マグナカルタ(七琉珈)
6 件の小説魔術師の鳥籠 第6話 「始まりの地イニティウム」
第6話ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「始まりの地イニティウム」 陽の高くなった頃、丘の上に立ち、眼下に広がる街の光景に見入っていた。 街の中心に構える郵便局は、赤茶色のレンガと白い大理石を組み合わせた格式ある建物だった。 正面の扉には羽の紋章が輝いており、昼下がりの陽光を受けてきらりと光っている。 この街の中心であり、誇り。 人々は“あそこに勤めている”というだけで一目置かれるという。 整えられた制服を身に纏った職員たちは皆、穏やかで気さくな雰囲気を持ち、子どもにも笑顔で接する。 あくせく働くというよりも、信頼と誇りを胸に、それぞれの仕事に真っ直ぐ向き合っていた。 郵便とはいえ、扱うものは手紙だけではない。 国をまたぐ交易の書簡や、魔法で転送できない特別な品々、時には王家からの密命も託されるという。 空を飛ぶ獣や特殊な走行車を駆使し、日々あちこちへと荷物を運んでいる。 「ようこそ、シルヴァさん。ここが《レーヴェ中央郵便局》です」 受付で案内してくれたのは、柔らかな栗色の髪を後ろでまとめた女性だった。 ミランダと名乗ったその人は、淡い水色の制服を身にまとい、しっかりとした足取りで建物の奥へとアルベルトを導いていく。 「あなたのような若い子が働きに来るのは珍しいけれど……何か惹かれるものがあったのね?」 ミランダの声は穏やかで、それでいて芯が通っていた。 「さあ、こちらが配達の中枢です。私たちの誇り、四つの配達方法をご紹介しますね」 まず最初に案内されたのは、活気に満ちたホールだった。 職員たちが手紙を抱え、地図と照らし合わせながら次々と出発していく。 「一つ目は《手渡し配達》。基本中の基本ですね。配達員が直接、手紙や荷物を届けに行きます。最も安全で、特別な気持ちも一緒に届けられる方法です」 頷くと、今度は別の部屋に案内された。 そこでは、宙に浮かぶ手紙が小さな羽を生やして、ふわふわと飛んでいた。 「二つ目は《羽根郵便》。手紙に一時的な浮遊魔術をかけて、自動的に配達させる方法です。時間も労力も節約できて便利なのですが……途中で強風にあおられたり、魔力が切れると落ちてしまうこともあるので、基本的には近距離限定です」 「へぇ……」と声を漏らす自分に、ミランダはくすっと笑った。 「三つ目は《ビースト郵便》。これは、ビーストテイマーが使役する鳥化の動物に配達を任せる方法。動物の感覚は鋭く、細かい住所でも迷わずたどり着けます。でも……使役できる動物には限りがあるので、大量には送れないんです」 最後に案内されたのは、高く吹き抜けた塔のような場所。 見上げた天井からは、巨大な翼の影が差し込んできた。 「そして四つ目が……《ドラゴン郵便》。選ばれた訓練員がドラゴンを操り、遥か遠くの国へ荷物を届けます。早さと距離では右に出るものはいませんが、操縦の難しさは一級です。少しの油断で振り落とされることも……」 その言葉の間にも、天窓の外を巨大な翼がゆるやかに舞っていた。 言葉を失い、ただ圧倒されながら天井を見上げていた。 気がつけば、ほんの少し、胸の奥が熱くなっていた。 「どうかしら? 少しでも、この仕事の魅力……伝わったかしら」 ミランダの言葉に、小さくうなずいた。 理由はまだ分からない。でも、ここでなら何かが始まりそうな気がした—— 「それで、どれも大変だなぁ、と思ってるんだけど……」 何気ない調子で言ったが、心の中では少しだけ興奮していた。 どれも魅力的な方法ばかりだ。 特に最後のドラゴン郵便……あんなこと、現実でできるなんて、想像がつかない。 「お、君がやりたい方法は決まった?」 ミランダが穏やかな表情で尋ねてきたが、答えなかった。 実は、まだここで働くつもりなんて、全然なかったからだ。 「でも、考えてみればさ、郵便局で働くって、きっとつらいだろうし……」 ぼそぼそとつぶやく。 本当は、どこかに行って、何かを成し遂げたいという気持ちが強かった。 