鏡宮 風理月

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鏡宮 風理月

ASD.ADHD.GIDといった障害を有する当事者です。そのため、誤った表現や表記等があるかも知れません。不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。

正義はない― 善と悪 慈悲と虚無のあいだに ―

ー序章ー 正義はない だが 人はそれを求める 法は人を守るために作られ やがて人を縛るために使われた 祈りは救いの言葉でありながら 戦争の理由にもなった 正義は声を上げ 慈悲は沈黙する この詩は その沈黙の中にある「真実」を見つめる旅である 第一章 秩序という名の暴力 秩序は暴力を整然とした形にしたもの 法は正しさを保証するために生まれ その法の下で不正が制度化される たとえば 子どもが「これは悪いこと」と教わるとき その“悪”の定義は いつの時代も大人が決めた 人は安心のために檻を求める だが 檻の中でしか呼吸できなくなったとき その秩序は生命の敵となる 正義とは 秩序に血を通わせた幻影なのだ 第二章 信仰と神の沈黙 人は神に正義を求め 神は人に沈黙を返した 信仰とは 心の秩序であり 秩序はときに 他者を裁くための剣となる 片方は「神の名のもとに」戦い もう片方も「神の名のもとに」戦う どちらが悪か? どちらも正義であり どちらも愚かである 神は裁かない 裁くのは 神を名乗る人間である 第三章 群衆の正義 群衆は理性を失い 感情を正義と錯覚する 一人が異端とされ 石を投げる大多数が「正義」を名乗る 「皆がそう言う」••••• その一言が 最も冷たい暴力だ 群衆の正義は 恐怖の裏返し 人は孤独を恐れ 正義という群れに逃げ込む だが 真の正義は声高ではなく 静かな心の中にある 第四章 善と偽善の境界 「やる偽善」 「何もしない善」 どちらが正しいのか? 何もしない善は 清らかに見えて腐る やる偽善は 打算を含みながらも動かす力を持つ たとえば 誰かが倒れているとき 見て見ぬふりをするのは悪ではないかもしれない だが 何もせぬ善は 冷たい沈黙だ 偽善でも手を差し伸べる者がいるなら 世界はまだ終わっていない 行動は不完全でも 無関心よりははるかに正しい 第五章 演じる正義 人は 正義を演じる存在である 清らかな言葉の裏に 称賛を求める欲が潜む だが それでも構わない 何もしない善より 演じる正義のほうが世界を動かす 偽りの中にも、真実が宿る 人は完全には善になれず 完全な悪にもなりきれない その矛盾を抱きながら 舞台の上で“正義”を演じ続ける 第六章 演じる悪 悪を演じる者は 誰かの正義を支える影である 憎まれ 孤独に沈みながらも 世界の均衡を保つために立つ 悪役がいなければ 正義は生まれない 悪は破壊ではなく 変化の始まり 闇は光の証であり 影は人間の正直な形である 悪を演じる者こそ 最も誠実なのかもしれない 第七章 勝者の正義 悪と呼ばれたものが いつの間にか正義と呼ばれることがある 勝った者が正義になる ただ それだけのこと 歴史は勝者が書く 悪は敗者の記憶であり 正義は勝者の都合である だが そのどちらにも “真実”は宿らない 正義は物語のようなものだ 語り継ぐ者がいれば それが世界の正義となる 第八章 慈悲という正義の外側 正義は線を引き 慈悲はその線を消す 裁きのない愛 罰のない理解 それが 慈悲  たとえば 罪を犯した者を見捨てず 「なぜそうなったのか」を見つめる心 それは 正義を越えたところにある 慈悲は 正義の代わりに 人を抱きしめる 第九章 虚無と均衡 善と悪は対立ではない それは 世界の呼吸である 善が生まれれば 悪が芽吹く 悪が広がれば 善が呼ばれる 完全な正義も 完全な悪も存在しない どちらも世界の半分 正義が光なら 悪は影 どちらかが消えれば 世界は壊れる 均衡••••• それこそが この世界の法則だ 第十章 人間という矛盾 人は正義を求め その正義で他者を傷つける 愛を求め 憎しみを生み 平和を願い 争いを起こす 矛盾 それが人間の本質だ だが 矛盾を抱えながらも祈る姿こそ 人間の美しさなのかもしれない 完全を求めるのではなく 欠けたまま生きること それが 最も誠実な生き方だ 終章 正義はない 正義は理念ではない 法でもなく 宗教でもなく 国家でも群衆でもない 正義は ひとりの痛みを想像し 見捨てぬ心の中に宿る だからこそ••••• 正義は「ない」 ないからこそ 人はそれを探し続ける それが人間の愚かさであり 同時に 最も尊い祈りなのだ あとがきにかえて この詩は、正義を否定するものではない。 むしろ、「正義を信じすぎることの危うさ」を描いたものである。正義は、いつの時代も人を導き、同時に狂わせた。宗教も、国家も、社会も、その名のもとに人を救い、人を傷つけた。 もし神が人に「正義」を与えなかったのだとしたら、それは、人間自身が考える力を持つためだろう。 正義はない。だが、想像力はある。 想像する心がある限り、人は他者を赦すことができる。 この書を閉じるとき、あなたの中にある静かな正義が、誰かを照らす光でありますように•••••

