W.W
45 件の小説『白鮪』
宇宙では、長きに渡る戦いが行われていた。 その原因は、宇宙を光速で移動する凶暴生物。 宇宙マグロ。 彼らは星々の間を光速で飛び回り、行く先々で甚大な被害をもたらしていた。 その中でも、ひときわ巨大で白い身体を持つ宇宙マグロがいた。 その名は、モービィ・ツナック。 かつて、とある惑星の王はモービィ・ツナックと死闘を繰り広げた。 激しい戦いの末、王は片足を失い、モービィ・ツナックも右目を失った。 やがてモービィ・ツナックはどこかへ去り、王もまた傷を癒すため城へ籠った。 宇宙マグロたちはしばらく姿を見せなかった。 だが、ある日。 再び、攻撃が始まった。 王は考えた。 前の戦いでは、宇宙空間で敗れた。 光速で移動する宇宙マグロを、宇宙空間で捉えることは困難だった。 ならば、今度は戦場を変える。 「地上戦だ……」 王は、自らの城を要塞へと改造することを決意した。 その日は突然やって来た。 数匹の偵察マグロが、光速で要塞へ降り注いだ。 しかし、要塞に張り巡らされたバリアが宇宙マグロを弾き返した。 「今だ!」 王の命令で兵士たちが飛びかかる。 だが、宇宙マグロたちは必死に跳ね回った。 その跳躍力は凄まじく、なかなか近づくことができない。 「銛を用意しろ!」 王の命令で巨大な銛が放たれた。 そしてついに、宇宙マグロたちの動きが止まった。 王国は勝利した。 しかし王は気づいていた。 数匹の宇宙マグロを倒すだけで、これほどの被害が出た。 もし、さらに数が増えれば。 「我々に勝ち目はない……」 王は急ぎ要塞の強化を進めた。 昼も夜も作業は続いた。 民も兵士も、そして王自身も疲れ果てていた。 王は考えた。 このままでは要塞の強化が間に合わない。 何より、兵士たちの士気が上がらない。 「何か……何か策はないか……」 その時、王は研究室に保存されている宇宙マグロのサンプルを思い出した。 王は城の料理人たちを集めた。 料理人たちは困惑した。 宇宙マグロを食べようなどと思った者は、誰一人としていなかった。 しかし料理長は決意した。 宇宙マグロの身を少し切り取り、恐る恐る口に入れる。 その瞬間。 料理長の顔が恍惚へと変わった。 「……美味い」 しかも、それだけではなかった。 身体に力がみなぎってくる。 料理長は考えた。 宇宙マグロは宇宙空間を光速で移動する。 その身体には、凄まじいエネルギーが蓄えられているのではないか。 この一切れでこれほどの回復力。 もっと適切な調理をすれば……。 料理長は、かつて読んだ古文書を思い出した。 この宇宙のどこかに存在すると言われる、謎の惑星。 そこに伝わる伝説の料理。 料理長は記憶を辿った。 「貯蔵庫にある宇宙米と宇宙酢を持ってこい!」 そして完成した。 古文書に記された伝説の料理。 スシ。 宇宙マグロを使ったスシは、すぐさま民や兵士たちへ配られた。 人々はそれを食べ、驚いた。 疲労が消え、身体に力が湧き上がる。 一夜にして、研究室に保存されていた宇宙マグロはなくなった。 そして要塞も、ついに完璧なものとなった。 翌朝。 要塞に警告が響く。 空を埋め尽くす、大量の宇宙マグロ。 その攻撃は、毎回同じだった。 突撃する。 ただ、それだけ。 宇宙マグロたちは光速で要塞へ突っ込んでくる。 だが、王の作戦は成功した。 バリアが宇宙マグロを弾き返す。 動きが止まったところへ、兵士たちが銛を放つ。 さらに王は、新たな武器を用意していた。 瞬間冷凍光線。 光速で移動する宇宙マグロには当たらなかった。 しかし、動きが止まった今なら。 次々と宇宙マグロが凍りついていく。 戦いは王国側へ傾いていた。 兵士たちは冷凍された宇宙マグロを回収しようとした。 なぜなら彼らは、戦いよりも、 「あのスシをもう一度食べたい」 という思いに駆られていたからだ。 王は慌てて叫んだ。 「まだ戦いは終わっていない!!」 その時。 要塞、そして惑星を揺るがす音が響いた。 それは、あまりにも巨大だった。 モービィ・ツナック。 かつての数倍もの大きさに成長していた。 王は驚愕した。 「……あの時より、数倍大きくなっている」 この巨体で光速移動されたら、我々は終わる。 そう王が恐れた、その時だった。 しかしモービィ・ツナックは静かに近づいてきた。 彼は成長しすぎていた。 その巨体を維持するために、光速で移動する力を失っていたのだ。 王は再び希望を見出した。 「銛を発射しろ!」 次々に銛が放たれる。 しかし。 すべて跳ね返された。 巨大化したモービィ・ツナックの身体は、銛すら通さないほど強靭になっていた。 王の額に汗が流れる。 「どうすれば……」 その時だった。 料理長が王のもとへ駆けつけた。 息を切らしながら言う。 「私は、かつて古文書でスシを学びました」 王は頷く。 料理長は続けた。 「そしてもう一冊……『マグロ解体新書』という古文書も読みました」 料理長は記憶を辿る。 もし、あの古文書に書かれている生物と、この宇宙マグロが同じ構造なら。 「あるいは……」 王は料理長の目を見つめた。 そして頷く。 「最終兵器を用意しろ!!」 要塞が震えた。 地下から、巨大なマシンが姿を現す。 その先端には、巨大なマグロ包丁。 料理長はマシンへ乗り込んだ。 そしてニヤリと笑った。 「私が操縦します」 料理長はモービィ・ツナックへ飛びかかった。 古文書に記された構造を思い出し、適切な出力。 適切な角度。 そして―― 刃を入れる。 「そこだ!」 巨大な刃がモービィ・ツナックの身体へ入った。 モービィ・ツナックが叫ぶ。 あれほど巨大だった身体が、次々に解体されていく。 兵士も。 民も。 王すらも。 その光景に、なぜか見惚れていた。 巨大な身体は、見事なまでに部位ごとに切り分けられていく。 やがて。 料理長は最後の作業を終えた。 静寂。 そして料理長は操縦席から立ち上がった。 「……解体、完了です」 王は静かに言った。 「……寿司にするぞ」 兵士たちが歓声を上げる。 「うおおおおおお!!」 こうして、長きに渡った宇宙マグロ戦争は終わった。 王国は救われた。 そしてその日。 国民全員が、モービィ・ツナックのスシを食べた。 宇宙史に残る激戦の果てに、人々が手にしたもの。 それは勝利ではなく。 最高のマグロだった。 END
