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10 件の小説まぁいいや
君の口癖。 いつの間にやら僕にも移ってしまった。 自堕落で、自分のことをどこか他人事のように話す君。 君とすごした日々が昨日の事のように思い出される。実際昨日まで君は僕の目の前にいた。 今こうして1人家の中にいることにやっぱりどこか寂しさを感じる。 少し前までずっと1人だったはずなのに、今は君がいないとなんだか落ち着かない。 外に出たいと言うのなら僕は止めない。君の突拍子のない行動を抑制できるような僕じゃないから。でも、もしもう帰ってこないと言うのだったら僕は全力で引き止める。 君は普段から外に出る時は僕に一声かけてくれていた。 今日言ってくれなかったのは、止められたくなかったから? 部屋の中はいつもと変わらない。シワひとつないベッドも、それとは対照的に埃が舞うクローゼットも。 この変わらなさだけがまた君が戻ってくるのではという期待を持たせてくれる。 君はきっと君の行動1つで僕がこんなに乱れることを知らないんだろう。 君の前ではクールな僕でいたいから、冷静さを欠かさないようにしているからね。もしバレていたら恥ずかしいけれど 君と生活を共にしているとよくまぁいいやっていう言葉が聞こえてくる。 なんて適当な言葉なんだろう、とたまに思うけれど、その言葉のおかげで君はストレスの種の多いこの社会でも潰れずにいられるんだろう。 だったらその身勝手な呪文も許容してあげよう。しっかり者で、少し抜けている君でいるには必要な言葉なんだろうね。 まぁいいや。 あ。君のせいで僕にも何か迷った時にまぁいいやっていう癖がついちゃったよ。困ったなぁ けれど、君がいなくなったこと。こればっかりは、まぁいいや。なんて思えないよ。 早く帰ってきてね。
卒業
3年1組のみんな、大好きだよ 震える声で最後の一文を必死に言う。卒業式後の最後のホームルーム。 いうこともきちんと考えて、ちゃんと紙にも書いたのに、涙で視界を奪われてきちんと読めなくなってしまった。 このあと、生徒からも何かあるのかな。淡い期待を抱いた。きっと何かあるのだろうけれど、今何かをされるとまずい。本当に涙が収まらなくなってしまう。 先生、俺らからも渡したいものがあって…。 学級委員長が言った。 あぁ、やっぱり。だめだ、本当に今はやばい 動画を作ってきたので、見てください そう言う委員長の傍らでパソコンを操作するのは部活でずっと一緒だった女の子だった。 動画が表示されるのかと思いきやなんとエラーが発生。ここですっといかないのはやっぱり1組らしいと微笑ましく思う。 なんとかエラーを乗り越えて動画が再生された。内容は1年間の写真を集めた思い出のスライドショーだった。 この1年の中の色々なことが思い起こされる。あの時、いっぱい怒ってしまったな。 あの時、いっぱい笑いあったな。 あの時、いっぱい泣いたな。 大変なこともあったけれど、それを遥かに凌駕するくらいとても楽しい1年だった。 このクラスの生徒はとても個性が豊かだ。 クラスをまとめあげる能力に長けた子 ワックスをつけてきちゃうようなやんちゃな子 スカートが苦手ですぐに脱いでしまう子 私のような人にまっすぐに好きを伝えてくれる子 喋ることが苦手で内気な子 その一人一人がかけがえのない私の生徒だ。 誰にも変えられない、宝物だ。 動画が終わった。終始泣いていて、せっかくの動画もぼやけてしまった。 その後からも色紙や花を貰ってしまった。泣いた。 私から返せるものなんて、何も無いのに貰ってしまっていいのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。 けれど今は、この幸福感に身を任せよう。 今日は、今日だけは自分の感情に正直でいよう。厳しい先生じゃなくて、1人の人間として。 先生。3年間ありがとう
大丈夫。
絶対大丈夫。 いいかい?よく聞きな。 お前さんは今死んでいるかい? 心臓が動いていないのかい? 心臓が動いているのなら。 まだ死んでいないのなら。 お前さんはまだ動けるはずだ。 足が動かない。手が動かない。 そういうことじゃない。 心だ。心はまだ動くはずだ。 人間、体が動かなくなって 心が動けるのなら まだ生きられる。 大丈夫。絶対。 大丈夫だから。 ほら。お行きなさいな。 あんたのことを待っている子がいるだろう? なんだい?見えないのかい? そうか。あんたはまだ見えないのか。 大丈夫さ。 私にはよく見える。 あんたのことを待ち焦がれている人がいる。 あんたには十分存在する価値がある。 だから、生きていなさい。 命は捨てるもんじゃないよ。 なんて、こんな婆が言ったところでね。 まぁたまには人生の先駆者の言うことも聞いとくれ。 いいかい。生きるんだよ。 とにかく、生き残るんだ。
ね。言ったでしょ?