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正義はない ― 善と悪、慈悲と虚無のあいだに ―

第一章 秩序という名の暴力 人は混沌を恐れ、秩序を造る。 だが秩序とは、暴力を整然とした形にしたものにすぎない。 法は正しさを保証するために生まれ、その法の下で不正が制度化される。 たとえば、学校で「ルールを守りましょう」と教わるとき、それは善意の教育であると同時に、「従う者」と「従わない者」を区別する行為でもある。 社会もまた同じだ。 法は秩序を守るが、秩序はときに“生き方”を縛る。 やがて人は、「生きるための法」ではなく、「法のために生きる」ようになる。 秩序が強すぎると、自由は窒息する。 だが秩序がなければ、暴力が溢れる。 それが、人間という存在の宿命である。 第二章 信仰と神の沈黙 人は正義を神に求め、神は正義を人に委ねた。 祈りは本来、救いの言葉だ。 だが、人が神を利用するとき、祈りは罰の言葉に変わる。 たとえば、「神の御心に従え」という言葉。 それは信仰の言葉であると同時に、異なる信仰を排除する刃にもなる。 宗教とは、魂を導く道である。 だが、その道を「唯一の真理」とする瞬間、それは信仰ではなく支配となる。 神は沈黙する。 沈黙の中にこそ、人間が“己の正義”を映し出すからだ。 第三章 群衆の正義 群衆は理性よりも感情によって動く。 感情はやがて「正義」と呼ばれる。 群れの中で人は安心し、安心の中で思考を手放す。 たとえば、誰か一人を責め立てる群衆。 その怒りの根は、正義ではなく恐怖だ。 「みんながそう言う」•••••その言葉の裏には、自分が責められたくないという心理が隠れている。 群衆の正義は、もっとも簡単に生まれ、もっとも早く腐敗する。 真の正義は、声の大きさではなく、沈黙の中にある。 誰も見ていないところで、誰かの痛みに気づく心。 それが正義の最も静かな形だ。 第四章 善と偽善の境界 「やる偽善」と「何もしない善」 どちらが正しいのか?。 何もしない善は、血を流さぬ代わりに、心を凍らせる。 一方で、やる偽善は不完全であり、自分の評価を気にする利己を孕む。 だが、偽善にも温度がある。 冷たい無関心よりは、たとえ打算があっても手を差し伸べる方が、世界を少しだけ温める。 善はしばしば沈黙し、偽善はしばしば行動する。 そしてこの世界は•••••行動によってしか変わらない。 第五章 演じる悪 悪役は必要である。 なぜなら、正義を映す鏡だからだ。 悪とは、光の形を際立たせる影。 憎まれるために立ち、罰せられるために生きる。 だが、「悪を演じる」ということは、世界の矛盾を一身に引き受けるということ。 そこには悲劇ではなく、一種の献身がある。 たとえば、医師が人を救うために冷酷な判断を下すように。 教師が未来のために厳しさを装うように。 悪を演じることは、憎まれる覚悟で真実を伝えることだ。 それは、偽りのない誠実である。 第六章 勝者の正義 歴史は、勝った者が書く。 だから「正義」は常に上書きされる。 かつて“悪”とされた思想が、時を経て“正義”と呼ばれることがある。逆もまた然り。 勝者は「平和を守った」と言い 敗者は「祖国を護った」と叫ぶ どちらが真実かは、もはや誰にもわからない。 正義とは、常に“物語の形をした権力”だ。 ゆえに、真実を知りたいなら、語られなかった沈黙に耳を澄ませることだ。 第七章 慈悲という正義の外側 正義は線を引き、慈悲はその線を消す。 愛もまた、正義の外側にある。 そこには「裁き」がなく、ただ「理解」だけがある。 人は誰かを赦すとき、自分の中の憎しみを超える。 赦しとは、敗北ではない。 それは、憎しみに勝つ力だ。 たとえば、過ちを犯した人を見捨てず、その心の闇に光を差すこと。 それが、正義ではなく“慈悲”の領域。 慈悲は法を超える。 それは、人が人であるための最後の美徳である。 第八章 虚無と均衡 善と悪は対立しているようで、実は同じ輪の上を回っている。 正義が行き過ぎれば、それは悪になる。 悪が行き過ぎれば、それは正義を呼び起こす。 世界はこの往復運動で保たれている。 夜があるから朝が美しく、死があるから命が尊い。 この均衡を壊したとき、人は傲慢になる。 完全な正義を語る者ほど、他者を裁き、完全な悪を否定する者ほど、自分を見失う。 ゆえに、真理はどちらにも偏らず、両方を抱く静けさの中にある。 第九章 人間という矛盾 人は正義を求め、その正義で人を傷つける。 愛を求め、憎しみを生み、平和を願い、戦いを始める。 それでも人は、なお祈る。 正義を、神を、未来を•••••。 矛盾こそが人間であり、不完全であることこそが、人間の証なのだ。 終章 正義はない 正義は、理念ではない。 法でも宗教でもなく、勝者の言葉でも、群衆の声でもない。 正義は、ひとりの痛みを想像し、見捨てぬ心の中にしか宿らない。 正義はない。 だが人は、それを求める。 それは愚かであり、美しくもある。 そしていつか、人が正義の外で互いに赦し合う日が来たなら、そのとき初めて、“正義”という言葉は要らなくなるだろう。 あとがき この作品は、「正義」を否定するために書かれたのではない。 “絶対的な正義”という幻想を越えて、人間という存在の中にある柔らかい正義を見出すための試みである。 私たちはいつも「正しさ」を求める。 だが、「正しい」という言葉ほど危ういものはない。 正しさはいつも、誰かを間違いにする。 そして、間違いにされた者たちの沈黙が、時代の底に積もっていく。 ここで言いたいのは、「正義を信じるな」ではなく、「正義に溺れるな」である。 愛も、慈悲も、理解も、そのすべては“正義の外側”から世界を照らす。 そこにこそ、人間らしさという名の光がある。 もし、この世界に救いがあるとすれば•••••それは正義の勝利ではなく、人が人を赦す瞬間にこそ宿るのだ。

