くまちゃん
2 件の小説私がカンニングをする理由
私は中学生、カンニングをしている。いつ、カンニングをしているのか。それはテストの時、先生から問題を出された時だ。 どうしてカンニングをしているの?と疑問に思うことだろう。それは親の期待が重いからだ。私は双子である。私の双子は出来が悪い。すると、その期待はどこに向かうだろう。私だ。小学生の頃は自分で言うのもあれだが頭が良かった私。だが中学生になって第一次方程式、ルートなどたくさんのことを学んで私は授業についていけなくなった。 大人を騙すのは簡単だった。それとも私の目が良かったのか?全然バレなかった。記号問題などは特に分かりやすかった。アイウエオの記号はたくさんあっていた。カンニングといっても全てが見えるわけではないから英語などは点数が低いかったが。 ちゃんと私も辞めようとは思うのだ。カンニングなどしてはいけない。普通の人に戻らなければと。でもしなかった時の点数の悪さ。それを見た時の親の顔。あの顔をテストの気に思い出さずにはいられない。だから辞められないのだ。 私はもう辞めることはできないだろう。みんなも誰かにカンニングされてないか視線を感じないか。見てみるといい。また、私と同じでカンニングをしているそこの少女少年。たまにやってしまうそこの君。辞められるように頑張ろう。
大人に響かない私の思うこと
大人のみなさん、どうして子供にはやってはいけないと言うのに自分はやっているのですか。教えてください。 私は中学生です。私は大人にずっと質問してみたいと思っていることがありました。どうして子供にダメということを大人がやっているのか、ということについてです。 私が言いたいのは『どうして子供にスマホ夜遅くまでやっちゃダメと言っているのに大人は夜遅くまでやってるの?』 などという答えがわかりきったことではありません。私が言っているのは一般常識についてです。 私の親で例えましょう。私の家には飲み終わった缶やペットボトルを置く場所があります。その日、私はジュースの缶を机の上に置きっぱにしてしまいました。当然怒られて仕方ないと思いました。しかし、次の日。私の親もビールの缶を置きっぱにして寝ていたのです。これはどういうことでしょう。小学校の頃先生によく言われました。『自分が他の人に注意したならそれを自分は絶対にやってはいけません』『歳を重ねていくにつれて人のお手本となるように行動しなくてはなりません』果たしてこれを私の親はできているのでしょうか。 もう一つ、先生の例もあげます。『みなさんの常識として学校の廊下を走ってはいけない』というものがあるはずです。子供のみなさん、思い出してください。大人が廊下で走っていたことはありませんでしたか?階段を一段とばしにしてはいけませんと言っていた先生方、本当は学校で一段とばししてしまったことがあるんじゃないですか? この作文を見ている方に考えて欲しいです。今まであげた例など、他にもたくさんありますが。私は大人のみなさん達に思うところがたくさんあります。なにもみんながみんな大人達が子供にダメと言っていることをやっているとは言いません。ですが心当たりのある人が多いのではないでしょうか。大人のみなさん、大人が子供をよく見ているように子供も大人をよく見ています。子供は大人を見て成長します。濁った水をかけられた植物はよく育ちません。人間も同じです。これを見た親は言うでしょう。自分で働いて全てをこなせるようになってから言えと、先生は言うでしょう。大人だって人間なんだからと。そんなことは分かっています。それでも私は知りたいんです。自分の胸に手を当てて思い当たる節がないか考えてみてください。もう一度問います。どうして子供にやってはいけないと言うことを大人はやるのですか。私は知りたいです。