しかし—— 「え、まかないが出るって本当ですか?」 その言葉を聞いた瞬間、一気に顔を上げた。 まかない……それは大きなポイントだ。 「それに、ボーナスも出るんですね?」 食い気味に続けた。 「すごいな……」と一人で納得していると、ミランダがにっこりと微笑む。 「そうですよ。頑張り次第では、生活も安定しますからね」 ミランダの言葉に、少しだけ真剣に考えた。 ――そうか、安定した生活。 まかないが出て、ボーナスももらえるなら、ちょっとくらいの努力でなんとかなるかもしれない。 それに、今の自分にはどんな道が一番適しているのかも分からなかったし。 「あの、ちょっと質問していいですか?」 口を開き、ミランダを見つめた。 「はい、何でもどうぞ」 ミランダは温かい目で返した。 「それって、もしかして……給料って高いんですか?」 今まで考えもしなかったが、その一言が自然に口をついて出てきた。 「もちろん。高いですよ。」 ミランダは少し照れくさそうに答えた。 「そんなこと言われたら、もう決まりじゃないですか……!」 自分でも驚くほど力強く言っていた。 その瞬間、何かが心の中で決まったような気がした。 「やっぱり働かせてもらおうかな」 少し照れながら、強い決意を込めて言った。 ミランダはにっこりと微笑んだ。 「決まりましたね。では、明日から、さっそく実習に参加してもらいますよ。きっとあなたにぴったりな方法が見つかりますから、安心してください」 その笑顔に、胸の奥で何かが温かくなっていくのを感じた。 今までと違う、新しい人生が始まる——そう確信した瞬間だった。 心を決めて働きたいと言った瞬間から、ミランダは少しだけ真剣な表情になった。 「もちろん、喜んでお手伝いしますけど、まずは採用試験に合格しないといけませんよ?」 ミランダの言葉に一瞬戸惑いを見せたが、すぐに顔を引き締めた。 「採用試験?」 「そうです。郵便局で働くには、少し特殊な技能や知識が必要ですから」 ミランダはにっこりと微笑み、試験の日程や内容を説明した。
魔術師の鳥籠 第5話 「2匹の龍と少年~草原の夜~
第5話ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「二匹の龍と少年〜草原の夜〜」 祭りの名残がまだ地に染みているような村を後にし、東の街道を辿っていた。 靴底に土を馴染ませ、時折吹く風に袖をなびかせながら、背に軽い荷だけを負って。 行く先に何があるのかはわからない。 ただ、生きるためには何かを始めねばならなかった。 草原の向こうに沈む夕陽を見送りながら、足を止めた。 空には茜が残り、木々の間には夜の帳がすでに忍び込んでいる。 この先、街まではまだ数日はかかるだろう。 宿屋など望むべくもない。 ならば、今夜はここで眠ろう——と、焚き火の代わりに風に耳を澄ませた。 夜の草原に、冷えた風が吹き抜けていく。 星々が瞬く空の下、焚き火の火は小さく揺れ毛布にくるまりながら、目を閉じるでもなくぼんやりと寝そべっていた。 それなのに、眠気が異様に早く訪れた。 まるで何かに導かれるように、意識はするすると闇へ沈んでいく。 眠ろうとして眠るのではなく、抗えぬ力に引き込まれていく感覚だった。 ——そのときだった。 どこか遠く、風が反転するようなうなりが聞こえた。 空気が震える。 思わず目を開けると、視界の高みに、巨大な影が二つ、月を背にして落ちてくるのが見えた。 そのまま、地面が鈍く鳴った。 ズン……!草がなぎ倒され、土煙が巻き上がる。 そこにいたのは、二頭の龍—— 一頭は漆黒の鱗を持ち、長く鋭い尾を振るわせながら静かに着地する。 もう一頭は全身を青緑の鱗と、木々の蔦や宝石のような結晶で覆われた自然の化身のような姿だった。 だが次の瞬間、その巨大な姿は柔らかな光に包まれ、人の形へと変わっていく。 漆黒の龍は、長い黒髪を後ろに流した寡黙な青年へと変わった。 端正な顔立ちに鋭いまなざしを湛え、どこか貴族のような気品がある。 そしてもう一方の自然の龍は、若干あどけなさの残る顔立ちをした緑髪の青年となっていた。 気安く笑っている... 「よう、少年。