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神代詩 神州大和 永祈詞

第一章 天地黎明 遠つ神代の昔 高天原静まりて 天ひらけ 地堅まり 伊邪那岐・伊邪那美の大神 天瓊矛を以ちて潮をかき鳴らし給ふ その滴り落ちし泡より 島生まれ出でて これぞ神州 八百万の神鎮まる大和なり 山は息を持ち 川は声を持ち 風は祈りを運び 光は御心を映す 天地の間に神宿り 人はその子(神子)として生まれし 第二章 天孫降臨 天照大御神 邇邇芸命に詔りて曰はく 「汝、葦原のなかつくにに降り坐して、 稲穂を授け、民を護り、和を以て天下を治せ」と 瑞雲わけて天より降り給ふ御姿 光と風とを従へて大地に立つ これぞ天孫降臨 神ながらの道の始まりなり 第三章 三種の神器 八咫鏡 草薙剣 八尺瓊勾玉 鏡は清きを映し 剣は邪を祓ひ 勾玉は和を結ぶ この三宝 ただの器にあらず 皇統の御証にして 祈りと徳を伝ふる道なり 第四章 万世一系 神武より今に至る 天の系は絶えず これぞ万世一系 光の如く継がるる皇み道 血はただの肉の流れにあらず 祈りと責と誇りの連鎖なり 父の願ひ 子に宿り 祖の徳 後の代に香し 第五章 血脈と家 血は魂の記し 祖と子とを結ぶ赤き糸 血筋の重しろさとは 己が身に流るる祈りを知ることなり 名を記すは ただの法にあらず 戸籍は 家という魂の系譜を結ぶ帳 祖の名を記すことで 子の心に灯がともる 戸を継ぐ者は 命を継ぐにあらず 祈りと徳を継ぐ者なり 第六章 八紘一宇 八方の空を宇と為し 四海の民を家とす これぞ天孫の御誓ひ 八紘一宇の理なり 征くためにあらず 結ぶための道 異を隔てず 和を貴しと為す 大和の心は 排けず 拒まず 共に祈りて共に栄えんとす 第七章 戦の民 大和国の民は 刃を恐れず 戦を好むにあらず ただ 護るために立つ 怒りを以て剣を振るはず 義と愛とを抱きて刃を握る 戦闘民族とは 滅ぼす者の名にあらず 護るために祈る者の誉れなり 涙を持たぬ剣に慈悲の花咲く 血をもって清め 命をもって和を得る 第八章 単一民族の心 北の風も南の潮も 東の陽も西の影も この島に融け合ひて一つとなる 多きを抱き 混ざりながらも 心はひとつの和に帰る これを人は「単一民族国家」と呼ぶ されどそれは 他を拒む壁にあらず 異を包み 違ひを和らぐ器なり 第九章 武と和 剣は怒りにあらず 己を律し 邪を祓ふ清き光なり 力は義のために、義は和のために 武士の道 祈りと静謐の炎なり 戦の果てにこそ平和は芽吹く 和は弱さにあらず 強さの中に宿る安らぎなり 第十章 神秘の国 神州は霞に包まれ 月影に神の御姿を映す 山霧の奥に声なき声響き 風は神々の息吹を運ぶ 見えぬものを信じ 聞こえぬ声に耳を傾け 祈りて生くる民••••• これぞ神々の国 大和なり 理を越え 形を越え 神ながらの道 今も絶えず 第十一章 和の血脈 大和の魂は清く 強く やさし 血は混じれども 心はひとつ 北の風 南の潮 東の陽 西の影 すべて融けあひて和を成す 異を以て結び 違を以て調ふ これぞ八百万の神々の御心に叶ふ道 それを人は「大和」と呼ぶ 第十二章 神前奉納 かしこみかしこみて申す 八百万の神々よ 天地の守り神よ 皇祖皇宗の御霊よ 風に祈りを 海に願ひを 山に魂を鎮めまつる 鏡のごとく心を清め 剣のごとく意志を正し 勾玉のごとく和を結ばん 惟神 畏み 畏み 申す 第十三章 終章 永祈 これぞ神州大和 皇統の光 三種の神器の護る国 八百万の神々の御手に抱かれ 血と祈りの系譜は絶えず 万世一系の灯ここに燃ゆ 人は生まれ 去り 名を記し 祈りを継ぐ 戸籍に刻まるるは ただの名にあらず 魂の在処なり 風は祈りとなり 祈りは光となり 神州は息づく 惟神 畏み 畏み 申す あとがき 本詩は、神代より連なりし祈りと血脈の記録にして、人と神、過去と未来を結ぶ詞なり。 国家という魂の連続性、祈りとしての伝承、大和という象徴的な文化を書きたい想いから、差別や排他にあたらぬように気を配りつつ、「普遍的な連続と祈りの詩」として本詩を書いてみました。

