zuzu
11 件の小説私の心
精神を患って、堕ちたと思った。 ただ学校に行くのが難しくなって、電車にもバスにも乗れなくなった。1週間その状態が続いた時、家族は私を精神科に連れて行った。 そこで先生と長らく話し合って、神経症と診断された。 それまで一年ほど過呼吸を患っていた。そこに新たに病名が加わったのである。 そう診断されても私に辛いことはなく、ただ周りが騒いでいるだけだと思った。 ここ1週間あまり調子が良くなかった。電車に乗れば涙が出て、でも休まず学校に行った。 けれど今日バスで過呼吸になった。実に7ヶ月ぶりである。 この世界は優しい。道端に具合の悪そうな人がいれば話しかけてくれた。そう優しすぎる。 例えば昭和、精神を患っても根性で乗り越えろと言われたのではないかと思う。これは私の偏見だけれど。 この優しい世界で私は精神を“患わせてもらっている”。 登校中に過呼吸になったといえば、心配し手を差し伸べてくれる。ゆっくりしてから家に帰ればいいと言ってくれる。 「そんなの甘えだ。さっさと学校に行け」なんて言われない。 そんな私に甘い世界で、私は甘ったれて精神を患っている。 だから余計に自分で自分を追い詰める。 多分そういう性質なのだろう。 どんどん堕ちていく。 私は他の人と違うように見える。普通に紛れた異物のようだ。排除される存在。 いつ殺されるのかずっとハラハラしてる。恐怖に侵されている。 人は信用できない。いつ殺してくるかわからないから。 ただ、人を頼ってしか精神を支えられない。 人間を頼るしか生きる道がないのに、人間を恐れている。それが今の私だ。 もっと堕ちてしまったら、楽だろうか。
私の未来
別にいらんかってんよ。お疲れ様がもらえればそれで。よかったんよ…。 その日は朝から忙しかった。仕事で家を出る前に洗濯して皿洗いして、ゴミ出して。バタバタで家を出て電車に揺られて。電車の中はみんなもう疲れ切ったように暗い顔と眠たそうな顔をしていた。みんなも同じなんだ。朝からもう疲れてる。 何を必死に生きてるんだろう。電車に揺られるたび思う。社会に出てから心がすり減って、ワークライフバランスなんて保てなくて、ただ仕事をするために生きているようになった。なんで生きてるのかわからなくなった。これまでどうやって生きてきたっけ?ずっと過去を振り返って、でも過去を思い出す気力もなくて。もうとうの昔に私は壊れてしまったのだろう。今更直そうとも思わない。ただ起きて家事をして仕事をして寝る。それだけのために生きている。 最寄りについて仕事を始める。やることがいっぱいだ。書類整理、段取り決め、打ち合わせのメール、報告書。一日中頭の中が仕事でいっぱいで、ろくにお昼も食べられない。ずっと頭が痛い。体に鞭を打って働いた。 疲れた。帰りの電車でもメールを打ち、脳を休める時間はなくなった。女子高生の笑い声がする。いいな。羨ましい。何がそんなに楽しいかわからないけど、そんなに笑えるのが羨ましい。私はいつ笑ったっけ? 家についてベットに入る。もう瞼が重い。電話がかかってきた。大学の友達からだ。 「久しぶりー!元気にしてたー?今度同窓会あるじゃん。行くのー?」 間延びする言い方と高い声。相変わらずだ。 「久しぶり。元気だよ。同窓会行かない予定。」 「なんでー!?楽しいのに! そっか〜。え、てか今なんの仕事してんのー?」 仕事を答えた。少しの愚痴と共に。 「え!社畜じゃん!!てか超ブラック!辞めなよ〜。そんなの辛いだけだよ?他にも仕事はいっぱいあるんだし!」 「うん、でも…」 「辞めた方がいいって!今まで頑張ってきたんでしょ!そんな会社いる意味なくない?搾取されてるだけじゃん!」 この子は私のことを心配してくれてるんだろう。でも本当に私のこと思ってる? そんなに否定しないでよ。私は仕事をするために生きてるの。死ぬ気で頑張ってきたの。会社のために!会社にいる意味ない?搾取されてる?勝手なこと言わないで!!私はっ!! 心の何かが本格的に壊れた音がした。 この時私は完全に堕ちてしまったのだろう。 もうどうでもいい。 電話を切ってそのまま寝た。 朝、何もする気が起きなかった。家事も仕事も。起き上がることさえ。 そのままずっと寝てた。何をするわけでもなく、ただひたすらに。 