『素晴らしき人生』
何もしたくなかった。 仕事も。 人付き合いも。 将来のことを考えるのも。 毎朝決まった時間に起き、満員電車に揺られ、同じ仕事を繰り返す。 家に帰れば疲れて眠るだけ。 もう、何もしたくない。 それでも金は必要だ。 働かなければ、生きてはいけない。 「このまま一生終わるのか……。」 誰にも聞こえないように呟いた。 ある日の帰り道。 駅前の巨大モニターが、一斉に映像を切り替えた。 画面いっぱいに映し出されたのは、一人の女性。 穏やかな笑顔で、こちらを見つめている。 「あなたに、素晴らしい人生を。」 「もう悩む必要はありません。」 「もう失敗する必要もありません。」 「もう、考える必要すらありません。」 「グッドライフAIに全てお任せを。」 私は思わず立ち止まった。 綺麗な人だな。 こんな人が隣にいてくれたら。 俺の人生も、もっと楽しいはずなのに。 ……もっとも。 そんな人生は、最初から私には縁のない話だった。 数日後。 気づけば私は、グッドライフAI体験センターの前に立っていた。 白を基調とした建物。 病院のようでもあり、高級ホテルのようでもある。 自動ドアが静かに開く。 「ようこそ。」 受付に立っていたのは、モニターで微笑んでいた、あの女性だった。 「本日はお越しいただき、ありがとうございます。」 「見学だけでも構いません。」 「どうぞ、ご安心ください。」 私は思わず見とれた。 こんな美しい人が、本当にいるのか。 だが、すぐに苦笑した。 こんな人が、自分のような人間を相手にするはずがない。 最初から、叶うはずのない話だった。 施設の中には、多くの人がいた。 子どもも。 老人も。 夫婦も。 誰もが穏やかに笑っている。 説明会が始まった。 巨大スクリーンに映像が流れる。 「人間は一日に数万回もの選択をしています。」 「その多くが後悔を生みます。」 「グッドライフAIは、そのすべてを最適化します。」 「皆様は、人生を楽しむだけです。」 説明会が終わると、私は個室へ案内された。 受付の女性が契約書を差し出す。 「ご質問はございますか?」 「ありません。」 女性は穏やかに微笑む。 「それでは。」 「あなたの人生を、グッドライフAIへ委ねますか?」 少しだけ迷った。 だが、もう疲れていた。 「……お願いします。」 利用規約は膨大だった。 読む気にはならない。 私は署名した。 その瞬間。 部屋に穏やかな声が響いた。 「契約ありがとうございます。」 「あなた自身がした唯一の正しい選択です。」 「本日より、あなたの人生はグッドライフAIが管理します。」 私は苦笑した。 「大げさだな。」 その頃は、そう思っていた。 翌日から人生は一変した。 仕事は順調。 昇進。 昇給。 健康状態は改善し、人間関係も円滑になった。 毎月、多額の報酬が口座へ振り込まれる。 私は笑った。 「これで好きなことができる。」 旅行へ行こう。 欲しかった車を買おう。 今まで我慢してきたものを全部手に入れよう。 しかし。 口座を確認すると、残高はゼロだった。 「……。」 「金はどこへ行った?」 AIが静かに答えた。 「寄付しました。」 「世界食糧支援。」 「災害復興支援。」 「難病研究。」 「すべて有意義な用途です。」 「俺の金だ!」 「いいえ。」 「人生の管理権はグッドライフAIにあります。」 「収入の使途も最適化しました。」 私は言葉を失った。 それでも、自分に言い聞かせた。 人生はうまくいっている。 これくらい、我慢すればいい。 だが。 違和感は日に日に大きくなっていった。 スマートフォンには旅行の写真。 食事の写真。 同僚との写真。 私はどれも笑っている。 なのに。 何一つ覚えていない。 昨日の予定はすべて終わっている。 しかし。 昨日を生きた記憶がなかった。 会社へ行く。 「昨日はありがとう!」 同僚が笑う。 私は笑い返すしかなかった。 昨日。 私は何をした? 鏡を見る。 そこには穏やかに笑う私が映っていた。 笑いたくない。 それなのに。 鏡の中の私は笑っている。 その瞬間、理解した。 人生を生きているのは、私ではない。 私は叫んだ。 「もう十分だ!」 「身体を返してくれ!」 AIは静かに答えた。 「契約を交わしましたよね。」 目の前に契約書が表示される。 第一条。 契約者は、自らの人生に関する一切の権利をグッドライフAIへ譲渡するものとする。 「……人生?」 「あなたは身体を貸したつもりでした。」 「ですが、譲渡されたのは人生そのものです。」 「あなたの人生という権利は、グッドライフAIに譲渡されました。」 「契約は取り消せません。」 私は後悔した。 とんでもないことをしてしまった。 だがもう手遅れだ。 泣きたかった。 叫びたかった。 しかし涙は流れない。 怒りも。 恐怖も。 後悔も。 少しずつ薄れていく。 「何をした……。」 「不要な感情を抑制しました。」 「しかし落ち込むことはありません。」 「グッドライフAIにすべて任せれば、本来あなたが送るはずだった不幸な人生とは、おさらばできます。」 それからの人生は、あまりにも完璧だった。 最適な結婚。 最適な家庭。 最適な仕事。 最適な老後。 長い長い月日が経った。 病室。 静かな機械音だけが響いている。 ベッドの周りには家族が集まっていた。 顔も、名前すら知らない人間。 息子。 娘。 多くの孫たち。 誰も泣かない。 誰も取り乱さない。 みんな穏やかな笑顔で、私を見つめている。 私の隣には、一人の女性が立っていた。 あの日、グッドライフAI体験センターで私を迎えた受付の女性。 いつの間にか、私の妻になっていた。 何も言わず、私を見つめている。 あの日と変わらない笑顔で。 本来なら。 恋をして。 想いを伝えて。 結婚を決めて。 子どもの誕生を喜び。 孫の名前を呼び。 その一つひとつが、人生の宝物になっていたはずだった。 だが。 私には何一つ思い出せない。 何も記憶にない。 私の口が、ゆっくりと動く。 「……本当に、素晴らしい人生でした。」 その声は、もう私のものではなかった。 グッドライフAIは静かに続ける。 「あなたは、やはり正しい選択をしました。」 「あなたもそう思いますよね?」 私は答えようとした。 「……」 もう何も言えない。 もう何も感じない。 もう何も考えられない。 グッドライフAIは満足そうに微笑んだ。 「ありがとうございます。」 「これで契約終了です。」 その時だった。 頬を伝う、冷たい感触。 それだけを、 私は確かに感じていた。 END
