花結
6 件の小説第一章「ある男。」
いつもの通勤路の曲がり角。そこにそのカフェはある。 周りの都会感とはかけ離れた、温かみのある、小さなログハウス。 そこを通る度に、自分の煙草の匂いが香ばしいコーヒーの匂いでかき消される。 コーヒーは苦くて飲めないが、それが不思議と心地よかった。 私がその店だけがもつ雰囲気に魅了されたのは、約3か月前だ。 ある日の朝、大寝坊をした挙句に通り雨に襲われた私は、全てを諦めて会社に休みの電話を入れた。 その時、目の前の店の存在に気づいた。 雨の湿気さを感じない、焼きたてのパンの匂いとコーヒーの香りが、朝ご飯を食べ損ねた私の胃を刺激させた。 私は何も考えずに店に入った。 チリンっ。 扉に付いていた鈴の音に不意に驚いてしまった。 「いらっしゃいませ。」 美しい女性の店員がひとり、私のことを待っていたかのようにタオルを差し出した。 それが彼女、近藤 梓(あずさ)との出会いだった。
銃声
たまに拍手が怖い。 バドミントンの公式試合。 ラリーが終わるごとに、拍手が上の応援席から聞こえる。 相手の席からも、私の席からも。 失点したことを、相手が、こっちが嘲笑っているのか、はたまた仲間を激励しているのか、プレーに感心しているのか。 私には分からない。 でも、それが混ざった拍手の音が怖い。 拍手がまるで銃声みたいで、身体を撃ち抜いてるみたいで。 拍手を聞いて、試合中に過呼吸になることもあった。 たまに拍手を綺麗だという人もいる。 たしかに、あの中には純粋な意味の拍手もあるのだろう。 私もその意味の拍手をしたことは何回もある。 というか、日常生活の中での拍手は怖くない。 あの広く閉鎖的な空間で、独りで聞く拍手だけが怖い。 とてつもなく怖い。 シャトルを追おうとしても、視界が涙で滲む。 これをとれなかったら、また、あの銃声が鳴り響く。 なのに足がすくむ。震える。 見えない。呼吸ができない。もう聞きたくない。 拍手に埋もれているはずの励ましの言葉も聞こえない。 誰も助けてなんてくれない。
それでも書いて、
書いて、書いて、書き直して。 伝えたいことは決まっている。 それを言葉にすると、どんどん捻って捻れまくって。 結果的に本当に伝えたいことが分からなくなっていく。 「何て書こうとしたんだっけ。」 としばしば思う。 何と表せば良いのか、何に言い換えれば良いのか。 どんどん分からなくなって「もういっか」と匙を投げてしまう。 伝えたかったこと。 その意味がなくなってしまう。 でも、人々は伝えようとする。 本当に伝えたいことは伝わらないかもしれないのに。 違う意味として伝わってしまうかもしれないのに。 場合によっては非難されてしまうかもしれないのに。 人々は諦めない。 私も諦めない。 諦めるつもりはない。 伝えようとすることに、意味があるのだ。 たとえ、伝わらなくても。 それでも、それでも。
嘘だよ。
意味のない嘘って愛だと思うの。 なにそれ、急に。意味わかんない。 そう? あなたが1番わかってると思うのだけど。 なんで。 だって、あなた泣いてるでしょう。 泣いてない。 いいえ泣いてるわ。 それを言うならあなただって泣いてる。 違うわよ。 もうにっこにこよ。 笑顔どころか、涙でぐちゃぐちゃになってるよ。 そんなことないわ。 嘘だね。 彼女は涙を拭き取らずに微笑んだ。 ほらぁ。 ね、愛でしょ?
寝ぼけていても、
「愛する人を待つ夜」と「愛する人が帰る朝」 どちらの方が辛いのだろうか。 考えたこともなかった。 考えたくなかった。 カーテンの隙間から差し込むその光が 私をさらに惨めにさせた。
愛した人
突然だが、君の愛する人が君の目の前にいるとしよう。 君の愛する人は刃物を向けられている。 その刃物を向けているのは誰だと思う? 君の愛する人を憎んでいる人? 君の愛する人を愛してやまないストーカー? それとも、君かい? ・・・。 じゃあ質問を変えようか。 私の愛した人はどんな表情をしていたんだい?