あなたがクロじゃなかったら
おれの元ストーカーにして今カノである女子高生、|黒町銀花《くろまちぎんか》は探偵部所属の2年生である。探偵部って何? と訊ねてみたら、怪しげな人間を見つけたら尾行して何か悪いことをしてないか見張るのが活動内容だ、と得意げに無い胸を張って答えてきたのでげんこつで窘めた記憶がある。要するにストーカー養成所ってことだろ、多分。ていうか気づきたくはなかったけど、おれってこいつに怪しい奴と思われていたのか。だからしばらく付き纏われてたのか。普通に落ち込む。
これから話すことは、まぁそんな一風(ぶっちゃけ一風どころじゃないとは思うが)変わった恋人が遭遇したとある事件の概要である。ま、事件と言っても警察沙汰になるような大袈裟なものじゃなかったらしいけど。だから安心して聞いてくれ、ってなんでお前そんな顔色が悪いんだ? ……なぁ本当にお巡りさんの世話になってないはずだよな? そうなんだろ? おい、なんで目を逸らしてんだ。こっち向け。アッ待て、逃げんなコラ! ……えー、では次からが本題だ。
【黒町銀花の事件ファイル:黄昏カニバリズム事案】
──その日も部活がだいぶ長引いちゃったの。
だって仕方ないじゃない、この街にはわる〜いやつが多すぎるんだもの! 例えばアタシのカレシのまこちゃんだって最初はマジで不気味っていうかヤバそうな人だったし。だってさ、夜でも真っ黒いサングラスしてて、もじゃもじゃの天パなんて見るからに怪しいじゃない! ……って本人に言ってやったら、それは偏見だって拳で教えこまれたけどさ。ごほん、それはともかく。
アタシこと黒町銀花サマが所属してやっている探偵部は我が校において長い歴史と伝統を誇る老舗の部活だ。代々の卒業生には刑事さんになった人もいるんだから! そんな栄えある探偵部のおシゴトは街の安全を守ること。怪しげな人を見かけたら尾行して悪いことをしてないか監視したり、迷子の子供やペットの捜索をしたり、校内のお悩みを解決したり、やることは多岐に渡るし仕事内容はたっくさん! もう猫の手でも借りたいくらい。
で、その日もクラスメイトの女の子が相談に乗ってほしいって言うから、心やさしいアタシは彼女の愚痴に付き合ってやったっていうわけ。ほら、年頃の女の子ってやつは情緒不安定なもんでしょ? たまたまその子は彼氏とうまくいってなくて、ずいぶん思い悩んでたみたい。途中までは教室に他の生徒もいたんだけどいつの間にかみんな先に帰っちゃってて、気がついたらアタシたちだけになってた。
え? その子の具体的な相談内容? そんなん知ってどうすんの。まあ秘密にしといてって言われてないから教えてあげるけど、もちろんオフレコだからね。……その子の彼氏ね、最近すごく連絡を取りたがるんだって。家にいると今何してる? ってLINEが何件も立て続けにきたり、アルバイト中に留守番電話が何十件も来てたり。元から束縛の激しい人だったけどココ最近が本当に酷くて困ってるって、それはもう憔悴してた。
すっごい可哀想でしょ? お熱いのは良い事だけど恋愛だけが学生のやることじゃないし、第一寝てるときにまで連絡を求められるのは、いくらなんでも迷惑すぎるじゃない? いっぺんガツンと言い聞かせてやるから携帯貸しなってアタシが言って、直接その子の彼氏に電話をかけてサシで話をつけてやろうとしたのよ。……どうなったと思う? 電話、出てくれなかったの。何回かけても、彼女のフリをしてメッセージを送ってもぜーんぶ無視。まるでこっちの動きが見えてるみたいにね。不気味でしょ? さすがに怖くなっちゃってその日は解散。また明日ちゃんと一緒に考えてみよって別れたの。
……翌日から、その子、学校に来なくなっちゃった。まこちゃんはアタシと違う学校だし知らないかもしれないよね。明野高校で起きた女子高生行方不明事件。えッ知ってた? マジで? ……あー、なるほどね。マスコミでも取材に来てたのかな? それで概要だけは知ってたってことか。じゃあもうここまで言えば分かるか。女子高生行方不明事件の被害者はね、アタシのクラスメイトの|染園千里《そめぞのちさと》ちゃんだったの。