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天秤の下に在るもの

序章 正義とは何か? 正義とは何か? 誰がそれを決め 誰がそれを守るのか その言葉は時代の波に揺られ 国の名を変え 旗の色を変え 今もなお 人の胸に問いを残す 英雄は罪人となり 罪人は英雄に変わる 正義とは光か それとも影か 天秤の針は 今日も揺れている 人の心の奥底で 第一章 平等という幻 人は皆 平等に生まれるという だが 陽のあたる場所は限られている 生まれた家、言葉、土地、肌の色••••• 運命は最初から傾いている それでも人は夢を見た 「等しさ」という言葉に祈りを込めて 針を戻そうと 何度も空へ手を伸ばす •••••それが人間の優しさであり 愚かさでもある 第二章 公平という風 公平とは何か 「同じ重さ」で計ることか それとも 「違い」を認めることか 天秤を支える指が 誰のものかで 結果は変わる だからこそ 公平とは 揺れを恐れぬ勇気のことだ 針を真ん中に戻そうとする風が この世界のどこかで今も吹いている 第三章 公正という銃と剣 公正とは 銃であり 剣である 守るために構え 正すために斬る だが その銃口の先にも 人の命がある その刃の向こうにも 涙がある 正義の名を借りた引き金が どれほどの祈りを奪ったか それでも人は信じる この弾が 誰かを救う日を •••••それが 人が手放せない「正義」という幻想 第四章 秩序という線 秩序とは 世界を囲う線 線がなければ 混沌に沈み 線が多すぎれば 自由を失う 人はその狭間で今日も線を引く 守るためか 縛るためか 秩序は静止ではなく 変化の中の均衡にこそ宿る その線を越える者が現れるたびに 人類は少しだけ前に進む 第五章 罪と罰 ― 割れた天秤 ― 罪は過去にあり 罰は未来にある 完全な悪も 完全な善も存在しない 人は「罰」という形で 自らの弱さを他人に映す 天秤は割れても 針は揺れ続ける それは人間の宿命 針が止まるとき それは滅びの時だ 罪も罰もまた 人が生き続けるための“理”なのだ 第六章 信賞必罰 ― 光と鞭 ― 功ある者には花を 罪ある者には鞭を それが秩序の理だという だが花は枯れ 鞭の痕だけが残る 恐怖では 人は育たない 真の「信賞」とは 心を育てること 真の「罰」とは 己を見つめること •••••それを忘れた社会は いずれ 正義の仮面をかぶったまま滅びる 第七章 善と悪 ― 交わる影 ― 善と悪は 背中合わせに立っている 互いを映し 互いを憎み 互いを必要としている 善の中に悪があり 悪の中に善がある 天秤の両皿に並べても 針は止まらない 善とは悪の影であり 悪とは善の歪んだ鏡 •••••それが人間という不完全な生き物 第八章 やらぬ善より、やる偽善 清らかであれと願うほど 人は汚れる 偽善と呼ばれようとも その手が誰かを救うなら それでいい 沈黙する善よりも ひとしずくの偽善が世界を変える 行動こそが祈りであり 行為こそが誠実 •••••やらぬ善より やる偽善 その手にこそ 希望は宿る 第九章 法と暴力 ― 仮面の正義 ― 法とは 暴力を正当化する装置 罰する権利を与えられた暴力 支配のための秩序 守るための恐怖 正義の名のもとに行われる暴力ほど 美しく 恐ろしいものはない 銃を構える手が 剣を抜く心が 正義と呼ばれるその瞬間に 人は最も残酷になる 法は冷たい だが必要だ その冷たさの中に 人の温もりを見いだせるかどうかが 文明の限界を決める 終章 天秤の理 正義に形はない 法に心はない しかし 人には迷いがある その迷いこそが 人を人たらしめる 揺れる天秤の針を支えるのは 神ではなく 人の良心 だから私は問う •••••正義とは何か? 罰の中に慈悲を 秩序の中に自由を 正義の中に愛を そしてその揺らぎこそが この世界を支える「理」である あとがき この詩は、「正義とは何か」という問いへの答えではない。むしろ、答えを持たないまま、それでも問い続ける人間の記録のようなものである。 正義は、常に誰かの立場に依存している。 国家の正義、個人の正義、宗教の正義。 それらは重なり合い、時にぶつかり、やがて新しい形を生む。 善も悪も、法も秩序も、すべては人の手によって作られ、壊され、また作られる。 人が完全でない限り、正義もまた完全ではない。 けれども 不完全だからこそ、人は優しくなれる。 揺れる針の上で、迷いながらも立ち続ける。 それが「人」という存在の尊厳であり、祈りである。 だからこそ、私はこの詩を「理」と名づけた。 天秤は止まらない。 そしてその揺らぎこそが、正義よりも尊い、人間の証。

