえなくなっちゃう?」 「それはまだ分からないよ。……雄真さんは嫌?」 「ずっとおこってるからきらい」 「そっか」 予想通りの答えが帰ってきてどこか安心した自分がいる。やっぱり早沢雄真のことは嫌いで、私の事が好きなんだと都合のいい解釈をして、それに縋ろうとしている自分が気持ち悪い。 藍莉の言葉をエサに「本人が嫌がってるからここに居てもらおう」と主張しようとしている自分の下衆な心が嫌になる。そもそも主張する相手なんて誰もいないのに。 藍莉は大丈夫かと思ってそちらに目をやると小さな体を震わせながら俯いていた。しゃがんで顔を覗き込むと、目に大粒の涙を溜めていて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。 「藍莉、今日はもう早めに寝よう」 「いっしょにねてね」 「もちろん」 私の服の裾をぎゅっと掴む藍莉を見て誓った。 (藍莉にとって最善の選択をしよう) 早沢雄真より私の方が好かれているだとか、未成年だからどうとか、血の繋がりだとか、そんな下らない雑念は全部捨てて藍莉が心から笑えるような選択をしようって。 きっと私は今も、これからも、藍莉は我が家にいるのが一番いいと信じ続ける。 でも、自分の腰下くらいの身長しかない子供を、保護者に甘えたい盛りの子供を、自分のエゴで束縛するのは違う。 自分の欲のために他人の選択肢を狭めてはいけない。 もしかしたら、あんな実父でも一緒に過ごした方が藍莉のためになるかもしれない。 藍莉にとって最適になる可能性を秘めているのならば、どんな選択肢も残さないと。 きっと、そうするのが正しいんだ。
第5回N1 決勝 『輪』
私が産まれた日、恐ろしい嵐が木々を薙ぎ倒し、龍のように うねった川は村を流した。母は並外れた出産の苦しみを味わい、 私を産み落とした瞬間三日三晩眠り続けた。 そうして産まれた私は━━ 「ああ……悪魔の子だ」 時は十六世紀のフランス・ルーアン。木造建築物が美しい街 である。セーヌ川の流域に位置しており、古くから交易が盛んな 土地だ。そんなルーアンには一つの噂があった “マッシュウ家に産まれる女子は皆呪われている” ルーアン周辺を治めるマッシュウ家は二百年ほど前にイギリス との戦争で残した功績を称えられて爵位を与えられた。 いつからだろうか。マッシュウ家の女性は皆仮面をつけながら 出歩くようになり、ルーアンの民からは呪われている家と呼ばれて恐れられるようになった。 近頃ルーアンの民はある一つの話題に夢中だった。 それはマッシュウ家の長女・アンが伯爵夫人になるのではないかという噂だ。 「アン様がお見合いだってよ」 「ああ、例の悪魔の子か」 「今まで何回もお見合いをしてきたってのに、その相手が全員逃げ出しちゃあ意味ねえよな」 「ギャハハ! 違いねえや」 「なんたって悪魔の子だからな。誰が結婚したがるんだ」 当のマッシュウ家はというと、そんな民の下世話な話なんて耳 にも入らないほど慌ただしかった。高貴な伯爵家からただの男爵 であるマッシュウ家へお見合いの書状が届いたため、粗相のない ように一家総出で準備をしていたのだ。ただ一人を除いて。 広い屋敷の屋根裏に仮面で顔を隠し、真っ黒な服に身を包んだ 一人の少女がいた。アン・マッシュウ、今回のお見合いの主役だ。 慌ただしい屋敷とは打って変わって、屋根裏は呼吸の音が 聞こえるほど静かである。 「はあ……」 窓の外を眺めながらため息をつく。伯爵夫人になれるかもしれ ないというのに随分と憂鬱そうだ。するとアンは部屋の隅にある 三面鏡の前に立ち、そっと仮面を外した。 仮面の下からはまるで焼け爛れたかのような痣が現れた。 