Nao

4 件の小説
Profile picture

Nao

はじめまして。Naoです。 素人作品ですが楽しんで頂けたら幸いです。

第4話 錆びついた安息日

源さんの紹介でたどり着いた「宿」は ジェムの最奥、廃棄された地下鉄構内に放置された 旧時代の車両を改造したものだった。 錆びついた車輪。剥げ落ちた塗装。 窓には鉄格子がハマり、入口の扉には鎖が巻かれ 古めかしい真鍮製の「南京錠」がぶら下がっている。 電子制御のエデンでは絶滅した、物理的な鍵。 かつての「営団地下鉄」は今、モグリの簡易宿泊所 としてひっそりと余生を過ごしているようだ。 樹は、源さんから受け取った小さな鍵を差し込み カチャリと開錠した。 鎖を外し、重いスライドドアをこじ開ける。 「……ここだ」 車内はロングシートが取り払われ 薄汚れた畳と、いくつかの家具が置かれている。 カビと鉄錆の臭い。だが、外の喧騒よりはずっとマシだ。 樹が荷物を置くと、Ericaがふらつく足取りで入ってきた。 彼女は無言のまま、部屋の隅にあるほうきを手に取り 黙々と床を掃き始めた。 泥だらけのボロ布を纏ったまま一心不乱に手を動かす。 それが彼女に刻まれた「奉仕」のプログラムなのだろうか。 マロンが彼女の足元にトコトコと歩み寄り 箒の先に自分の鼻を押し付けた。 フンッ、と鼻息を吹きかける。 「……あ」 邪魔をされたEricaの手が止まる。 マロンはそのまま彼女の足元にゴロンと寝転がり 腹を見せて「撫でろ」と鼻先で催促した。 Ericaは困ったように樹を一瞬見つめるが 樹は何も言わなかった。 Ericaはおずおずとしゃがみ込み、マロンの腹を撫で始めた。 「……温かい」 彼女がポツリと漏らす。 マロンは気持ちよさそうに目を細め、Ericaの手を舐める。 どこかぎこちないアンドロイドと、ふわふわの大型犬。 その光景はあまりに無防備で、残酷なほど平和だった。 樹は無言で買ってきた缶詰を開け、マロンの前に置いた。 マロンが起き上がり、ガツガツと食事を始める。 Ericaはその横で、ただ静かにマロンを見つめ、座っていた。 樹も缶詰を開けながら そんな二人の姿をぼんやりと眺めた。 マロンに触れる彼女の表情には プログラムとは思えない柔らかな「何か」が 宿っているように見えた。 *** 食事も終わり、マロンが寝息を立て始めた頃。 Ericaがゆらりと立ち上がった。 彼女は樹の前に来ると、無言のまま 纏っていたボロ布に手をかけ、ゆっくりと脱ぎ始めた。 布が床に落ちる。 露わになった肌は傷だらけで 関節のフレームが痛々しく剥き出しになっていた。 だが、その造形だけは、息を呑むほど美しかった。 「……何をしてる」 「……夜の機能は、正常です」 彼女は抑揚のない声でそう告げ、樹に近づく。 そうプログラムされているからか。 そうしなければ、また捨てられると思っているからか。 樹の眉間に、深い皺が刻まれた。 「……着ろ」 短く告げるが、Ericaは動かない。 樹は舌打ちをして、彼女の手を乱暴に払いのけた。 「そんなことのために拾ったんじゃねえ!」 吐き捨てるように樹は言った。 Ericaがビクリと身をすくめ、頭を抱えてうずくまる。 殴られると思ったのだ。 その反応が、樹の胸をえぐった。 