アンダンテ(歩くような速さで)
8 件の小説会話難しいよ〜
自分は数学が得意だ。 応用の問題を、自分の知ってる知識を駆使して解くのは 嫌いではない。 自分はそういう事が好きだ。 対して、人との会話を苦手とする。 「今日は肌寒いね」と相手に言われたとき。 毎回「そうか。自分は寒くない。」と返していた。 しかし、本当は「上着でも貸そうか」 など、相手を気遣う言葉を言うべきらしい。 自分は相手に対して細かい気遣いができていなかったようだ。 会話は相手の求めている答えをすぐに出さないといけない とても高難易度のものだ。 自分は、すぐに答えるという事が苦手だ。 4×7など普通の状態なら秒で解ける問題も、 すぐに答えなければならないという緊張状態であると 少し回答が遅れる。 会話に空白の時間があると、相手を退屈にさせてしまう。 しかし「私の前髪酷くない?」と自分に言われても 分かんない。 「ああ、酷い有様だね」とでも言えば満足するのか?
魚釣り
「エサがないから、魚が釣れないなあ。」 と私がぼやいたところ、私の友人が 「これはキミから借りた釣り竿だったね。」 と言ってくるので 「なんだよ、借りたくせに文句かい?」 と返した。 そうしたら 「いや、キミのペットも一緒に借りてくればよかったなって」 冗談だとしても面白くないし、冗談でなくとも面白くない。 とにかく、そんなヤツと一緒に釣りをする気はもうない。 私は釣り竿だけ返してもらって帰った。 翌日、私は目が覚めてそんな事も忘れていた頃。 私のペット、熱帯魚のタカハシがいなくなっていた。 とても嫌な予感はしていた。 予感は残念ながら的中していた。 そいつが呑気に釣りをしている後ろ姿をみて 私が話しかけようとしたところ、そいつから話しかけられた。 「やっぱり、魚でも共食いは嫌なのかな?」
集団が嫌い2
感情に訴えかけるという行動は 時に恐怖を煽り 共通の敵を作り 人々を扇動する力を持つ。 そうした力は人を動かす力がある。 そうして影響力は大きくなる。 そのときに必要なのが 周りに合わせず自分で考える冷静さである。 特に「共通の敵」は大きく人を動かす力がある。 人というのは、自分の信じる正義のためならば 手段を問わない事もある。 「共通する敵」を忌み嫌うことで団結した人の集団は 判断力を失い、より手段を選ばなくなる。 これがわたくしの嫌うものである。 多くの人を説得できる事と、 正しいという事は違うことがある。 その正しいという基準も、時代や人によって変わる。 だからこそ自分の判断力を失うべきではない。 感情に自分を操作されていないか。 考えを疑い、第三人称視点で考える。 仮の正義に乗っかって思考停止していないか。 それを考えてから行動に移してみてほしい。 自分の感情の主導権を他人に握らせないようにしよう。 ネットでよく騒がれる「炎上」騒動なども 「共通の敵」を作って、仮の正義に乗っかり 思考停止しているだけかもしれない。 正しい情報を掴めたら、判断するのは自分だ。
夏祭りの話
かつての話。 自分含めて6人と共に祭りに行ったとき、 自分以外の5人は同じゲームをやってるゲーム仲間で、 自分だけそのゲームを知らなかった。 グループは2つに分かれていた。 5人と1人にな。 自分はここにいる意味も分からず、自分の前で 和気あいあいと会話を楽しむ5人に置いていかれぬように 着いていって、 たまに意味も理解してないのに相槌をうった。 その時は無性に足が痛かった。 その5人のリーダーみたいな人が 「またこのメンバーで夏祭り行こうな!」 と全体に呼びかけていたが、その 『このメンバー』とやらに自分が入ってるのかは 分からなかった。 これは去年の出来事であるが、 夏祭りがすぎた今もなお、その知人達から連絡は来ていない。
集団が嫌い