もう。だから言ったじゃん。 走ったら危ないって。 あーもう、泣かない泣かない。 大丈夫だから だから言ったでしょ。 大丈夫だって。合格したじゃん。 よくやったじゃん。 おめでとう。 前に言ったでしょ。 母さんより先に逝ったら承知しないって。 ほら、目ぇ覚ましな。 ご飯できてるから。早くしないと冷めちゃうよ。 ほらもう。言ったでしょー。 あんないい子逃したらもう誰も捕まらないよ。 今更後悔しても遅いっての。 土下座なりなんなりして謝ってこい! やっぱり母さんが言った通りにして良かったじゃん。 こんな子もう二度と見つからないんだから。 絶対逃げられないようにあんたも精進しなさいね。 きっともっといい家族になるよ。 結婚おめでとう。 ほら。母さんの言った通りになったでしょ。 可愛い可愛い孫が見れて幸せだ。 あんたちゃんと嫁さんのこと労ったんだろうね? さぁさ。これからも頑張っておくれよ。お父さんお母さんになったんだから。 まぁ、十分やって行けるだろうけどね。 ね。言ったでしょ。 あんたはもう十分やって行ける。 母さんの子なんだから。 妻子が待ってるんでしょ。私のことはいいから。 早く奥さんと娘ちゃんのところに行ってきな。 ほら。大丈夫。 母さんは少し寝るから。 ずうっと後に来なさいね。 あんたの一生を教えておくれよ。
紫陽花
紫陽花。 それは惚れ惚れするほど気高くて、僕なんかには到底手の届かないような存在。 でも、薔薇のように美しすぎて、眩しくて思わず目を逸らしてしまう存在では無い。 紫陽花には優しさがある。 弱った心を癒してくれるような、そんな優しさ。 紫陽花は桜のように皆を魅了するような存在では無い。 けれど、どんなことも受け止めてくれるような寛容性がある。 だから僕は素朴なあなたに紫陽花を贈りたい。 あなたは華々しい存在では無いけれど。 僕の愛した優しく寛容なあなた。 もちろん薔薇や桜も美しい。 けれど、紫陽花にはそれらにない特別な魅力がある。 だから僕はそんな特別なあなたに隣にいて欲しい。 どうか、結婚して下さい。
母さん。ありがとう。
そう言いたかった。 言わなければいけなかった。 でも、私は言えなかった。 ありがとう そのたった一言がどうしても言えなかった。 人になにかしてもらったら絶対にお礼をしなさい。 物心ついた頃からずっと言われ続けた母さんの言葉。 その言葉は私の心に染み付いていた。 だから、私はいつでも礼を欠かさなかった。 何かを貸してもらった時。何かを貰ったとき。何かを手伝って貰った時。 習慣化した礼はもう意識しなくても出るようになっていた。 なのに、どうして? どうしてこんな時だけ出なくなるの? ありがとう。 そのたったの五文字はとうとうでることはなく、そして、お母さんにお礼を伝えることは出来なかった。 お母さんはその日の夜、いきなり倒れて亡くなった。 なんで?どうして?そんな言葉ばかりが脳裏に渦を巻く。 今日は母の日。だから、お母さんにお礼を伝えようとしていたのに。 だから、お母さんがこの間から欲しいとボヤいていたリップも買ったのに。 どうして?まだ渡してもいないし、しっかりとお礼を言ってもいない。 なのに、どうして今無くなるの? お母さん、ねぇ、お母さん…。 ありがとうって、言いたかった。 ごめんねって言わないと。 今までのお礼、言わないといけないのに。 声はどこかへ置き去りにしてきたかのように全く出てくれなくなった。 出そうとしても出てくるのは掠れた声になりかけた息のみだった。 日常会話だったら決してそうはならない。 ただ、お母さんへのお礼を言う時だけこうなる。どうして? いえなかったから? 分からない。あぁ、もういいや。 頭ん中ぐちゃぐちゃだ。何も考えられない。 はは。ねぇお母さん。 どうしようね。私、お母さんがいないとお礼ひとつ言えない子なんだよ。 だから、戻ってきて。 勝手に居なくならないで。 お母さん。ねぇ。 なんで、なんで勝手にいっちゃうの? お母さん
