宮野浜
8 件の小説短絡
死とは、生きる現世で価値観の合わない者たちに与えられた、最後の慰めのように見えることがある。 法が秩序を作るのは、それが大衆の価値観や倫理に寄り添っているからだ。だが、その倫理や「常識」にどうしても馴染めない人間も存在する。人を傷つけたいと思ってしまう者、社会からはみ出してしまう者、理由もなく悪役に押し込められる者たちだ。 極端に言えば、「死んだ方がいい人間」がいるように見える世界でもある。 人には恋人や家族、友人、先輩後輩といった役割が与えられ、社会はそれらの関係で成り立っている。ならば、どこにも当てはまらない人間は、最初から「終わるため」に生まれてきたのではないか――そんな考えに辿り着く夜もある。 麻薬を広め、戸籍を売る人間がいた。 だが彼は、過去の震災で戸籍を失い、行方不明者となったが、たまたま裏社会に拾われて助かった。 それは不幸なのか、幸福なのか。 こんな奴が生きていていいと思うか、それとも同情するか。 個人の人生を単純な善悪で測ることはできない。人は常に相対の中に置かれ、均衡もまた相対的な思考でしか語れない。 僕は何度も思った。 自分はきっと、死ぬべき側の人間なのだろう、と。 世界の均衡のために、いない方がいい存在なのだろう、と。 きっとそういう人はたくさんいると思う。不幸の重みが相対的に低かろうとあなたにとっては絶望なんだもの。そりゃそう思うよ。 だが何度思っても、何度考えても、僕は死ねなかった。 理由は分からない。ただ、どうしても終わらなかった。 今なら思う。 それは私が特別に強かったからでも、正しかったからでもない。 ただ、「死ぬべきだ」と思い込んでいた論理が、僕自身を完全には納得させられなかっただけなのだ。 死は答えではない。たしかに僕は今でも死ぬべき人間はいると思ってる。だがそんなの一握りしかいない。俺らごときが「死ぬために生まれてきた権利」を持てるなど自惚れるな。人は中々、永遠に不幸にはなれない。死ぬために生まれてきた一握りの人間は死ねば幸福が待ってるかもしれない。だが独善で死んだやつは今までと何も変わらない。だから死は生きるための慰めに使うものだ。明日死ぬから今日は頑張る。お守りみたいなもんだ。実用で使うものじゃそもそもないんだよ。 おわり 本性を大切にしたいという我がどうしても文に出てしまい、だいぶギリギリの表現となってしまいました。申し訳ありませんでした。あえて文のほんの一部分の心意を言うと麻薬を広めた知り合いは世間で枠から外れていて自己否定をする人たちよりよっぽど生きていてほしくないと思われる、でもそう言う人ほど死のうと思っていないと言うことです。選ばれるかは運命が決めることなので自身での死というのは短絡的考えです。
親友
小学5年の頃、俺には二つ下の弟と、まだ言葉も持たない赤ん坊の弟がいた。 家事のほとんどは俺の仕事で、朝も夜も、家はいつも散らかっていた。 父は遊びに出かけ、遅くに帰ってくる。 母は自暴自棄で、酒瓶を空け、嫌味だけが饒舌だった。 二人は顔を合わせるたびに喧嘩をし、 その声の中で、俺たちは最初から見えていない存在だった。 友達と遊ぶ余裕なんてなかった。 誘われても、いつも断った。 やがて、殴られるようになった。 理由は分からない。 分からないことは、家の中にいくつも転がっていた。 家事もやらなくちゃ。 ……いや、もういいか。 そう思った日、 俺は学校でよく一緒にいる、ゆうを遊びに誘った。 「今日、遊びに行こう」 「珍しいな。いいよ」 俺たちは公園で、時間のことを忘れて遊んだ。 「今日、なんで遊べたんだ」 「親が何もしないクソでさ。弟たちの面倒、全部俺なんだけど、めんどくさくなった」 ゆうは少し考えてから言った。 「そうか。親子だな」 「は?」 「弟たちを置いてきたんだろ。親と何も変わらないじゃないか」 俺はなぜか怒らなかった。 