染園千里ちゃん。17歳。アタシと同い年で、実は中学も一緒だったんだって。アタシが卒業した中学校はかなり規模の大きいマンモス校だったから、当時の千里ちゃんとは面識がなくて、高校に入ってから知り合ったんだ。初対面のときは大人しくて物静かな子だった。目立たない生徒だったな、成績とかスポーツもそこそこで、教室に1人くらいはいる地味子って感じ。でもアタシとは妙に気が合うっていうか波長が似通ってたのかな、割とよくツルんでた。一緒に遊んだこともあるよ、さすがにお互いの家を行き来するほどの仲じゃなかったけどさ。
だからね、初カレができたって聞いた時はそりゃ嬉しかったよ。千里ちゃんは良い子だけど見た目かネクラっぽいから決して男にモテるタイプじゃないし、本人も恋人ほしいって前にちょろっとこぼしてたしね。彼氏さんがどういう人かって? うーん、実は直に会ったことがないんだよ。千里ちゃんからはいっぱいノロケられたんだけどさ、なんでか頑なに会わせてくれなくって。きっと千里ちゃんにとっては初めての彼氏だし、取られたくなかったんだと思う。その当時はまだアタシもフリーだったし。
うーん、ノロケの詳細、ねぇ……。千里ちゃん自身がアタシと違っておしゃべりなタチではなかったし、ぶっちゃけると断片的なことしか覚えてないんだよね。でも初めの頃はね、優しくて穏やかで良い人だよってしきりに語ってくれたかな。例えば重たい荷物を代わりに持ってくれたり、さりげなく車道側を歩いてくれたり、そういう何気ない気遣いがすごく嬉しかったんだって、はにかみながら教えてくれた。
なにそれ、すごい紳士じゃんって思うでしょ? アタシもそうだった。イマドキそんな理想的なレディーファーストができるやついるの、ってさ。でも疑うには、あまりにも千里ちゃんが綺麗に笑うから、あんまり幸せそうにアタシに惚気けてくれるから。そっかぁって受け止めるしかなかったんだ。
……あのね、ここだけの話、千里ちゃんには黙ってあの子のSNSアカウントを探したことがあるの。別にネット上でまで千里ちゃんと繋がりたいってわけじゃなかった。ただアタシが知らない千里ちゃんの顔がどんなものか知りたかっただけ。ううん、白状するとね、ちょっと不安だったんだ。あのとき他にも友達はいたし、それこそ千里ちゃんよりも仲良しの女の子だっていたけど……、千里ちゃんが悪い方向に変わっていっちゃう気がして、せめてあの子の本当の姿が分かれば不安も消えるんじゃないかなって。浅はかな考えだった。今にして思えば本当にバカなことをしちゃったなって思うよ。
結果としてはね、千里ちゃんのアカウントはあっさり見つかったよ。1つは学校の友達や昔馴染みとやり取りする用のリア垢で、もう1つは「営業用」だった。もう分かるでしょ。あの子の彼氏さんとやらは、アタシがそれまで無邪気に聞いていた惚気の対象は、──千里ちゃんの「お客さん」だった。
今、パパ活って流行ってるじゃん。女の子が「支援」って名目でネット上で出会った男の人からお金をもらうやつ。千里ちゃん、それを中学のときからずっと続けてたみたい。理由までは知らない。さっきも言ったけど中学がマンモス校だったから当時のあの子をアタシは見ていないし、千里ちゃんのバックボーンっていうの? 家庭環境とか生い立ちとか、全然わかんないんだ。聞かなかったから。
……その報いなのかもしれないね。千里ちゃんとは仲良しの友達のつもりでいたのに、結局それって「つもり」でしかなかったんだよ。アタシ達は上っ面だけの付き合いのまんま、お互いの内面にずっと無関心で。どちらも勇気を出して踏み込もうともしてこなかった、だからアタシと千里ちゃんはいつでも断ち切れるような友達だった。それってほんとに友達なのかな。もう、よく分からないんだ。
話を戻すね。千里ちゃんはアタシと出会った時点で既に何人もの「お客さん」……定期って言うらしいけど、それがついていた。1人目は40代半ばのサラリーマン、2人目は60代前半の会社経営者、3人目が50代後半の自営業者。そして新たな「4人目」が千里ちゃんとのちに恋人関係になるひとであり、10代半ばから後半と思しき男だった。
……え? なんで前3人の職業が分かったのかだって? だってバレバレだもん、あいつら千里ちゃんのアカウントに直接リプライ送ってるんだよ、そっから辿ってあとはフォローやフォロワー、過去の投稿なんかを堀っていけば丸わかり。ま、ちょっとだけ裏ワザも使ったけどさ。でも4人目については何も出てこなかった。ううん、裏ワザを使ってようやく4人目がいたことに気づけたくらい、彼氏さん(仮)はとても巧妙に自分の存在を徹底して隠してた。