暇だったから書きました。続きは気が向いたら
ねぇ、大好きだよ。 そういった君は、顔を歪ませていた。 涙は見えない。 だから、悲しんでいるのか、怒っているのか、はたまた苦痛に感じているのかは分からない。 なんの脈絡もなくいきなり発せられた 「大好きだよ」 咄嗟に何も返せず、ただ呆然としていると君は前を向いてさっさと歩き出してしまった。 君の意図はなんなんだ?どうしていきなり大好きなんて言ってきたんだ? どういう対応をしたら正解なんだ?私もだよとでも返そうか。少なくとも間違いではないだろう。正解でも無いかもしれないけれど。 私もだよ。大好き。 そう言ってはみたものの君はなんにも返してくれなかった。だけど少し、歩くスピードが遅くなったように思う。 その隙に広がった差をなくすように走る。数歩ほどで追いついた。 少し盗み見た君の顔はいつものように仏頂面だった。けれど、心做しか少し笑っているような気もした。 どうしたの? そう問うと、なんでもない。と答えられた。返答としては不十分かもしれないが、そっか。だけを返した。 君はそこからは何も言わず、私もまた、何も言わなかった。 帰路に着き、君を家まで送って行った。 家の近くまで来ると、君は緩やかにスピードを落として立ち止まった。 どうしたの? 再度聞くと、ごめんね。大好き。だけど、さようなら。 そう言って走り出した。追いかけるが、日頃の運動不足が祟って全然君に追いつけない。ようやく彼女の家の前まで行き、インターホンを鳴らすが、誰も出ては来ない。 一体どうしたんだ?私が何かをしたのだろうか。せめてどこが悪かったのかを言って欲しい。何も言わずに居なくなるのは卑怯。 これは、君が言っていたことじゃないか。自分で破ってどうすんだよ やり場のない怒りが込み上げてくる。勝手に別れを告げた彼女に対しても、その彼女に別れを決心させた自分自身にも。
「母さん。ありがとう。」
そう言いたかった。 言わなければいけなかった。 でも、私は言えなかった。 ありがとう そのたった一言がどうしても言えなかった。 人になにかしてもらったら絶対にお礼をしなさい。 物心ついた頃からずっと言われ続けた母さんの言葉。 その言葉は私の心に染み付いていた。 だから、私はいつでも礼を欠かさなかった。 何かを貸してもらった時。何かを貰ったとき。何かを手伝って貰った時。 習慣化した礼はもう意識しなくても出るようになっていた。 なのに、1番重要な場面で私は礼を言えなかった。 母さんがベッドに横たわって弱々しく息をする。 眉間に皺を寄せたその表情は母さんの苦痛そのものを表していて見ている私まで辛くなった。 母さんの腕に目をやる。 袖が捲れ、少し緩くなっている包帯の隙間から骨ばった腕が見えた。 そこにはまだ痛々しい縫ったあとが残っていた。 母さん。母さん。 そうやって届いているのかも分からない呼びかけを続けた。 痛いよね。苦しいよね。 ごめんね。私が、ほんとうは私がその苦しさを味わうはずだったのに。ごめんなさい。ごめんなさい。 