「そうか」 「そうだよ。面白いなお前」 それ以上、話す気がなくなって、俺は立ち上がった。 「今日は帰る」 「また誘えよ」 帰り道、風が冷たかった。 冬になるのだろうと思った。 家の周りには黄色いテープが張られ、警察がいた。 父がいつもより早く帰ってきて、母と喧嘩になったらしい。 泣き声が鬱陶しくて、 赤ん坊の弟を殴り殺した、と聞かされた。 俺はそのまま、夜を歩いた。 冬の寒さが、俺を殺してくれないだろうかと思いながら。 俺は、あいつと何も違わないんだな。 「違わなくて何が悪い」 振り向くと、ゆうがいた。 こいつはどこかこの暗さに慣れているようだった。 「お前は親のコピーじゃない。欠陥品だよ。だから正常に作動しないさ」 「……お前は俺を、人殺しの子供だと言うか」 「言ってやるよ」 「お前、おもしろいな」 そう、こいつとはなぜかこれからもずっと縁がある。 理由は分からない。 ただ、ずっとだ。
死願者
安楽死はこの国にはない。 声帯は潰れ、言葉は失われた。目は閉ざされ、腕も脚もなく、私は動くことすらできない。 そのために、人々は私に地獄のすべてを与えた。 死にたい。だが声は届かない。死なせることは、この国では許されていない。 今日も、見えない誰かに犯され、理由もなく殴られる。 私はきっと、この施設から出ることはないのだろう。 あるとき、車椅子が押された。 今日はやけに長い。いつもより、進んでいる感覚がある。 ――あれ。 肌に触れる空気が違う。湿度も、匂いも。 もしかして、外に出たのだろうか。 最後に外に出たのは、いつだったか。思い出せない。 それでも私は、ほんの少し感動していた。 背後で、今まで聞いたことのないほど大きな花火の音が鳴った。 続いて、人々の歓喜の叫びが押し寄せる。 それをかき消すように、さらに花火が上がる。 あまりに激しく、テロかと思うほどだった。 なぜ私は、施設の外に出されたのだろう。 足音が四方から響く。 そこに調和はない。だが、不思議と不快ではなかった。 「ママ……」 そう聞こえた方角から、 プレス機で果物を押し潰すような、瑞々しい音がした。 しばらくして、男の声が言う。 「口を開いて」 言われるままに口を開けると、球体が滑り込んできた。 噛んだ瞬間、それがぶどうだと分かった。 甘い。 久しぶりの果実だった。 口を開けば不快なものを押し込まれ、 ただタンパク質だけを与えられてきた私にとって、 それは理由のいらない幸福だった。 やがて、花火大会は終わった。 拍手のような連続音が響き、 同時に、感動に耐えきれない女性たちの泣き声が広がる。 あちこちで、パキパキと音がする。 焚き火の爆ぜる音のようで、 誰かがキャンプをしているのかと思った。 車椅子が止まった。 男が、私の耳元で囁く。 「目を開けてご覧」 私は瞼を開け、 車椅子から、そっと腰を上げた。 ――生きててよかった。
所有者
私のDMにメッセージが届いた。富田麻実という子からだ。彼女は私の隣人で、初めてこの町に来たときの唯一の友達だった。だが、あみが引っ越してしまってから、私はどこかでずっとあの頃の自分を失ってしまった気がした。 メッセージの内容は簡潔だった。後藤さんに私たちのことがばれた、ということだ。そう私は後藤さんと付き合っていることを知りながらあみを喰ったのだ。だが私は冷静だった。彼があみを愛したことなど、ただの一度だってなかったと、私は知っていた。後藤さんの愛情は、一度も彼女を暖かく包み込むことがなかった。あみは、何もわからなかった。 私はあみの家に行った。会って数十分してからやっと会話の時間がきた。あみが言った。「私が欲しかったのは、ただ、あの言葉だけだったの。あの人が言ってくれた“お前は可愛い”って。でも、それは一瞬のことだったのよ。」 私は、何も答えられなかった。あみは、ただ可愛い女の子になりたかっただけなのだ。