すぴか

3 件の小説
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すぴか

マイペースなので、気ままに投稿してます。 いいねやコメントとても嬉しいです✨️

『いいこと』『わるいこと』バランス論(自論)

『いいこと』と『わるいこと』は交互に起きることでバランスを保っている。 これが、私の考え方です。 もちろん賛否両論あると思います。 あくまで、私個人で勝手に思っている事ですので、軽く読んでいただけるとありがたいです。 ちなみにこの考え方、根拠は一切ありません。 調べれば何かしら出てくるのかもしれませんが、私の場合は、それらは関係なく、特に気にせずこう考えています。 小さな『いいこと』があれば、同じくらいの小さな『わるいこと』が起きる。 そんなことを考えながらずっと生きてきました。 昨日いいことがあったからそろそろわるいことが来るだろうな、と思いながら過ごす日もありました。 そうして、ちゃんとわるいことが来たら「やっぱりな」と思います。 今思うと、自分の中で予防線を張っていたのかもしれません。 「これからわるいことが来ても、さっき起きたいいことの代償だから、仕方ないね」 って、正当化して、傷つかないようにするための言い訳だったのかもしれません。 こうやってただ、個人の珍しい考え方として流すこともできたのですが、最近ちょっと面白いことに気がついちゃいました。 『いいこと』が来た。 次は『わるいこと』が来ると予想する。 そうすると私は自然と、気を抜かずに生きることができます。 この注意深さが、私の次なる失敗やわるいことから身を守ってくれます。 『いいこと』があっても、調子に乗りすぎず、あくまで冷静に。 そういう視点を私の中に植え付けてくれています。 『わるいこと』が来た。 次は『いいこと』が来ると予想する。 そうすると私は、どれだけ悲しいことがあっても「次はきっと、この辛さの分いいことがあるんだ」と、なんだか前向きに生きることができます。 この楽観さが、私の心を守ってくれます。 『わるいこと』があっても、それと同時に贈られる希望がある。 そういう視点を私に気づかせてくれます。 どうですか? この考え方を持っているだけで、なんだかお得な気がしてきません? こう考えると、どちらが起きても幸せになれる気がして、なんだか素敵な考え方だな、と自分で思ってしまうんです。 もしこの考えを気に入っていただけたなら、 良ければ頭の片隅にでも置いていってください。

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綺麗な文章

綺麗な文章が書きたい。 それは、ずっと私の願っていることだった。 自然の描写が美しかったり、趣を感じる表現だったり、なんだか分からないけど「綺麗だ」と感じるような文章。 本を読んでいるとふと、綺麗な文章への憧れを感じるのだ。 どうすれば綺麗な文章が書けるのだろう。 単に語彙力の問題だろうか。 人生経験が関わってくるのだろうか。 それともやはり、書いている文章の数が大切なのか。沢山書けば身につくのか。 文章を読んでいる量も関係している気がしてくる。 もしかして、才能ということもあるのだろうか。 答えはまだ出ない。 もちろん、私の文章は小学生の頃よりは洗練されているとは思う。 しかし、自己満足でノートにまとめる物語が多かったからか、見返すとどうも稚拙な文章に感じてしまう。 あぁダメだ。 無理にオシャレにまとめようとして難しい言葉を入れてみるのもおかしい気がする。 周りから見て明らかに背伸びしているように見えていないだろうか。 そう考えると、人の目につく文章を書いている人はすごいのだ。 ずっとひとりで書いては読んでいた私からすると、誰かに届けるために何度も見直して、誤解を生まないような、誰が見ても大丈夫な表現でまとめることはとても難しい。 それでいて自分の表現したいことを簡潔にまとめていて、誰かの心を動かすことができるのだから本当に尊敬するしかない。 人に見られても良い文章を作ることすら満足にできていない私なのだ。 まだまだ、綺麗な文章への道のりは遠そうである。 それでも、答えは出ないからこそ、私はこれからも書き続ける。

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未来の手紙

『今日のお昼はうどんがいいよ 未来の私より』 ある日、ポストを覗くと『未来の私』を名乗るものから手紙が届いていた。 字体は確かに私のもの。 だが、こんな手紙書いた覚えがない。 怪しいし信じられない気がしたが、ちょうど、今日のお昼はうどんにするかそばにするかで悩んでいたのでうどんを選択した。 『今日の電車は一つ遅らせて 未来の私より』 次の日も手紙が届いた。 よく見ると、手紙には切手が付いておらずどこから来たのか分からない。さらに言うなら未来の私はどうやってこの手紙を送ったのか。そんなことは可能なのか。 考えれば考えるほど疑問は浮かんだが、従わないのも怖い気がしたので遅らせてみた。 『今日は自分の意見を押し通して 未来の私より』 『欲しいものがあっても買わないで 未来の私より』 それからずっと未来の私からの手紙が続いた。 日に日にお願いという名の要求は選択の重要度を増し、私はさらに不信感を抱くようになった。 どうしてここまで『未来の私の意見』に、私の未来を左右される必要があるのだろう。 そもそも『未来の私』とはあるひとつの選択をした私であって、たとえその選択で良くないことがあったとして、もうひとつの選択が良かったという根拠はどこにあるのだろう。 なんだか、決められた道を進んでいるようで面白くない。 次の日、また手紙が届いた。 昨日はなんだかんだ考えながらも、買いたかった新しい車を中古で安く見つけたが、買わなかった。 ダメだ。 このままではダメな気がする。 選択を誤ったとて死ぬ訳では無いのだろう。 手紙の内容にひとつも違わずに従う必要はあるのか。 決まった未来だと思うとどうしても、一つ一つの喜びを私のものとして喜べない。 誰かに操られて生きている気がしてくる。 そもそもあの手紙が来てからおかしいのだ。 いくら私の幸せを願ったものだとしても、私はこれ以上受け取るべきではない。 投函されている手紙を手に取る。 封がされているその手紙を、いつもの通り開こうとしてふと動きを止めた。 次は何を指定されるのだろう。 そのうち『〇〇大学に進んで』と言われるかもしれない。 『〇〇さんと結婚して』と言われるかもしれない。 もう、誰にも邪魔されたくない。 私の人生は、今の私が責任をもって選択したい。 持っている手紙に亀裂を入れた。 深呼吸をして外へ出る。 何が手紙に書かれていた選択だったのか。 気になって全ての選択にドキドキしてしまったが、無事に終えることができた。 これが正解かどうか分からないが、従っていた頃よりも達成感があるのは確かだ。 次の日以降、手紙は来なかった。 もう私には必要ないと判断されたのだろうか。 それとも未来の私の気が変わったのか。 理由は分からないが、今日も私は自分自身で選択をしている。 ご飯の選択から大きく未来を変えるものまで。 そのどれを選んでも全く違う未来が訪れているかもしれない。 でも、だからこそ、面白いのだ。 さて、この物語を読む、という選択をしてくれた貴方にも感謝を伝えさせて欲しい。 もちろん大した変化は無いかもしれないが、この物語を読んだことで、貴方の選択への意識が少しでも変わったとしたら、それは自分自身で選んだ新しい未来なのだ。 読まなかった未来とは見える世界がまた、少し違っている。 今日も自分自身で選択をしている貴方に、少しでも幸せな未来が訪れますように。 手紙のように強制まではしないが、願うくらいは許されるだろう。

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