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月と鏡

物質は重く 精神は軽やかに舞い ふたつの世界は 交差しながら絡み合い やがて調和の調べを奏でる 月は鏡 太陽の炎を静かに映し 闇に漂う者に 道を示す 沈黙のなかに 永遠の真実を宿して この世とあの世 隔たるようでありながら 夢の狭間で寄り添う 境界は霧のように揺らぎ 渡る心によって 形を変える 善と悪もまた 互いに映し合い 重なり合い 曖昧な影をつくる 善の奥に悪が潜み 悪の底に善が芽吹く 生と死もまた 互いを抱き 互いを照らし 循環を繰り返す 死に生が息づき 生に死が寄り添う すべては鏡 すべては交差 境界は恐れるものではなく 受け入れるもの そこに芽生えるのは 物質と精神の融合 そして深き調和 光と影 この世とあの世 物質と精神 すべてはひとつに溶け合い 永遠の循環を織りなす 月は鏡 静かに映し 私たちの魂を 光と影のあいだで やさしく照らし続ける

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魂はめぐり逢う

祈りは声なき言葉 想いは時を越える橋 それは風に乗り 海を渡り やがて誰かの心へと届く 魂は旅をしている 幾度も生まれ 幾度も別れ 幾度も泣き 幾度も笑い そのたびに少しずつ 少しずつ 大きな光へと成長していく やがてその光は 他の魂と溶け合い ひとつに重なり合う 川が海に帰るように 枝が大樹に結ばれるように だから••••• 出会う人たちは偶然ではない 魂が約束した再会の証 過去で結ばれ、未来へ続く絆 そのひとつひとつが 永遠の旅の羅針盤 別れに涙する時も それは失われたのではなく 次のめぐり逢いのための扉 再び会える日があると知るだけで 悲しみは希望に変わる どうか あなたが出会った人を大切に それは魂が選んだ奇跡であり 二度と同じ形では訪れない瞬間だから 祈りを重ね 想いをつなぎ 輪廻の旅を歩むあなたの魂は 必ずより大きな光へと育っていく

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自分へのご褒美

わたしは よく耐えた 朝の眠気を越え 孤独の影を越え 失敗の痛みを越えて その一歩は 誰にも奪えない わたしの代わりなど どこにもいない ただひとりの かけがえのない存在 だから 今日くらいは やさしい言葉を 自分に捧げよう 「よくやった」「えらい」 その響きが 胸に灯をともす 鏡に映る顔に そっと微笑み 上手く仕上げたメイクに 小さな誇りを重ねる ダイエットの努力が 未来への扉を開く 机に並んだノート 汗ににじむ仕事の記憶 人知れず積み上げた時間は 静かな宝石のように輝いている •••••だから ご褒美を ひと口の甘さに 心をゆだね 温かな幸福を 両手ですくい ほっこりとした笑みを 自分に返してあげる 結果がすべてと 世は言うけれど 人が見ていないところで こぼれた努力こそ ほんとうの証 わたしは わたしを褒める わたしは わたしを愛す 今日を生きた そのこと自体が すでにご褒美なのだから•••••