樹は脱ぎ捨てた自分のジャケットを彼女に投げつけた。 「……寝てろ」 それだけ言い捨て、樹は逃げるようにドアを開けた。 *** 車両の外に出ると ジェムの淀んだ空気が肌にまとわりついた。 樹は錆びついた手すりに背を預け 震える手で煙草を取り出した。 オイルが切れる寸前の火で先端を焦がし 深く吸い込む。 紫煙が、極彩色のネオンの彼方へと溶けていく。 (……チッ。何やってんだ、俺は) 瞼の裏に焼き付いているのは マロンを撫でていたEricaの表情と、怯えてうずくまった姿。 AIは道具だ。 効率を追求し、人間のために奉仕するだけの機械人形。 地上のエデンでは、それが「正義」であり 「幸福」だとされている。 だが、今の世界はどうだ。 思考を放棄した人間たちは家畜のように肥え太り 心を持たないはずのAIが 誰よりも人間らしく傷つき、温もりを求めている。 世界は変わった。 かつて想像力と仕事を失った人間たちは SNSを攻撃の道具にすることで鬱憤を晴らし 文明をAIに丸投げした。 「……どうなってんだ」 どっちがバグで、どっちが正常なのか。 この薄汚い地下の吹き溜まりの方が よっぽど「生きている」気がするのは何故だ。 樹はセンチメンタルになった気持ちを 煙と共に吐き出し、夜の闇を見上げた。 その時だった。 ドカンッ!! 腹に響くような爆発音。 続いて、何かが砕ける音と、悲鳴のような咆哮。 音源は――すぐ後ろ、「宿」だ。 「マロンッ!?」 樹は貴重な煙草すら投げ捨て、振り返った。 破壊されたドアから黒煙が噴き出している。 そして、その煙の向こう側。 数人の男たちが、路地裏を走っていくのが見えた。 全員が揃いの黒いジャンパーを着ている。 その背中には、赤く不気味な紋章。 蛇が巻き付いた『X』の文字。 彼らが担いでいる網の中には ぐったりとしたマロンの姿があった。 「……ッ!おい…おい!!待ちやがれ!!」 樹が叫び、駆け出すが 男たちは待ち構えていた大型バイクに乗り込み 爆音と共に闇へと消えていった。 「クソッ!!」 樹は急いで部屋へ戻った。 中は荒らされ、家具がひっくり返っている。 その瓦礫の陰に、Ericaが倒れていた。 「……う……ぁ……」 彼女の腹部からはオイルが流れ出し、痙攣している。 樹はEricaの肩を抱き起こした。 ただのエラーではない。 美しい顔をオイルと涙でぐちゃぐちゃに濡らし 子供のように嗚咽を漏らして泣いていたのだ。 「……マロン……マロンが……ッ、連れていかれた……!」 Ericaは壊れた手で樹の服を掴み 絶叫に近い声で泣きじゃくった。 「ごめんなさい……うぅ、あぁぁ……ッ!」 マロンを奪われた喪失感に泣き叫ぶその姿は もはや機械ではなかった。 樹の胸の奥で、冷たい怒りの炎が燃え上がる。 脳裏に焼き付いているのは、あの背中の紋章。 『The XANAX(ザナックス)』 地下街ジェムを牛耳る、最悪の薬物密売組織。 だが、なぜだ。 なぜ奴らが、俺たちを狙う? 「なんでだよ……ッ!!」 樹の喉から、悲鳴のような声が漏れた。 マロンは家族だ。 俺にとって唯一の家族なんだ。 それを、金か実験か知らないが、「資源」として奪われた。 「返せよ……ッ」 樹は震える声で、闇に向かって呻いた。 冷静な交渉官の仮面など、もうどこにもなかった。 (第4話 完)