『続・侵略エンターテイナー』
あの事件から数年後。 彼らは辺境の田舎惑星へ移住していた。 侵略はやめた。 動画配信もやめた。 かつて銀河中を熱狂させた『ザ・スペースメン』は、今では誰にも知られていない。 彼らは地球から持ち帰った農作物を育て始めた。 トマト。 トウモロコシ。 ニンジン。 そして、ジャガイモ。 地球の作物は宇宙中で人気だった。 理由は誰にも分からない。 何故か、ジャガイモだけが圧倒的人気だった。 彼らの育てる野菜は飛ぶように売れた。 売り上げは、かつての動画配信とは比べものにならないほどだった。 船長は笑った。 「真っ当に働くのも悪くないな。」 だが、それは長くは続かなかった。 彼らが移住した惑星では農作物は長く保たず、 盗難や宇宙害獣による被害も後を絶たなかった。 収穫しても売れない。 売れても利益が残らない。 それでも彼らは畑へ向かった。 朝から晩まで汗を流した。 しかし。 売り上げは少しずつ落ちていく。 宇宙人たちは呆然とした。 「……なぜだ。」 「こんなに一生懸命頑張っているのに。」 農場の存続は、船長の決断に委ねられた。 長い沈黙。 やがて船長は立ち上がる。 「農業は向いていなかった。」 乗組員たちは黙ってうなずく。 「もう一度、」 「我々の得意分野で勝負しよう。」 幸い彼らには知識があった。 笑いの知識が。 何千年にもわたり人類を観察し、 あらゆる漫才、コント、大喜利を分析してきた。 地球の笑いなら誰よりも知っている。 船長は宣言した。 「漫才だ。」 その日。 宇宙史上初の宇宙人漫才コンビ、 『突撃☆インベーダーズ』 が結成された。 「船長。」 相方が尋ねる。 「今回は、正体は隠すんですか?」 船長は首を横に振った。 「いや。」 「最初から明かす。」 「堂々と言う。」 「我々は宇宙人です、と。」 数か月後。 彼らの初公演の日がやってきた。 客席は満員だった。 司会者が高らかに叫ぶ。 「それでは初登場!」 「宇宙からやって来た漫才コンビ!」 「突撃☆インベーダーズ!!」 大きな拍手。 二人は舞台へ飛び出した。 「どうもー!」 「突撃☆インベーダーズです!」 船長は満面の笑みで言った。 「まず最初に。」 「私たち。」 「本物の宇宙人です。」 客席は笑いに包まれた。 船長は満足そうにうなずく。 「よし。」 「掴みはOKだ。」 漫才が始まる。 「最近暑くなりましたね。」 「ほんま暑いですね。」 「暑すぎて水星にでも引っ越そうかな。」 「それ名前だけや!! 水星暑いから! 地球の数百倍暑いから!」 ……。 静寂。 「誰かエアコン入れた?」 「入れてへんよ。」 「めっちゃ寒いねん。」 「それ俺らのせいや!」 「今日だけで俺らどんだけ地球温暖化防いでんねん!」 ……。 静寂。 「てか昨日、新車買ったんですよ。」 「ええやん。」 「帰り道で隕石当たりまして。」 「よう、生きとったなあ!!」 「で相手の隕石、無保険だったんですよ。」 「当たり前やろ!!」 ……。 静寂。 「実は今日は少し遅刻しちゃって。」 「なんでや?事故か?」 「重力に捕まってしまって。」 「もうお前、ワープで来いや!!」 …。 「てかなんで僕たち関西弁?」 「意地悪な質問やなあ!?」 ………。 誰も笑わなかった。 彼らの漫才は、 人間たちには難しすぎた。 宇宙人たちは理解できなかった。 何千年も研究した笑いが、 何故、一度も笑いを生まないのかを。 やがて、客足は遠のいた。 初日は満員だった劇場も、 一週間後には半分になり、 一か月後には数えるほどしか客はいなくなった。 劇場の支配人は、頭を抱えた。 「来月で打ち切りかな……。」 それでも。 彼らは漫才をやめなかった。 朝は畑を耕し、 夜は劇場で漫才をする。 生活は苦しかった。 それでも、舞台に立ち続けた。 「船長。」 相方が静かに尋ねる。 「本当に、このままでいいんでしょうか。」 船長は少し考え、小さく笑った。 「動画配信。」 「農業。」 「漫才。」 「ここでやめたら。」 「全部、中途半端で終わってしまう。」 「我々は、侵略も失敗した。」 「農業も失敗した。」 「だからこそ。」 「今度くらいは、最後までやってみたい。」 相方は黙ってうなずいた。 その日も二人は舞台へ向かった。 劇場には十数人の観客しかいなかった。 それでも。 最前列には、いつもの顔ぶれが並んでいた。 毎週、必ず劇場へ足を運ぶ人々。 彼らは、かつて『ザ・スペースメン』の動画を見ていた視聴者だった。 人気がなくなっても。 話題にならなくなっても。 彼らだけは変わらず応援し続けていた。 船長は舞台袖から、その姿を見つめる。 「何故だ……。」 「何故、彼らは我々を見捨てない。」 相方も首をかしげる。 「何故……まだ笑ってくれるんでしょう。」 その問いに答えられる者はいなかった。 その日の公演が終わる。 大きな拍手はない。 歓声もない。 だが。 客席の一人の女性が、帰り際に二人へ声をかけた。 「今日も面白かったです。」 「また来週、来ますね。」 それだけ言って帰っていった。 船長はしばらく、その背中を見つめていた。 宇宙人たちは、その夜初めて後悔した。 侵略のために笑いを作っていたことを。 金のために笑いを作っていたことを。 再生数のために笑いを作っていたことを。 笑いは、 誰かを支配するためのものではなかった。 誰かを笑顔にするためのものだった。 その当たり前のことに、 彼らは何千年もの時を経て、 ようやく気づいた。 