痣は右頬から服の中まで続くほど大きい。アンの着ている服はレースで作られているため、服の外からも体中に痣が広がっていることが分かる。黒い服を着ているのは少しでも痣が見えにくくするためだろう。 「こんなモノがあるから私は……なんて醜い痣なの」 恨めしそうな目で鏡の中の自分を見ながらそっと右頬のなぞる。外見から十六・七歳ほどの少女ということが分かる。年頃の女の子にとって、顔の半分を埋め尽くすほどの痣はあまりにも酷だ。 「痣が無くなれば、私も結婚できるのかしら」 「そんなことは望んでも無駄よ」 「お母様!」 驚いたアンが振り返ると、そこにはアンと同じように仮面を 着けた女性が立っていた。アンの母だった。よく見ると仮面の下 から赤黒い皮膚が顔を覗かせている。 マッシュウ家の女性が皆仮面を着けている理由は女性にのみ 現れる痣を隠すためだ。どういうわけか百年ほど前のある日、突然痣を持った女の子供が産まれた。国中から名医や妙薬を集めて その子にあげても治る気配がしない、最終手段として黒魔術師を 呼び寄せても治せない。 そして不思議なことに、その子が産んだ子供も、さらにその子供も皆同じような痣を持って生まれてきた。それからマッシュウ家の女性は醜い痣を隠すために煌びやかな仮面を着けて出歩くように なったのだ。 十六年前に産まれたアンは一族の中でもとりわけ大きな痣を 持っていた。さらにアンが産まれた日、突然嵐がやって来て マッシュウ家の領地に大きな打撃を与えた。川で村は流され、 大雨で山崩れが起き、多くの命が失われた。極めつけは、アンが 産まれてから屋敷で度々火災が起こるようになったこと。火種と なるようなものがない場所から何度も火災が発生し、その火は 決まって大きく燃え上がる。 火傷のように爛れた痣を持つ少女と度重なる火災。この二つを 結びつけてしまうのは仕方のないことだった。嵐を呼び、屋敷を焼き付くさんとするアンの力を人々は恐れ、やがて“悪魔の子”と呼ぶようになった。 「その痣は百年間続く呪いなのです。……伯爵様がいらっしゃったわ。粗相をしないように切り替えてちょうだい」 「分かりました」 アンは仮面と手袋をつけ直して母と共に伯爵が待ち構える部屋 へと向かった。アンの足取りは重かった。男爵家の長女である アンは今まで何度もお見合いをしてきたが、 痣と噂のせいでことごとく失敗した。どんな相手もアンの仮面の下を見ると逃げ出した。ルーアンの民からはもう年頃の女性なのに 結婚できない不良品だと後ろ指を指され、家族からは誰よりも 大きく醜い痣のせいで疎まれていた。今回も失敗したらいっその事どこか遠くへ逃げ出そうか。アンはそう考え始めていた。 「アン様が到着されました」 使用人の声と共に客間の扉が開かれた。 客間には白銀の髪と黄金色の瞳を持った長身の男がいた。紺色のタキシードに輝く銀髪がよく映える。 「これはこれは初めまして。リチャード・オベールと申します。 アン様、本日は良き日にしましょう」 「アン・マッシュウでございます。リチャード様、よろしくお願いいたします」 「早速ですが……アン様と二人きりにして頂けないでしょうか?」 「構いません」 「ありがとうございます」 使用人が客間の外へ出ると、リチャードは爽やかな笑顔でアンに微笑みかけた。 「アン様、単刀直入に言います。本日こちらへ訪れたのはアン様の呪いを解くためです」 「ええ?!」 「我がオベール家はかつて魔術を用いて王族に仕えた一族でした。当時の知識は現在も受け継がれています。マッシュウ家の女性は皆呪われていると風の噂で聞きました。年頃の女性に呪いは酷でしょう。私はあなたを助けたい。どうか私を信じていただけませんか?」 