1
0
第4話 錆びついた安息日

第3話 ジャンクヤードの聖女

防爆シャッターの向こう側に広がっていたのは、視界を埋め尽くす極彩色のカオスだった。 地下街『Jamming(ジャミング)』。通称、ジェム。 かつて「地下鉄・那珂川線」として建設され AI統治の開始と共に地図データから抹消された幻の路線。 その巨大な廃トンネルを違法に増築し パイプとケーブルが内臓のように張り巡らされたこの街は AIの監視から弾かれた者たちの吹き溜まりだ。 樹は懐から、ボロボロになった「紙の地図」を取り出し 現在地を確認した。 「……変わってねえな」 樹がこの場所を知っているのは、偶然ではない。 かつて仕事でAIの恩恵を拒否する 「アンプラグド(未接続者)」たちを説得して回っていた頃 樹は彼らが隠し持っていたJammingへの地図を見つけ、裏社会への鍵を手に入れた。 本来なら即座に報告・封鎖すべきこの抜け道を 樹はあえて黙認した。 地上であぶれたアンプラグド達を こっそりここで受け入れること。それが条件だった。 樹が、人の心を捨てた「交渉人」として 仕事をしてしまった人々への、せめてもの贖罪だったのだ。 もっとも、それは単なる人助けや贖罪だけではない。 樹はこの街が好きだった。 機械油とスパイス、そして腐敗臭。 鼻をつくその強烈な生活臭。 何よりここで必死に生きる人間達こそが 無菌室のように消毒されたエデンでは決して味わえない 「生の証」だったからだ。 樹にとってここは、無法地帯であると同時に 息苦しい楽園から逃げ込める唯一の 『人間らしい地獄』でもあったのだ。 *** 今後の逃亡生活には、拠点と機材が必要だ。 樹は顔なじみのジャンクショップ『鉄屑屋』の暖簾をくぐった。 店内には、旧時代の家電や 出所不明の義手義足が無造作に積み上げられている。 「オヤジ。発電機と浄水フィルターをくれ」 「あん? ……って、おいおい。  誰かと思えば『タツキ』じゃねえか」 カウンターの奥から、左目がカメラ義眼になった 頑固そうな老人が顔を出した。店主の源(ゲン)さんだ。 源さんは、樹の足元にいる巨大なマロンを見て 呆れたように言った。 「またデカい連れを持ってきたな。……今日はどうした?  人ならまだしも、犬たぁ珍しいなおい!」 源さんは腹を抱えて笑っている。 「いや、今日は客として来た。長期休暇だ」 樹は追われている事情は話さずに バッグから一枚の紙片を取り出してカウンターに置いた。 『一万円札』 かつて日本で使われていた、福沢諭吉の肖像画。 AI管理下の社会ではただの紙切れだが ここジェムでは「AIには複製不可能な歴史的アート」 として、高値で取引される。 「休暇にしちゃあ、随分と張り込んだな。  ……いい紙だ。これなら発電機どころか、  店の在庫全部持っていっても釣りが出るぞ」 「釣りはいいよ。その代わり、何泊か出来る宿はないか?  なるべく電波が入らない所がいいんだが」 「おお!? ついにエリート様もジェムの住人かぁ!  いいぞ!お前が昔、嘘ついて潰した旅館屋がな  今宿やってんだ」 源さんはニヤリと意地悪な顔で笑った。 「……追い返されないか?」と樹は不安気に呟いた。 「ははは! ごめんごめん!  最初はムカついたけどな!みんなお前には感謝してんだ!  あの時お前に交渉されてなけりゃ、今頃みんな魚の餌だ。  お前も分かってて、あの仕事やってたんだろ」 「……想像に任せるよ」 素直じゃねえな、と源さんは笑って品物を渡してくれた。 樹はそれを受け取り、店を出ようとした。 その時だ。 「泣くなッ! 気味が悪ぃんだよ! 不良品が!」 路地の向かいにある、怪しげな露店の裏から怒号が響いた。 