美優
26 件の小説二十六話 抱きしめたい
「!? どうしたの?」 私の言葉には答えず、大ちゃんは私を抱きしめる腕にさらに力を込める。 私の耳にかかる彼の息がだんだんと荒くなる。 「キス……して……いい?……」 少し上ずった切ない声で聞いてくる。 私が黙っていると、彼は私の耳たぶに軽くキスをし、そのまま首筋にそっと唇を押し当てた。 「あっ……」 思わず声が出てしまう。 私の反応を見た彼は、さらに切なげな声で、 「唇……キス……したい……」 と囁きかけてきた。 「あ……それは……」 どうしよう。 付き合っているわけでもないのに…… 六歳も下なのに…… 私の気持ちが伝わったのか、大ちゃんは急に体を離すと、 「ごめん。少しそこらを散歩してから戻ろうか」 と私の頭を優しくポンポンとした。 * 「キャッ」 車を降りると足場が少し悪く、高めのヒールを履いていた私はふらついた。 うわっ、歩きにくい。 「そんな靴を履いてくるからだよ」 大ちゃんは少し笑い、車の後部座席から昼間の買い物で私が一目惚れして購入したサンダルを取り出した。 「え? いいよ。汚れちゃうよ」 「いいから! 早く! 時間なくなるよ!」 半ば強引にサンダルへ履き替えさせられ、海岸沿いをペタペタ歩く。 「あはは、ミューズ。ペンギンみたい!」 「ミューズとかペンギンとか言うなっ! サンダル大きくて歩きにく~い」 「手間がかかるなぁ。オバサンはこれだから笑」 「オバサン言うなっ! 大体……」 文句を言いかけた私の手を、大ちゃんが取る。 「何かすごく楽しい。朝までここにいようか?」 「何言ってるの。山田さんに怒られるよ!」 「嘘だよ笑 みんなでミューズのお祝いしなきゃ。少し歩いてから戻ろ」 大ちゃんは私の手を取ると、しっかり繋いで歩き出した。 夕暮れ時の海は風が心地よく、薄い青色を残した夕焼け空は、見上げるだけで心を癒してくれるようだった。
二十五話 抱きしめたい
「ね? つけていい?」 「うん」 早速付けてみる。 「うん。良かった。似合う」 ほっとしたように笑う大ちゃんの笑顔にドキドキした。 車内に少し気恥ずかしい空気が流れる。 「そうだ、これ! ちょっと入れてきたから」 大ちゃんがウォークマンを取り出し、イヤホンの片方を私に渡してくれた。 二人でイヤホンを片方ずつ付けると、Mr.Childrenの「抱きしめたい」が流れ出した。 わざわざ入れてきてくれたんだ…… うっとりと聴き入る。 「こういうのいいね」 「うん。抱きしめられたいって思うこととかある?」 大ちゃんが聞いてくる。 「そうだね。疲れてる時に癒やされたいとか。でもやっぱり、大好きな人に大好きな気持ちを伝えたい時、伝えられた時かな。抱きしめられたいし、抱きしめたいよ」 「そっか……」 大ちゃんは短く答える。 「男の人は違うの?」 「……同じ……」 大ちゃんは短く答えると、そっと私を抱きしめてきた。
二十四話 ブルームーンストーン
5月〇日。 お昼に、車で行くという大ちゃんと私の最寄り駅で待ち合わせをした。 時間より十分早く着いたが、駅のロータリー横の駐車スペースには既に大ちゃんの車があり慌てる。 「お待たせしてごめんね」 「いや、大丈夫。少し早く着きすぎただけですから」 大ちゃんが笑顔でそう答える。 今日は表情が柔らかいな。 良かったぁ。 大ちゃんのアドバイスのおかげで買い物も滞りなく済み、時計を見ると四時だった。 「どうする? 一時間くらいで戻れるから中途半端な時間だね?」 と聞く私に、 「少しドライブでもして帰りましょうか」 と大ちゃんが答え、車を発進させた。 着いた先は海だった。 「わぁ、風が気持ちいいね」 開けた車の窓から、気持ちの良い海風が入り込んでくる。 喜んでいる私の横で、大ちゃんが後部座席に置いてあった自分のカバンをゴソゴソと探り始めた。 「これ……」 「え?」 「ほら、これ!」 大ちゃんの顔が赤い。 真っ赤な顔をしながら、私に綺麗なリボンの付いた小さな箱を押し付ける。 「誕生日のお祝い。それと、いつもお世話になってるし……ありがとう」 「えっ? えっ? ありがとう。あの……開けてもいい?」 「あ、うん」 箱を開けてみると、中には小さな宝石の付いたピアスが入っていた。 パステルカラーのようなホワイトに、少しブルーが混ざっている。 「綺麗…… 何か不思議な色だね」 「ブルームーンストーンって言うらしい。売り場の人が教えてくれた」 「誕生石をもらうと幸せになれるとか、何かいいらしいんだって……言ってた」 買うの恥ずかしかったんだろうなぁ。 大ちゃんの顔は、湯気が出そうなほど赤くなっていた。
