井出元 悠来
2 件の小説無善悪
【矢隈亮平 ヤグマリョウヘイ】 四年前の九月二十日に、母親は死にました。ですがあの時も今も、悲しいとは思っていません。同情もしていません。昔から、母が嫌いでしたから。 自分の思い通りにならないとヒステリーを起こし、手を上げ暴言を吐く。「仕事で忙しい」と言って参観会や運動会、卒業式にも顔を出さない。ーーー母はそんな人でした。 「あなたのために働いてる」と言う割には、小遣いもくれず、欲しい物も買ってはくれませんでした。 ですが僕は、「寂しい」と感じたことはありません。母の対となるような、優しい父が居たからです。父だけが、僕を見てくれました。父が愛情を注いでくれればくれる程、僕は母を憎むようになりました。ーーー何故僕を見てくれないのか。何故僕を愛してくれないのか。気が付けば、僕は母を忌避するようになっていました。 僕が中学に上がると、母は深夜を回ってから帰宅することが多くなりました。父はそれを不倫だと決めつけ、毎日のように口論になっていました。 「おまえが男と歩いてるところを見た奴がいるんだ」 「同僚と仕事してただけよ。仕事だから仕方ないでしょ」 「毎日毎日残業なんておかしいだろ。男と遊んでるんだろ。さっさと認めろよ。亮平連れて出てくから」 「亮平も居るのに、あなたを捨てるはずないじゃない」 「亮平のことなんか見向きもしてないクセに」 「だから仕事で忙しいって言ってるでしょ。あなたみたいに遊んでる暇はないの」 確か、そんな会話をしていたと思います。 けれどあの日は、口論の内容が違っていました。 その日母は、ペンダントだの指輪だのを着けて十九時頃に帰って来ました。どこかで酒を飲んで来たのか、呂律が回っておらず、フラフラしながら僕の元に近寄ってきました。そして指輪を見せびらかしながらこう言ったのです。 「綺麗でしょ。月彦さんから貰ったのよ」 それを聞いた父は、母の髪を掴み上げ、頬を思い切りぶちました。父が人に手を上げるなど、今まで一度もありませんでした。 「月彦とは一体誰だ!」 「私を愛してくれる人よ」 「おまえ、やっぱり不倫してたんだな。今すぐ出てけ! 二度と俺の前に顔を出すな!」 「亮平と一緒に出てくって言ったじゃない。あなたの方から消えなさいよ」 「口答えするな! この馬鹿女!」 父は母を殴り出しました。さすがにまずいと思い、僕は父を止めることにしたのですが、父は「おまえまでこいつの味方をするのか」と言って、今度は僕を殴りました。 「おまえも出て行け」と言われ、恐怖のあまり僕は、自室に逃げてしまいました。ーーーそれがいけなかったのでしょうか。逃げずに警察を呼べば良かったのでしょうか。そうすれば、母が死ぬことはなかったのではないでしょうか。 自室に逃げ、三十分が経った頃、父の怒声と母の叫声は聞こえなくなりました。どちらかが出て行ったのではないかと思い、そっと、リビングに向かうことにしました。出て行ったのが母でありますようにと願いながらリビングに顔を覗かせると、横たわった母の前に、父が立っていました。母は目を開けたまま、ピクリとも動きませんでした。そして父の片手には、血塗れの包丁が握られていたのです。 声も出せず、ただ呆然と立ち尽くしていると、父が振り返り、少し困ったような顔をして「さっきはごめんな」と言いました。 腹から大量出血している母を見つめていると、父は「ここに居られると邪魔だから、山に埋めに行かないか」と言いました。断ったら自分も殺されるのではないか。そう思い、首を横に振ることはできませんでした。 車の助手席に僕を、後部座席に母を乗せ、父は心霊スポットで有名な雨巫女山(あまみこやま)に向かいました。 到着すると、父は車のトランクから大型のスコップを二本取り出したうえで母を抱え、僕を引き連れて山の奥へと進んで行きました。 死体遺棄だということは、当時の僕にもわかっていました。ですから父のように、何のためらいもなく土を掘り、死体を埋めるということはできなかったのです。しかし父は、「休んでんじゃねえ」、「おまえも殺すぞ」などと言って僕を震撼させ、死体を埋めるという行為を強要しました。 