集団が嫌いになるときがある。 周りはこうしてるからとかでなく、 自分が正しいと思うかで判断する事というのも 時には大切な事だ。 自分が集団が嫌いになるタイミングは、 自分で判断すべきときにも、周りに合わせなければならない 雰囲気があるとき。 例えば、相手は20歳以下だのに 「おい、お前も酒呑んじまえよ。」 と誘ってくるおじさんとかがいるだろう。 ああいうのだ。 ああいうのは 「オレが若い頃、周りはみんな酒飲んどったし大丈夫よ。」 「家の中だけやったら平気よ。」 と、周りに合わせてくる事をオススメしてくるが。 自分で考える事なく、周りに流されて動くぐらい、 流しそうめんのそうめんでもできる事だ。
ダジャレの感想
「遅れちゃってゴメン!許して“おくれ”!」 遅れてる場面でこれを言う心の強さだけは 認めてやらんでもない。 「パジャマが邪魔」 どんな場面?という疑問が笑いの邪魔をしてるので 真に邪魔な物はこのダジャレ自体。 「カエルが帰る」 同音異義語でダジャレを作るのは何か違う。 芸術点が低い。 「言い訳して良いワケ?」 別に良いと思う。 「朝食抜いて、超ショック」 朝飯を抜いたのは自分だのに、勝手に衝撃を受けないでほしい。 超とつけるほど悲嘆する事か? 「豆乳を投入」 液体を投げ入れる?? 「野口英世の愚痴ひでーよ」 野口英世のファンとかなんすかね。 あんまファンの人はフルネームで呼ばないと思いますけどね。 「ツイッターでつい言ったー」 Xな 「ラクダは楽だ」 1番許しがたいダジャレ。 ラクダになった事もないのに、一方的に楽だと決めつけており 極めてラクダに失礼。
ゲームのテキストから考える文章の強調
ポケモンとかのテキストって良いよね。 …… フン! つかえない ポケモン だぜ …… いいか おまえが かてたのは オレの ポケモンが よわかったからさ (金銀のライバル) こういう感じでひらがなとカタカナ、 「…」と「!」と「?」空白などから 構成されている。 ポケモンのセリフには、 ひらがなだけの文章が読みにくいからこその 工夫が見られる。 例文を出してみようか。 邪魔だったから、そこの箱は私がどかしたよ。 という文章があるとする。 そんだら全部ひらがなにする。句読点もなしで。 じゃまだったからそこのはこはわたしがどかしたよ 読みにくいので、空白を使って単語として認識してもらう。 改行もして読みやすくする。 じゃまだったから そこの はこは わたしが どかしたよ この時点でだいぶマシになった。 しかし文章のどこに注目すべきかが分からん。 そこで一部をカタカナにしてみると ジャマだったから そこの ハコは わたしが どかしたよ 「ジャマ」と「ハコ」が、ひらがなの柔らかい感じとは違うので 目立って見える。 なんなら、もうちと面白く! ジャマだったから そこの ハコは アタシが どかしたよ うんうん。一人称を変えるだけでも セリフでキャラクター性を感じられます。 マーヴェラス‼︎ すみません、言ってみたかっただけです。 自分は文章の一部をカタカナにする事があるのですが、 こういう意味があってやってるときもある。 「ときもある」って事は大抵、何も考えずに ただのクセでやってるって事じゃない?
雑学と見せかけた自分語り
メモリと言ったらば、 なぜパソコンやらのメモリの容量って 32とか64とかヘンな数字なんだろうなと 思っていた頃があったのを思い出した。 それはそうとして、片手で31まで数えられる方法をご存知だろうか? 右手をだして、グーの形にし、親指を上げてGood‼︎(グー) それを1として、 人差し指が2、中指が4、薬指が8、小指が16とする。 そしたら次はチョキの形にしてみてほしい。 それは人差し指と中指をあげてるので、 2+4で6。チョキは6を表す。 そしたら、🤟の形は… 親指の1、人差し指の2、小指の16を足すと 19。 こういう数え方だ。 なぜ急にこんな話をしたかというと、 パソコンというのは2進数で全てを表していて、2進数の考えを分かりやすくしたのが さっきの話。 0と1の2つの数だけで全ての数を表すときは ケタを変えることで解決!! 0 1 その次の2という数字は 10 と…… それを指に見立てたと。 一見、関係のない話が2進数というつながりがあった。自分はそこに気づくのが好きだ。