二十三話 ブルームーンストーン
それから特に何の変わりもなく日々が過ぎた。 大ちゃんは私のことを以前と同じように「田村さん」と呼び、やや淡々とした態度も変わらない。 休憩時間も他のスタッフがいるため、何となくみんなで雑談して終わるというパターンだった。 でも、 「神谷君、例の食事会は明後日でも大丈夫かな? 山田さんも行けるらしいし」 と有希が伝えた時には、みるみる嬉しそうな顔になり、 「もちろん! よ~っし、ユッキーのおごりでいっぱい食べよ~!」 と気さくに答え、 「え~? それを言うなら山田さんに言ってよね笑」 と笑う有希と楽しそうにふざけ合っていた。 何か…… ちょっと寂しいような…… 大人気ないと分かりつつも、少し拗ねている自分に気づき、その場をそっと離れて店内に戻る。 店内にいた店長が私に気づき、 「田村さん、ここのディスプレイそろそろ変えたいから、必要な装飾品を買ってきてくれるかな?」 と声をかけてきた。 「あ、はい。急ぎますか? 急がないなら明後日が休みですから、市内の方に遊びに行って、ついでに買ってきますけど」 「いいよ。どんな風にするかはお任せするから、悪いけど頼むね」 店長がニコニコと答える。 装飾品はどんなのを買おうかなぁ? 初夏だから緑の葉っぱ系? 花なら何がいいんだろう。 考えているうちに少し楽しくなってきた。 少しニヤニヤしながらバックヤードに入ると、有希と大ちゃんが作業をしており、 「美優ちゃん、顔がにやけてるよ?」 と有希に突っ込まれた。 「やだ。そう? 店長に装飾頼まれてね」 と説明すると、 「そういうの考えるの楽しいよねぇ」 と有希も頷く。 「それならグリーンをこういう風に使って、こうしたら映えるから……とか、あらかじめ図を描いておいて、それに合わせて買えばいいんじゃないですか?」 と二人の話を聞いていた大ちゃんが、小難しいことを言い出した。 うっ…… 何も考えてなかった…… 「さっすが神谷君だね。ねぇねぇ神谷君、神谷君もお休みでしょ? 美優ちゃんのお買い物について行ってアドバイスしてあげてよ」 有希が、一人でうんうんと「そうしよう」とばかりに頷いた。
二十二話 ミューズと大ちゃん
「何を見てるの?」 下から声がした。 神谷君が私のひざに頭を乗せたまま、私の顔を見上げている。 「月……少し青っぽく見えない? 綺麗……」 「そう? 青っぽいというより、グレーっぽくない?笑」 神谷君は少し笑いながら起き上がると、 「今日は本当にごめんね」 と申し訳なさそうに言った。 神谷君の口調がいつの間にかタメ口になっていたが、私は気づかないふりをした。 「いいよ。それより何か嫌なことでもあったの?」 「何もないよ」 「そうは見えなかったけど……本当に?」 食い下がる私に神谷君は答えず、 「ねえ、田村さんの名前ってなんて読むの? ミユウ? ミユ?」 と聞いてきた。 「ミユだよ。店外では有希がそう呼んでるでしょ?」 接客業の私達は、仕事中の店内では全員を名字にさん付けで呼び、店外ではそれぞれの名前やあだ名で呼び合っていた。 「そういえばそうだね。でもユッキーさんが言うとミューに聞こえちゃう笑」 ユキという名前に付けられやすいユッキーというあだ名は、既に勇人が有希に付けていた。 「僕も田村さんにあだ名を付けようかな?」 「いいけど、何て?」 「ミユだからミューズ」 「ミューズ? 芸術の神の?」 「ううん。