目、覚めてんのか?」 「俺の名前はテトね!よく、人々からは翠色の神聖龍って呼ばれてる」 「こっちのぶっきらぼうはエドっていうんだよ〜」 「って言っても寝てるから自己紹介しても無駄かw」 緑髪の少年、テトが屈み込み、焚き火の脇にいるシルヴァの身を寄せるようにして声をかけた。 突然の出来事に半身を起こす。 「なんか……目が冴えた」 そう答えると、はふっと息を吐いた。 「寝てたほうがいいのに……」 「えっ?」 聞き返したその直後、テトは背中からずしりと重そうなハンマーをずるりと引きずり出した。 「いや、寝てて!! 面倒だからさ!」 その目は冗談とも本気とも取れない輝きを宿しながら、口元だけはにこやかに笑っている。 「目が覚めたら好きにして! それまでシャットダウンね!」 ゴトリッとハンマーを肩に担ぎ、軽くステップを踏みながら迫ってくる。 顔から血の気が引いていった。 「まさか……」 嫌な予感しかしない。 ヴォッという風切り音が耳を裂き、テトの腕が振り上がる。 「俺、厄介事が嫌いなんだよ……すまんねw」 ゴッ!! 鈍い衝撃音とともに、視界がグルリと回る。 意識が、急速に闇へと沈んでいく。 ——しかし、そのときだった。 『やりすぎだ。』 低く、静かな声が草原に響く。 テトの背後で、漆黒の青年——エドが腕を組んで立っていた。 『まだ人間になれたばかりだろう、少しは扱いを考えろ』 『うっせーなあ、いいだろ?どうせすぐ起きるんだし』 テトがあっけらかんと答えると、エドは小さくため息をついた。 『……まったく、次に乱暴なことしたら黙っていないからな』 『あいよ〜、反省しまーす』 まったく反省の色はない。 だが、そのやり取りを聞いた草の上のアルベルトは、すでに深い眠りの底にいた。 ——次の日 太陽の光がまぶたを刺す。 ふと顔をしかめたその瞬間、乾いた草の匂いが鼻をかすめた。 「……ん……?」 目を開けると、そこは昨日の草原ではなかった。 広がるのは、見たこともないような明るい緑の野原。 どこまでも風に揺れる草が続き、遠くには整った石畳の道が走っている。 そしてそのさらに先には、高い外壁と塔の影。街だ。 しかも、かなり大きな—— 身体を起こし、周囲を見回す。 「……え?」 言葉にならない。 確かに昨夜は、小さな焚き火のそばで眠っていたはずだ。 あの奇妙な二人の少年……いや、二匹の龍に会って—— 「テト……エド……?」 名を呼ぶが、返事はない。 周囲に人の気配はなく、風が吹くだけだった。 荷物も服もそのままだ。 何かを奪われた様子もない。 だが、場所だけがまるごと変わっている。 まるで夢のような、それでいてひどく現実的な違和感。 ふらりと立ち上がり、草原の端に立って街の方を見つめた。 高い門の向こうから、人々の話し声や荷車の軋む音がかすかに聞こえる。 きっと、あそこが目的地なのだろう。 「……なんで……?」 問いは、風に流された。 それでも、ぼんやりと浮かんでくる感覚がある。 あの二人、いや、あの龍たちが——何かをしたのだ。 目的は? 理由は? わからない。 ただ、ひとつだけ確かに思った。 あれは、夢ではなかった。 額のどこかにまだ、あのハンマーの衝撃が残っているような気がしていた。
魔術師の鳥籠 第4話 「夜の路地裏」
第4話ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「夜の路地裏」 祭りが終わり、村の広場は賑わいの痕跡を残しながら、静けさを取り戻しつつあった。 僕は、竹の枠を片手に、広場の端から提灯を外していた。 風が吹き抜け、昨日までのざわめきが嘘のように静まり返っている。 灯が消え始めた頃、片付けの手伝いの最中、ふと目にした。 暗がりへと消えていくフードの影。 あのとき見た者と、似たような雰囲気をまとっている。 何かに引っかかった僕は、無意識にその背を追っていた。 入り込んだ路地は、空気が変わっていた。 静かすぎる... と、その時だった。 どこかで風鈴が鳴ったような、そんな音が耳をかすめる。 振り向くと、群れから外れたひとつの影が、ひっそりと細道に吸い込まれていくのが見えた。 