ぐゅャ
7 件の小説ぐゅャ
怪談が好きです。 Twitter【@niratorisan】ではハンドメイドアクセサリーを作ったり販売したりしています そちらも見てほしいです。 唯一の陽な私なので。
繰り返す死あわせ。
「最近、調子良さそうだね」 休職を機に彼と同棲を始めて8ヶ月 まだ心の辛い日は多いが、これまでの人生で1番穏やかな時間を過ごせている 毎日毎分毎秒欠かすことなく抱えていた希死念慮も、時には隣に置いてひと休みすることもできるようになってきた 心を前向きにしようとする春の暖かさに気持ち悪さを感じてしまうこともある 自分が消えた方が良い人間だという思考は拭えない だけど、まだ生きている この時間を手放したくないと思えるほどの贅沢過ぎる幸せを作ってくれたのは他でもない彼だ ただ、申し訳ないことに贅沢すぎて現実味を感じないことも増えた 握られた手の暖かさを感じられない 頭に添えられた優しい重みを感じられない 抱きしめられた苦しさをうまく感じられない 【離人感:自分の意志と体が分離されて自動的に動かされているような感覚のこと。自分自身を遠くから眺めているように感じる。】 しかし繰り返す 今が1番穏やかで幸せだ この幸せを失うことは死と同等に恐ろしい ならば、今、この幸せなうちに終わりにするのもありだなと思う 自殺をした者はその瞬間、またはその人生を繰り返すという話をご存知か また彼に出会えてこの時間を過ごす人生を繰り返すことができるのならそれも悪くないと思う 頭の中で心の奥にしまい込んだはずのロープを首に巻く 強く絞めたり、ゆるめたり、忙しい日々 まだこの先に訪れる幸せに期待して、生を手放せずにいる私は臆病者か欲張りか 「今、とても幸せだよ」 繰り返す幸せがあるのならば、私はそちらを選びたい 「繰り返す死あわせ。」おわり。
眠れない、雨音。終
別に、文章を書くことが得意だからこうしているわけではない。絵でも工作でも表現できない、でも吐き出さないと気持ちが悪い、この曖昧な思いつきを表現する手段がこれしかなかったのだ。 書きたい話が浮かび始めている。曇りガラスの向こう側を見ているようではっきりとしないが、ひとつふたつ。 男女の姿が見えるから、なにか、こう、愛を感じられる話が見えているような気がする。 気はしているが、私は上手に愛し愛されることができない人間だ。恐らく隣の男を愛しているし、彼の行動から察するに愛されていると思うのだが、どうもそれを上手く認識することができない。 だからもし、愛に関する話を上手に書けた時、登場人物たちと自分の人生を比べて絶望してしまわないか少し心配なのである。 PTSDによる人間不信なのだそうだ。 どうしてそうなったのかは今回はお話しするつもりはない。 長くなるので。 これは、治らないんだろうなぁ。 「もしかしたら愛されていないかもしれない」「惰性で付き合っているのかもしれない」「私にもう魅力を感じていないのかもしれない」「あわあわあわ」 ここまでの人生ずっとずっとずっとこういう思考で生きてきたので、そんなことを悶々しながら生涯を終える気しかしない。 なんて、なんて寂しい人生なんだろうと思う。純粋に愛し愛されてができないで終わる人生。愛されていることに気づけない人生。 こんな人間に付き合わせるのは本当に申し訳ないので、早く彼の人生から退場しなければと考えてしまったりする。その時は自分の人生からも退場するつもりだが。脳みその中の私が両手で大きな×印を作りそれを阻止しようとアピールしてくる。 まだこの温もりの中にいなよと言う。 部屋の暗さと心の暗さが同じになり始めた頃、腰にトスッと何かが乗っかった。 びっくりしたゆうれいかとおもったあわあわ 寝返りを打った彼の手だ。ひらひらさせて手を握れとアピールしてくる。 大きな手からじんわりと伝わる温もりに安心感を覚える。 まだ眠気は来ない。 引き続きこの雨音の中思考を巡らせて。 (これは物語ではなく、実況です。)
眠れない、雨音。①