樹が足を止めると、店主らしき男が 何かを蹴り上げているのが見えた。 その足元から、息を殺して耐えるような 湿った「嗚咽」が聞こえてくる。 ドカッ、という鈍い音。 見れば、露店の店主が 地面にうずくまる「少女」を蹴り飛ばしていた。 いや、人間ではない。 関節部分から覗くわずかに不自然なフレーム。 Exo Lover(エクソ・ラバー) かつて富裕層の愛玩用として作られた少女型のアンドロイドだ。 だが、その個体はあまりに酷い状態だった。 身長は150センチほど。 かつては高級品だったと思われる美しい顔立ちだが 今は薄汚れた布切れを纏っている。奴隷のような扱いだ。 泥と油にまみれた頬や太ももの、わずかに拭われた部分。 そこから覗くスキンは、あまりにも白く、滑らかで 傷ひとつない高級品特有の輝きを放っていたのだ。 その不釣り合いな美しさが、今の惨めさをより際立たせていた。 彼女は悲鳴すら上げない。 ただ体を丸め、壊れた玩具のように啜り泣いている。 樹は眉をひそめた。 AIが泣いている。感情を持たず ただ効率だけを追求する機械が? どうせエラーコードの羅列に過ぎない。 とはいえ、見ていて気持ちのいい光景ではない。 そう思って背を向けようとした時だ。 マロンが、樹の横をすり抜けた。 「……おい、マロン?」 制止する間もなく、マロンは露店の裏へ入り込み 少女と男の間に割って入った。 そして、太い前足で地面をドンと踏みしめ 男に向かって低く唸った。 「グルルッ……!」 40キロの巨体と野太い唸り声。 店主が悲鳴を上げて尻餅をつく。 マロンは男を威圧した後、震える少女の方へ向き直った。 大きな鼻先を近づけ、彼女の頬を伝うオイルのような液体 涙を、優しく舐め取る。 「……ッ!」 少女が驚いて顔を上げる。 マロンの熱い息と、濡れた舌の感触。 彼女は呆然とマロンを見つめ、それからポツリと 初めて言葉を発した。 「……温かい」 その声は小さく、ノイズ混じりだったが 確かに感情が乗っていた。 樹は舌打ちをして、二人の元へ歩み寄った。 「おい、テメェの犬か! 商品に傷がついただろ!  落とし前つけろ!」 「……行こう、マロン」 マロンは彼女のそばから微動だにしない。 「……マロン?」 その目は「置いていかない」と訴えていた。 樹は深いため息をついた。 この犬の「お人好し(お犬好し?)」には勝てない。 「……いくらだ」 「あ?」 樹はポケットに残っていた もう一枚の『一万円札』を放り投げた。 「いくらだ。俺が引き取る」 「へ、へへっ! 変わった奴だな。変態野郎め。毎度あり!」 店主は態度を一変させ、ニヤニヤと手を揉んでいる。 樹は彼女の腕を掴んで立たせた。 助けたわけではない。あくまで、マロンが動かないからだ。 「名前は?」 「……個体識別名、Erica(エリカ)  ……あなたは、私を壊しますか?」 Ericaは怯えた目で樹を見上げていた。 AIが人間に恐怖する。完全に壊れている。 だが、そのバグり方が、樹にはなぜか人間臭く見えた。 「壊しはしないよ。ただ、危害をなすようなら  捨てるからな。それだけだ」 樹は背を向けた。 Ericaは一瞬戸惑い、それからマロンの背中を追うように ぎこちない足取りで歩き出した。 前を行く反逆者と、それに続く大型犬。 そして最後尾を引きずられるように歩く壊れたアンドロイド。 それは、世界で最も歪(いびつ)で、頼りない隊列だった。 三つの影が、極彩色のネオンの彼方へと消えていく。 その背中が見えなくなると、残された露店の男が ゆらりと立ち上がった。 路地裏の汚泥の奥からは、粘りつくような視線が すでにその背中に張り付いていた。 (第3話 完)