フードを深くかぶった人物——だが、その後ろ姿には、見覚えのない奇妙な既視感があった。 誰かが僕を呼んでいるような、そんな感覚。 「……なんだ?」 足が自然と動く。 身体の奥で、得体の知れないものが疼いていた。 人気のない路地に入った瞬間、空気が変わった。 ざらついた静寂が広がる中、不意に背後から気配が近づく。 「動くな」 冷たい刃が、首筋に触れた。 息が止まった。 声も、動きも、奪われる。 暗がりの中、フードの奥から現れたのは、冷ややかな双眸を持つ女だった。 顔の半分を布で隠し、手元の短剣が鋭く月明かりを弾いている。 「……違う、あなたじゃない?」 一瞬の沈黙。 けれど、その言葉にこもる違和感が残る。 女は目を細め、数秒だけ迷うように僕の顔を見つめた。 やがて、短剣をわずかに離すと、くるりと踵を返し、まるで風のようにその場を去っていった。 残された僕は、しばらくその場を動けなかった。 違う——そう言われた。 だが、あの目は確かに、何かを確かめようとしていた。 まるで、確信に近い何かを得たように。 そう思った瞬間、背筋にひやりとしたものが走った。 けれど、僕は後で知ることになる。 あれは“人違い”ではなかったのだ。 むしろ、あの瞬間から、すべてが始まっていた——
魔術師の鳥籠 第3話「祭りと影」
第3話ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「祭りと影」 村の広場は、すでに祭り一色に染まっていた。 夕暮れどき、空は茜色から藍へと染まりつつあり、屋台の灯りがぽつぽつと灯され始める。 あたりには香ばしい煙と、笑い声が立ちこめていた。 顔なじみの老人たちがゆっくりと椅子に腰かけ、子どもたちは鮮やかな布の帯を翻しながら走り回る。 背の高い男が手回しの仕掛け笛を鳴らし、少女たちは金魚すくいに夢中になっていた。 七日間続くこの祭りは、年に一度の村の誇りだった。 僕にとっても、それは心がほどけるようなひとときだった。 ついさっきまでの出来事が嘘のように思えるほどに。 「——よう、来てたのか」 ふと声をかけられ、振り向けば、村の青年が焼きたての串団子を手に立っていた。 「まあな、騒がしい方が落ち着く気がして」 微笑みながら返し、団子を受け取る。 甘辛い香りが鼻先をくすぐり、ようやく空腹を思い出す。 口に運ぶと、ほのかな炭の香ばしさと甘じょっぱさが広がった。 木製の台に腰をかけて団子を頬張っていると、隣で何やらもじもじしている女の子がひとり。 ころころした目でこちらを見上げていた。 「……あのね、おじちゃん、名前あるの?」 口いっぱいに餅を詰めたままの問いかけに、思わずむせた。 「……こほん、お、おじちゃんは余計だよ」 苦笑しながら、串の団子を持ち直した。 見知らぬ土地で名乗ることに、少しだけためらいがあったが ーそれも、もういいだろう。 「アルベルト・シルヴァ。放浪癖のある旅人ってとこかな」 名前を口にした瞬間、どこか背筋が伸びるような感覚があった。 言葉にしただけで、自分の輪郭がここに刻まれるような、そんな不思議な感覚。 「あるべると、しるば...! かっこいいね!」 笑顔を向けてくる子どもに、どこか照れくさくなる。 にぎやかな音の中で、ほんの束の間、穏やかな時間が流れていた。 けれど——そのときだった。 人波の向こうに、灰色のフードをかぶった男が一瞬、見えた気がした。 まるで影のように群衆にまぎれ、何事もなかったかのように姿を消す。 目を凝らす間もなく、周囲の喧騒がその違和感をかき消していった。 ほんの一瞬の出来事。 それでも、胸の奥にかすかなざわめきが残る。 夜風が冷たくなってきた。だが、まだまつりは終わらない。 祭りの中心では、舞台の準備が進められていた。 夜になれば、松明に火が灯され、太鼓の音とともに踊り子たちが登場するらしい。 村のあちこちに吊るされたちょうちんが、赤や橙、緑といった色とりどりの光を放ち、風に揺れていた。 そして——六日目の夜。 人々の歓声と、木太鼓の音に包まれて、広場は最高潮の盛り上がりを見せていた。 僕は、子どもたちと一緒に紙細工の花を飛ばす遊びに参加していた。 ふわりと浮かぶ色紙の花びらを見ていると、心が軽くなる。 そのときだった。 人混みの中、ふと一瞬だけ、違和感を覚えた。 視界の端に、フードを深く被った者がいる。 灰色と紺色を基調としたその装束。——まさか。 でも、僕は気づかなかった。 目の前で紙の花が弧を描き、子どもたちの笑い声が響いたからだ。 あの奇妙な違和感は、まるで空気の揺らぎのように、すぐに消えた。 けれど、祭りの灯りの向こう、その人物の影は、じっとこちらを見ていた。