薬用石鹸の」 …… 絶対そう言うと思った…… 「じゃあ私も付けちゃうよ! 大輔だから大ちゃんだねっ!」 「単純だなぁ」 薬用石鹸ミューズには言われたくないわ…… でも、そんなくだらないやり取りが何だか楽しかった。 六歳も下の十代の男の子相手なのに、心がウキウキし始めていた。 ふと気づくと、大ちゃんが真面目な顔でこちらを見つめていた。 くっきりとした綺麗な二重…… 吸い込まれそうな目…… 大人びた表情…… 何故か急に怖くなり、 「さ、帰ろうか! 遅くなりすぎるとお母さんが心配するよ!」 と慌てて視線を逸らす。 「心配……?」 大ちゃんは何か言いかけたが、 「はい。明日お互い早番ですしね。今日は本当にお世話になりました。おやすみなさい。ありがとうございました」 と敬語に戻り頭を下げると、自分の家の方向へ急ぎ足で帰って行った。
二十一話 ミューズと大ちゃん
「ど、どうしたの? 眠い?」 少し驚いて聞く私に、 「お願い……少し……寝かせて……」 と神谷君がそっと私のひざに頭を乗せ、そのままスヤスヤと寝息を立て始めてしまった。 もうっ! 誰かに見られたら恥ずかしいじゃないの! 周りを見回してみたが、電車の終電時刻も過ぎた駅のロータリーは誰一人通る様子もなく、わずかな外灯と月明かりだけが辺りをほのかに照らしていた。 下に視線を落とすと、私のひざの上に神谷君の頭がある。 やだな、もう。 恥ずかしい。 でもこの子…… 私は寝ている神谷君の顔をまじまじと見つめた。 彫りの深い顔立ち。 くっきりとした綺麗な切れ長の二重。 意志の強そうな口元。 つくづく整った顔立ちをしているなぁ。 十八歳にはとても見えない大人びた容姿。 でも……中身はつくづくお子ちゃまだよなぁ…… その時、神谷君が少し身じろぎした。 私は慌てて視線を空へ移す。 月が綺麗…… 満月は薄く雲がかかっているせいか、やや青みを帯びているように見えた。
二十話 ミューズと大ちゃん
「神谷君、家まで送るから住所言ってくれる?」 私はタクシーに乗り込むと、神谷君にそう聞いた。 「あ~、〇〇駅でいいです」 〇〇駅は私の家の最寄り駅で、家はそこから近い。 でも神谷君の最寄り駅は確か隣の駅では? 「えっ? 神谷君の家って隣の駅の方が近くなかった?」 「大丈夫です。実は酔いをもう少し醒ましてから帰りたいんです」 「でもそこから歩くの? タクシーの意味ないよ?」 押し問答している私達に、 「〇〇駅でいいんですか?」 と、タクシーの運転手さんが少し急かすように聞いてきた。 「あ、すみません。はい、お願いします」 慌てて返事をすると、タクシーは〇〇駅へ向かい、私達はそこで降りた。 駅前のロータリーはもう人っ子一人おらず、静まり返っていた。 神谷君はロータリーのベンチに腰を下ろし、ふぅとため息をついて、 「今日は本当にすみませんでした」 と謝ってきた。 「未成年がお酒飲むからだよ! 反省しなさいよ!」 とたしなめながら隣に座ると、 「うん……」 と言いながら、神谷君が私の肩にそっともたれかかってきた。
十九話 酔った神谷君
「神谷君!待って!!」 慌てて後を追いかける。 フラフラと歩く神谷君の腕を掴み、 「とりあえず戻ろう。」 と声をかけるが、 「大丈夫です。ご迷惑かけてすみませんでした。」 と歩き出そうとする。 「ちょっとここで待ってて!私の家も神谷君の家と同じ方向だから、タクシーで送るから!」 と神谷君を待たせて店に戻り、店長達に事情を話した。 店長は 「僕が神谷君を送って行きますよ。」 と言ってくれたが、副店長の勇人の 「店長は他の子の面倒を見てあげて下さい。神谷の事は僕に任せてくれませんか?」 との言葉に、 「山田君の方がいいかもしれないな。悪いけど頼む。」 とアッサリ引き下がった。 神谷君が本当に尊敬して慕っていたのは勇人なのだと、店長も薄々感じ取っていたのかもしれない。 私と勇人が店を出ると、有希も黙って一緒についてきた。 私達が神谷君のいる場所に着いた時には、神谷君は多少フラフラしながらも、だいぶ正気を取り戻していた。 