もちろんパパ活の支援者ってことがバレたら社会的に大きなダメージを受けるわけだから隠そうとするのは間違ってない。それは分かるの。でも隠し方が異様だった。色んなツテを頼って苦労して見つけ出したソイツのアカウントには個人が特定できるものが何もなかった。本当に何も。例えばアイコンにしろ投稿内容にしろ、何かしら本人らしさって残るものでしょ。あれが好き、これが嫌い、誰と仲がいい、何を特技あるいは趣味にしている……そういう、その人だけにしかない「色」ってものがある。アタシにも、まこちゃんにも。
ソイツのSNSアカウントのことはもう何も思い出したくないくらい怖かった。本人らしさをここまで排して赤の他人を常に装えるものなのか? そんな疑問だけが残った。投稿のひとつひとつ、それ自体は本人が書き込んだもので誰かの呟きをコピペしたものじゃないのは検索にかけたから分かった。でも、文面まるごとコピペしてないだけで内容は他の誰かがアップしたとしても通用しそうなものだったの。アタシが書き込んだとしてもアタシの周りの人間には違和感なく受け止められてしまうような、それほどに個性のない投稿ばかりだった。
フォロー、フォロワーもそう。フォローしているのは企業の公式アカウントばかり、フォローされているのも同じようなパパ活してそうな感じの女の子ばかり、もちろん千里ちゃんの営業用アカウントとの繋がりもない。ぱっと見ただけでは、とてもあの子の彼氏のアカウントだとは分からないをそれくらい内面が見えてこない。本人の思考、思想、感情、そうした|己《なかみ》が分厚いヴェールに覆われているような……そういう不気味さがあった。
それで、ちょっと思い出したことがある。千里ちゃんが惚気けてくれた彼氏さんにまつわる|情報《ことば》に、彼氏さんが千里ちゃんへ向けている思いがなかったって事実に。千里ちゃんは彼氏さんとこんな所に出かけたとか、この前は2人で何をしたとか色々喋ってくれてたんだけど、彼氏さんが千里ちゃんに対してどんな言葉をかけてくれたのか、あの子は全然話さなかったなって。
千里ちゃんから彼氏さんへの思いは、そりゃあいっぱいノロケられたからこれ以上ないってくらい理解できるし伝わってくる。なのに、彼氏さんから千里ちゃんへの感情ってどんなだったかなって。思い出そうとしても、それに該当しそうなあの子の発言が出てこない。あれをした、これをしてくれた、そういう行動の記録は分かるのに。
そもそも、お客さんである彼氏さんと千里ちゃんが真剣交際に至ってるってこと自体が、正式なカップルになっているって事実そのものが、ぶっちゃけ異常すぎじゃない? だってパパ活だよ? いくら相手が好みのタイプだったり、性格や外見が良かったとしても、そんな形で繋がった相手とどうして本気の恋愛なんてできるの。おかしいじゃん、そんなの。でも千里ちゃんは疑問なんてなかったみたいだった。パパ活から始まる恋だってあるって、本気で信じてるんじゃなかったかな、きっとね。
もしかしたらアタシ自身が「そういう」ことをした経験がないから、そう勝手に思い込んでるだけかもしれない。外野から見えないだけで彼氏さんは真実ほんとうに千里ちゃんを愛してるのかもしれない、実際は分からない。アタシにも、誰にも。たぶん千里ちゃん本人であっても。ヒトの心なんて目には見えないんだから、言や行動で示してくれない限りは。だけど少なくとも本当に愛してくれてるんだったら、そいつの向ける|執着《おもい》の名前が愛だったなら。
「こんなこと」にはなってない。なってないんだよ。……ねぇ、千里ちゃん。
目の前には無惨に食い散らかされた死体があった。食い破られた皮膚、噛みちぎられた髪、切り開かれた腹からはみ出た腸は血に濡れて輝き、虚ろに空いた眼窩からは、もう彼女の瞳は失われてしまっている。私が着ているものと同じデザインの制服はボロボロに切り裂かれ、死体の損壊状況も相まってとても直視に耐えないものだった。
これがクラスメイトの染園千里だと言われてもにわかに信じ難いだろう。だってこんなの、どう見たって野山に打ち捨てられた食いかけの獣よりも酷く惨たらしいじゃないか。生きているうちに食われたのだとしても、死んだ後に食いつかれたのだとしても、どっちにしろ死者への畏敬なんてものは感じられない。