魔術師の鳥籠 第2話「目覚めと混乱」
「魔術師の鳥籠」〜Magician’sBirdcage〜 第2話ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「目覚めと混乱」 目を覚ますと、そこは見知らぬ世界だった。 天はどこまでも高く蒼く、吹き抜ける風は異国の香りを帯びていた。 空気は澄み、森の木々がざわめきながら僕を迎える。 まるで神殿の中にいるかのような静謐な空気 ーけれど、それは長くは続かなかった。 ふと、遠くから草を踏みしめる音がした。 振り返ると、息を切らし、血の気の引いた少年が駆けてくる。 目の前にいる僕には気づかず、ただ必死に逃げるその姿に、恐怖がにじみ出ていた。 その少年の足元はふらつき、歩くたびにその足音が鈍く響く。 背中からはところどころ血がにじみ、鮮やかな赤が服を染めていた。 傷口から流れ出た血が、彼の肌を赤く彩り、その動きに合わせてわずかに滴り落ちていくのが見えた。 まるでその血が、彼の命を少しずつ削っていくかのように。 その少年の後ろには、漠然とした不気味な空気を放つ男たちが迫ってきていた。 灰色のローブに包まれたその一団は、誰ひとりとして言葉を発しない。 ただ、目元を深く隠し、冷たい雰囲気を漂わせていた ーそのどれもが、普通の者ではないという直感が働く。 「危ない!」 気づけば、僕は反射的に少年の腕を掴み、茂みに引き寄せていた。 心臓の鼓動が早く、そして異常に大きく聞こえる。 息を呑んでじっとしていると、男たちは一瞬で静寂を破った。 ぴたりと足を止め、静かに僕たちの隠れている場所を探し始める。 男たちは、まるで茂みの中に隠れていることなどお見通しだったかのように、すぐさまその気配を察知し、静かに僕たちの前に現れた。 彼らの足音すら聞こえなかったが、気づいたときにはもう目の前に立ちはだかっていた。 その瞬間、ひとりの男が言った。 「……なぜ、無関係のやつがここにいる?」 その声に違和感を覚える。 僕に向けられた言葉なのか、それとも他の誰かへのものだったのか。 だが、そんなことを考える暇もなく、男たちは静かに、まるで僕を試すかのようにじっくりと観察し始めた。 その目線は、ただの好奇心ではなかった。 まるで僕が何者で、どんな力を持っているのか、彼らの中で計りかねているかのようだった。 目元の隙間から覗く瞳が、僕の動きに合わせてわずかに動く。 その目が冷徹で、鋭く、恐ろしいまでに計算されたものであることが伝わってきた。 心臓が激しく打ち鳴らされる。 あまりの圧迫感に、息を呑んでその場から動けずにいた。 沈黙が続く中、僕の中で何かがうずき出す。 彼らが何を求めているのか、僕にはわからなかった。 ただ、彼らの視線が僕の身体をつかんで離さないその感覚 ーまるで何かが僕の中で変わろうとしているような予兆を感じていた。 だが、男たちの観察は長く続かない。ふと、一人が低い声で呟くように言った。 「……見込み違いか。」 その瞬間、まるで何かが断ち切られたように、男たちは一斉に動きを止め、再び僕から目を逸らした。静寂が再び支配し、周囲の空気が少しずつ軽くなったように感じられる。 その間に、村人たちが遠くから声を上げながら駆けつけてきた。 男たちがそれに気づくと、彼らはまるで「今日はここまで」とでも言うかのように、あっさりと引き下がっていった。 静寂が戻る。 あれだけの緊張感を見せておいて、まるで無意味だったかのように。 すぐに、男たちは動きを止め、彼らの鋭い視線がこちらに向けられた。 