そのために、あれだけ努力したのだろう。どれだけ彼にすがりついて、どれだけ自分を差し出しても、後藤さんにとって、あみはただの玩具に過ぎなかった。あみが泣きながら言った。「どうしてあたしは、あんなことになったんだろう。私がこんなことになるなんて、誰にも言ってもらえなかった。」 彼女が望んだ愛とは、結局、そんなものだった。欲しいのは一言の「可愛い」と、ただそれだけだった。それが、後藤さんにとっては、ただの遊びだった。あみの身体も、心も、すぐに捨てられるようなものだった。あの時、彼の言葉で少しでも幸せだと思った自分が、今では耐えられなくなっているのだろう。 あみは、深く沈黙していた。「可愛くないあみは、死ぬべきだ。」 その言葉に、私が言ったことを覚えている。「生きていれば、何とかなるよ。」 あみは少しの間、何も言わずに見つめてきた。その眼差しが、私の言葉を一切信じていないことを伝えてきた。 「それは、持ってる人の言うことよ。私みたいな人間には、もう遅いのよ。」 「何かできることはあるか?」 私は、まるで自分の声が他人のもののように聞こえる調子で言った。 「じゃあさ――いっしょに、死んでくれる?」 彼女は、淡い笑いをひとつ皺にして、投げるように言った。 私は答えられなかった。喉の奥が、旧い鍵のように固く閉まった。 沈黙を見て、彼女はふっと目をそらした。 「じゃあ、あみから言うことは、もう何もないよ。」 その時、私はあみが言いたかった本当のことを理解できなかった。ただ、まだ生きることを諦めていない私の方が、彼女にとっては遥かに遠い存在だと感じたのだろう。まったくの他人事の私にあみが言った。「あなたも同じでしょう?」 その後、駅伝の練習を終え、歩道橋の下で仲間と話している最中、突然、人が飛び降りる音が聞こえた。車のタイヤが急ブレーキをかけ、次の瞬間、血が無数の花のように飛び散った。誰もがそれを目の当たりにして、ただ立ち尽くしていた。 あみの言葉が、頭の中で反響していた。 「あなたも同じでしょう?死ぬのが怖いんじゃない。生きるのが怖いんでしょう?」 その夜、私は家に帰ってから何度も自分を鏡で見つめた。 恵まれている。何もかも持っているのだ。けれど、あみの死んだ目を思い出す度に、私は本当にそれでよかったのか、と思う。あみは私を憎んでいたのか、それとも、ただ愛されたかっただけなのか。どちらにしても、私はあみの求めるものを与えてあげることはできなかった。
女
私にとって、女というものは、どうしようもなく共感できる種族である。醜くて、弱くて、しばしば泣きたがる。哀れだなどと言うつもりはない。ただ、眺めていると、まるで己の内側を外に置いて眺めているような気分になるのだ。 結局のところ、私は性別が違うだけで、ほとんど同じ穴の狢なのだろう。 だからこそ、男女の友情などという、奇妙な理想論は、最初から私には成り立たなかった。相手が女であると、私はどうしても自分の醜さや弱さを、ありありと突きつけられてしまう。あれでは友情など育つはずがない。 もし私の全てが男ばかりであったなら、話はどれほど簡単であったろう。私は他人の弱さに過剰に反応してしまうこともなく、たぶんもっと図々しく、いっそ粗野に生きられたのだ。 だが私は、ずっと羨んでいた。醜くて、弱くて、赦しを乞うように笑う、あの“女”という生き物に。 私は男であることを、ひどく持て余している。いっそ私も、醜くて弱い“女”になりたかったのだ。
恋と愛