「本当に呪いを解けるのでしょうか?」 「ええ、やれることはやってみます。ただ私と結婚することが条件です。両親が何かとうるさくて……」 アンの返事は聞くまでもなかった。 * * * 「すごい……!」 半年後、オベール家にアンの姿があった。アンはマッシュウ家 とはまるで違うオベール家の華やかさに圧倒されている。薔薇の 芳しい香りが漂う庭園を抜けると屋敷の玄関が見えた。 わずかな荷物を持って王都にある屋敷にやってきたアンを リチャードは優しく迎え入れた。 「疲れていませんか?」 「馬車がすごく快適なおかげで疲れは感じません」 「それは何よりです。到着して早々申し訳ありませんが、早速マッシュウ家の呪いについてお話したい。書斎へ行きましょう」 書斎に着くとリチャードは本棚から古そうな書物を取り出して アンの前に並べた。 「これらは全部私がマッシュウ家の歴史と呪いについて調べた資料です。当事者の方に正しいかどうか確認していただきたい」 「━━母から聞いた話と大差ありません」 「調べていくうちに一つの仮説を思いついたのです。マッシュウ家はジャンヌ・ダルクに呪われているのではないでしょうか?」 「あのジャンヌ・ダルクに?!」 「ええ。マッシュウ家の系譜を辿るとある人物が現れました。それがジャンヌ・ダルク処刑裁判の裁判官を務めたジャン・マッシュウです。誰もが知っている通り、ジャンヌ・ダルクは不当な処刑裁判の末に命を落としました。もし彼女の魂が今もこの世に留まっているのならば、必ずジャン・マッシュウの一族を呪うでしょう。 ━━ああ、アン様を責めているわけではありません。ご先祖さまは職務を全うされただけですので」 「そんな……あの聖女ジャンヌ・ダルクに、私が?」 「可能性は高いです。アン様はご家族の中でもとりわけ強い呪いを受けたとお聞きしました。産まれた時からたびたび不審な火災が発生すると。ジャンヌ・ダルクは燃やされて死亡しました。マッシュウ家とジャンヌ・ダルクには切っても切れない縁があるのでしょう」 アンは用意されていた紅茶を一口飲んだ。喉は乾いていないが、紅茶と一緒に溢れ出てくる思いを飲み込まないとやって いけなかった。 救国の聖女ジャンヌ・ダルクを殺したのが自分の先祖で、 自分を苦しめている呪いはそのジャンヌ・ダルクによるもの。 こんなこと、一体誰が飲み込めようか。 「私はこれからどうしたらいいのでしょうか?」 「アン様は呪いを解きたいですか?」 「ええ、もちろん。小さい頃からずっとこの痣に苦しめられてきました。私だけでなく家族も。もう解放されたいです」 「分かりました。ジャンヌ・ダルクの呪いを解きましょう。私の友人に大聖堂で司教を務めている男がいます。その男に手伝うように伝えますね」 後日、アンとリチャードは王都の中心部にある大聖堂を訪れた。普段賑わっているはずの大聖堂はなぜか恐ろしく静かだ。 「やけに静かじゃないか。どうしたんだ?」 「解呪のために封鎖したのだよリチャード。ジャンヌ・ダルクの呪いは強大だ。ご婦人にはこれから約一ヶ月地下牢で過ごしていただく。その間、ジャンヌ・ダルクに対する懺悔の言葉を述べ続けなければならない。我々神父も交代で地下牢に入り、神へ祈りの言葉を捧げる。呪いを解くために必要なのは心からの懺悔と ジャンヌ・ダルクが置かれた境遇を体験すること。それを簡易的に再現したのがこの解呪方法だ。一ヶ月経てば呪いと同時に痣も消えるだろう」 「そんなに過酷なのか。アン様、大丈夫ですか?」 「必ず耐えてみせます。呪いに私の人生を邪魔されたくない」 「分かりました。ご案内します」 アンは司教に連れられて大聖堂の深部へと降りていった。階段を一段下がるごとに冷たい空気がヒヤリと肌にまとわりつく。 