石田あやね

4 件の小説
Profile picture

石田あやね

はじめまして。なろうにて長編小説中心に書かせていただいております(*'ω'*) あまり短編小説は書かない、というか思い付くものが大抵長編ものなので……日記感覚で日々感じたことを書けていけたらと思います! よろしくお願いします\( 'ω')/

方言

わたしは秋田で生まれ、一歳の頃に新潟に移り住んだ。それから18年間、新潟の佐渡で育ったわたし。 それから栃木県に5年ほど住んだりもしたが、今は北海道にいる。 様々な県に行くと、知らない方言に触れる機会が多く、驚くこともあった。 例えば…… 栃木県では『大丈夫』のことを『だいじ』、北海道では『弟』のことを『おんちゃん』とか。 県が違えば、方言もいろいろ。 しかし、面白いのは方言を使っている本人はそれが『方言』だと気付かずに使っている事だ。 わたしが 「それ、どういう意味?」 と聞いた時に、大抵その人は自分が方言を喋っていたのだと気付く。 若い世代ではあまり方言が出ない人もいるが、やはり年齢が高い方は方言の発言回数が多めな気がする。わたしの旦那は一回りも歳上なため、一緒にいてあまり聞かない言葉を口にすることが多々あった。 しかし、わたしに対しての方言の指摘はなかった為に、新潟はそこまで方言が濃くないのかな?と思っていた。 方言がなかった訳では無い。 『疲れた』を『てーすい』と言ったり、『ダメだ』を『らちかん』と言ったり、語尾に『だっちゃ』を付けるお年寄りも多かった。しかし、わたしの世代はその方言も笑いのネタ程度でしか使わなかった記憶があるため、普段は出てこない。 自分で気づかずに使っている方言って、自分では分からないものだ。だから、旦那からそれを言われるまで『方言』だなんて思ってもみなかった。 娘の学校で今、とある虫が大発生していることを聞いた。自宅は学校からそう離れていない場所。そのためか、家でもその虫をやたら目撃するようになってきた。 危害がある訳では無いが、洗濯物にくっ付いていたりして触って刺激してしまったら最後。臭くて厄介なヤツに大変身。 こう言えば、みなさんはなんの虫なのか、なんとなく想像は出来たのではないでしょうか? そいつの名前こそが、今回発覚した知らずに使っていた『方言』だったのです。 わたしは旦那に言いました。 「娘の学校で大発生してる虫が家にもよく出てくるようになってきたから、窓開けられないんだよー」 「え?なに虫?」 「ヘチガネ」 旦那、沈黙。その後。 「ヘチガネってなに?」 あんな有名な虫を知らないのか!と思ったが、娘すら「ヘチガネ?」と首を傾げた。 「ほら、ヘチガネだよ。あ、カメムシとも言うよね」 「いや、カメムシなら分からるけどヘチガネは初めて聞いた」 そんな馬鹿な!と、ググるわたし。 そしたら出てきた。 ヘチガネ……新潟県佐渡で使われている方言。カメムシのこと。 生まれて初めて、ヘチガネは方言だったのだと知った。しかも、佐渡限定とは。それは誰に言っても通用しない。 方言って、ほんと面白い。

4
5

今亡き父へ

3ヵ月前、離れて暮らす父が突然この世を去ってしまった。 わたしは北海道、父は新潟と離れていて、こまめにLINEでやりとりしていた。つい2~3日前にも、夏休みはどこかへ行くのか?とか、なにか面白いことあったか?とか他愛ない世間話をやりとりしたばかりだった。 それが突然、父の番号で平日の日中に着信が鳴る。 こんな時間に?と私が出ると、相手は父ではなく救急隊の人からだった。 「今お父さんが心配停止の状態で、とても危険です!」 正直、なにを言ってるんだ?と、理解するのに時間がかかった。わたしが離れた場所にいるのは会社の人から聞いて承知いたようだったが、お父さんの妹と連絡がつかず、どうにか連絡をとってほしいとお願いの電話だった。 しかし、パニックになりながら連絡をとるもスマホも自宅電話も繋がらず、途方にくれていると次は新潟の病院から着信。そこで、父は心肺蘇生しているがもう難しいことを告げられてしまった。 なんだろう。 電話越しでそんなことを言われても全然実感がわかないんだよ。 だから、涙すら出てこない。 医者からも状態を説明したいけど、妹と連絡が取れないと催促される。しかし、仕事をしているようで繋がらない。仕事先も最近変えてしまったらしく、どこで何をしてるのか全く見当がつかない。 そんな時、不意に「おい」と父の声がした。時計が掛かっている壁側から聞こえ、私は驚くということはなく、自然と目線を向ける。 なんとなく、父が俺は今死んだぞと知らせに来た気がした。そう確信に似た何かを察した矢先、また病院から着信。 それはやはり父が旅立った知らせ。 ああ、逝ってしまったのか。 その時にようやく涙が零れた。 コロナが落ち着いたら遊びに来いよ、そう言っていた父は遊びに行けない所へひとり逝ってしまった。 それから何日間かは、わたしは抜け殻だったと思う。執筆もヤル気が起きず、気付いたら泣いていたなんてこともあった。それでも短い期間で立ち直れたのは旦那と娘がいたからだ。 立ち直ってからは父の相続で、ひとりっこのわたしは慣れない書類書きに追われ、あっという間に1ヶ月がたった。 実は、父の気配をなんとなく感じていたわたし。霊感はない方だと思う。幽霊なんて見たこと無かったから。けど今はお盆だし、会えなかった孫を見たくて、うちの中に父が居座っているのかなんて考えていた。 お盆が終わり、また娘も学校へ行く日常が始まった。(北海道の小中高の二学期はお盆明けて数日後から始まります) 旦那も仕事で、家はガランと静かになる。わたしはひとり黙々と、朝に出た洗い物や洗濯をこなす。すると、娘の部屋から火災報知器が鳴る音。 え!?何事と慌てて駆け付ける。 しかし、火の気は全くなく、火災報知器の「火事です」が規則的に天井から響いていた。慌ててセンサーを停止し、改めて娘の部屋を見渡す。 誰もタバコは娘の部屋では吸わない。 たまにお灸をすることはあるが、朝になんて誰もやらない。娘の部屋には、何ひとつ火災の気配はない。 だけど、わたしはなんとなくベッドに置いてある充電されたスマホに目がいった。 すると、充電器のコンセントが何故かちぎったように裂け、中の線がむき出しになっていたのだ。 「危ないなー、下手したら火事になるじゃん」 そうボヤいて、ハッとした。 あ、もしかして父さん? これを知らせるために、火災報知器を誤作動させた? そう思うと、ふって笑顔になった。 孫の守護霊にでもなったのかな、なんて思ったら少しおかしかった。 火災報知器はそれから誤作動は1度もなく、父の気配もなくなってしまう。気が済んだのか、今は見守ってるだけなのか分からない。 それから季節が変化を迎える10月。 父の死から3ヶ月。 もう父の気配を全く感じない。 安心して成仏したのだろうか。 きっと、そうに違いない。 そうであって欲しいと願いながら、わたしは変わらない日常へ戻る。 ありがとう、父さん。 そして、さようなら。 亡き父に捧ぐ……