先生はある日の講義で、ふとこんなことを言われた。――恋愛とは、愛ではないのです、と。 なぜなら恋愛には、どうしても人間の我欲が滲む。好きな相手が他の誰かと並んでいるだけで胸がざわつき、夜ごと逢いたい逢いたいと願い、己の時間を削らせ、相手の自由までも欲する。もし本当に愛しているというならば、まず第一に相手のことを思うべきはず。だが恋愛において一番に置かれるのは、往々にして――自分自身なのだ、と。 その言葉を聞いたとき、私はようやく、自分と相手との間に横たわる距離の正体を悟ったような気がした。 私はかねてより、恋と愛とは同じ感情の別名ではなく、むしろ別の領域に属するものではないかと感じていた。だがそれでもなお、恋愛というものはやはり愛の一種でもあるのだと、私はどこかで信じていたい。 最初はただ好きで好きで、どうしようもなく、己のものにしたくて策を弄する。思慕は焦燥に変わり、その切なさが人を突き動かす。そしてもしそれが実れば、その分だけ相手を深く思い、ようやく「愛する」という境地に近づくこともある。――私はそれを恋愛の理想系と呼びたい。 しかし人間というものは、かくも理想どおりには動いてくれぬ。恋い慕ううちは、胸の高鳴りとともにすべてが輝いて見えていたのに、ひとたび実れば、その輝きはかえって鈍り、落日のごとく淋しく色褪せてゆくこともある。逆に、結ばれたあとで互いに互いを縛ろうとし、いつしか共依存という名の檻に安住するものもある。 もし片方がまだ恋の熱に浮かされ、もう片方が静かな愛の境地にいたならば、その愛する側には、じっと待つという、奇妙な忍耐が課せられる。その沈黙には、恋とは異なる孤独がある。 同じだけ恋して、同じだけ愛せたなら、それが幸福なのだろう。けれども、それはきっと、春に一夜だけ咲く花のような、奇跡の一種なのである。 私はその奇跡を、都市伝説のように信じ、いつか自らの手で掴みたいと願っている。だから私は、きっといつまでも満足というものに辿り着けぬ性の人間なのだろう。 それでもなお、私は今日も、恋と愛とのあわいを、歩き続けている。
牡羊教会
父が離婚をし、街を離れたころから、我が家の懐具合はみるみる心許なくなった。父は仕事に追われ、家に帰れない日が増えた。私を育てる余裕がなかったのだろう。ある日とうとう、私を教会に預けると告げた。 私は、そういうものなのだと、妙に素直に受け入れてしまった。 教会には六人の子供がいた。私が一番年下で六歳、一番上の子が十二歳。けれど神父は、私たちは「皆、同期なのだ」と語った。その言葉が、どうにも胡散くさく思えてならなかった。 食卓では、毎朝決まった儀式を行い、感謝を述べ、神の祝福などというものを唱えてから食事をする。もちろん、私は言われるまま、口を動かしていたが、神の救いとやらには毛ほどの関心も持てなかった。 その生活の中で、一人だけ親しくなった子がいる。メイという少女だ。彼女は、神様という存在を、心の底から信じ切っていた。 聞けば、彼女の父は早くに亡くなり、母は重い病で入院しているのだそうだ。それでもメイは、ほとんど明るく笑っていた。 「神様がお母さんを元気にしてくれるの」 そう言う彼女の声は、悲壮というより、むしろ幸福の予告のように響いた。私は、その無垢さに、何とも言えぬ眩しさを覚えた。 ある日、テレビのニュースで事件が報じられていた。被害者は死亡。加害者の動機は、「死にたかったが一人では死にたくなかったから」という、どうにもやりきれぬ理由だった。 その画面を見て、最年長の子がぽつりと言った。 「なんで死にたいやつが生きてて、関係ない人が死ぬんだろうね。神様なんていないじゃん」 するとメイが、まるで反射のように言い返した。 「神様はいるよ。信じていれば救われるもん」 最年長の子は苦い笑いを浮かべた。 「じゃあさ、被害者が死んだのは信じてなかったのが悪いって、そう言うわけ?」 メイは、驚くほどまっすぐに答えた。 「うん。そうだよ」 それで少し揉め事になった。子供同士の小さな争い。しかし、その後まもなく、最年長の子は教会から姿を消した。大人たちの判断なのか、本人の意思なのか、私は知らない。 そして、時を置かずして、メイの母が亡くなった。 メイが、どんな顔をしてその報せを受けたのか、私は知らない。考えるのが怖かった。 神様なんていないじゃん―― あの子のつぶやきが、今さらながら胸に落ちてくるようだった。 そのうち父の仕事が安定し、私は教会を出て、小学校へ通い始めた。 けれど、あの教会の朝の儀式も、メイの笑顔も、そして「信じていれば救われる」という言葉も、すべて、夢の中の出来事のように、薄く、遠く、そしてどこか痛ましく残っている。
