オミちゃん
2 件の小説彼は誰の夢
−−(あぁ、夢だ…)。 ついさっきまでいた会議室ではなく、何処かで見覚えのある路地裏に立っていた。 明確に夢だ。なぜか頭が冴えて、そう答えを出す。 雑踏は聴こえてくるのに、人影は無い。 そんな不可思議さも、馴染んでしまう異様。空気感。 カツ、カツ、カツ……。 不意に聴こえた足音。革靴、というにはあまりにも響く。 気付くと、目の前に男が立っていた。 男。確かに男のはずだ。だが顔が見えない。 いや、見えないのではなく、『無い』のだ。顔そのものが。 「…こんにちは」 口を衝いて出た挨拶。実に社会人然としている。 妙に冴えたままの頭が、他人事と笑う。 ………そこで、ハッと、目を覚ました。 会議室が静まり返る。当然、視線はこちらを向いている。 「…席に座りたまえ」 上司が怒り語調で吐き出す。あぁ、情けない。 企画会議中に寝るなんて、まるで新人だ。情けない。 だのに、頭はさっきの夢を思い返す。 見覚えのある路地裏。異様な雰囲気。 そして……。 そして、出会った男。 覚えている。夢の男の顔を。 いや、顔は無かったはずだ。それでもはっきりと思い出せる。 (いっそ、これを企画に出してみるか…?) 缶コーヒーのロゴを作る。 今回のこの企画なら、案を出す価値は、十分にある。 果たして、案は通ってしまった。 居眠りしていた割にいい案だった、と上司も喜色満面で褒めていた。 そこからは、目の回るように忙しかった。 ロゴにはあの男の顔を採用した。 文字の大きさや、色味。その他レイアウトも。 まるでアイデアが洪水のように湧いてくる。 異例の早さで、仕事は終わっていった。 入社してから初めて、一人で仕事を完遂させた気がする。 帰路を行く足は浮かれていた。 自分で気付くが、今はどうでもよかった。浮かれもすると納得さえしていた。 だから、気付かなかったのだ。 この路地裏が、あの夢で見た景色だと。 カツ、カツ、カツ……。 嫌に響く足音。聴き覚えどころか、まるで再放送のようだった。 「こんにちは」 今度は向こうから挨拶をされた。その声にも、聴き覚えが…。 「顔の使用料を、請求に参りました」 あぁ…、分かった。この声は。 自分の声だった。 何十年と聴いてきた、自分の声。 その声で言った言葉の意味までは、分からなかった。 「使用料?」オウム返しになる。 「はい、使用料です。使ったのなら、払わないといけない」 意味のわからない事を、自分の声で喋る男に苛立ちを覚える。 そうして見たその顔は。 自分と同じ顔をしていた。 使用料とは、つまりそういう事なのだろう。 思わず触った顔には、凹凸が無かった。 気付けばあの男はどこにもいなかった。 遠くに誰かの気配がする。 まだ若い、スーツを着た男性がキョロキョロしている。 そうか。そういうことか。 その男に向かって歩き出す。 カツ、カツ、と足音が嫌に響いた。
日常の覗き穴
−−−カン、カン、カン−−− 階段を登る音が、やけに大きく聞こえる。 空気が水分を否定しているように暑く、重い。 夏。まだ7月の中頃だ。 家賃1万3000円の安アパートは蛍光灯もろくに変えていない。 外の明るさが嘘みたいに暗い廊下を、死に体で歩く。 ドアの軋んだ音に反応して、部屋の熱気がぐるぐると回りだす。 ………暑いな…。 冷房なんて気が利いたものとは縁遠いこの部屋が、今の自分には お似合いなのだろう。 扇風機を着ける。熱風が部屋で踊る。 天井も、死にそうな思考も、また回る。 その日暮らしの生活にも、劣等感や焦燥感が失くなった。 今日の稼ぎを数える。7000円と少しの小銭。 帰りに買ったハイライトが、値段分の煙を出す。 あの煙のように、ふっ…と消えたなら、世界は自分を見つけてくれるだろうか。 意味のない思考が、煙と一緒に溶けていく。 午後16時28分。爛々と太陽が笑う。 まだ沈む気はないらしい。反比例するように、まぶたが落ちる。 世界は、今日も美しく回っている。