最下層にある地下牢は立っているだけでも震えが止まらなくなるほど寒かった。長年日光が当たっていないためか、牢の中はカビのような匂いがする。 「アン様、お達者で」 アンは迷うことなく牢の中へ足を踏み入れた。 * * * あれから何年か経った頃、王都はもうすぐオベール伯爵夫人が出産するというニュースで賑わっていた。銀髪と黄金色の瞳が 美しい伯爵と、まるで絹のような黒髪と陶器のように輝く肌を持つ伯爵夫人は王都でも有名な夫婦だった。 かつて自身の運命を恨んでいた仮面の少女はもういなかった。 アンは自分のため、家族のため、まだ見ぬ子供のために戦った 強い女性へと変貌していた。 「ねえリチャード、私怖くなってきたわ。本当に子供を産めるのかしら」 「大丈夫さ。僕がいる。ジャンヌ・ダルクの呪いはとっくの昔に解けた。心配することは何もない」 だがしかしアンの出産の日、王都に激しい嵐がやってきた。風は吹き荒れ今にでも家に押し入ってきそうなほど強い力で窓を叩いている。大雨は容赦なく降り続け、芳しい香りを放つ薔薇を次々に 泥まみれの地面へ落とした。 「ゔぅ……うわあぁ」 並外れた激痛がアンを襲った。 まるで火あぶりにされているかのような、得体の知れぬ何かが 腹の中を突き破ってきそうな痛みだ。 数分後、アンのうめき声は止んだ。 その変わりに産声が屋敷中に響いた。 産まれてきたその子を見たリチャードは━━ 「これが、悪魔の子か……」 * * * ねえ愛しいアン。 もしかして私から逃げられると思った? 自分もほかの女の子のような人生を送れるって? そんなことをしてはダメよ。あなたは一生私のモノ。 可愛いアン。 あなたは本当にジャンにそっくりねえ。 気弱で、優しくて、でもどこか強さを秘めている。 あの男は私に判決を下した時も泣いていたわ。 無罪の私を殺した時の絶望に満ちた表情。 私その時の顔が忘れられないの。 もう一度あの顔を見たいの。 でも、ジャンはなかなか現れなくて…… だからね、アン。 私の気が済むまで、あなたたちは苦しみ続けるの。 これから永遠に、ずうっと。 呪いはね、術者の気が済むまで繰り返されるのよ
第5回N1 尺魔の帝国 解説
・秋瑞《しゅうずい》…今作の舞台となった国 海産物も農産物も採れる豊かな国 大陸の東側一帯を支配している ・李継《りけい》…今作の主人公で秋瑞の宰相 烈帝は法律バカのため、その他の政務を全て担っている ・烈帝《れってい》…秋瑞の二十五代皇帝 本名・李烈《りれつ》 趣味は罪人を罰すること 自然と犯罪率が下がるので民からは 評判が良かった 人の心がない ・李秋《りしゅう》…李継の長男 城内で迷子になっていたところ 父親の話す声が聞こえたためよく分からない隙間から中に入ると裁判中の憲清宮だった あらまあ ・憲清宮《けんせいきゅう》…法に関わる政務を行う宮殿 法律の制定についての話し合いや裁判を主に行う 情報漏洩を防ぐため許可がないと皇族でも入れない ・鞭打ち…お尻ペンペンなんて比べ物にならないくらい痛い刑罰 皮膚なんか余裕で裂ける 回復に約一ヶ月必要 ・玉璽《ぎょくじ》…王様の使うハンコ 王様直々の書類である ことを示す 玉璽を叩き割る=皇帝に喧嘩を売る ・尺魔《しゃくま》…悪いことは沢山あるが良いことは一つもないということ いくら大義名分があって、いくら賛同を得ても従兄弟とその子を殺した李継は結局悪人です。子供が殺されたから仇を討つために 従兄弟を殺して、反乱を防ぐために幼い皇太子も殺して。 手に染み付いた血は消えません
第5回N1 尺魔の帝国