良い子
それでも、世の中には不思議な人がいるものです。 私がどれほど人間を斜めに見て、 「もう関わらないでください」 と冷たく突き放しても、変わらぬ調子で話しかけてくる女性の先輩がいました。 あの人は、なんというか、純粋という言葉すら曇らせてしまうほどまっすぐで、 元気で、素直で、 こちらが恥ずかしくなるくらい、曇りのない人でした。 私は、その方のおかげで「女」という大雑把な括りで世界を憎むような、 そんな浅ましい生き物にならずにすんだのです。 世の中には、まだこんなにも人を信じられる子がいるのかと、 私は胸を衝かれるような感動を覚えました。 やがて、先輩と遊ぶようになり、 私はようやく「信じてもいいのだ」と思えるようになりました。 いや、むしろ、この子がいなければ駄目だとさえ感じていました。 気がつけば、図書館に夜の二十時まで一緒にいてしまった。 帰り道、私はバスで、先輩は自転車でした。 灯りが揺れて、風が冷たかったのを覚えています。 翌日。 あれほど顔を合わせていた自習スペースに、先輩は来ませんでした。 その次の日も、一週間経っても、姿はありませんでした。 連絡をしても返事はなく、 一ヶ月ほど経ったころ、私の耳に届いた知らせは、 言葉にすればあまりに軽く、 胸に落とすとあまりに重い、そんな類のものでした。 私は先輩の家に行きました。 何度訪ねても追い返されました。 そりゃそうだ。 私はただの後輩で、何ひとつ支えられるような器でもなかったのです。 それでも、あの純粋さに救われた私には、 引き返すという芸当がどうしてもできませんでした。 何度目かの訪問で、ようやく部屋に通してもらえました。 返事が返ってきて、 会話ができて、 少しだけ、あの頃の空気が戻ってきた気がしました。 「散歩でも、してみませんか」 私がそう言うと、先輩は何も言いませんでした。 「今日は帰ります」と告げたとき、 静かに外へ出る支度をしはじめたのです。 ああ、この子は、本当に、いい子なのだと、私は胸の痛む思いで見つめました。 外には、もみじがたくさん落ちていました。 風が吹くたび、赤い葉がかすかに笑うように揺れて、 先輩も、ほんの少しだけ笑っていました。 私がすべての選択を誤っていたと気づいたのは、 前から男の人が歩いてきて、 その姿を見た瞬間、 先輩の笑みがまるで火が消えるように消えたときでした。 後日、先輩が他県へ引っ越したと聞きました。 散歩など誘うべきではなかったのです。 もし私にほんの少しでも恋情というものが芽生えていたのなら、 もう少し違う寄り添い方ができたのかもしれない。 しかし、私は男と女のあいだの深い境界を、あまりに甘く見ていた。 男である私が諭されることで心の均衡を得たように見えても、 女にとってはそうではないのだ。 普通なら部屋にあげるはずもなく、 あの日、私が中に入れたのは、私への好意ではなく、 彼女がただ、「信じる」という行為をやめられない子だったからだ。 その純粋さは、ひどく美しく、 そして、ひどく恐ろしいものでした。 運命というものは、どうしてこうも乱暴に、 こんな素直で、こんな信じることをやめられない子を、 容赦なくぐちゃぐちゃにしてしまうのでしょう。 ふと、小学生のころに読んだ『人間失格』の一節が、胸に浮かびました。 無垢の信頼心は罪なりや。 人間は信用できない。 いや、信用できる人がいたとしても、 その信頼を踏みにじるのも、また人間なのだと。 私はその日、ようやく、いや、遅すぎるほどに学んだのでした。