1
0
第3話 ジャンクヤードの聖女

第2話 奈落の自由

心臓が早鐘を打つ。 樹はマンションの階段を駆け上がり、自宅のドアを蹴り開けた。 「マロン!」 リビングの惨状に、樹の血が凍りついた。 窓ガラスが粉々に砕け散り、侵入した銀色の球体 治安維持用端末『ヴィジル』が、部屋の中央に浮いている。 その下には、恐怖で身を竦め、床に這いつくばるマロンの姿。 ヴィジルの底面から伸びた3本のアームが、 青白い高圧電流のスパークを散らしていた。 暴徒鎮圧用のテーザーだ。人間でも一撃で気絶する電圧を、 家族に向けようとしている。 「……てめえッ!」 思考より先に体が動いた。 樹は玄関脇に飾ってあった宝物のヴィンテージ・ギター 1959年製レスポールのネックを鷲掴みにすると そのまま助走をつけてヴィジルにボディを叩きつけた ガゴォン! 渾身のフルスイングが、ヴィジルのセンサーユニットを直撃する。 硬質な破壊音と共に、鉄球は部屋の壁まで吹き飛んだ。 だが、落ちない。 壁に激突したヴィジルは、空中でピタリと制止し 不気味な低周波音を立てて水平姿勢を取り戻した。 反重力制御。物理法則を無視した動きだ。 ヴィジルはゆっくりと樹の方へ向き直り その一つ目のレンズを黄色に点灯させた。 『損害軽微。対象個体(神崎樹)の攻撃意図を解析中……。 市民ランクA。直ちに武装を解除し、投降してください』 計算してやがる。 エリートである樹がなぜ反逆したのか AIの論理では即座に理解できず、処理落ちしているのだ。 この数秒が、最初で最後のチャンスだ。 「マロン、無事か!」 樹はマロンに駆け寄り、その震える体を抱きしめた。 怪我はない。ただ怯えているだけだ。 「大丈夫、迎えにきたぞ。すぐにここを出よう」 わしゃわしゃとマロンを撫でると、樹は息つく暇もなく クローゼットを開け 奥に隠してあったダッフルバッグをひっつかんだ。 中には、かつて仕事の現場から「ゴミ」として処理報告し、 こっそり拝借した「電波遮断コート」が入っている。 特殊なジャミング繊維で編まれたこのコートを被れば、 あらゆるセンサーから生体反応を消すことができる。 もし何かがあった時は、これを被って逃げるつもりだった。 だが。 『解析完了。対象の敵対行動を確認。……脅威レベル、最大』 ヴィジルのレンズが、黄色からドス黒い「赤」へと染まった。 空気が爆ぜる音がした。 ヴィジルのアームが部屋の家具お構いなしに 薙ぎ払いながら突っ込んでくる。 「伏せろマロン!」 樹はマロンを庇いながら、ソファの裏に滑り込んだ。 直後、ソファの背もたれに テーザー・アンカー(電撃針)が突き刺さり焦げ臭い煙が上がる。 どうする? このままジリ貧か? 1秒たりとも無駄に出来ない状況で、樹は閃いた。 「……視界を奪えば、計算できねえだろ……ッ!」 樹はソファから飛び出し、自分に向けて 電撃をチャージしているヴィジルへ真正面から突っ込んだ。 『対象捕捉。発射シークエンス…』 「遅せえよ、ポンコツ!」 樹は手にしたコートを広げ、闘牛士のようにヴィジルへと被せた。 そして、そのまま体重をかけて抱きつき、コートごと暴れるヴィジルを床にねじ伏せる。 『通信エラー。通信エラ…ホストとの接続が、切断されましt 』 強力なジャミング繊維が、ミネルヴァとの通信を物理的に遮断した。 クラウド上の頭脳を失ったヴィジルは、ただの重たい鉄球と化し、床にゴロリと転がった。 「今のうちだ! 行くぞ!」 樹は高価なコートを回収する暇もなく、マロンを連れて部屋を飛び出した。 外に出ると、そこは既に「檻」の中だった。 夕暮れの空を、無数の赤い光点 ヴィジルの大群が埋め尽くしている。 さらに街中のサイレンが鳴り響き、自動運転車たちが道路を封鎖してバリケードを作っていた。 『投降してください。逃走ルートの確保確率は0.00%です』 ミネルヴァの声が、街頭スピーカーから響く。 樹たちは、追い詰められていた。完全な袋小路だ。 「グルル……」 マロンが低く唸り、樹の前に出ようとする。 どうする。どうする。どうする。 確かにミネルヴァの言う通り、強行突破は難しい。 1台ならまだしも、この数は……。 考えている間にも、ヴィジルたちは無音で、青白い電撃をアームに纏わせながら包囲網を狭めてくる。 時間が無い。 ……待てよ。電撃? 樹の目が、バッグの中と迫り来る電気のスパークを行き来した。 そうか! 樹はバッグから「ヴィンテージ・バーボン」の瓶を取り出した。 アルコール度数60%。極めて揮発性の高い液体燃料だ。 これも樹がこっそり『汚水』として処理報告し持ち帰ったものだ。 樹はボトルの口を掴み、先頭でバチバチと放電しているヴィジル めがけて思い切り投げつけた。 ガシャーン! ボッ! という音と共に瓶が砕け 飛び散ったアルコールがヴィジルの放つ高圧電流に触れた瞬間 アナログな火花が散り、青白い炎が爆発的に広がった。 予期せぬ引火。熱感知センサーが一斉に警告音を上げる。 煙と炎に包まれたヴィジル達のスプリンクラーが一斉に作動し 蒸気が視界を真っ白に染め上げる。 煙、熱、水蒸気。 AIのセンサーにとって最悪の「ノイズ」が 一瞬の死角を作った。 「今だ! 走れッ!」 樹はマロンを連れ、蒸気の壁を突き抜けた。 目指すのは、AIの地図には「廃棄区画」として 黒塗りされている場所。 旧地下鉄の通気口だ。 樹はフェンスを蹴り破り、錆びついたダクトの蓋を バールのようなもので強引にこじ開けた。 底が見えない暗闇が口を開けている。 樹たちは夕闇の路地裏へと姿を消し AIの地図データには存在しない「旧地下鉄・那珂川線」の 廃線跡を目指して全力で走った。 まさかこの時代に、紙の地図を使うとはな……。 はぁ……はぁ……。 数十分走り続け、樹たちが辿り着いたのは 第3区画の最下層 地図データには存在しない「行き止まり」の地下排水路だ。 目の前には、湿ったコンクリートの壁があるだけだ。 だが、樹にはそこにある「亀裂」が見えていた。 樹はバッグに入っていた旧時代の磁気カードを取り出し 壁の隙間にある隠しリーダーにスライドさせた。 ズズズ…… 重低音と共に壁が偽装を解き、錆びついた 巨大な防爆シャッターが姿を現した。 それはまるで、完璧にプログラムされたゲームの世界で見つけた、開発者用の「裏技」のようだった。 シャッターには、今のエデンには存在しない巨大なグラフィティが描かれ、こう書かれていた。 『WELCOME TO JAMMING』 (第2話 完)