大陸の東に秋瑞《しゅうずい》という国があった。国土が海と 接しているため多種多様な海産物が採れ、また、国の内陸部には 大規模な水田が広がる豊かな国である。秋瑞は烈帝という皇帝が 治めていた。烈帝は法に通じており自ら罪人に裁きを下し、 世に知られずにいた悪を次々と暴いた。人として欠けてる部分は多々あったがそれでも民から見れば名君だった。 烈帝には有能な部下がいた。名を李継《りけい》と言い、五代前の皇帝の子孫で烈帝の従兄弟であった。李継は烈帝ほど法に通じているわけではなかったが、持ち前の明るさと気持ちの良い性格が 外交で力を発揮していた。烈帝の御世で戦争が起こらなかったにも関わらず領土が拡大されたのは李継の力が大きい。二人は国政の 要として民から支持を得ていた。 烈帝六年の冬、事件は起こる。 その日も烈帝と李継がいつものように裁判を行なっていた。 すると、どこから入って来たのか一人の男児が現れた。年齢には見合わない、紫に染められた生地に銀糸で煌びやかな刺繍が 施された衣を着ていた。着ている衣からも位の高さが伺える。 「ちちうえ!」 「なんだその童は」 「失礼しました。我が子の李秋《りしゅう》でございます」 「裁判中の憲清宮《けんせいきゅう》に入るのは重罪だぞ」 「お許しください。きっと間違えて入ってしまったのでしょう。 厳しく言い聞かせますので」 「ならぬ。法は絶対だ。例外など存在しない」 烈帝と李継が衝突し、憲清宮の空気は凍りついた。息をすることも許されないような緊張感が流れる。 玉座からは皇帝の怒りを買ってしまった幼子が震えていることが分かる。 「李秋は私の子で、あなたの従兄弟でもありますよ。陛下は幼い従兄弟をも処すのですか?」 「朕も心苦しい。しかし王族こそ法を遵守しなければならない。致し方ないことだ」 「陛下! どうか私の願いを聞き入れてください」 「くどいぞ李継! おい、誰か近衛兵を呼べ」 烈帝がそう言うと宮殿の扉が開き、甲冑を着て槍を手に持ったガタイのいい男たちが入ってきた。 「李秋が裁判中の憲清宮に侵入した。捕らえよ」 「まってください! ちちうえ!」 「李秋!」 憲清宮は混沌と化した。皇族を捕らえても良いのかと困惑する近衛兵、それに檄を飛ばす烈帝。父に助けを求めながら近衛兵に抵抗するも無力に連れて行かれる李秋、子を助けるため傍に駆け寄ろうとして取り押さえられる李継。正しく地獄だった。 「おいふざけるな李烈《りれつ》! 息子を返せ!」 「控えよ李継。そなたまで捕らえたくない。誰か李継を屋敷まで連れて行け。半年の謹慎を命じる」 「…………分かった」 聡明な李継はこれ以上抵抗しても何にもならないとよく理解していた。ここで下手に騒ぎ立てれば自分も牢獄に入ることになり、 李秋を救える者が居なくなってしまう。李継は近衛兵に連れられて屋敷へ戻った。 屋敷へ戻ったあと李継は考えた。あの法律バカには何を言っても聞く耳を持たない。ならばこちらも法で対抗しよう、と。 秋瑞の憲法では『裁判中の憲清宮への侵入は重罪』と定められている。侵入者への刑罰は良くて鞭打ち三十回、悪くて死刑だ。 どちらも幼子の李秋に耐えられるものではない。 しかし皇族には罪人に恩赦を与えることが出来る権利がある。 李継は烈帝の元へ使者を遣わし恩赦によって李秋を解放するよう求めた。 「陛下。李継殿下から『恩赦を使い李秋の解放を求む』との要求がありました。手続きに必要な書類はこちらに」 「分かった。善処しよう。一週間後、李秋の処遇を知らせると伝えよ」 烈帝の言葉を聞いて李継は安心した。いくら法に忠実な烈帝でもまさか従兄弟の子を鞭で打つようなことはしないだろう。ましてや死刑なんてもってのほか。刑罰があれば、せめて謹慎か剃髪くらいだろうと考えていた。しかしそれは甘い願いだった。 