時刻は日付を跨いだばかりであった。 とたんとたん、と屋根を叩く水音が響く。 眠れないのはこの音のせいではなく、夕飯の後、眠気に勝てずフライングおねんねをしてしまったせいだ。 すんなりと夢の中に潜れないのはいつものことではあるが、こうなると暇で暇で仕方ない。こんな時、気の利かない脳みそは頼まれてもいないのに私の退屈を紛らわそうといらぬ妄想や回想をしだしては私の心を殺す。 長い付き合いだが本当にポンコツな奴だと思う。私によく似ている。というか私か。 扇風機の羽音、深夜の雨音、家と秋の虫が鳴きはじめている。隣から聞こえる柔らかい寝息。 寝息の発生源のこの男は布団の三分の二を占領し、そろそろ私を畳へ突き落とそうとしているのだが、そんなことには気づかずにすやすやと夢の中をうろついている。 不快ではない、ただ、その安眠が羨ましいと思った。 お邪魔をしないように向けた背に体温を感じながら、一番明るさを抑えた液晶に文を打つ。 つづく
来世恐怖症
次の人生が幸福であるか、祝福される生なのかはわからない。 また、"人"生であるとも限らない。 ただ、もし今世と同じような試練を課されるのであれば、私は恐らく耐えられない。 その時は今世と同じ道を辿るのであろうが、あの苦しみを味わうことは二度としたくない。 望んで受けた試練は一つもなかった。 できればごく普通の人生を歩みたかった。普通の両親、普通のきょうだい、普通の友達、普通の自分の能力。 普通、普通普通。 普通が一番難しいとはよく言ったもので、私の人生はいつだってイレギュラーの連続で、常に悲しみと苦しみに支配されて生きていた。 本当に、本当に苦しかった。 来世に期待して終わりにしたわけではない。 とにかく生きる上でのしかかってくる全ての責任から逃げてしまいたかった。 「俺はもう気が済んだよ、次に進む。」 私より先にここで終わりにした男がそう笑って光の中に消えていった。 鈍色の雲が走る、その切間から青色がこちらを覗く。 無理やり希望を押し付けてくるあの色が嫌いだ。 来世が怖い。どんな試練が待ち受けているのかわからなくて怖い。今世の苦しみがずっと魂に染みついているのだ。 なら、私はまだここにいたい。 だから今日もここから飛ぶ。 青色を睨みながら。 「来世恐怖症」おわり。
お椀 終
単純に飽きてしまったのだ。 聞けば毎日同じ味噌汁を用意されているとのこと。たまにはコーンスープとか、シチューが飲みたいと言う。味噌汁にしても違う種類のものを用意してやれよと思った。いくら旨くても同じものが続けば流石に飽きてくるだろう。 お椀の向こうに体育座りする幼女が無表情に文句を言っていた。 「お椀」 おわり。
お椀 ②
「旨そうな味噌汁だけど、冷めたものはごめんだなぁ」 「いやいやもうちょっと待て、今に驚くことになるから。立つな、行くな、座れ、頼む」 子供用のお椀だった。プラスチック製。所々塗装の剥げた黄色、可愛らしいうさぎのキャラクターが描かれている。キラキラなお目々はどこを見ているのかわからない、無感情。 聞けば公園の砂場に半身埋まっていたところを厭に惹かれて拾ってきたそうだ。「昭和の食卓に並んでいそうな古さにときめいた」両手の中にすっぽりお椀を抱きながら奴は言った。 「かれこれ三夜ほど夕飯を共に過ごしている。このお椀に何かを入れておくと目の前で勝手に減っていくんだ。徐々に減るわけじゃなくて、ある時は少しずつ、ある時はみるみるうちに、かと思ったらまた少しずつ…、まるで誰かが本当に汁を口に流し込んでいるように不規則に減っていくんだ」 目の前に置かれたお椀、中の味噌汁は湯気を立たせることをとっくに諦めている。もうこれは減らないなと思った。いや、正確には“いらない”のだ。 つづく
お椀 ①
暦上は立冬ということになる。 確かに、風は肌寒いと感じることが増えてきたな。 日差しはまだ冬の訪れを望んでいないらしく、ピリッと刺してくることがある。 こういう時、辺りを見渡し、来たるクリスマスに浮かされ始めた街や人々の様子を述べれば無難な物語の始まり方なのだろう。 歩みを進める。 知人が話を寄越したのはつい昨日のこと。奴は骨董というか “古くていい感じのもの”を集めることを趣味としているのだが、 最近手に入れた「“古くていい感じ”のお椀」 それが奴がいうところの 当たり だったらしい。 「このお椀に…なんでもいい、汁を入れておくんだ。俺は即席味噌汁を入れておいた。安いのに出汁がきいててな、白いだけが取り柄の米がまるで魚沼産コシヒカリのように旨く感じる。最近のお気に入りなんだ」 「夕飯の時、自分の相向かいに即席味噌汁の入ったお椀を置いておくんだ。そうするとな、不思議なことが起きる。それは実際に見てほしいんだ。きっと驚く」 そういうわけで浮かされ始めた街を抜け、埃臭さと即席味噌汁の匂いが絶妙に入り混じった汚部屋にいる。 つづく