母さんはつい1ヶ月程前に、激しいクラクションを鳴らし、ヘッドライトを光らせこちらに突進してくる車から私を庇ってくれた。 その車はそのまま避け切ることが出来ず、母さんと私に真正面からぶつかった。 私は母さんが庇ってくれたおかげで擦り傷と多少と打撲で済んだが、母さんは腕の骨折と全身打撲という酷い怪我を負った。 母さんは車がぶつかったあと、しきりに私の心配ばかりをし、自分のことは何も気にかけていないようだった。 どう考えたって自分の方が酷い怪我をしているのに、どうして私のことを気にかけるの? 母さんは、「助けたんだから、お礼、言いなさいね。」と言い残し、そのまま意識を手放した。 それは実に母らしい言葉だった。しかし、それを聞いた途端に私の中では母さんが死んでしまうのではないかという漠然とした不安ばかりが渦を巻いた。 助けてもらったのだから礼を言うのは当たり前。 そんなこと分かっている。けれど、言ってしまったらそのあとは母さんが居なくなってしまいそうで言い出せなかった。 どうしてそんなことを考えたのか分からない。ただ、言葉にだしたら全てが変わってしまう気がした。 ありがとう よりも ごめんなさい と言った方が、心が軽くなった。 迷惑をかけてごめんなさい。 私のせいでごめんなさい。 怪我をさせてしまってごめんなさい。 轢かれてしまってごめんなさい。 避けられなくてごめんなさい。 どれだけ謝罪の言葉を連ねようと、たった1つのありがとうだけは出てこなかった。 母さんに泣きながら謝っても母さんは起きてくれなかった。 面会の時間が終わり、家に帰る。 母さんが入院をしていると家のことは全て私一人だけで担うことになる。 一般的な家庭だったら父さんというものがいるのかもしれないが、うちは父さんが居ない。 母さんはたった1人で私を育てあげてくれた。 別に父さんが欲しい訳では無いけれど、この不安を吐露できる存在が欲しかった。 ネットの鍵垢で全ての不安を書き込む。誰も見はしないから何でも書くことが出来た。 朝日が昇る。学校に向かい、なにかある訳でもなくホームルームを終え、病院に向かう。 個室にいる母さんと2人きりという状況では、何故か沈黙が重くのしかかった。 なにか喋ることを必死に考えて、取り留めのないことを話し続けた。 母さんに笑って学校の話をしても起きてはくれなかった。 話している最中に、どこか空虚さを感じた。 厳しくも優しかった母はどこか遠くに行ってしまったようだった。
カンペキな女の子
凄いね。完璧だね。さすがだね。 やっぱり天才だから。 違う。私は、カンペキじゃない。 けど、カンペキじゃないといけない。 親を大切に。先生の言う通り。友達と仲良く。 物事を円滑に進めるためにはそれなりの協調性が必要。だから、空気を読んだ。 空気を読んで親の言うことに反抗しなかった。 空気を読んで他人の代わりに先生に謝った。 空気を読んで友達がしたいことを優先した。 そうして生きているうちに、私には「カンペキ」のレッテルが貼られた。 空気を読んでいればそれなりに人から認められるし、それなりに友好関係は築ける。 でも時々、自分が分からなくなる。 テストの点がいいから優秀? 周りを優先しているから偉い? いつもニコニコしているから温厚? 怒ったことがないから優しい? テストの点がいいのは先生になにかを言われないため。 周りを優先しているのは浮かないようにするため。 いつも笑っているのは無駄な感情を露呈させたくないから。 