紫月玖優

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紫月玖優

魔の隠し物

「ふぅ。」  少し大きめの溜息を吐きながら、私、横田めぐみは買い物袋をテーブルに下ろす。  子供はいる。でも、独り立ち済み。夫も帰るのはいつも夜遅くなので、家に帰って話す相手も特にいない。  買った物をそれぞれ別の場所に片付け、夕飯の支度を早々に始める。  いつもはこんな早くに支度しないのだが、今日は久しぶりに時間が作れた。ここ1週間溜めていたドラマを消化できる。  ドラマのお供に、とチーズケーキも買った。準備は万端だ。  そして、夕飯の支度を終え、ドラマを見ようとテレビの画面を録画一覧に移し、準備を整え、チーズケーキを冷蔵庫から取ろうとするが、無い。  そういえば、冷蔵庫に片付けた記憶が無い。少し焦る。 「あれ…、何処にやったのかしら…」  止まっていても仕方ないので、探そうとすると、私の耳に、 『そんなに焦るんでない』  と、聞き覚えのある声が聞こえた。 『そういう時は「魔」が隠しているから見つかりません。そのうち、出てきます』  もう5年も前に亡くなった母の声だった。  私は子供の頃からよく物が無くなることがあった。それも、中途半端な物ばかり。  筆箱に入っている鉛筆のうちの1本。制服のポッケに入れているハンカチ。靴下片方など。  そこまで大事な物は無くさないだが、頻度はそこそこ多かった。そんな時、決まって母は、こう言う。 『「魔」が隠している』と。  子供の頃から『マが隠している』と言う母に、「マって何?」と尋ねることは無かった。  それから月日が流れ、「魔」という漢字が理解出来るほどになっても、特に気になることは無かった。  家のどこかに潜み、イタズラをする邪悪な存在。それくらいに思っていた。  私は三姉妹の真ん中なのだが、姉も妹も私同様、よく物を無くしていた。  だが母は誰の紛失物であっても手伝いや口出しをせず、私たちが聞いても 『今は「魔」が隠しているのだから』  そう言うばかりだった。母は方便としてその言葉を使っていたのか。それとも、本当に「魔」を信じていたのか。それは分からない。  でも、今でもこのことを鮮明に覚えているのには、理由がある。  本当に、「魔」に隠されているかもしれない気がした出来事があったのだ。  人は印象に残る出来事は鮮明に記憶に残るというもので、この出来事がまさにそれだった。  今から30年ほど前。小学3年生のこと。  私は自分で言うのもなんだが、用意は良い方で、前日には明日の用意は全て終わらせるタイプだった。  いつものように翌日の時間割通りに教科書とノートを入れていると、社会の教科書が無いのだ。  物を失くすことに関してはよくあるのだが、いつも無くても支障は無い程度のレベルの物だったので、明日ある教科の、それも教科書だ。私は相当焦ったのを覚えている。  母にすぐ社会の教科書を知らないかと聞いたが返答は無論、知らないとのこと。  一緒に探してと頼むも、『「魔」が隠しているから』で、私は怒ってしまった。  そして1人で家中を探すが、無い。教室に置き忘れたかもと思ったが、毎日机の中を確認して帰っていて、今日見て机の中には何も無いと確認した記憶もある。  結局見つからず、その日は寝てしまった。  次の日、学校に行くと、自分の机の上に社会の教科書と、その上に小さく折り畳まれた紙切れが置かれていた。  紙切れを広げるとそこには、 〔私の息子が貴方様の社会の教科書を間違えて持って帰っておりました。本当に申し訳ありません。どうか許してやってください〕  そう、丁寧に書かれていた。そして最後に 〔渡邊徹の母より〕と終えられていて、私は悪寒を感じることとなる。  間違えて持って帰っていたという渡邊徹くんは、2週間ほど前から不登校なのだ。  それに対し社会の授業は1週間に2回ある。つまり、持って帰ることができるわけがないのだ。  そして、その数日後、渡邊くんは二度と学校に顔を見せることなく、渡邊くんの席は無くなった。引っ越したのだ。  そうして、事は収まったのだが、あの教科書がどういった経路で机に置かれたのか、先生に預けられていたのか。それとも、渡邊くんのお母さんだけが学校に来て置いていったのか。私には思い出せない。  しかし、この“原因が分からないまま解決してしまったこと”が、私が「魔」を信じる理由となった。  …と。そんなことを思い出しながら、チーズケーキを探していると、玄関にチーズケーキだけがぽつんと置かれていた。 「…あ」  そういえば、玄関に着いた時に、チーズケーキが潰れないように、先にチーズケーキだけを避難させていたのだった。それで、そのまま忘れて今に至ったのか。 「完全に私の自業自得だわね。」  そう自嘲的に笑いを含め呟いた。これは完全に「魔」とかそんなせいではないのだが、この年齢になってもこういったことを起こしてしまうことが恥ずかしくなった。  このことをどうにか「魔」のせいにできないかと、そんなことを考えながら、見たいドラマにリモコンのカーソルを合わせて、再生ボタンを押した。

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魔の隠し物