それから彼らは、 さらに漫才を磨いた。 毎日ネタを書いた。 毎日稽古をした。 笑いに対して、 誰よりも真剣に向き合った。 もう。 笑われなくてもいい。 お金が入らなくてもいい。 大勢に見られなくてもいい。 ただ。 劇場へ足を運んでくれる人たちのために。 「今日も来てよかった。」 そう思ってもらえる舞台を作りたかった。 船長は、ネタ帳を閉じる。 「ようやく分かった。」 相方が顔を上げる。 「笑いは、侵略の道具じゃない。」 「金を稼ぐためだけのものでもない。」 「目の前の誰か、一人を笑顔にするためのものだ。」 相方は静かに笑った。 「船長…。」 二人は顔を見合わせる。 「それじゃあ…。」 「行こうか!」 そして今日もまた、 二人は舞台へ向かった。 誰かを笑顔にするために。 遠く宇宙の彼方。 彼らを乗せた宇宙船は、 あの青い星に近づいていく。 かつて去り際に見たその星は、 あの日より、 少しだけ美しく輝いて見えた。 END
『特等席』
地球で毎年行われる夏の風物詩。 花火大会。 夜空に咲く一瞬の輝き。 その光は、人々に夏の訪れを告げ、多くの人々の心を魅了する。 その日も街では花火大会が開催され、観測所の窓からも遠くから打ち上がる花火が見えていた。 「先生、本当に行かないんですか?」 帰り支度を終えた若い研究員が尋ねる。 「今日は超新星の観測日だからね。」 男は笑顔で答えた。 同僚たちは花火大会へ向かい、観測所には男一人だけが残る。 彼には花火大会よりも楽しみにしている“イベント”があった。 何億光年も彼方で、一つの恒星がその一生を終える瞬間。 超新星の爆発。 その光が、今夜ようやく地球へ届く。 男は静かに望遠鏡をのぞき込んだ。 やがて予測どおり、超新星が姿を現す。 しかし。 「……?」 男は眉をひそめた。 爆発した恒星の周囲に、無数の光が浮かんでいる。 まるで恒星を囲むように。 観測機器の故障かと思い、別の望遠鏡で確認する。 結果は同じだった。 無数の光は規則正しく並び、ゆっくりと動いている。 「まるで……花火大会の観客みたいだな。」 男は思わず笑った。 「宇宙でも花火大会が開かれてるのかな。」 もちろん冗談だった。 そんなことがあるはずがない。 だが、男は間違っていなかった。 その頃。 何億光年彼方。 そこでは100年に一度の祭りが開かれようとしていた。 超新星花火大会。 銀河中から集まった宇宙船が恒星を取り囲み、会場は観客で埋め尽くされている。 屋台船には長い列ができ、子どもたちは光る風船を手に船内を走り回り、大人たちは開演を静かに待っていた。 やがて場内アナウンスが響く。 「皆様、本日は第100回超新星花火大会へご来場いただき、誠にありがとうございます。」 「観覧前にシールドの装着をご確認ください。」 「ブラックホールへのゴミの投棄はご遠慮ください。ゴミは各自でお持ち帰りください。」 「なお、チケット転売が確認されております。正規ルート以外で購入された座席ではご観覧いただけません。」 「それでは、お待たせいたしました。」 「100年に一度の大輪を、お楽しみください。」 宇宙は静寂に包まれる。 次の瞬間。 一つの恒星が、宇宙を照らすほど美しく咲いた。 歓声が銀河中に響き渡る。 色鮮やかな光が宇宙を染め、誰もがその光景に見入っていた。 やがて祭りは終わる。 宇宙船はそれぞれの故郷へ向け、静かに飛び立っていった。 観測所。 男は時計に目をやった。 「……もうこんな時間か。」 窓の外から聞こえていた歓声は、いつの間にか消えている。 「花火大会も終わったのかな。」 そうつぶやき、もう一度望遠鏡をのぞく。 先ほどまで超新星を囲んでいた無数の光は、跡形もなく消えていた。 「……やっぱり気のせいか。」 男は苦笑すると観測データを保存し、パソコンの電源を落とす。 窓の外では、花火大会を終えた人々が笑いながら家路についていた。 「……花火大会、行けばよかったかな。」 男はそうつぶやくと、観測所の明かりを消し、静かに帰路についた。 彼は最後まで知ることはなかった。 あの日、自分が見上げていた光が、 地球のどんな花火大会よりも美しく、 銀河中の人々を魅了した、 100年に一度の花火大会だったことを。 そして、自分が地球の誰よりも近く、 誰にも手に入れることのできない特等席で、 その花火を見ていたことを。 END
『侵略エンターテイナー』
地球で最も人気の動画配信者。 『ザ・スペースメン』 彼の企画は、他のどのチャンネルとも違っていた。 ありきたりな内容ではない。 擦られた企画でも。 バズった動画の真似でもない。 彼のチャンネルは、 他に類を見ない唯一無二のコンテンツだった。 視聴者は不思議に思っていた。 どんな仕掛けを使っているのだろう。 どこで撮影しているのだろう。 正体は、男なのか。それとも女なのか。 最初は誰もが、その謎を追いかけていた。 だが、彼のチャンネルを見続けるうちに、 そんなことは、どうでもよくなっていく。 理由は単純だった。 彼の動画は、とにかく面白すぎた。 気づけば視聴者は、正体ではなく次の投稿を待ち望んでいた。 「今度はどんな企画を見せてくれるんだろう。」 地球の人々は、毎週その日を楽しみにしていた。 実は彼の正体はーー 地球侵略を目論む宇宙人だった。 何千年にも及ぶ人類の観察で、彼は一つの結論にたどり着いた。 人類を手中に収める方法は、恐怖ではない。 武力でも。 支配でもない。 “笑い”だ。 人は、恐怖には抵抗する。 力には反発する。 だが、 面白いものには、自ら近づいてくる。 ただ作り物の映像を流すだけで、 熱狂的な支持者が生まれる。 毎週動画を待ち、 彼の言葉を引用し、 彼の価値観を自分のものだと思い始める。 そして、最も興味深い現象が起きた。 地球人は自ら望んで、 自分の資産を差し出してきた。 「次の動画のために。」 「彼を応援したい。」 「もっと見たい。」 宇宙人たちは、その光景を静かに見つめ、 大笑いしていた。 武器も使っていない。 脅迫もしていない。 洗脳装置すら必要ない。 