4
2

孤独のグルメ

テレビで見掛けると、ついつい目がいってしまうグルメドラマ。 これを見ると無性に外食いいなぁーって感じるけど、コロナ禍が長く続いたせいか娘がすっかり外食嫌い?になってしまった。 ちょっとした遠出はもちろん、温泉やちょっとしたイベント会場も完全拒否。お家時間を読書やゲーム、好きな事に没頭できる楽しさに目覚めてしまってすっかりインドアな子になってしまった。 友達とはオンラインゲームやLINEで繋がるから、どこかで待ち合わせして遊ぶこともない。 コロナで不安だし、まだワクチンはこれからだから未摂取だし、外出を怖がる気持ちは分かるんだけどね。あまりに外から出ないというのは大丈夫なのかと、少し親目線では心配になる。 とりあえず、ワクチン打って周りが落ち着けば少しずつ戻っては行くだろう。 それまでは、外食なしなうちは毎回のメニュー決めるのに悩む日々が続くのだろう。田舎だから、便利なテイクアウトや配達をしているところが少ないのが難点。 たまには、月に一度ぐらいは、自分の作ったご飯じゃないものが食べたい。 これ、本音。 そして、そんなことを考えながらテレビをつける。孤独のグルメだ。 あ、美味しそう。 そういう食べ方で食べたい。 少しだけ行った気分になりながら、わたしはひとり孤独のグルメを堪能する。

7
6

席替え

 わたしには中学生の娘がいる。  小学生とは打って変わって、いろいろと難しい年頃だ。友達関係や勉強のことで、最近悩みが絶えない。  娘の中学校は月に一度のペースで席替えが行われる。席替えは、時に仲の良い友達と同じ班になって楽しさが倍増したり、気になる異性と隣同士になってドキドキしたり、様々な事が巻き送る一大イベントだ。  しかし、今回の席替えで娘は毎朝溜息を零すようになってしまった。どうやら、あまり得意ではない異性と隣同士になってしまったらしい。 「最悪」 「学校行きたくない」  毎朝のボヤきにわたしは何を言ってあげたら良いかと悩むしかなかった。  大人からすれば、たかが席替えと考えてしまう。だって、社会に出れば嫌な人はいくらでも出てきて、嫌でも関わらなくてはいけないからだ。それに比べたら、大した悩みとは思えなくなる。  そもそも、また月が変われば新たに席替えできるじゃないかと、楽観的に思ってしまうのだ。  だがしかし、思い出してみると確かに席替えした時の相手は学生には重要だった。班が同じなら、授業で隣同士で話し合ってとか、班で意見交換して発表とかよくあったような記憶がある。仲がいい人同士なら、それは苦でもなければ、逆に先生ナイスと心踊ることかもしれない。  しかし、嫌な相手だと話は別だ。  相手と仲が悪かったりしたら、それはもう苦痛以外の何者でもない。たかが席替え、されど席替え。まだまだ中学校という世界の中で過ごす人には、ちょっとした嫌な事が世界の終わりのように感じてしまうのだろう。  だが、それで学校を休むという選択は娘に良くないとわたしは言った。  これは正論で、今後いろいろ乗り越えていくための予行練習なのだ。これから先、きっと嫌な人と関わる場面はたくさんやってくる。その時、どう切り抜けるのか、どう受け止めていくのか、それを学んでほしい。  これを理解してくれるのはきっと、娘が母となった時だろう。  その時がきたら、娘も悩むのかな。  そんな日が来たら、わたしはきっとあなたも同じように悩んだのよと、笑って話すかもしれない。  そう笑って話せる日が来ることを信じて、溜息をつきながら学校へ向かう娘をわたしは今日も笑顔で見送った。

4
2
席替え