化けの皮が剥がれた父が、恐ろしくて憎くてたまりませんでした。 死体を埋めた三日後に、捜索隊によって母は発見され、父は殺人容疑と死体遺棄容疑で警察に逮捕されました。ーーーやっと解放される。そう思ったのに、父にも警察にも、「犯罪者(共犯者)」だと言われました。警察なら僕の味方をしてくれるだろうという期待は、あっという間に打ち砕かれていったのです。 僕を払い除けた人は、もう一人います。当時の担任の、黒代歩(コクダイアユミ)先生です。 四年前の九月二十四日、マスコミは父の供述を報道しました。「息子と一緒に埋めた」という、僕を完全なる犯罪者に仕立て上げる報道を。その日から僕は、同級生や先生から、いじめを受けることになったのです。 あらゆる所持品に「死ね」と書かれ、「犯罪者」というあだ名がつきました。 それらを一緒になって嗤っていたのが、黒代先生です。 「犯罪者だから、いじめられても仕方ない」。黒代先生の言葉を、今も、忘れることができません。 僕はどうすれば良かったのですか? 「犯罪者ではない」と抗議すれば、いじめは無くなったのでしょうか。泣くことしか、逃げることしかできなかった自分が、情け無くて仕方ありません。 あの日から僕は、大人に恐怖心を抱くようになりました。大人になりたくないと、強く思うようになりました。どうすれば、醜い大人にならずに済むのか。ーーータバコを吸う、酒を飲む、ゴミの不法投棄をする、虐待をする、性行為をする、というのが大人の証拠であるとして、故にそれらの行動をしないというのが、大人にならずに済む方法なのではないかと思います。 けれど橘先生は、「全員が醜い大人であるとは限らない」、「いつまでも守られる側の子供でいてはならない」、「あなたは守る側の、“綺麗”な大人になりなさい」と仰いました。確かに橘先生は、“綺麗”な大人に当てはまると思います。けれど僕は犯罪者です。僕が誰かを守っても、守られた人は嬉しくないのではないでしょうか。偽善者だと、罵るのではないでしょうか。僕はそれが怖くてたまりません。 どうすれば、犯罪者のレッテルを剥がすことができますか? どうすれば、罪を償うことができますか? 死ねば罪は贖えますか? それとも死は、ただの逃げに過ぎないのでしょうか。 常に世間の目に怯える日々にはもう、疲れました。 こんな僕と心から向き合ってくれるのは、橘先生しかいません。 だからどうか、助けてください。 * 【橘佳織】 月のように周囲を照らす、美しい人であってほしい。そんな意味を込められて名付けられた人を、懐かしいと感じた。あなたは今、何をしているのだろう。 あなたのせいで、彼は苦しんでいるのに。 あなたは罰を受けずに、家を出て行ってしまった。天罰は下ったのだろうか。今はただ、それだけが気になる。 かつては永遠の愛を誓った人。夢を共有し合った人。私はあなたを、本気で愛していた。 私の何がいけなかったのだろう。確かに顔は、あの女の方が綺麗だった。だがその他は、あなたに尽くしてきた筈だ。全て、あなたの言う通りにしてきた筈だ。あなたには、何が足りなかったのだろう。何が不満だったのだろう。結局今も、わからないままだ。 ーーー彼は何も悪くない。犯罪者なのは、あなたと、あなたの女だ。あの女のように、あなたも死んでしまえばいい。あなたの居場所はわかっている。だからすぐに、殺しに行くことはできる。だが私が警察に捕まっては、彼らと向き合うことができなくなる。それだけは避けたい。ならばどうやって、復讐ができるのだろう。いや、そもそもあなたへの復讐が彼を救う行為だとは限らない。ならば彼を救う方法は何か。 母親のような愛情を、注ぐことではないだろうか。彼は母親の愛情を知らない。だから教えてあげるのだ。母親とは何かを。この身を挺して。 だからこそ、彼は永遠に苦しんでいてほしい。そうすれば私は、彼を永遠に、救うことができるから。
無善悪