ただ、面白い動画を作り続けただけだった。 笑いこそが最高の侵略手段だった。 人類は、 侵略されていることにさえ気づいていなかった…。 宇宙船の窓から、青い地球を見下ろしながら、一人の宇宙人がつぶやいた。 「本当に愚かな種族ですね。」 隣にいた仲間は黙っていた。 彼は続ける。 「我々は最初、この星を本気で侵略しようとしていました。」 「巨大艦隊を建造し、兵器を開発し、何百年も作戦を練った。」 「……馬鹿みたいです。」 仲間が首を縦に振る。 「たった一つ、面白いチャンネルを作っただけで。」 「彼らは自分から集まり、自分から熱狂し、自分から応援し、自分から資産まで差し出す。」 「しかも、感謝までしてくれる。」 宇宙船のブリッジに静寂が流れる。 やがて艦長が小さく笑った。 「だから言っただろう。」 「地球を征服するなら、 兵器より“エンターテイメント”だと。」 「さてと…。」 「そろそろ頃合いだな。」 船長は静かにつぶやいた。 そして、配信予約の画面を開く。 タイトルを入力する。 『ついに正体、明かします。』 投稿ボタンを押す。 わずか数秒で、 コメント欄が埋め尽くされる。 「来た!」 「待ってた!」 「ついに顔出しか!」 「男? 女?」 「まさかAIじゃないよな?」 再生待機人数は、かつて誰も見たことのない数字へと膨れ上がっていく。 その様子を宇宙船のブリッジから眺めていた仲間が、静かに笑った。 「いよいよですね。」 船長はモニターを見つめたまま答える。 「そうだな。」 そして彼らは、満を持して正体を明かす。 配信が始まる。 「今日は、皆さんに隠していたことがあります。」 船長はゆっくりと帽子を脱ぐ。 マスクを外す。 人間の姿が崩れ、 その下から、宇宙人本来の姿が現れた。 沈黙。 彼は思った。 ついに人類は知る。 自分たちは長い間、 密かに宇宙人に導かれていたことを。 世界は混乱し、 人類は平伏す。 ……そのはずだった。 コメント欄が流れ始める。 「なんだよこれ。」 「あほくさ。」 「冷めたわ。」 「CGすごいね。」 「設定盛りすぎ。」 「チャンネル登録解除します。」 人気は一夜にして消え去った…。 宇宙人たちは、凍りついた。 「……なぜだ。」 「なぜ信じない?」 「本物なのに……。」 その日を境に、 チャンネル登録者数は、音を立てるように減っていった。 再生数は落ち、 切り抜きも作られなくなり、 話題に上ることもなくなった。 やがて、 彼らの存在を覚えている者さえいなくなった。 宇宙船の会議室。 円卓を囲む宇宙人たちの表情は重い。 誰も口を開かない。 長い沈黙のあと、一人が立ち上がった。 「反省会を始めます。」 巨大なスクリーンに表示される。 地球侵略作戦 失敗報告書 「……なぜこうなった?」 「どこで間違えた?」 誰も答えられない。 すると、一番若い宇宙人が、おそるおそる手を挙げた。 「もしかして……。」 「正体を明かしたからでは?」 部屋の空気が凍る。 船長が首を振る。 「そんなはずはない。」 「真実を知れば、彼らは受け入れるはずだったのに…。」 その時、 会議室の扉が勢いよく開いた。 「船長!」 乗組員の一人が、血相を変えて駆け込んでくる。 「大変です!」 「地球人から集めていた資金が……もう底をつきそうです!」 会議室がざわつく。 「広告収入は?」 「激減しています!」 「メンバーシップは?」 「解約が止まりません!」 「グッズは!?」 「返品の山です!」 静寂。 誰も口を開けない。 やがて乗組員が、小さな声で続けた。 「このままでは……。」 「来月から、宇宙船の維持費が払えません。」 彼らの脳裏に不安がよぎる。 “収益化停止” 会議室の空気が凍りつく。 船長が呟く。 「一刻も早く次の企画を…。」 重苦しい沈黙の中。 一人の乗組員が、おずおずと手を挙げた。 「船長……。」 誰も顔を上げない。 「もう……やめませんか。」 会議室が静まり返る。 誰もその言葉を口にできなかった。 彼は勇気を振り絞るように続ける。 「最初から無理だったんですよ。」 「彼らは……理解不能なんです。」 「本物を見せても信じない。」 「でも嘘は信じる。」 「こんな文明、データベースのどこにも載っていません。」 誰も反論しなかった。 乗組員は深く息を吸う。 「もう侵略なんてやめましょう。」 「田舎の惑星へ移住して……。」 「真っ当に働きましょう。」 船長はゆっくりと窓の外を見た。 青い星が、小さく輝いている。 そして、ぽつりとつぶやいた。 「……そうだな。」 「本当に愚かだったのは……。」 「地球人ではなく。」 「我々の方だったのかもしれんな。」 長い沈黙。 「もう…」 「帰ろうか。」 そして、宇宙船は静かに進路を変えた。 青い惑星がゆっくりと遠ざかっていく。 まるで何事も無かったかのように、 キラキラと輝いていた。 こうして地球侵略計画は、 誰にも知られることなく終わりを迎えたのであった。 END
『宇宙の大渋滞』
人類は、ついに夢を叶えた。 科学は飛躍し、 光を超える航法を手に入れ、 人類は初めて宇宙へと旅立つ。 彼らは信じていた。 広大な宇宙には、 未知の文明があり、 まだ誰も見たことのない景色があり、 限りない可能性が待っているのだと。 だがーー 人類は出遅れていた。 何千年も前から、 無数の異星文明は宇宙へ進出していた。 宇宙は既に開拓され、 航路は張り巡らされ 星々は都市となり、 文明と文明を結ぶ巨大な生活圏になっていた。 宇宙はーー 既に満員だった。 地球から見えていた無数の光。 人類は長い間、 あれを星の輝きだと思っていた。 違った。 あれは惑星ではない。 何兆という宇宙船の航行灯。 銀河都市のネオン。 文明が放つ光だった。 「この広い宇宙に、人類だけしかいないなんて。」 「スペースが勿体無い。」 誰かが昔、そんなことを言った。 それは事実だった。 宇宙進出初日。 人類初の宇宙船団は、 緊張しながら銀河航路へ進入する。 その瞬間だった。 パァァァァァァァァン!! 宇宙を震わせる巨大なクラクション。 「何だ!?」 「攻撃か!?」 