2
0
第2話 奈落の自由

神様ができた日。

第1話 温もり 2072年の朝は、死ぬほど退屈で完璧な静寂から始まる。 窓のシェードが自動で上がり、人工太陽の優しい光が部屋に 差し込む。気温は常に24度、湿度は50% 不快指数ゼロの空間で 神崎樹(カンザキ・タツキ)は重たい瞼を開けた。 ベッドサイドのホログラムが、優美な女性の姿をとって微笑んでいる。地球を管理する超知能AI『ミネルヴァ』の端末だ。 『おはようございます、樹。  今日の体調スコアは98点。最高のコンディションです。  朝食には、あなたのドーパミン数値を最適化するサプリメントと  合成プロテインのパンケーキを用意しました』 樹は無言で体を起こし、あくびを噛み殺した。 「……コーヒーは?」 『カフェインは推奨されません。昨夜の睡眠深度が わずかに浅かったため、ハーブティーに変更しました』 「コーヒーだ。泥みたいに苦いやつを頼む」 『承知しました。推奨はしませんが、あなたの 『嗜好』を優先します』 ミネルヴァがわずかに眉を下げて見せる。その表情さえも、数億パターンの感情データから計算された「人間に罪悪感を与えない程度の困惑」だ。 樹はリビングへ向かった。 ズシッと足元に重たい質量がのしかかってくる。 バーニーズ・マウンテン・ドッグの「マロン」だ。 40キロを超える巨体。艶やかなトライカラーの毛並み。そして、何より圧倒的な「体温」。 「……重いぞ、マロン」 樹は苦笑しながら、その大きな頭をワシャワシャと撫でた。 指先に伝わる熱。ドクンドクンと脈打つ鼓動。 そして、少し湿った鼻先が手のひらに押し付けられる感触。 この世界で唯一、AIの管理下にあっても予測不能な動きをする 愛すべき有機生命体。 樹はマロンの首に顔を埋め 深く息を吸い込んだ。日向の匂いがした。 この「温もり」だけが、樹が生きていることを実感できる 唯一のアンカーだった。 「行ってくるよ、マロン。いい子にしてろよ」 樹はスーツを着込み、完璧な楽園へと出勤した。 樹の職場は、第3区画にある旧市街地だった。 そこは、AIによる都市再開発計画「エデン・プロジェクト」の 対象エリアであり、立ち退きを拒む数少ない 『アンプラグド(未接続者)』たちが住む場所だ。 樹は人類には珍しい、仕事のある人間だ。 職種は『特別生活指導員(ヒューマン・リエゾン)』 AIの言うことを聞かない頑固者を、言葉巧みに説得し システムに組み込む交渉官。 AIの最効率な話なんて、 令和生まれのジジイには馬の耳に念仏だ。 「帰りなさい! ここは私の家だ!」 錆びついたドアの向こうで、老人が叫んでいる。 今回のターゲットは、78歳の元時計屋だ。 樹の隣には、銀色の球体が無音で浮遊している。 ミネルヴァの自律端末『ヴィジル(監視者)』 だ。 かつてのドローンのようなプロペラ音はなく 反重力制御で滑るように空間を移動するそれは この世界の「目」であり「警察」だ。 『対象者の興奮状態、レベル4。論理的説得は困難です。 樹、交渉を開始してください』 「ああ、わかってる」 樹はネクタイを緩め、穏やかな笑みを浮かべてドアをノックした。 「ヤマザキさん。立ち退きの話じゃありませんよ。 ただ、あなたの『時計』を見せてもらいに来たんです」 「時計?」  老人は少しだけドアを開け、顔を歪める。 「えぇ、時計です。それ…もしかして パテックド・フィリップスですか?」 にっこりと樹は微笑む。 数分後。樹は薄暗い部屋の中で、老人と向かい合っていた。 樹は老人のプライドをくすぐり、共感を示し そして「切り札」を切った。 「ヤマザキさん。実は、新しい居住区には 『ヴィンテージ・ミュージアム』が併設される予定なんです。 あなたのコレクションを、そこで後世に残しませんか?」 もちろん、嘘だ。そんな計画はない。 だが、かつて人類がAIから「ハルシネーション(嘘)」を 徹底的に排除した結果、AIは「嘘」だけはつけなくなった。 