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静かなる侵略 •••••眠れる国への警告•••••

序章 銃声なき戦場 戦争は、必ずしも銃や爆弾の音で始まるわけではありません。現代の戦争は、もっと静かに、もっと巧妙に進んでいきます。 経済を操り、教育をすり替え、情報を封じる。 人口の流れを変え、土地を奪い、国家の中枢に他国の意志を忍び込ませる。•••••そこに爆音も血の臭いもありません。 ですが国家は、気づかぬうちに弱体化し、他国の支配に委ねられていくのです。 私たちは「平和ボケ」という麻酔を打たれたように、侵略の進行を見て見ぬふりをしています。そして、それは確実に進んでいます。日本は今まさに、静かな侵略のただ中にあるのです。 第一章 専守防衛という欺瞞 「専守防衛」。 この言葉は、日本人の耳に「平和的で美しい」響きとして届きます。 しかしその実態は、「相手に攻撃されるまで撃てない」ということ。つまり、国民に犠牲が出てからでなければ護れないという矛盾があります。 一瞬のためらいが、国家の命取りになることを歴史が何度も教えてきました。 撃てない軍隊は存在しても無意味です。それは「平和の象徴」ではなく「無力の証明」に過ぎません。 私たちは「平和」という言葉に操られ、眠らされ、欺瞞の下に安心を買わされてきたのです。 第二章 国威の喪失は侵略の合図 国威とは、国民全体の誇りであり、「生き抜く意志」の象徴です。これは虚飾ではなく、国の防波堤そのものです。 歴史が示す悲劇 <清朝末期> 「東洋の病夫」と侮られた中國は、不平等条約と列強の侵略に蹂躙されました。国威を失った国家は、餌食となるしかありませんでした。 <第一次大戦後のドイツ> ヴェルサイユ条約の屈辱により国威を喪失。国民の不満はナチスの台頭を許し、結果として再び戦乱の火種を抱えました。 <ソ連崩壊後の東欧諸国> 国家としての威信を失った国々は、外資と外国勢力の思惑に振り回され、政治的混乱を余儀なくされました。 <ウクライナとロシア> ロシアは「国威の回復」を掲げ、ウクライナへの軍事侵攻を正当化しました。一方でウクライナは「国家の独立と誇り」を護るため、必死に抵抗しています。 この戦争は、国威が単なる感情ではなく「生存の条件」であることを示しています。 国威を失った国家は「攻めても抵抗しない」と見なされます。それはいわば、侵略の合図に他なりません。 第三章 六つの侵略戦争 現代の侵略は銃を撃たずとも進行します。 ここで「六つの戦争」を一つずつ見てみましょう。 1.物理的侵略 戦車やミサイルによる従来型の侵攻。 台湾、南シナ海、ウクライナ…いまも世界で進行中です。 2.経済的侵略 通貨操作、資源の独占、債務依存。 一度経済を握られれば、独立国の看板を掲げても、実態は従属国となります。 3.人口侵略 人口流入や移住を通じて政治的・社会的影響を強め、最終的に主導権を奪う。 時間をかけた「静かな征服」です。 4.政治的侵略 他国の利益を優先する政治家や政党が生まれ、法律や外交が侵食される。 表向きは選挙で選ばれた「民主主義」でも、実態は他国の操り人形です。 5.教育的侵略 歴史教科書の改変、価値観のすり替え。 国民に「自国を護る意志」を失わせることで、数十年後には抵抗力のない世代が育ちます。 6.国土売買による侵略 土地やインフラを外国資本が買い占める。 武力を使わずとも、国家の基盤そのものが他国の所有物となっていく。 これらは、決して「未来の危機」ではありません。 すでに今、日本国内で起きていることの一部です。 第四章 三権の侵食と司法の不平等 立法・行政・司法。 国家を支える三権がもし外からの影響を受ければ、国家の独立は幻想にすぎません。 