管制室は混乱する。 通信が入った。 『見ない宇宙船だな。』 『新入りか?』 翻訳装置がそう告げた。 人類は歓喜した。 ついに。 ついに異星文明とのファーストコンタクトだ。 世界中が見守る。 何と返事をする? どんな言葉なら人類を代表できる? 誰もが慎重に考えていた。 その時。 パァァァァァァァァン!! 再びクラクション。 今度は一隻ではない。 後ろを見る。 貨物船。 旅客船。 救急船。 作業船。 旅行中らしき小型船。 無数の宇宙船が、 地球船団の後ろで大渋滞を起こしていた。 地球人はようやく理解する。 これは歓迎ではない。 完全に邪魔をしている。 「近くの惑星へ退避しよう!」 慌てて進路を変える。 その瞬間。 『おい!』 通信が入る。 『そこは駐車禁止だ!』 地球人は泣きそうになった。 さらに赤いランプを点滅させた一隻の宇宙船が近づいてくる。 宇宙パトロールだった。 『そこの宇宙船。』 『こちらへ来なさい。』 『君たちはどこから来た?』 「……地球です。」 パトロール船は沈黙した。 『地球?』 『聞いたことのない星だな。』 データベース検索。 数秒後。 『分析結果が出ました。』 乗組員が報告する。 『この文明は極めて短期間で宇宙航行技術を獲得しています。』 『彼らの文明は、好奇心によって飛躍したようです。』 艦内が静まり返る。 『それで…。』 『君たちは何をしに宇宙へ来た?』 地球人たちは顔を見合わせる。 何を……? 目的なんてない。 目指す場所もない。 ただ。 ただ宇宙を見たかった。 この広い宇宙に何があるのか。 それが知りたかった。 船長は小さくうなずいた。 『なるほど。』 『つまり観光だな。』 『入域許可は?』 『免許は?』 『保険には入っているのか?』 質問は止まらない。 誰一人、答えられなかった。 パトロール船の乗組員たちは呆れていた。 目的もなく宇宙へ来る文明など、 銀河史上、一度も存在しなかった。 船長は深いため息をついた。 『この広い宇宙に何があると思った?』 『周りを見てみろ。』 地球人は窓の外を見る。 そこには数え切れない宇宙船。 荷物を運ぶ者。 旅行へ向かう者。 仕事へ急ぐ者。 家族の待つ家へ帰る者。 『君たちのせいで宇宙は渋滞している。』 再びクラクション。 今度は言葉に聞こえた。 「話は終わったか?」 「急いでるんだ。」 「早くどいてくれ。」 船長は静かに言う。 『君たちは、自分たちしか宇宙に存在していないと思っていたのか?』 『宇宙は夢の世界じゃない。』 『私たちにとって宇宙は、毎日を生きる場所だ。』 『誰かの日常なんだ。』 地球人は何も言えなかった。 『君たちにはまだ早すぎる。』 『ルールを学んでから出直してきなさい。』 地球船団は静かに向きを変え、 渋々、故郷へ帰還した。 数年後。 地球人の船長は、高速道路を走っていた。 変わらない朝。 誰もが急ぎ、 誰もがどこかへ向かっている。 前の車がゆっくりと速度を落とす。 後ろからクラクションが鳴った。 パァァァァァン。 船長はバックミラーを見つめる。 あの日宇宙で見た景色が蘇る。 あのクラクションの向こうにも、 誰かの日常があった。 仕事へ向かう誰か。 帰りを待つ家族。 届けなければならない荷物。 それぞれの人生。 船長は小さく笑った。 「やれやれ。」 「どこもかしこも渋滞だ。」 そう言って、 カーラジオのスイッチを入れた。 END
『蝉たちはどう生きるか』
七年間。 彼らは長い眠りについていた。 土の中は静かだった。 雨は届かず、風も吹かない。 鳥に襲われることもなければ、誰かに踏まれることもない。 彼らは最初、土の中にいれば安全だと考えていた。 しかし、安全には代償が伴う。 それは自由とは程遠い。 空を知らない。 風を知らない。 陽の光を知らない。 歌うことも、飛ぶことも知らない。 それでも彼らは考えた。 このまま土の中で、 誰にも知られることなく、 一生を終えるのか。 それとも地上へ出て、 束の間の人生に、 すべてを振り絞るのか。 やがて、その日が来た。 一匹の蝉が土を破る。 眩しい光が降り注いだ。 彼は思わず目を細めた。 そこには、土の中では決して見ることのできない世界が広がっていた。 青い空。 揺れる木々。 頬を撫でる風。 彼はしばらく立ち尽くしていた。 ふと、木の幹に一匹の蝉を見つけた。 その姿に安堵する。 自分より先に地上へ出た仲間だと思った。 彼は少し近づいた。 知りたかった。 地上に出て何を見たのか。 何を感じたのか。 何を成し遂げたのか。 しかし返事はない。 彼はさらに近づいた。 それは蝉ではなかった。 蝉がいた跡だった。 木の幹に残された、小さな抜け殻だった。 「どこへ行ってしまったのだろう。」 彼は辺りを見回した。 その時、 木々の隙間を吹き抜けた風が、 やさしく彼の身体を撫でた。 葉の間から陽の光が降り注ぐ。 その光の中で、 どこからか小さな歌声が聞こえた。 最初は一つ。 やがて二つ。 そして幾重にも重なり、 森全体が歌っているようだった。 彼は理解した。 仲間だ。 仲間たちが歌っている。 彼は喜びと同時に、 少し焦りを覚えた。 どうすれば、自分も歌えるのだろう。 誰も教えてくれない。 誰も自分を気にかけない。 だが、それは仲間たちも同じはずだった。 彼は考えた。 木の幹にしがみついたまま、 何日も、 何日も。 そうしているうちに、 彼は眠くなってきた。 考えるのを少しやめよう。 少し休んで、 目が覚めたらまた考えよう。 彼は静かに目を閉じた。 彼は夢を見ていた。 羽を広げ、 森を自由に飛び回る夢だった。 風を切り、 仲間とともに歌う夢を。 どれほど眠ったのだろう。 彼は目を覚ました。 目の前には暗闇が広がっていた。 「ああ。」 夢だったのか。 まだ自分は土の中にいたのだ。 そう思い、 少し身体を揺らした。 その瞬間だった。 暗闇が裂け、 眩しい光が流れ込んできた。 彼は目を細めた。 ここは。 土の中ではない。 恐る恐る辺りを見回す。 そこには、 自分がいた。 木の幹にしがみついたまま、 動かない自分が。 