何も言わず、ただ無言でその場に立つ。 彼らの周囲の空気が歪み、異様な冷気が漂う。 緊張が一気に高まり、心臓が鼓動を早める。 その時、村の方から足音が聞こえた。 どうやら、騒ぎを聞きつけた村人たちが駆けつけてきたようだ。 男たちはそれを察知したのか、すぐに動き出した。 「また今度だな」一人が呟くと、他の者たちも頷き、互いに目配せを交わす。 男たちは静かに後退し、目の前の風景がゆっくりと歪んでいく。 僕が何もできずに立ち尽くしている間に、彼らは一瞬で姿を消してしまった。まるで最初からいなかったかのように。 村人たちが駆けつけると、状況を察したのか、少し驚いた表情を見せながらも、何も言わずに僕を見守っていた。 「何事だ、これは?」 「わからない……でも、さっき見た男たち、普通じゃない」 声をかけられても、僕は何も答えられない。 あの男たちは一体何者だったのか? なぜ僕を狙ってきたのか? そして、ただ一つだけ確かなのは、彼らがどこか異常な存在で、そして村人たちには危険を及ぼす存在であることだ。 その後、村人たちの心配をよそに、あたりは一瞬にして静寂に包まれた。だが、すぐに再び騒がしくなったのは、近くの広場で開かれる祭りの音だった。 何もかもが、次の一歩を踏み出す準備をしているように思えた。 あの村人たちが立ち去った後、僕はただ一人、振り返ることなく広場の方へ向かった。 胸の奥に、何か確かな予感を感じながら。
魔術師の鳥籠 第1話「物語の原点」
「魔術師の鳥籠」〜Magician’sBirdcage〜 風は星を抱きしめて 夜を濡らす涙を運ぶ 灯りは揺れて 影を継ぎ 名もなき明日 へ溶けてゆく 声を忘れた森の奥 眠りの鈴が時を閉じ 片目の月が嘘を抱き 真実(こたえ)は汝の中 かりそめの瞳を返す日は 空が青に還る刻 夢の残火は風に融け 誰かの明日をそっと灯すだろう 第1話 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「物語の原点」 ー記憶の欠片が開く扉の向こうに、その世界は息づいている はるか遠く、世界の理(ことわり)がまだ夢を見ていたころ、神々は扉(ゲート)を創り、そこに名もなき風を吹かせたという。 扉(ゲート)をくぐる者は、記憶をひとつ捧げねばならぬ。 されど、それが祝福か呪いかは、誰にもわからぬ。 ーそして、今。 一人の少年が、その扉の気配に気づいた。 彼がそれを“思い出した”のは、春の風がひときわ強く吹いた日のこと。 幼いころの記憶が、夢と現実の境界をさまようように、ふと蘇った。 言葉を持たないほどの幼少期、確かに誰かが耳打ちしたのだ。 「あの場所には、異世界へ通じる扉がある」と。 けれど、今となってはその記憶が本当に自分のものなのか、疑問を抱くことさえある。 それでも、胸の奥には何かが確かに残っていた。 それが“本当のこと”だと感じさせるようななにかが... 「——いってきます」 それが誰への言葉だったのか、自分でもわからない。 ただ、心の奥で何かが確かに「そこにある」と囁いていた。 湖面に架かる桟橋。 誰も近寄らなくなったその場所の上に立ち、足を一歩踏み出した瞬間、風が強く吹き抜けた。 次の瞬間、桟橋の上から思いきり飛び込んだ。 空気が、鋭く耳を切るように流れ、身体が宙を舞う。 目の前に広がる水面は、まるで時間が止まったかのように迫ってくる。 光が瞬いて、空気を切り裂く感覚が僕の全身を包み込んだ。 鼓動が胸を激しく打つ。 次の瞬間、冷たい水が顔面を打つように襲ってきて、目の前が一気に白く塗りつぶされた。 身体が水面に吸い込まれるように沈み、足元から上へと膨れ上がる水圧に押し込まれる感覚がする。 息ができない。 身体が重く、深く沈んでいく。 耳元で、湧き上がる水流の音が響く。 視界がぼやけ、完全に視界が失われる。 深く、冷たい水に包まれ、ただ沈んでいく感覚だけが全身を貫く。 その冷たさは、心まで凍らせるようで、体温が奪われていく。 僕はただ、無力に水中に引き込まれていった。 意識がぼんやりと遠のき、そのまま何もかもが消えていくような感覚に包まれた。