一週間後、烈帝の使者が李継の屋敷へやって来た。冷たくなった李秋と共に。 「おい、なんだ……これは。なぜ、なぜ李秋は息をしていない? なぜ動かないのだ」 「皇帝陛下のお言葉です。『裁判中の憲清宮に許可なく入ることは重罪であり、通常ならば刑罰は鞭打ち三十回とする。しかし、恩赦と李秋の年齢を考慮し鞭打ち十回への減刑とする』以上が李秋様の処遇でございます」 「待て説明になっておらん。なぜ李秋は動かない? 一体何があったのだ」 「我が国の法では罪人に治療を施すことは出来ないため、刑罰で受けた傷が悪化し亡くなられました」 「ふざけるな! 李秋はまだ齢六歳だぞ。そんな幼子に鞭打ちなぞ耐えられるわけがない。恩赦はどうなった? 元より皇族は減刑されるのではなかったのか! あの畜生め……よくも李秋にこのような仕打ちを! 許さん!」 李継は子を亡くした悲しみと烈帝に対する怒りで正気を失った。鬼のような形相で使者の持っていた烈帝の玉璽を叩き割り、腰に付けていた刀を抜き取って使者の首をはねた。 「兵を集めろ! 憲清宮に向かう。秋瑞に仕える皇族として人情すら持ちえない暗君を討ちに行かねばならん。あのような愚か者が皇帝として君臨すれば我が国はいずれ滅んでしまう」 「殿下お気を確かに! 早まってはいけません。あなたが朝敵となれば奥様や他のご子息、さらには領民まで被害が及んでしまいます!」 家臣に咎められた李継は振り上げていた刀を静かに下ろし、刀はそのまま李継の手から滑り落ちた。そして辺りの惨状になんて目もくれず一目散に李秋の元へ駆け寄り、冷たくなり始めた李秋の亡骸を抱き寄せた。 李秋の顔はすっかり痩せこけており、かつて皇族だった面影はこれっぽちもない。銀糸の刺繍が施された衣の代わりにボロ雑巾のような囚人服が着せられている。まともに治療をして貰えなかったためだろう。傷口から出た膿が布に染み込んで悪臭を放っている。 「李秋、ああ……李秋! どうか目を覚ましてくれ」 李継の泣き声は辺り一帯に響き渡った。その悲痛な叫びに釣られ家臣たちも思わず涙を流す。 先程から降り始めた雪は痛々しい体を隠すように李秋の上にポツポツと落ちていった。李秋が雪の衣を纏うほどの時間が流れても 李継は我が子の元から離れようとしなかった。 * * * 李秋の死から約三年の時間が経とうとしていた。李継は皇帝に 無礼を働いた罪で役職を剥奪され隠居していた。家財道具も没収 され皇族とは思えない生活を送っていたが、李秋の喪にふくすには ちょうどいい慎ましさだった。 李継が居なくなったあとの朝廷はというと、烈帝に進言できる 唯一の者が居なくなり独裁が始まっていた。李秋の事件で烈帝が 見せた鬼畜の片鱗は今や国中に広がっており、役人も民もいつ烈帝の怒りを買って殺されるかという恐怖に支配されていた。 かつて李継と双璧を成して国の犯罪撲滅に尽力した名君は居なくなっていた。 人々は李継が居た頃の朝廷を懐かしく思っていた。人当たりが 良く身分問わず親身に話を聞いてくれる李継は役人の間でも人気が高かった。李継が隠居した際に後を追って辞めた者も少なくない。烈帝による独裁で国中が疲弊している今一番必要なのは李継の存在だと、李継を朝廷に呼び戻し烈帝を討伐して貰おうとする動きが 広まっていた。 「数年戦える準備は整っています。兵も、武器も、殿下に使われることを望んでいます。どうか皇帝を倒しかつての豊かな秋瑞を取り戻してください」 「そなたらの願いは痛いほど分かる。だが……もうあの男と争いたくないのだ。あの男と争えば大事な者を亡くしてしまう。もうそんな思いはしたくない。他に適任者は居ないだろうか? 私以外の皇族でもいいのではないか?」 