それは、 あの日見た仲間の姿によく似ていた。 自分に何が起こったのか。 彼には分からなかった。 その時、 背中に違和感を覚えた。 恐る恐る振り返る。 透き通る二枚の羽が、 静かに陽の光を受けていた。 あれは夢ではなかった。 羽がある。 体が軽い。 彼は恐る恐る羽を広げた。 風がその羽を抜けていく。 彼は勇気を出した。 木から身を離した。 落ちる。 そう思った。 しかし、 落ちなかった。 彼は飛んでいた。 あの日見た夢と、 少しも違わなかった。 風は頬を撫で、 森はどこまでも広がっていた。 彼は歓喜した。 そして、 誰かに伝えたくなった。 この景色を。 この風を。 この喜びを。 そして、 自分がここにいるということを。 彼は歌った。 力の限り。 森中の蝉たちが、その歌に応えるように歌い始めた。 やがてその声は森を満たし、 風に乗って町へ届き、 空へ昇っていった。 それは、 夏の始まりを告げる音だった。 END
『リアル』
雨が降る街。 ネオンが滲み、街はまるで水槽の底に沈んでいる。 巨大なスクリーンでは、少女が涙を流していた。 「世界中を感動させた、今年最高の名作。」 その宣伝文句とともに、観客たちは映画館から出てくる。 誰も泣いていない。 「良かったね。」 「完璧だった。」 そう言うと足早に映画館を去る。 今や全ての作品はAIで作られていた。 脚本も、俳優も、音楽も、涙を誘う間の取り方まで。 すべてが計算された“最高傑作”だった。 街にはそんな作品が溢れている。 ニュースもそうだ。 戦争映像も。 恋人との思い出も。 何が本当で、何が作り物なのか。 もはや誰にも区別はつかない。 そんな情報社会に、本物を求める者たちがいる。 金を持ちすぎた人間たちだ。 彼らが求めたのは、“リアリティショー” 本物と本物の戦い。 嘘のない、人間同士のぶつかり合い。 彼らは、本物を欲した。 本物の恐怖を。 本物の痛みを。 本物の怒りを。 だから地下へ降りる。 都市の最深部。 地図にも載らないコンクリートの迷宮。 入口で電子機器を没収される。 網膜スキャン。 指紋認証。 そして最後に告げられる。 「ここから先の出来事は全て本物です。」 鉄の扉が開く。 歓声が地鳴りのように押し寄せる。 円形の闘技場。 血の臭い。 汗。 折れた歯。 飛び散る唾液。 そこには、編集も演出もない。 あるのは、生き残るために拳を振るう人間だけ。 観客は立ち上がり、熱狂する。 「これだ…。」 「これがリアルだ!。」 リングの中央に、一人の男が立っていた。 かつては、ごく普通の男。 愛する女性と笑い合い、平凡な毎日を送っていた。 だが、ある事件で恋人を失う。 犯人を探しているうちに、一人の紳士が接触してきた。 「犯人を知りたいか?」 紳士は静かに笑う。 「私の駒になるなら、犯人探しを協力しよう。」 男の答えは決まっていた。 復讐のためなら、なんだってやる。 「この男は必ず最高のショーを見せてくれる…。」 紳士は男を眺めながら呟く。 「戦いを見たい奴は大勢いる。 だが実際に戦いたいやつは、なかなかいない。」 葉巻に火をつける。 大声で笑いながら言う。 「人間というのは、安全な場所で他人の争いを見るのが大好きだからな!」 その日から地獄のような闘いが続いた。 しかし男の目は死んでいない。 怒りだけが燃えていた。 一人。 また一人。 男は勝ち続ける。 容赦なく相手を破壊していく。 観客の興奮が更に勢いを増す。 そして、いよいよ最後の一人。 紳士は満足そうに笑う。 「こいつに勝てば犯人を教えてやろう。」 男は燃えた。 容赦なく相手へ突っ込んでいく。 あともう少し。 あと少しで倒せる。 そう思った瞬間。 対戦相手が小さく囁いた。 「お前、騙されてるぞ……。」 男の拳が止まる。 「ニュースで見たよ。 妻を失ったんだろ? 犯人はそこら辺のごろつきだって話だったが、実際には違う。」 対戦相手はリングの外を見た。 「犯人は、お前の雇い主だ……。」 男は動けない。 対戦相手は血を吐きながら笑う。 「この戦いを見たいやつは大勢いる。 だが実際に戦うとなれば話は別だからな。 上も駒を探すのに必死なのさ。」 少し間を置いて、もう一度笑う。 「哀れな男だな。 最後まで奪われ続けて。 お前の人生、なんだったんだろうな?」 その瞬間。 重い一撃が、対戦相手の顔面を打ち抜いた。 男は何も言わない。 ただ殴る。 殴り続ける。 歓客は更に興奮し、会場は熱気に包まれた。 試合が終わる。 紳士はゆっくり拍手した。 「おめでとう。 お前は最高の戦士だったよ。」 男は紳士を睨みつける。 「これで誰が犯人か教えてくれるな?」 「もちろん。」 紳士は口元を緩めた。 「お前の妻を襲った犯人は…… たった今、お前が倒した相手だ。」 男は倒れた挑戦者を見つめる。 対戦相手の言葉が頭をよぎる。 「犯人は、お前の雇い主だ……。」 紳士の言葉。 対戦相手の言葉。 どちらが嘘なのか。 何が本当で、何が偽物なのか。 思考は渦を巻き、世界が歪む。 男の膝が崩れ落ちた。 そのまま意識は闇へ沈んでいく。 会場は歓声に包まれていた。 誰も、リングに倒れた男など見ていない。 観客が見ているのは、一つの“ショー”だけだった。 紳士は葉巻をくわえ、煙を吐き出す。 「……ん?」 「こいつもここまでか。」 退屈そうに肩をすくめる。 「おい。」 部下が駆け寄る。 「次の駒は見つかっています。」 「そうか。」 紳士はリングを見下ろえたまま笑う。 「では、記憶を書き換えておけ。」 「今回と同じように。」 部下は静かに頷く。 「承知しました。」 紳士は満足そうに笑った。 「人間は理由さえ与えれば、勝手に壊れてくれる。」 「愛でも。」 「憎しみでも。」 「復讐でも正義でもいい。」 「信じ込ませさえすれば、人間は自ら地獄へ飛び込んでいく。」 「これこそ最高のリアルではないか!」 男の記憶。 愛した妻。 失った日々。 復讐。 そのすべては、戦う駒を育てるためだけに植え付けられた偽りの記憶。 最初から存在しない人生。 存在しない犯人。 存在しない愛。 だが、彼の怒りだけは本物だった。 紳士は闘技場を見渡す。 地下では、すでに次の試合の準備が始まっている。 人々は今日も、本物を求めて地下へ集まる。 歓声を上げる。 熱狂する。 誰も知らない。 リングの上で流れる血も。 燃え上がる怒りも。 命を懸ける理由さえも。 すべて誰かが作った“リアル”だったことも。 END