怒ったことがないのは生産性がない怒りはめんどうくさいから。 ほら。完璧じゃない。 そんなことを言っても、 謙遜しないでよ。そんなことないよ。 浮かないようにするって大事じゃん。 何を言っても否定される。 完璧じゃないのは駄目なんだ。 悪気のない悪意が私の心を縛り付ける。 私は「女の子」だから一人称は私じゃないと。 みんなと同じじゃないと。 ボクなんて言ったら駄目。 可愛い服を着ないと。 短い髪は駄目。 オンナノコなんだから 私は「頭がいい」んだからテストは満点じゃないと。 みんなより上を行かなきゃ。 満点じゃないなんて駄目。 勉強しないと。 ミスなんて駄目。 テンサイなんだから 私は「優しい」んだから人が困っていたら助けないと。 みんなに優しくしなきゃ。 見過ごすなんて駄目。 優しくしないと。 意地悪なんて駄目。 ヤサシイんだから。 重い鎖がワタシを縛る。 身動きが取れない。 傀儡のようね。他人に踊らされる傀儡。 お願いだから、ワタシを縛らないで。 ボクでいさせて。女の子になりたくない。 努力を認めて。天才なんかじゃない。 自分を優先させて。ボクは優しくなれない。 体に鎖がきつくきつく巻かれていく。 ボクになりたい願いも、天才じゃないという叫びも、優しくなれないという声も届かない。 身体が動かない。段々傀儡になってゆく いつか本当にワタシじゃなくてボクになれたらいいのにな。できれば天才でもなんでもない凡人に。 糸を操りながら私は呟く。 駄目だよ。私は天才で優しい完璧な女の子じゃないといけないんだから。 馬鹿で空気の読めない凡人の男の子になんてなれっこないんだから。
アイ
別れよう。 そういう貴方の顔には 優しい微笑みの欠片もなくて。 そういうあなたの声には 氷のように冷えきっていた。 理由もわからず一方的に告げられる別れ。 待って。 ただそれだけを壊れたように叫び続ける 声が涸れ、嗚咽が混じろうとも声の限りに呼び止め続けた。 それでも貴方は1度も立ち止まることはなく、 貴方らしいゆったりとした歩みは独り善がりな速さに変わっていた。 今すぐにでも追いかけたいのに、立ち上がれない。 涙で視界が歪む。貴方の後ろ姿さえも満足に眺めることが出来ない。 これで終わりなのだと分かっているのに。 きちんと貴方のことを記憶に刻み付けておきたいのに。 何度袖口で拭おうとも水は意志とは関係なく頬を伝い顔を濡らす。 貴方が見えないほどに小さくなる。 あぁ、これで終わりなんだわ。そうやって冷静に受け止めた。 否、受け止めようとした。 そうしなければ、私は貴方という1人の男に捨てられた哀れな女に落ちぶれてしまいそうだから。 貴方に褒められた芯の強さだけは保っていたくて。 貴方が惚れた私の信念だけは捨てたくなくて。 こうして貴方に置いていかれても私は貴方を中心に世界を創る。 いつの間にか自由に動くようになった足を使いふらふらと歩き出すと、いつの間にか慣れ親しんだ我が家に帰ってきていた。 この扉を開けたら貴方がいつものように おかえり と言ってくれるような気がして。淡い期待に胸をふくらませながら戸を開く。 そして、がらんとした部屋に1人 ただいま の声が響く。 貴方が作る料理の美味しそうな香りが漂っていたキッチン 二人明るい笑い声を響かせていたリビング 幾度となく貴方と愛し合ったベッドルーム どこを探しても貴方はいなくて。 やり場のなくなったこの期待はどこに捨てればいいのだろう。 渡す人がいなくなったこの愛情はどこに捨てるべきなのだろう。 