勇人が神谷君に近寄り声をかけている間に、近くのタクシー乗り場の様子を見に行くと、幸いあまり人がおらず、タクシーにすぐ乗れそうだった。 戻って神谷君を連れてタクシー乗り場に向かう。 「じゃあ……」 神谷君を先にタクシーの中に押し込みながら言いかけた勇人の言葉を遮るように、 「美優ちゃん。家が同じ方向でしょ?送っていってあげて?」 有希が優しく言った。 「えっ?」 と勇人も私も同時に聞き返したが、有希はそっと勇人の腕を掴んで引き戻しながら、 「神谷君が……甘え……美優ちゃ……頼むね」 とボソボソと小声で何か囁いてきた。 「えっ?」 と聞き返そうとした私に、 「お願いします。」 と、有希は優しくそう言うと、小さく手を振った。
十八話 酔った神谷君
「急だけど、明日みんな予定ある? 一応社員は全員出勤になってるし、閉店後に軽く親睦会やりたいんだけど。」 店長が言い出した。 その日の早番は神谷君。 有希と山田さんは中番。 私と店長は遅番だった。 とりあえず早番の神谷君と、30歳のパートの沖さん、それにバイトの大学生の子達数人のメンバーで先に始めていてもらい、後はそれぞれ仕事が上がり次第加わる事にした。 ところが閉店間際にちょっとしたトラブルが起こり、私と店長が親睦会の居酒屋に到着したのはかなり遅い時間になってしまった。 「遅くなりました~!」 と言いながら店内に入った私達の目に飛び込んだのは、ベロベロに酔っ払った神谷君だった。 「えっ?!えっ?!どうしたの?! 神谷君?」 驚く私達に、 「それが…… 私と山田さんが来た時には、既にかなり酔っ払っちゃってて……」 有希が困った様に呟く。 ほめられた話ではないが、当時は未成年に対する飲酒は今ほど厳しくはなく、高校を卒業して社会人になればお酒を飲む子も何人かいた。 神谷君はそんな私達の様子を無視して、不機嫌そうに更にビールを飲もうとする。 「ちょっ、神谷君もう止めとこう?」 慌てて止めに入ると、 「田村さんには関係ないです。放っておいて下さい。」 この酔っ払いめ…… そんな私達の間に割って入る様に、 「神谷!!もう止めとけ。」 店長が少し怒った口調でそう言った。 「すみません……」 神谷君はビールのジョッキから手を離すと、壁にもたれて目を閉じた。 親睦会はその後12時頃まで続き、皆が帰り支度を始めるまで神谷君はずっと寝ていたままだったが、 「起きろよ。帰るぞ。」 と勇人に起こされると、 「悪酔いしてしまいました。 本当にすみませんでした……」 と、フラフラと立ち上がり店の外へ出て行った。
十七話 少し早い誕生日の約束
パフェは予想以上に美味しくボリュームがあり、大満足の逸品だった。 「美味しい!さすが有希のオススメだけあるね!」 「気に入ってくれて良かった。 また食べに来ようよ。」 有希が満足気に頷く。 あ!食べに来ようよで思い出した。 「ねぇ神谷君と言ってたんだけど、1度山田さんも誘って4人で食事にでも行かない?」 昨日の神谷君との話を説明すると、 「うんっ!行く行く!5月のシフト表持ってるから、みんなの出勤状況を確認して日を決めようよ。」 有希はバッグから手帳を取り出すと、中に挟んであった翌月のシフト表を取り出して広げた。 2人でシフト表を覗き込む。 「え~と… あ!この日どう? この日は美優ちゃんと神谷君はお休みで、私が早番、山田さんは中番だから遅番よりは良くない?」 確かに。 他の日は誰かしらが遅番になっていたりしており、早めに行けそうな日はその日しかないように思えた。 「うん。私はいいよ~。 でも…その日誕生日なんだ…」 「えっ?誰かにお祝いしてもらう予定とかあった?」 「ううん。ないんだけど、自分の誕生日にみんなを食事に誘ってるのってちょっと…恥ずかしくない?」 「え~っ!考え過ぎだよ~美優ちゃん!それにね…」 有希は少しこちらに身を乗り出すと、 「美優ちゃんの誕生日をお祝いできそうな楽しみが増えて嬉しい。 絶対この日にしようね。」 と、シフト表のその日にちを指で軽くポンポンと突いた。