橘花あざみ

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橘花あざみ

通りすがりの物書き屋 橘花あざみ(タチバナ アザミ)です。 【作品紹介】 女風小説『夜汽車の行方』(エブリスタ掲載) https://estar.jp/novels/25626668 第一回表参道文學賞大賞受賞作品 『恋文-koibumi-』(カクヨムにて掲載) https://kakuyomu.jp/works/16816927863163742734 【LINEブログ】 https://lineblog.me/azami_t/ よろしくお願いします。

皆既月食

「ほら、見て。月が欠け始めたよ!」  子供の様にはしゃぐ彼と一緒にベランダで空を見上げた。  今日は数百年に1度の天体ショー 皆既月食が見られるとあって、彼も私も仕事を早めに切り上げ、コンビニでビールとおつまみを買い、テレビのニュースを見ながらその時を待っていた。とはいえ、私にとっては月食も天体ショーも然程興味は無く、むしろ付き合って7年になる彼の方が天体好きというのもあって、一番気合いが入っていた。  空は雲一つ無い空に星が綺麗に輝いていて、月もベランダからハッキリ見える。 「こんなに月をゆっくり見ることなんて今まで無かったなぁ〜。子供の時以来かな」 「…そうね」  興味が無い私の気持ちなどお構い無しに彼はゆっくり欠けていく月をただ見つめながら、同時に子供の頃の事に思いを馳せているようだ。  月はただ空にあって、ゆっくりゆっくりと黒い影が広がって、満月が次第に半月になり その形を飲み込み、太陽を反射している現象で乳白色の月は徐々に赤銅色に変わってゆく。  やがて月の色が全体的に赤銅色に変わると、街中からは所々で拍手が聞こえてきた。  ふと、彼の手が私の手にいつの間にか重なっていた。 「…月が、綺麗だね」 「え?」  聞き間違いだろうか。  確かにさっきまで月は眩しく空に輝いていた。しかし今は月食で月は空にあっても、その姿は優しい乳白色ではなく赤銅色だ。彼は今の月になる前の事を言っているのだろうか。 「…そうね。でも何か不気味な色ね」  私は彼の言葉の意図が解らぬまま、当たり障りのない返答をした。すると、それまで私の手に重なっていた彼の手がゆっくりと私のそれを握ってきた。  しっかりとして柔らかな彼の手に包まれ、私の手から彼の体温が伝わってくる。  彼を見ると、その横顔はいつも優しく、ちょっと抜けているおっちょこちょいな感じとは違い、むしろ初めて目にするキリッとして真面目な表情をしていて、私は思わずドキりとしてしまう。 「月ってさ、不思議だよね。満月があったり、猫の爪みたいな半月だったり、はたまた、新月は輪郭はあるのに姿は見えない時があったりで」 「……」 「昼間の太陽は眩しくて直視は出来ないけど、夜の月は眩し過ぎず、光が優しくて見ていてホッとするというか、そっと寄り添ってくれているみたいで…」  ふと彼がゆっくり私を見た。 「…俺も、月のように君に寄り添いたいと思っていても、いつも仕事が忙しいだの、用事があるだの言い訳ばかりしているよな」 「…え?」 「…さっきの『月が綺麗だね』って言葉。あれにはもう一つの意味があるって知ってた?」 「そうなの?知らなかった」 「もう一つの意味はね…」  答えが気になっている私をよそに、彼は一瞬黙ってしまった。彼の視線はふと空を見たかと思った次の瞬間、私の口唇にふわりと何かが軽く触れ、やがてゆっくりと重なってきた。それが彼の口唇だと分かるまで時間はかからなかったが、あまりに突然のことで、私は驚きのあまり動けずにいた。 「…もう一つの意味は“君を、愛してる”だよ」 「……」 「7年も待たせて、ごめんね」  そう言って、彼は私の前に小さな箱を差し出し、蓋を開けると、銀色の指輪が輝きを放っている。 「え…」 「7年待たせちゃったけど、これから先の人生も一緒に歩いて欲しい。…結婚しよう」  夢を見ているような多幸感が全身を駆け巡った。  私の返事を待つ彼はただ私を見つめ、指輪が納まる小箱を差し出している。 「……やっと、あ言ってくれて、ありがとう。…はい!是非!」  そう言うと彼の手から小箱をそっと受け取った。 「ああー!良かった!緊張したぁー!!」  結婚指輪を受け取った私を見て、彼は塀に倒れるようにぐったりとしてしまった。 「断られるかと思ったよぉ〜」  よく見ると、彼の額には薄らと汗が光っていて、しかもキザな事を言ったせいか、その耳はほんのり赤くなっていて彼なりに勇気を振り絞ったことを物語っていた。 「断るなんて。むしろ、やっと言ってくれて、嬉しいっ!」  ずっと待っていた。彼からのプロポーズの言葉を。  誕生日を迎える度。  クリスマスがやってくる度。  互いに忙しい中、ようやく逢えたデートの時…毎回期待しても その期待は実ることはなく、ただ時間だけが過ぎた。  彼といるのは楽しいし、嬉しいのに…少しでも期待しては裏切られるのが嫌で、いつしか私は待つのも、期待する気持ちも失せ始めてしまい、彼の事は愛しているが、今後も一緒にいて良いのだろうかと時々考えてしまっていた。でも、ようやく彼は私がずっと待っていた言葉を言ってくれた。  嬉しくて、私は彼に抱きついた。  ふと空を見上げてみる。  さっきまで赤銅色だった月は、徐々に乳白色の優しい色を取り戻し、ゆっくりと元の形へと戻っているところだ。  月明かりに照らされた彼の顔を改めて見る。  見慣れた彼の優しい笑顔があった。その輪郭をゆっくり指でなぞりながら、私はそっと彼の口唇に自分のそれを重ねた。 「ありがとう。大好きよ」 【完】  

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