貴方の居ない空間はあまりにも淋しくて。苦しくて。 いなくなって初めて、私は貴方の偉大さに気づいた。 冷たいベッドへそのまま倒れ込む。 すべて夢であって欲しい。瞳を瞑れば瞼の裏には貴方の少し困ったような微笑みが浮かぶ。 もう一度その顔が見たい。私の愛した貴方の微笑みが。 微笑みに段々霞がかかり、そして私の意識も薄れた。 目を開ける。そこに貴方がいるなんてある訳もなくて。あったのは寒々しい空間。 無意識のうちに開いていたLINE。新着メッセージの欄には当然のように貴方からのメールは入っていなかった。 ほんの数時間前までのやり取りを見返しながら1人嗚咽を漏らす。 私は何が間違っていたのだろう。 愛情が薄れてきてしまっていたのだろうか。彼に構えていなかっただろうか。それとも、渡すお金が少なくなっていたのだろうか。足りなくなったのだろうか。仕事にばかりかまけて彼との時間を作れていなかったからだろうか。 正解の分からない問いを延々と考える。 全てが正解な気もするし一つとして的を得ていない気もする。分からない。 だから、貴方にLINEを送る。 ごめんなさい。 いつもはこれで許して貰えた。きっと今回も許してもらえるはず。 だって彼は、私を愛しているもの。私が貴方を愛するように ねぇ。精一杯の愛情は伝わっていましたか?私の愛は、貴方にきちんと届いていましたか?私の好きは貴方には少し重かったのでしょうか。 何時間スマホの前で待っていても貴方の既読がつくことはなくて。 温かい声が聞きたい。その一心で震える手で発信ボタンを押し、貴方に電話をかける。 いつもの温かい声は聞こえなかった。代わりに冷たい、とても冷たい声が聞こえた。 何? 回らない舌で一生懸命考えて言葉を発する。 あの、あのね。ごめんなさい。本当に、貴方のこと嫌いになんてならないから。もう、蔑ろになんてしないから…。私が悪かったから。ごめんなさい。お金、足りなかった?ごめんなさい。全部私が悪くて、気づかなくてごめんなさい。貴方に構えなくてごめんなさい。違うの。忙しかったからで、あぁ言い訳してごめんなさい。どうか、戻ってきて…。あなたは悪くないから。ごめんなさい、ごめんなさい。えっと、それで、貴方さえよければ、またやり直したくて 1度喋ると堰を切ったように言いたい言葉がつらつらと出てきて、支離滅裂に飛びだした。 彼は終始無言で聞いていた。やがて、無機質な声が聞こえる。 だから、お前とはもう終わりなんだって。理解しろよ。 オワリ。その単語の意味が理解できなくて。 な、なん、 ねぇねぇ!今この子お腹蹴ったよ! 電話口の向こうで若い女の声がする。 え?ほんと?あ、ほんとだ! 続いてあなたの声。私に対するそれとは違う、幸せそうな愛情深い声。 ねぇ。今のは誰? 貴方に問う。 俺の次期嫁とその子供。 冷たい声で発せられたその言葉が心に刺さる。 子供。嫁。予想もしなかった言葉に意識が飛びかける。 あ、ごめんね!電話してたんだね。あっちの部屋行ってるね また耳障りな女の声。それに続く貴方の暖かい声。 行かなくていいよ。こいつ俺に粘着してるだけの奴だから。 え、大丈夫?警察行く? 大丈夫。こいつ俺らになにもできないから。 うーん、分かった。けど、なんかあったらすぐ言ってね。 わかったわかった。じゃ、そういう事だから。…もう連絡してくんなよ。 冷たく重い声で一方的に言われた後、電話のツーツーという音が虚しく響いた。 私は、何を間違えたのだろう。 粘着って何? 一日メッセージ300件くらい普通でしょ?