現在、日本ではさらに深刻な問題があります。 それは 公正中立であるはずの三権における不平等です。 自国民には厳しく裁きを下し、外国人や帰化した者には犯罪が明らかでも起訴されない。仮に起訴されても、日本人より軽い罰で済む。 これは「区別」ではなく「逆差別」です。 この現実が国民に「国家は国民を護らない」という失望を植え付けています。 正義を失った三権に、国家を護る力はありません。 第五章 言論と技術の奪取 真実を語ろうとする者は、社会から追放され、時には命すら狙われます。 新しい技術を日本人、または日本企業が生み出しても、「偽物だ」と貶められ、やがてその技術は外国勢に奪われていきます。 報道は真実を映さず、嘘や偽りを「事実」のように流布し、真実はかき消され、語る者は危険視されています。 言論の自由。表現の自由。 これらは日本国憲法が保障する権利のはずです。 しかし今や、それは紙の上の理想にすぎません。 第六章 非暴力革命の限界と国民の怒り 投票。抗議デモ。執筆。署名活動。 •••••かつてそれは民衆の武器でした。 けれど今はどうでしょうか?。 外国人優遇政策が続き、国外へは巨額の資金がばら撒かれる一方で、自国民には「国家のために我慢せよ」と増税、そして見えにくいステルス増税が重くのしかかっています。 国民は限界に達しています。 非暴力革命には限界があり「何をしても変わらない」という絶望が、静かな怒りを燃やしているのです。 第七章 自警団の誕生と憲法の壁 地域によっては、国民自らが自警団を作り、護身用具を備えるようになりましたが、国家は国民が危機感を抱いているのに、依然として憲法9条にこだわり続けています。 時代に合わない憲法や法律は、国民を不安にさせるだけです。旧来のままで、外国人を受け入れることは、国家の弱体化に直結します。弱体化した国家は内と外から侵略されます。 やがて日本国内で、外国人勢力による暴動が起き、無辜なる民(日本人)が犠牲になるでしょう。この未来は、決して荒唐無稽な妄想ではありません。 移民政策に失敗した国家は多く、日本への警告をしてくれている国家もあります。 第八章 国威なき国家の末路 国威がなければ、国家は維持できません。 国威がなければ、平和も存在しません。 国威とは、最大の抑止力なのです。 国家を失った民は奴隷となり、機械のように扱われ、用のない機械は捨てられ、役に立たない者は処分されます。 やがて日本人の血は薄まり、日本人という精神性は壊され、歴史は侵略者の都合で書き換えられます。 文化は消え、言葉も奪われ、民族としての存在は跡形もなくなるでしょう。 これが「国威なき国家」の末路です。 終章 目覚めよ、眠れる国民 国を滅ぼすのは、外敵だけではありません。 最大の敵は「無関心」と「諦め」です。 平和という眠りから目を覚まし、意志を取り戻し、声を取り戻し、国家を取り戻しなさい。 未来を決めるのは、政府や軍ではありません。この国に生きる一人ひとりの選択です。 その覚悟と行動が、日本を強くし、平和を護り抜く唯一の道なのだと伝えたい。 あとがき 恐怖を煽るために書いたのではありません。まして暴力を良しといいたいのでもありません。 「気づき」を促すために書きました。 侵略は、必ずしも銃声とともに始まるわけではありません。あなたが気づかぬ日常の中で、すでに進んでいます。 しかし未来はまだ奪われていません。国を守る力は、政府や軍だけでなく、国民一人ひとりの心と行動に宿っています。 どうか、考えてください。 どうか、目を開いてください。 そして、自らの手で未来を選び取ってください。 平和を護るとは、戦争をしないことではありません。 平和を護るとは、悪を正し、互いを尊重し、未来を創ることです。 その責任を引き受ける覚悟が、いま私たちに求められています。