「……ねぇ、どうしてあなたは私を裏切ったの。まこちゃん。信じてたんだよ。あなたは、こんなこと絶対にしないって。ずっと信じてたのに。だから今まで傍にいたのに」
焼き尽くされそうに赤くて熱い夕日が、黄昏を迎えた空を染め上げている。見慣れた街並みも視線の先に佇む彼も何もかもが、目が眩んでしまうくらいに赤くてまぶしい。サングラスの奥から覗く視線だけが、底冷えするほどに冷たく凍えていた。
「なぁ、なんでおれだって気づいたのか教えてもらってもいいかな。銀花、……いや、探偵さん」
「……最初から、かな。まこちゃん。ううん、犯人さんって言えばいいのかな。ずっと目星はつけてたの。だから近づいたの。……まさか、あなたと恋人ごっこする羽目になるとまでは予測できなかったけどね」
まこちゃん、否、染園千里を殺害した犯人である彼──|白嵜誠《しろざきまこと》はうっそりと微笑みながら、私をじっと見据えている。
着ている学校の|制服《学ラン》にべっとりと返り血が飛び散っていること以外は、呆れるくらいにいつもと同じ姿をしていた。モサモサの天然パーマに昼夜問わず掛けっぱなしのサングラス、街中に紛れればあっという間に見分けがつかなくなりそうなほど凡庸な顔立ち。あまりにも印象に残らない外見だな、と初対面のときに抱いた感想を今も生々しく覚えている。髪型を変え、サングラスを外せば、たぶん誰も彼を見つけ出せなくなる。私でさえそうだったのだから、無言で空を見上げる千里ちゃんだってそうなのだろう。
「探偵ごっこは楽しかったか? おれを追いかけるの、そりゃあもうワクワクしただろ? お前がずっと憧れてた探偵そのものだもんな、まさか犯人からアプローチを仕掛けられるとは予想もしてなかったんじゃないか?」
「まあね。ストーカー扱いされてたって知ったときは癪だったし、でも普段こうして2人でくだらない話をしたり、ちゃんと恋人として過ごしているときは、自分がやっていること全てがどうでもよくなるくらい、それくらい楽しかった。そんくらい楽しかったんだよ。だから信じたかった。……信じてたの。私の思い浮かべたことは間違いなんじゃないのかなって」
我が校伝統の探偵部は、まあ普段やっていることは全てお遊びみたいなものだけど。年に1、2回こうして本当の事件に携わることがあるらしい。正真正銘の刑事事件にだ。そして大抵の依頼は迷子の捜索や浮気調査のお手伝いだったりするのに対し、本当の事件ってやつは前触れもなく起こる。私の友達である千里ちゃんの失踪のように。
そりゃもちろん千里ちゃんがいきなり居なくなったとき、すぐに彼女の家族は警察に届けを出してたし、今だって手分けして探してるだろうし、警察の人達も頑張って千里ちゃんを見つけようとしてるんだろうし、ほんとなら私が出る幕じゃないのは分かっている。それでも素知らぬフリをして日常に戻るのは耐えきれなかった。どうしても私が見つけたかった。千里ちゃんに再会したかったの。
私にとって、あの子は友達だから。たとえ本当はちゃんとした友達になりきれてなかったのだとしても、それでも。千里ちゃんの家族の顔を知らなくても、千里ちゃんがパパ活なんてしてたのを知らなくても、千里ちゃんが同じ中学だったのに気づかなくても、本当の千里ちゃんがどんな子だったのか未だに分かってなかったけれども。信じていたかった、信じてみたかった。彼女との間に生まれた繋がりは、決して無意味なんかじゃないって。
だから近づいた。唯一残された手がかりである彼女のSNSアカウントを辿って、手繰って、追いかけて、ようやく追いついた。そうして発見した彼に。たった一つだけ彼女が最初にヒントを与えてくれていた。失踪の直前、ぽろっとこぼした何気ない愚痴。束縛が激しいという恋愛によくありがちな悩み。それがいつから始まったのか、もう私は知っている。恋人として、いいや白嵜曰くの「ストーカー」として彼を見たから。
「怖かったんでしょ? いつ獲物が逃げるか、あなたの狙いに気付かれるか。だから、しびれを切らして食ってしまおうと思った。そして食べ終わったまさにそのタイミングで私が来た。……違う?」
「いいや、その通りだよ。全て合ってる。花丸をあげたいくらいだ。……ていうか、短い間とはいえ恋人をやってたけど、まさかここまでお前がしつこく追ってくるとは思ってなかったよ」