【久世辰美 クゼタツミ】 容姿端麗な父母でした。しかし、それを引き継いだのは兄だけです。 僕は家族の誰一人とも似ていません。醜く吊り上がったこの目はきっと、顔も名前も知らない、母の不倫相手に似たのだと思います。 僕の顔を気に食わない父からよく、暴力を振るわれていました。警察に訴える勇気もなく、六年もの間、僕は父の道具として生きていました。 母はある日(夜中だったと思います)、意識が朦朧としている僕を叩き起こして言いました。 「逃げましょう」 と。返す言葉に悩んでいると、母は無理矢理僕にランドセルを背負わせて僕の腕を掴み、飛び出す勢いで外に出ました。 「走って」と言われたので、僕はとにかく走り続けました。 散々走った挙句に着いた場所は、おんぼろのアパートでした。 母は、玄関の扉を開けてすぐ左にある部屋に僕を入れ、「ここは安全だからね」などと言って僕を宥めました。母はようやく、僕を救ってくれたのだと思いました。 しかし数日後、父と兄は警察と共にアパートへやって来たのです。 父の怒りの矛先は僕ではなく母に向き、兄の怒りの矛先は僕に向きました。 「お前のせいで俺がどんな目に遭ったかわかるか?」 僕がいない間に、兄は父から暴力を振るわれていたようで、体中、痣と火傷の痕だらけでした。 兄から暴行されるのは初めてでした。兄を置いて行った自分が悪いのだと反省し、謝りましたが、許してくれず、年を重ねていくごとに兄の悪行はエスカレートしていきました。 僕が中学に上がった時には既に、母は性病に罹り、寝たきりの状態になっていました。 母が壊れていくごとに、僕も壊れていきました。僕はある日、いじめの主犯を殴ったのです。 「辰美ちゃん」が僕のあだ名でした。僕が女のような名前、女のような白い肌であったからです。 その他にも僕には、いじめの材料になりそうなものを持っていました。 普通じゃない、ということです。僕は人の目を見て会話することができず、そして質問をされた際には、答えるまでに十秒程時間がかかってしまうのです。人の目を見ればその人の感情がわかってしまうから、唯一の答えを探してしまうからです。 そんな僕を一番に面白がっていたのが、松田健也という同級生でした。 「女みたいで気持ち悪い」が彼の口癖でした。 彼と、その取り巻き達は、上履きに画鋲を入れたり、「日焼けさせてやる」と言ってライターで体を炙ったりして僕の反応を楽しんでいました。 その日は火炙りだけでは済みませんでした。「本当に男か確かめてみよう」と言って、彼は、僕のズボンを脱がせようとしたのです。抵抗しても「やめろ」と言っても無駄でした。僕の陰部が露になると、彼らは一斉に笑い出しました。 その瞬間に、恐怖の糸がプツリと切れたのです。彼らを視界に入れただけでガタガタと震えていた恐怖が、死ねばいいという憎悪に変わったのです。 僕はもう、我慢の限界だったのだと思います。感情を抑えることができなかったのですから。 「なんだその目つき」 彼が僕に言いました。憎しみという感情が、外部に漏れ出ていたのです。 「調子乗んなよ、お前」 僕の胸ぐらを掴んで殴りかかろうとした時です。 僕は咄嗟に彼を、殴りつけてしまいました。 「は?」と言って彼は、よろめくこともなく僕の顔を見つめました。 もう一発殴ってやろうかと思いましたが、彼の取り巻き達に押し倒されてしまい、それは叶いませんでした。 家には兄が、待ち構えていました。兄に対してもまた、憎しみの感情が芽生えていましたが、それを表に出せば兄は何をしでかすかわからないので、恐怖の演技をしました。 兄に服を脱がされ、兄は僕の胸部にできた火傷の痕を舐めました。先程焼かれたばかりなので、僕はあまりの痛さに「痛い」と口に出してしまいました。「痛い」は、兄が喜ぶ言葉です。行為が悪化していくほど痛みは酷くなり、僕は抵抗することにしました。気に障ったのか、兄は僕の首に手をかけました。 「気持ちいいだろ」 兄はほくそ笑んで、そう言いました。苦しさに耐え切れず、僕は兄の両手の甲を引っ掻きました。すると首を絞める力が弱まったので、僕は兄に「クズ野郎」と叫んでしまいました。怒りを抑えることができなかったのです。 「お前まで俺を馬鹿にするのか‼︎」 兄は何度も僕に拳を振り下ろしました。 「謝れ‼︎今なら許してやるから早く謝れ‼︎」 と鬼の形相で言い、再び僕の首を絞めました。