それでよかった。もう何もしなくてもいいんだって思うと嬉しかった。勝手に涙が溢れるくらい。 次の日も次の日もそうして日々を送った。 頭が痛くなって徐々に意識が遠のいてきたころ、ドアが開いた。誰かが入ってくる。もうどうでもいい。そのまま目を閉じた。 後で聞いた話、会社に来ない私を心配した上司が(その心配は疑似的なものだ!)警察に相談したらしい。それで私の状況を発見した。 その後病院に運ばれ、精神病棟に入れられた。 精神病棟の窓から紅葉が見える。黄色と赤が混じる紅葉は綺麗なものだ。自然と涙がつたう。 私の心は平穏そのものだった。なんの波もたたず、ただ穏やかな心が広がっていた。 私はなんで生きているんだろう。ただ深く考えることもせず、そのことばかり考えていた。 答えはずっと見つからない。
孤独のすすめ
夜、ずっと寂しい 人恋しいのかネットで話そうとする。 すると睡眠時間が削られて、寝不足になりまた寂しくなる。 悪循環だ いつ頃からか、ある日突然孤独に襲われるようになった。 我慢して寝た日は、なんとなく辛い モヤモヤしたままだ 孤独を嫌うなというけれど、人間は孤独が一番辛いのではないのだろうか。 かつて孤独になりたいと思ったことがあるけれど、このような形で孤独になるとは… 精神の安定はやはりデジタルデトックスか 1人でも生きていける術を見つけなければならない。
生の解放
何度世を儚んだことでしょう。 何かあるたびに逃げ出したくなる私は、弱い人間でした。 幾度となく試してみて、分かったことがあります。 人間は死ぬ時、笑うそうです。 それまで泣き叫び、心がどん底にいたとしても、最後は笑うそうです。 そこに人生を振り返る余地なんてありません。 ただその瞬間、無になります。 心と関係なく、口角が上がり笑っているのです。 なんて落ち着くのだろうと思いました。 苦しみも痛みも生も死も全て、感じませんでした。 ただ無に放り出されるのです。 本当の意味での解放でした。 死後解放されるのではなく、死ぬ前に解放されました。 なんとありがたいことか。 私はそのとき幸福でした。
夜の空虚
夜は虚しい。 胸の下で胃の上…よくわからない場所が痛くなる。 ズキズキじゃなくてぼんやりと 苦しくて、痛くて、悲しくて、辛い このぐちゃぐちゃな感情に名前をつけるなら、きっと虚しいになるのだろう。 何かあったわけでもなく、 ただ漠然と…急に… 恐怖ではない。 なにか埋められない心の隙間ができたように これを埋める方法はない。 どんなことをしても埋まらない その一瞬、無くなったとしても、根底にあり続ける。 どうやっても排除できない感情… 夜の空虚。
青の抱擁
空を見る 息を吸う 息を吐く 心が辛くなったらこのルーティーンをする これをするだけで心が軽くなるから 新しい、自分だけの空気を吸って、体のいらなくなった空気を吐く。 心の嫌な部分も一緒に すると肺が洗われる気がする このむさ苦しい現実を、ちょっとでもいい方向に向けていこうという心持ちができる…気がする でもみんな嫌な部分を吐き出してしまったら、空は暗くなってしまいそう 空気も悪くなってしまいそう だけど大体は空は青いし、空気も澄んでいる でも時々、空が暗くなったり、泣いたりしてる でもそれは空が吐き出しているってことなのかな 人間もそうだけど、限度があるもんね
味の思い出
チューイングガムの味 高校生になって久しぶりに味わうそれは とても懐かしい記憶を私の元に運んできた 小学生の頃、近所の駄菓子屋に行って、チューイングガムを買っていた 買ったガムを、友達と遊んでいる間ずっと噛んでいたことを覚えている 鬼ごっこのときの追いかけられる恐怖 追いかける時の楽しさ かくれんぼの緊張感 全力のじゃんけん この忘れていた小学生の思い出 記憶なんて案外簡単に忘れるけど、この味と味に結びつく思い出はいつでも思い出せたらいいなと思う
死にたいについて