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鎮魂 •••••魂はめぐり、再び•••••

第一章 別れは途切れではなく 清めの塩は、ときに 生者と死者の絆すら断ち切ろうとする けれど、魂に穢れはない 生と死はただ一つの道の表と裏 誰もが歩む、いのちの大いなる流れ 葬儀とは、その流れの岸辺にて交わす ひとときの挨拶にすぎぬ 別れの言葉に涙しながらも 魂は絶えることなく、私たちと共に在る 第二章 魂のめぐり 魂は生まれ変わる 器を離れ、新たな器に宿り かたちと名を変え 再び歩み出す 肉体は魂の宿る器にすぎない 魂は器に縛られ、記憶を失いながらも ただその生を精いっぱい生きる そして器を脱ぎ捨てるとき 忘れられていた記憶を取り戻す 魂の旅は途切れることなく 成長と学びを重ねていく 第三章 縁の必然 人は、縁ある魂と必ず出会う 縁なきものとは、幾度の輪廻を重ねても 交わることはない だからこそ、出会いは必然であり 別れもまた、魂の成長のために用意された門 喜びも、悲しみも すべては魂を磨き より深く光り輝かせるための試練なのだ 第四章 再会の約束 死者は遠くに去ったのではない 姿を変え、名を変え 再び出会う日のために 静かに次の旅を始めただけ 「いつか、必ずまた会える」 その信心こそが、生き残された者の灯となる 涙に沈む夜にも その光は私たちを導く 悲しみの奥にこそ、再会の希望がある 第五章 魂の成長の果て 魂の成長の行き着く先は 私には分からない しかし、確かなことがある 縁ある魂は結びつき 別れを越えて、幾度もめぐり逢う やがてその絆は深まり 互いの光を映し合いながら いずれはひとつに融けあう 魂は孤独に彷徨うのではなく 互いに学び、互いに照らし合い 輪廻の海を渡っていく 第六章 ひとつなる未来 さらにその先に、何が待つのかは分からない けれど、結び合った魂は必ず もっと大きな「ひとつ」へと帰っていく それは名もなく、形もなく 始まりも終わりもない、無限の光 私たちが「仏」と呼ぶもの あるいは「大いなるいのち」と呼ぶものかもしれない そこに帰るとき 悲しみも、苦しみも、すべては解き放たれ ただ澄み渡る安らぎの中に融けていく 第七章 今を生きる者へ その道の果てを知ることはできなくとも 私たちは信じて歩むことができる 魂がつながり続けていると信じるとき 別れは終わりではなく 再会への約束に変わる いのちの旅の意味は 今この瞬間の生き方の中にある 亡き人を偲ぶ心は やがてあなた自身の歩みを支え 次の世へとつながっていくだろう 終章 無限の道 魂の成長の先を知る者はいない しかし、道が続いていることだけは確かだ その道は、縁ある魂との出会いと別れを重ねながら やがて一つへと融けあい さらに大いなる光へと帰っていく 私たちはその途中にある旅人 だからこそ、今を生きることに意味がある 亡き人は、その旅路を先に歩んでいるだけ あなたもまた、その道を歩み続ける そしていつの日か、必ず再び結ばれる •••••その信心が、生者に希望を与えるのだ あとがき この詩は、死を「穢れ」として遠ざける迷信を退け、死をも「いのちの一部」と受け止める仏教の眼差しから編まれました。 死は決して終わりではありません。 魂の旅の一里塚であり、再びの出会いへの序章です。 亡き人は消え去るのではなく、姿を変えて、また私たちに寄り添います。 だからこそ、生きる者に必要なのは「清めの塩」ではなく、「つながりを信じ、希望を持って生きる心」です。 悲しみの中にも希望があり、涙の奥にも未来はあります。 どうかこの詩が、残された方々の心を少しでも照らす光となりますように••••••。

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幸福とは••••②

光と影を抱きしめて••••• 第一章 大地の眠り 暖かな衣は肌を守り 食は飢えを忘れさせ 屋根は雨を拒み、眠りを与える そこにあるのは、ただ「生き延びる安堵」 けれどその安堵は やがて心に問いを芽吹かせる••••• 「これだけで私は幸せなのか」と。 第二章 心の花 涙のあとに咲く微笑み 孤独を溶かすひとつの言葉 意味を探し、愛を求め 人は心に花を育てる それが折れやすいものであっても 無形の香りは 肉体の充足を越えて 人間を人間たらしめる 第三章 内と外の狭間で 「私は幸せだ」と呟く声 「あなたは幸せそうだ」と語る眼差し ふたつの世界は決して重ならず ときに同じ身体を裂く 数値で測れる幸福は 心の真実を語らず 心の幸福は 統計の帳面には記されない 幸福とは、曖昧の中に息づく幻影 第四章 比較の鏡と甘い毒 隣を見れば 安堵と焦燥が同時に胸をかき乱す 比較は鏡 そこに映るのは「足りない」という影 そして••••• 他者の不幸を蜜と味わうとき その甘さは一瞬で舌を濡らし すぐに心を渇かせる それは幸福ではなく 幸福の仮面をかぶった孤独である 第五章 光と炎 与えられる愛は 天から降る光のように優しく 掴み取る愛は 胸の奥で燃える炎のように熱い 光に抱かれ、炎に突き動かされ 人は揺らぎながら歩く 幸福は受け身の贈り物であり 同時に能動の証でもあるのだ 第六章 愛と必要の調べ 「あなたを愛している」 「あなたが必要だ」 そのふたつの言葉が 響き合うとき 人は自らの存在を確信する 愛されることで 生まれてきた意味を知り 必要とされることで 生きていく意味を知る 幸福とは、この調べの中に流れる音楽 第七章 変化と成長の風 善は時に悪となり 悪は時に善となる 時代は流れ、価値は揺れ 人はその風に翻弄される だが、痛みの中で芽吹く学びは 揺れをただの流転から救い出す 変化は試練 成長はその証 風に吹かれながらも 一歩を刻む者の心に 真の幸福は根を下ろす 終章 幸福とは 幸福とは完成ではない 与えられ、掴み取り 愛し、愛され 必要とされ、支え合い 比較に揺れ、影を抱え 変化にさらされ、成長に導かれる••••• その果てにある静かな光 幸福とは答えではなく 問いそのもの 人はその問いを抱きしめるとき ようやく人間であることの喜びを知る 光と影をともに受け入れながら 私たちは幸福という名の 果てなき旅を続けてゆく

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