「あんただって気づいてたんじゃん、私が白嵜誠を狙ってたことに」
「そりゃーな、あんだけ熱視線を注がれたら分かるわ。お前、マジ隠すの下手すぎ。そんなんじゃ探偵なんかなれねえと思うよ?」
「別にいいよ。探偵部の活動はあくまでごっこ遊び。だいたい部費なんて出てるわけないじゃない。非公式の同好会なんだよ、あれ。あんたは他校だからそりゃ知らなかっただろうけどね。……だけど、みんなが探偵部をばかにする中で、千里ちゃんだけは違ったんだ。すごいねって、頑張ってねって、言ってくれたんだ。だから報いるって決めたんだ、私は!」
それで、どうするつもりなん? と同い歳の青年は薄っぺらな笑顔で問う。……そうだね、どうするつもりでいたんだろう、私は。当然だけど異性である相手に力では敵わない。このまま私まで食い殺されるのは目に見えている。何かがしたかった。このまま素通りなんてできなかった。だから知恵も力も足りないくせに手を突っ込んだ。その代償に今、私は命を失いかけている。
「このまま見逃せよ。そしたらお前も見逃してやる。明日からまたラブラブカップルに逆戻りだ、それで全てうまくいく。何も問題ないだろ?」
「……っ、ハッ。だったら最初から、あんたと恋人なんかやってないっつーの! ふざっけんなよ、私の友達、返せ! 返せよ! お前が好き勝手に食い散らかしていいひとじゃねえんだよ! この子は!」
「はー、ウッザ。キモ。超めんどくせ。もういいや、お前も殺すか。それで文句ねえだろ」
誰に向けて言っている。なぜ死体に対してそんな口がきける? どこまで、一体どこまでこいつは腐りきってるんだ。……理解できない、怖い。
「ていうか、おれらしくもねぇな、獲物相手に待てをしてやるなんて。さっさと話なんか聞かずに食ってやればよかったわ」
「はァ? 笑わせんなよ、人を舐め腐るのもいい加減にしなよ、なんで私がお前に食われなくちゃならないの」
白嵜と私の彼我距離はたった数メートルしかない。コンパスの長いあいつなら数歩でそんなもの詰めてしまえる。1歩、2歩、ああもう逃げられない。……ダメか、ダメか。
せめて、こいつを捕まえられなくても。取り逃してしまうとしても。彼女をこのままにしておきたくなかったのに。彼女が傾けてくれた優しさに報いてやりたかったのに。
その瞬間、プルルル! と凄まじい大音量で片手に持っていた私のスマートフォンが通知音を鳴り響かせる。断じてこちらの操作じゃない。たぶん誰かが電話をかけてきただけだ、けれどアイツを怯ませるには充分だった。
「ちっ、てめぇ、っざけんなよ!」
「うるせえ、お前が言うな!」
金属製の端末を握りしめる。これがそこそこに重量のあるものだと知っている。だから遠慮も容赦も手加減もなしに、思いっきり振りかぶり──殴りかかる。ごっ! と鈍い音がして白嵜のこめかみにカバーのついてない剥き出しの携帯がぶち当たった。サングラスごと目を狙ったはずだけど、こめかみだって充分な急所だ。そのまま体勢を崩しにかかる。痛みで相手は立て直せてない、このタイミングを見誤るわけにはいかない。
「これはっ、あんたに食い殺された千里ちゃんの分だ……っ!」
差し違えたっていい。返り討たれてもいい。だけど許さない。絶対に許せないから、私はこいつを今、ここで。
「……ァ、クソが、クソっ、ナメ……やがっ、て……! この、クソ女が……ッ!」
馬乗りになる。頸動脈に手をかける。こんなに非力じゃ命までは奪えないかもしれない。それでも、手を緩めたりはしない。向けられた罵倒に魂が冷えていく。力は漲る。殺意だけがここにある。
「……はっ、よかった、な。お前、これで、おれと……同じ、だ」
「そうかもね。だから、それが、なんだっていうの?」
背負う罪が増えるだけでお前を殺せるのなら、私がお前の居るところへ堕ちることの何がそんなに問題だっていうのだろう。
◆◆◆
時刻は夕を過ぎ、規制線で区切られた周囲には淡い宵の気配が満ちている。集まった野次馬でザワザワと騒がしい現場から少し離れ、鑑識たちが忙しく立ち回る様子を眺める。
……我々の仲間が要請を受けて現場に駆けつけたとき、もう全ては終わっていたという。夕陽に照らされる見慣れた街並み、赤い光の中で佇む少女、その足元に転がる2つの死体。加害者となった彼女は、その残虐な行為にふさわしからぬ穏やかな顔で述べたという。
「全て私がやりました」、と。