死にたい。 って思うことって贅沢だよね ただの私の意見なんだけどね… 生物は、例えば虫なんかは自害の方法を知らない、というか考えることすらない。 だけど、ある程度考える力を持つ人間は、考えちゃうんだよね この極面、どうやって乗り越えよう? ってなったら、逃げるか戦うか回避するか でもどれもできなくて、苦しくて、もう消えてなくなりたいってなった時に選ぶ方法が自殺になるんだよね 贅沢だけど、苦しいよね 知能がないより知能がある方が苦しいって思うことになるけど、知能があるからこそより高みを見れるとも考えると、やっぱり知能はある方がいいのかな なんて呑気に考えちゃうんだよね おしまい
夏の朝の旅
【処暑】 8月23日から9月7日まで。 暑さの峠を越し、日中の蒸し暑さは残るものの朝夕には涼しい風が吹く。 8月27日午前5:30 昨日終電で帰ってきた私には絶対にあり得ない時間に目が覚めた。8時間睡眠がベストの私が5時間もたってないのに目覚めたのである。本当に目覚めただけ。ぼんやりとしている。 最近夜が涼しくなってきて、窓を開けて毛布を一枚被るだけで快適な睡眠が手に入るようになってきた。 朝5時30分。小鳥の鳴き声が聞こえ、カーテンを開けてみると、向かいのマンションが朝日で照らされていた。日中のような眩い光ではなく、オレンジ色の、パッと見ただけで朝日だと分かる光だった。 夏休みでグータラしていた私は、久しぶりの朝日に興奮し、自分の目で見ようと家を出ることを考えたが、再び眠りについてしまった。 眠る前に考えたことが夢になって出てくるということを誰しも一度は体験したことがあると思う。私も同様に、再び眠りについたとき朝日を見ようと外へ出る夢を見た。 午前5時45分 夏の太陽はすぐに登るイメージだったので15分も経てば登りきってしまっているのかと心配していたが、意外にもそこまでの高さにはなっていないようだった。 再び目が覚めた私は行動に移そうと本格的に動き出す。髪も解かさず、服も着替えず、起きたままの状態で外へ出た。目は半分開いていない。 思ったよりも雲が多い。 最近の天気は朝方、夕方、夜に急に雨が降ったりする。昨日も天気が乱れていたので、そのせいだろう。だが、朝日はしっかり登り、私たちに元気を分けてくれる。雲がかかっていても朝日は毎日のぼっていると実感した。 向かいのマンションの屋上にカラスがいる。私が家を出たときにちょうど、屋上に着地していた。カラスは有名な歌から、夕方のイメージが強いが朝にもよく見かける。鳴くのは、……まぁカラスはいつも鳴いているか。 さて、朝日へ向かって出発だ。 私が暮らしている地域は、“それほど田舎ではないけれど都会でもない”みたいなちょうどいい場所だ。だから田んぼは結構ある。朝日を見るにおすすめの場所は田んぼが広がっている見晴らしのいいところだ。向こうに山があり、そこから朝日がのぼる。 慣れたように道を歩く。小鳥のさえずり、カラスの鳴き声、畑を通る時のコオロギの鳴き声。朝はいい。ちょうど朝日がのぼる頃に動物たちは目覚めるのだろう。歩いていて、いろんな動物の声が聞こえる。 そして朝の空気。涼しくて澄んでいる。朝の空気を吸おうとすると、自然と顔が上に上がるのもいい。今日も一日頑張ろうと思える。 私は朝が大好きだ。 田んぼへ行く途中に朝日が見えてしまった。途切れ途切れ見える朝日は輝いていて、目が完全に開いていない私の目にはキラキラしているように映った。やはり朝日はいいものだ。途中で見えてしまったので田んぼまで行かずUターン。帰りは来た道と同じではなく、朝日に照らされている違う道を通って帰った。 帰るとき隣の道でご老人が歩いているのが見えた。散歩だろうか。元気なのはいいことだ。私も歳を取ったら朝日を身に受けながら散歩をしてゆっくり過ごしたいと思った。 午前6時 家に着いたのは6時ごろだった。 これで15分の旅か終わった。 普段の睡眠よりも少ないので、布団に転がっていたらまた寝てしまうのだろう。 朝ごはん何を食べようかな 考えるだけでワクワクする。 今日はどんな1日になるのか なるべく楽しい日にしていこうと思う。 とりあえず一眠りしよう。 おやすみなさい
脳死……?
それは急に起こる。 人と喋っている時に頭が空っぽになるのだ。 けれど言葉は話し続けている。 ただ魂がここにないという感覚だけが襲いかかった。 自分を自分で見ている感覚。 一種の幽体離脱とも言えるのだろうか。 その度に漠然と、(私とはなんなんだろう)と思うのだ。 答えはまだ見つかっていない。