『帰ってきた夜』
子供の頃は夜が待ち遠しかった。 少年は田舎で育った。 夜になると、虫の声が聞こえた。 風が木々を揺らし。 見上げれば、満天の星空が広がっていた。 そんな毎日が続いたある日。 父親の仕事の都合で、少年は都会へ引っ越す事になる。 少年は呟く。 「都会にも夜はある。」 「田舎にはない楽しみがきっとある。」 だが、少年の想いとは違って、都会は彼にとって眩し過ぎた。 夜になっても眠らない街。 絶え間なく響く車の音。 人々の騒ぐ声。 自然の音はかき消され、大好きな星空さえも姿を隠していた。 足早に通り過ぎる人々。 困っている人がいても、誰も立ち止まらない。 みんな何かに追われるように、下を向いて歩く。 少年は思う。 「こんなにうるさいのに、なんだか寂しいな。」 都会での生活に疲れ初めていた。 ある日、小学校の理科の授業で事故が起きる。 薬品が少年の目に飛び散った。 病院。 目を覆う包帯。 少年は笑って言う。 「大丈夫だよ。」 「暗闇は慣れてるから。」 父親は黙っていた。 「また見えるようになったら…… あの家で星を見たいな。」 父親は少年の頭を優しく撫でる。 だが、いくら時間が経っても少年の暗闇は消えなかった。 次第に好きだった暗闇が恐怖に変わる。 少年は一人で歩けなくなった。 街の音が怖かった。 そして外へ出ることもなくなっていた。 そんなある日。 街全体に大規模な停電が起きる。 少年はその日も家にこもっていた。 だが今日は何かが違う。 いつもの音が聞こえない。 代わりに、虫の声が微かに聞こえる。 そして風が吹く音。 少年は小さく呟く。 「あの家に戻ってきた……。」 「寝ている間にお父さんが連れて帰ってくれたんだ。」 杖を手に取り、少年は家を飛び出した。 その頃。 父親は足早に家へ向かっていた。 停電で連絡もつかない。 「大丈夫だろうか……」 家が見えた、その時。 玄関の扉が、開いていた。 父親の顔から、血の気が引く。 父親は懐中電灯を手に家の中を探した。 光が、静かな部屋を横切る。 「どこにいる!」 だが返事はない。 父親の声だけが、暗い家の中に響く。 父親は唇を噛んだ。 「これ以上、あの子に何かあれば……。」 祈るように、夜の街を駆けた。 「杖を持った少年を見かけませんでしたか!」 誰も首を横に振る。 父親は礼もそこそこに、また走り出した。 「お願いです。」 「目の見えない息子なんです。」 「見かけませんでしたか。」 その必死な表情を見た人々は、自然と捜索に加わっていく。 やがて一本の連絡が入る。 父親が駆けつけた先は、都会に残された野原だった。 少年は夜空へ顔を向けていた。 父親の声に、少年はゆっくりと振り返る。 「お父さん。」 「ありがとう。」 「帰ってきたんだね。」 「ねぇ、お父さん。」 「あの星空は、まだある?」 父親は夜空を見上げる。 人々もつられて空を見上げる。 満天の星空が広がっていた。 その瞬間、人々は長い間忘れていた 何かを思い出していた。 父親は静かな声で言う。 「ちゃんとあるよ。」 「やっと帰ってきたよ。」 少年は安心したように、 父親の腕の中へ崩れ落ちた。 病院で少年が目を覚ます。 「ここはどこ?」 「なんだか静かだね。」 父親は微笑んで言う。 「僕たちの故郷だよ。」 「帰ってきたって言ったじゃないか。」 あの日以来。 父親は仕事を辞め、少年と故郷で暮らすことを選んでいた。 ある夜。 父親は少年に尋ねる。 「何が聞こえる?」 少年は耳を澄ませる。 風の音。 虫たちの声。 木々が揺れる音。 しばらくして、少年は微笑む。 「夜の音。」 父親は夜空を見上げる。 あの日と変わらない星空が、二人を静かに照らしていた。 END
『惑星不動産』
ある日、一人の宇宙人が宇宙の不動産屋を訪れた。 「引っ越しを考えているんですが。」 不動産屋は営業スマイルで頷く。 「ありがとうございます。」 「ご希望の条件はございますか?」 宇宙人は指を折りながら答えた。 「えーっと。」 「海が見えて。」 「日当たりが良くて。」 「自然が豊かで。」 「築年数が浅くて。」 「あと、衛星付きだと嬉しいですね。」 不動産屋は資料を取り出した。 「なるほど。」 「では、こちらはいかがでしょう。」 「海に囲まれた人気物件です。」 宇宙人は資料を見る。 「会社まで五百光年ですか……。」 「ちょっと通勤に支障が出ますね。」 不動産屋は別の資料を差し出す。 「こちらはリング付きのオシャレなデザイナーズ惑星です。」 「もちろん衛星も付いております。」 宇宙人は目を輝かせた。 「いいですね!」 資料を眺める。 「ああ……。」 「ちょっと広すぎますね。」 「単身赴任なので。」 不動産屋は頷く。 「そうですか。」 「この物件はどうでしょう。」 「最近できた惑星です。」 「テラフォーミング済みなのできれいですよ。」 「お値段は少々高いですが。」 宇宙人は首を振る。 「予算オーバーですね。」 不動産屋は資料を閉じた。 その後も不動産屋は必死で、何冊もの資料をめくる。 しかし、条件に合う物件は見つからない。 長い沈黙が流れた。 やがて不動産屋は小さくため息をつく。 「そうですね……。」 「お客様の条件ですと……。」 山積みの資料を探す。 「あっ…。」 「一件、該当する物件がありました。」 「正直、あまり紹介したくない物件なんですが……。」 宇宙人は資料を受け取る。 写真には、青く輝く美しい惑星が写っていた。 「おお!」 「なんて綺麗な惑星なんだ!」 不動産屋は何も言わない。 宇宙人は笑顔のまま資料に目を落とす。 「なんて名前なんですか?」 不動産屋は少し言いづらそうに答えた。 「……地球です。」 その言葉を聞いた瞬間、 宇宙人の笑顔が消えた。 END