mtmynnk

2 件の小説

mtmynnk

はじめまして。普段はカクヨムで読んだり書いたりしています。

新宿、午前5時

あなたが私の元を離れて、初めての新宿だった。 ライブはとても楽しかったけれど、あなたが居ないと何処か虚しい。   気付くとパールのイヤリングを片方落とした後だった。 安物だったが気に入っていた。ライブハウスからの帰り道で落としたのだろうか。手がかじかむ。雪は降るのかな。早く家に帰りたい。 まだ新宿駅のホームは暗い。点検をする運転士。スマホのレンズを向けると怪訝な顔をされる。シャッターは切らない。 新宿から始発に揺られて家に帰る。明け方。空はグラデーション。ライトグレー、ペールピンク、ライトパープル、そしてオレンジ。私以外誰も乗らない車両。特等席。総武線のドアが開き、磯の匂いがすれば市川を越えている。 最寄駅に着くとバスが動いていなかった。 この駅前は日陰が多い。寒い中、手を震わせてバスを待つ。凍てつくような風が吹く。冬が私を虐める。どこまでも。私はあなたの事を考えている。 朝日に向かって祈る。ごはんを食べていますか。よく眠れていますか。食べてるだろうな。霧に包まれたこの小さな町で私はあなたを想っている。 太陽がコンクリートを温め始めた。眠そうな運転士のアナウンス。気の抜けたソーダ缶のような発車音。バスが動き出す。 冬の貯水池は今日も美しい霧をこの町に作り出している。霧の中に一筋の刺すような朝日。 見惚れている間に次の景色。あっという間の出来事。写真が趣味なのにいつもこの風景は撮れない。 あなたはこの町の美しさを知らない。あなたはこの町の夜しか知らない。 私はこの町が大好き。見せたかった。私の好きな景色をすべて。この町の朝をすべて。 何も無いこの町はとても美しい。 美しい景色を私はあなたと共有したかった。 優しい誰かが「普通の男の子と普通の女の子が普通の恋愛をしただけだよ」と励ましてくれた。 私達が普通じゃない家で育ったのを知って、それでもそう言ってくれた。 あなたは普通の男の子で、私は普通の女の子なんだって。 私達は普通の恋愛をして、普通に離れただけだって。 「そしてまた別の恋に落ちるよ」 優しい誰かが笑いながら励ましてくれた。ひでぇ奴。 私はあなたを好きだった。 大好きだった。 それだけだった。 あなたの居た頃は北風の入るライブハウスでも笑い続けていたのに。 本当に楽しくて、笑い続けていたのに。 あのライブハウスはもう無い。 新宿にはあなたとの思い出がそこかしこにある。 パールのイヤリングは今も見つからない。 もう新宿には行かないと思う。 あなたにももう会えないと思う。

1
0
新宿、午前5時

お姉ちゃんの羽

「お姉ちゃんには羽が生えるの。羽が生えれば約束の地に行けるのよ。神様からの命令なの」 姉が突然そう言い始めたのは10日前だった。 両親も私も、最初は冗談だと思っていた。 しかし姉は毎日同じ事を言う。 「お姉ちゃんには羽が生えるの。羽が生えれば約束の地に行けるのよ。神様からの命令なの」 約束の地には神様が居て、ずっと幸せに暮らせるそうだ。死という概念はないらしい。 両親が姉を精神科に連れて行こうと話している。 私も同じ意見だ。姉は何かのストレスできっと一時的におかしくなってしまったのだ。優しい姉のことだから、学校の人間関係などに疲れてしまったのかもしれない。病院で診て貰い、少し休めば元の姉に戻るだろう。 今日、姉が家に居ないと最初に気付いたのは母だった。 姉の部屋に書き置きが残されていた。 「お姉ちゃんには羽が生えました。神様からの命令で約束の地へ行きます。お姉ちゃんは幸せになります。みんな元気でね。」 母は顔を真っ青にして警察に電話している。 父と私は、それぞれ駅前と近所とに手分けして姉を探しに出た。 近所の小学校の屋上に人影が見えた。まさか……。 日曜の小学校に、屋上にどうやって侵入したのか。何故か人影ははっきりとは見えない。 姉の声がした。 「神様ありがとうございます!私は幸せになります!みんな元気でね!」 ガンッ!! 屋上の柵が蹴り飛ばされたような音がする。 私は思わず顔を背けた。 こわい、こわい。とてもこわい。 どうして姉は変わってしまったのだろう。 勉強が得意な姉、読書好きの姉、幼い頃に物語を書いては私に読み聞かせてくれた姉。 姉は無口だけど優しかった。 どうして変わってしまったのかわからない。 人が落ちた音もしない。 でも、羽の音だってしないのだ。 今は姉を見るのが、こわい。 それを見るのが、私はこわい。

3
0
お姉ちゃんの羽