白猫やまと
2 件の小説第3回NSS Opus
先生は結核で亡くなる前、最後に私にこの言葉を残した。 「ピアノの音色というのは、この世の芸術の中で最も抽象的なものだ。それゆえに聴者の想像力を掻き立たせ、同じ曲でも、川のせせらぎにも雷鳴轟く大豪雨にも感じさせることができる。 これは一重に、ピアノ音楽が楽器と楽譜と奏者からなっているからだ。たったの三つだからこそ想像力が促されるのだ。 しかし、ピアノの音色が完璧でなくては、想像力は死んでしまう。完璧な楽器、熟練された完璧な奏者、そしてなにより完璧な楽譜、これがあって初めて想像力は生まれる。 私が提供できるのは最後の一つだけとなってしまった。だが、ピアノが弾けなくとも、この脳が動き続ける限り、私は曲を作り続ける。足りない二つは君が補うんだ。私の作品に、魂を吹き込んでやってくれ……」 三日後に先生は亡くなった。残された先生の遺作、魂を吹き込むのは私の役割。真の完成への道は私に託された。 「紳士淑女の皆様、この度はコンサートへお越しいただき誠にありがとうございます。それでは早速、演奏へ移ります」 「フレデリック・ショパンで、ノクターン 第二十番 嬰ハ短調『遺作』です」
【第8回N1】ルードヴィヒ
「さようなら。互いに愛し合ってくれ……無限の苦しみから、死こそが、私を救い出してくれるのでは?」 これは私の祖父が大切にしていた本の冒頭である。この本を見つけたのは祖父の葬式から帰り、遺品整理をしている時だった。今から200年ほど前に生きていた作曲家の言葉らしい。詳しくは知らないが、祖父は若い頃音楽家を目指していた時期があり、この本はルードヴィヒという音楽家の本だと少し教えてくれた。しかし、当時小学生だった私は、何故祖父がそこまで大切にするのか、理解ができなかった。その事を思い出した私は、祖父が大切にする理由をもう一度探してみようと思い、本を手に取り、そして先の文の続きを読み出した。 1770年12月、真冬のドイツで彼は生まれた。名前はルードヴィヒ。 ルードヴィヒの父、ヨハンは音楽家であった。彼はモーツァルト親子のような関係に強く憧れを持っており、息子をモーツァルトのような音楽家に育てようと、ピアノの教育に熱心になったのだった。 ルードヴィヒは3歳の時からピアノ教育を受け、7歳で演奏会を開き、11歳という若さで初の出版を遂げることとなった。これは父の鬼の様な教育のおかげだろう。 しかし、その鬼の様な教育は、時に凄まじいものとなっていた。ルードヴィヒが曲を弾き通せるまで食事を与えなかったり、夜中に叩き起こし練習をさせたりなど、虐待じみた事もあった。そして、ヨハンはその後、アルコール中毒になり失職し、ルードヴィヒの弟たちにも暴力を振るうようになる。このような幼少期の出来事が、ルードヴィヒの性格を暗いものに変えてしまったのである。 ルードヴィヒは11歳の初出版を終えた後、作曲を学んだ。16歳の頃にウィーンへ行き、ルードヴィヒも尊敬するモーツァルトの前で即興演奏をした。モーツァルトは演奏を聞き、天才だと賞賛したと言われている。それからもルードヴィヒは大物の作曲家に認められ弟子入りし、才能を咲かせていくこととなった。 ルードヴィヒが20代後半になる時、運命は近づいて来たのである。ルードヴィヒの耳は徐々に不調になり、音が聴こえづらくなって来ていた。原因は未だ断定されていない。色々な方法の治療を試みたが効果は得られなかった。 難聴はどんどん進み、30代を迎えた時には生活に支障をきたす程までになり、ルードヴィヒをどんどん弱らせていった。そこでルードヴィヒはウィーンの北部の村で遺書を書いた。彼はすでに死の覚悟をしていた。 しかし、ルードヴィヒの音楽への想いはその迫ってくる病に勝るものだった。今では世界の傑作である「交響曲第3番《英雄》」をこの時期に作り上げたのである。他にも《フィデリオ》や「交響曲第6番《田園》」など様々な天才的なものが演奏された。そして、ルードヴィヒの不朽の傑作だといわれる「交響曲第5番《運命》」を30代前半に発表したのだ。この作品はルードヴィヒの作曲の中でも最も名作だと言われるものの一つであり、交響曲の中でも、最も緻密に作曲されたものとなっている。この時期のルードヴィヒの作品は、世界で良い評判を多く受け、「傑作の森」と呼ばれるようになったという。 40代半ばになった頃、ルードヴィヒの耳はほぼ完全に聞こえなくなった。それに追い打ちをかける様に、ルードヴィヒは肺炎を患ってしまう。その影響で普段の行いも悪くなり、自殺未遂まで起こし、作曲にも影響を及ぼしていた。 だが、やはりルードヴィヒの音楽への想いはそんなものでは終わらなかった。その後も音楽史に名を残す傑作を次々に生み出していったのだ。ルードヴィヒの独創性や精神性は他の誰よりも高いものだった。その才能を見抜き、音楽史は彼の名をいつまでも刻み続けているのであろう。 私は最後のページをめくった。ルードヴィヒは最後、56歳にして肺炎で亡くなった。死の瞬間、閃光と共に雷鳴が轟き、彼は右手をあげ、拳を握り締めた。という逸話も残っている。 私は読み終えた後、壮大な彼の人生に圧倒された。祖父がこの本を大切なものとして持っていた理由がわかった気がした。音楽家として、ルードヴィヒの音楽への想いの強さに尊敬の念を抱いたこと、彼の天才的で誰にも負けない独創性や精神性が生んだ、ルードヴィヒの人生全ても圧倒されるものだったからだろう。 そして、遺書は最後に初めの文に戻った。 「さようなら。互いに愛し合ってくれ……無限の苦しみから、死こそが、私を救い出してくれるのでは?」 これこそが、かの有名な、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの人生であった。 完読した私は、シンパシーや感動とは別の、流したことのない涙を流していた。そして、脳裏には微かに月光ソナタが流れていた。