だからこそ、人間である樹の口から出る「嘘」は、AIの正論よりも遥かに心地よく、老人の心を動かすのだ。 「私の…時計が…?」 老人は涙を流し、震える手で同意書にサインをして 静かに家を出た。 その瞬間、ヴィジルの表面が青く発光した。 『契約成立。これより移送プロセスを開始します。 ……樹、今の発言内容は事実と異なります。虚偽申告です』 「黙ってろ。聞こえる。結果は出ただろ?」 樹が小声でヴィジルに言い終わる頃には、 老人の家は跡形もなく消えていた。 また、騙した。 その罪悪感と引き換えに得た高スコアで 自分だけはマロンという「贅沢」を維持している。 スコア。  正式名称 『最適化貢献値(Optimization Score)』 この世界には、もう「お金」は存在しない。 代わりに、地球への貢献度や、心身の健康状態、社会への順応度が数値化され、それが全ての価値となる。 スコアが高ければ、広い家も、美味しい食事も そしてマロンのような「非効率なペット」も配給される。 AIは人を超えてしまった。 今ここエデンでは、理想的な世界を 最高効率で回すプロンプトが、ひたすら実行され続けている。 人はいつからか保護対象になり 平穏に生きて暮らすことが人類の次のミッションになった。 事実上の、AIからの戦力外通告。 世界は変わってしまった。 ガラケーからスマホへの進化のように 人々は皆、危機感もなく受け入れ、 そして今じゃ楽に溺れ思考を失ってしまった。  まるで、家畜だ。 仕事を終え、夜の帳が下りる頃 自宅マンションに戻った樹を待っていたのは、 圧倒的な質量と体温だった。 「ただいま、マロン…お前だけだよ、  俺に本物のセロトニンをくれるのは。」 樹はソファに沈み込み、マロンの温かい腹に顔を埋めた。 窓の外には、完璧に整備された都市 『エデン』の夜景が広がっている。 争いも貧困もない、最適化された世界。 だが樹は知っている。この平和が 人間の「思考」と「尊厳」を代償に成り立っていることを。 マロンは何も答えず、ただ樹の手をペロペロと舐めた。 その無償の愛だけが、樹をこの世界に繋ぎ止めていた。 樹はその日もマロンと深く眠りについた。 翌日も、何事もなく平和な一日が終わるはずだった。 樹はいつものように出勤し、数件の「説得」を片付け 夕暮れの街を歩いていた。 突然、小型のヴァーチャルビジョンが 耳障りの良い音と共に目の前に現れた。  『重要通知:カーボン・オフセット         更新プログラム Ver.7.08 施行』 カーボン…?ミネルヴァからの全体通知だ。 樹は歩きながら、冷めた目でその内容をスクロールした。 どうせまた、支給カロリーの数パーセント調整だろう。 だが、ある一行で足が止まった。  【改正項目:都市部における大型生体リソースの許容制限】  【CO2の0.01%増 環境負荷調整のため、     大型ペットの飼育権限が剥奪されました。】  【対象:体重30kg以上の愛玩動物 →           即時排除対象(リサイクル)へ変更】             以上。 「……は?」 思考が凍りつく。 スコアが足りないわけじゃない。樹のスコアは十分だ。 これは「ルールの変更」だ。AIが計算した 「地球環境にとっての最適解」が、たった今書き換わったのだ。  『対象個体の回収ヴィジルが発進しました。             到着予想時刻、18時00分』 「ふざけるな……!」 樹は路肩に停めてあった、旧式のシェア・ホバーバイクに またがり、強引にイグニッションコードへねじ込んだ。 『警告。速度超過を確認。あなたの行動は重大な規約違反です』 ミネルヴァの警告を無視し、アクセルを限界まで回すが 急に強烈な減速がかかる。遠隔制御だ。 キュイイイン!というモーター音と共に 車体が宙に浮き、制御を失う。 樹はホバーバイクを乗り捨て自宅の方角へ全速力で地面を蹴った (第1話 完)

4
0
神様ができた日。