「……他の皇族の皆様も殿下と同様に追放されました。烈帝は反乱を危惧して何かと理由を付けては皇族を追放していきました。今朝廷に居る皇族は烈帝とその皇子だけです」 「そんな事態に……。そうか。あの男にも子が出来たのか」 「こんなことを言うのは卑怯だと思いますが……殿下は李秋様の仇を討たなくていいのですか?」 「!」 「私は三年経った今でも不当な理由で殺された李秋様が不憫に思います。……申し訳ございません。出過ぎた真似を」 「……よい。前向きに考えよう。ご苦労だった」 「朝廷で殿下をお待ちしております」 李継は自分が烈帝を討つことで民が救われることも、逆に国内が混乱することも分かっていた。三年間、烈帝が居なくなればと願わなかった日は無かった。しかし私情で皇帝を討てば国内が混乱すれば新たな反乱の種になる。そうすれば民はまた苦しむことになる。皇族ならば国益を最優先に考えるべきだと、想いを押し殺して過ごしてきた。 だが今最も国を乱しているのは烈帝に他ならない。 国賊を討つのも皇族の役目ではないのか。 それに、もし李秋の仇を打てるなら……。 * * * 決断した李継の行動は目を疑うほど迅速だった。宰相時代の人脈を駆使して賛同する者の協力を仰いで、わずか一ヶ月で十万もの 軍を作り上げた。首都へ向かう途中、各地で烈帝に対する不満を 持つ者も受け入れて軍はさらに拡大。 到着する頃には十万だった軍は五十万にまで膨れ上がった。対する烈帝の軍は緊急で集めた兵士二十万人。 どちらが勝つかは火を見るよりも明らかだった。 挙兵から三ヶ月、李継はついに憲清宮へ足を踏み入れた。 憲清宮は一足先に入った兵たちによって制圧されており、玉座に座っている烈帝以外は誰も居なかった。 「たかが皇族が皇帝に刃を向けるとは。やはり三年前に殺しておけばよかった」 「口を閉じよ李烈。自分の快楽のために国民を苦しめる外道が皇帝を名乗るな」 李継は玉座に続く階段を一歩一歩踏みしめながら登った。かつてここで捕らえられた李秋の姿が目に浮かぶ。やがて玉座に座る烈帝の前に立ち、腰に付けていた刀を抜いて烈帝に向けた。 烈帝は濁った目で恨めしそうに李継を見つめる。 「李秋の仇だ。あの世で詫びろ」 李継が振り下ろした刀は烈帝の首を通って真っ赤に染った。烈帝の首は鈍い音を立てながら階段を転がり落ち、龍袍を纏った胴体は玉座からずり落ちた。九年間皇帝として君臨した男の人生はあっけなく終わった。 「うえええええん」 玉座の裏から子供の泣く声が聞こえた。 目をやるとそこには禁色ーー皇帝のみが使うことを許される色で染められた衣を着た、かつての李秋を彷彿とさせる男児が居た。 「……李烈の子か?」 「このぎゃくぞくめ! ちちうえをかえせ!」 「そなたに罪は無いが李烈の子として産まれた自分を恨め。誰か皇太子をお連れせよ!」 「いやだ! はなしてよ」 「皇太子様こちらへ」 「まだ幼い。苦しませるな。……許せ、名も知らぬ従兄弟よ」 男児は抵抗も虚しく兵士によって憲清宮の外へ連れていかれた。 しばらくすると泣き声が止んだ。 李継はそれを見届けてから玉座に腰を掛けた。 憲清宮は三年前に子を喪った時と変わらない冷たさだった。 外ではまだ皇帝派の残党と反乱軍の戦いが続いるためか怒号が 飛び交っている。 憲清宮の中だけがまるで別世界のように静かだった。 国のため、我が子のため、従兄弟を殺した男は何を思うのか。 李継はただ自分の手を見つめていた。手は烈帝の首を跳ねた時に飛んだ血で汚れたままだった。 張り付く血液の感覚が気持ち悪くて、李継は何度も衣で血を 拭おうとした。 だがいくら拭っても衣が赤に染るばかりで血は取れなかった。 「喜べ李烈。私も貴様と同じだ」