先程とは比べものにならない程の力で、です。爪を立てても、今度はびくともしませんでした。 視界がぼやけてきた丁度その時、インターホンが鳴りました。 「和弥(カズミ)、居るんだろ」 大声で兄の名前を呼び、窓ガラスを叩く男性。ーーー兄の担任の教師でした。 途端に兄の手が緩んだので、僕は兄から逃げることにしました。むせ返りながら外に飛び出し、急いでアパートの敷地から出ました。 特に行きたい場所もなく、僕は街中を彷徨うことにしました。 あてもなく歩き続けるということは、よからぬ思考が頭を支配するということです。僕はその時、「死にたい」という思いが頭を擡げました。 死んで楽になりたいと思いました。 それでも死ねなかったのは、ただ単に死ぬ勇気がなかったからです。ロープを見ても、橋の下を見ても、死ぬ勇気は湧いてきませんでした。 痛いのも嫌、苦しいのも嫌、という甘ったれた理由があったからです。 そんな理由で僕は死ぬことを諦め、家に帰りました。 兄は部屋の片隅で、爪を噛んで座っていました。また殺されかけるのではないかと思い、土下座をして謝りましたが、兄は僕のことなど見てくれず、どこか遠くを見ていました。 兄は大人を恐れていました。大人には、逆らうことができないのです。父親から、そして祖父母から、はたまた教師から暴行されてきた兄は、大人を悪鬼のように捉えているようです。だから大人には、暴力も暴言も吐きません。 僕も兄に暴力を振るえば、暴力を受けずに済むのではないかと一度考えたことがありますが、兄の方が力がありますし、兄はきっと僕を本気で殺そうとするだろうと思い、実行するに至っていません。 僕はこの先、どう生きれば良いのでしょう。 なんて、悠長なことを言わずに死ぬのが正しい選択なのだと思いますが、死ぬにはまだ狂気が足りていません。どうしても僕は、明日に期待してしまうのです。 要は“生きてきた”ということを無駄にしたくないのです。ここまで“生”を耐えてきた報いを、明日に期待してしまうのです。 報われるために生きるというのは、美しい生き方なのではないでしょうか。夢を持たない、努力しない人間よりも、何倍も価値があるのではないでしょうか。 報われるために生きるというのは、不幸であり、辛苦です。ですが僕は、不幸と辛苦を恨んでいません。自分を恨んでいるのです。普通になれない、醜い自分が、憎くてたまらないのです。 ですが先生は、「行動次第で自分はいくらでも変えられる」と仰いました。なので僕は、一つ、行動を起こしてみようと思います。吉が出るか凶が出るかはわかりませんが、行動することに意味があると思うので、たとえ凶が出ても、自分を責めないようにしたいと思います。 そして、美しく、価値ある“人生”を、もう少し、生きてみようと思います。 * 【橘佳織 タチバナカオリ】 四歳から虐待されてきた彼の手記を読んで私は、初めて、彼の苦悩を知った。彼は、いざ私と向き合うと、「困ってることはない」と言って、真実を語ろうとしない。 「自分を変えたい」が、彼の唯一の、私に対しての訴えだった。自分を変えるために出た彼の行動は、母親のために訪問介護員を家に呼ぶというものだった。凝然としていた彼が自ら行動するというのは、素晴らしいことではないだろうか。“普通”という名の理想郷に、近付けたのではないだろうか。 “普通”は、人によって違う。だが「“普通”になりたい」という意思こそが本当の“普通”なのではないかと、私は思う。 だからどうか、自分を責めることなく、茨の道を進むのではなく、もう少し平坦な道を歩んでほしい。自分に自信を持ってほしい。自信を持たせることができるのは“自分”しかいないので私にはできないが、平坦な道を用意するのは、私にもできるだろう。 彼を救えるのは、私しか居ない。故に、彼を最後まで救わなければならない。だがそれに、嫌悪感を抱くことはない。 私だけが、彼を愛しているのだから。 だから私には、彼を幸せにする権利がある。 死は決して悪いことではないが、彼が自死することは許さない。 彼は私だけのもの。彼は私だけの、宝物ーーー。