海寄り雑貨店
20xx年、7月8日。午前10時42分頃…太平洋を中心とした世界を襲う大津波が起こった。その高さは60メートルもあったと言われており、世界の都市、街、自然はみんな沈み切ってしまった。…今ある世界には地上は存在せず、水の水平線だけが世界になった。…青い空を全て写し出すその姿は、とっても綺麗だ。白い太陽は真っ白な雲を照らしてまるで金剛石のように広がって光ってて…ずっと見続けてると空がどっちかわからなくなる。…でも、水面の下に広がってる死んだ大きなグラウンドが見えたとき、ちゃんと空の位置がわかってしまって、水面をパシャリと打ち付けてしまう。
今、手に持っている釣り竿には、何にもかかりゃしない…でも、そんな世界が、愛おしくも思ってしまうんだ。枯れたはずの世界は透き通った水で、今、満たされている。
「んー。釣れないっすね。」
私の横で、松江が小さい唸り声を漏らした。釣れることはないと確信しているのか、大の字に寝転んで竿を適当な板材にくくりつけて固定している。まったく、自分から誘っておいてギブアップが早すぎではないだろうか。
「まだ5分もたってないよ。釣りってのはね、根気勝負なんだからそうやすやすと捕まるもんじゃない。」
私は、体育座りをして、じっと竿の先を見続ける。水の奥深くには、微かであるが魚影が小刻みに動いているのだ。そこら辺にあった材料で無理矢理作った釣り竿でも、もしかしたらかかるかもしれない。
「ちぇ〜。もっと効率的な方法ないんすかぁ?」
「あったらとっくに試してる。」
松江は、いつもそう言ってくる。でも、これが精一杯の「効率的な方法」なのだから仕方ない。私たちには、水の底でうごめく食料が、奇跡的に引っかかることを神様に祈ることぐらいしかできないのだ。…まぁ「私たち」とは言ったがこれからすぐに別の仕事へ行かなきゃならない。
「私は品出しに行くから、あんたはこのまま釣りしてて。」
「え!一人だけ抜け駆けっすか?ずるいっすよ!」
「じゃあ、あんたやる?」
松江をギロっと睨む。本当なら貴重な食料調達はいやがなんでもやりたい。でも、私には私にしかできないことがある。その為にも松江には私の分まで頑張ってもらわないといけない。まぁ、松江はそもそも店の業務がほとんどできないから、消去法で釣りみたいな特別業務をしてもらっているのだが。
「……いや、やっぱ釣りしてます…」
私の気持ちが届いたのか、はたまた私の強い眼光に怖気ついたのか、松江は直ぐに立ち上がって竿をしっかり握る。その顔はどこか腑に落ちてはいなさそうだ。…後でジュースを奢ってやろう。私も、いつしかわがままになってしまった。
雑貨屋は、巨大ないかだの上にあるコンビニの跡地を借りて営業している。(まぁ、管理者も親会社も全部津波にに沈んだから勝手に使ってるんだけど…)
電気も水もとっくに止まってるから、店は常に薄暗い。お化けでも出てきそうな雰囲気だ。棚という棚は一応綺麗に整えたが、水に濡れたせいかもう、錆びついてほとんどが使えない。レジだって最初開かなくて大変だった。まぁ、人がいなくなったこの世界に金があっても使い道はなく、ただの紙切れに過ぎない。今は、紙幣を燃やして燃料にしたり、硬貨を使ってたまに松江とゲームするぐらいにしか需要はないだろう。
「さて、この前見つけた服は…うわ、カビ生えてんじゃん…」
品出しのために来たが、もちろん商品を運んでくれる業者なんかいないから、たまたまこのいかだに流れ着いた物。それを商品にしている。今回は、「若葉中学校2年 飯沼実里」と書かれた制服だ。基本、服なんて薄汚れてるけど、まさかここまでカビが生えてるとは…裏返すと、そこには無数の黒い胞子のような点が、皮膚のように密集していた。流石にこれは触るのを躊躇ってしまう。
チャリン
ふと、品出しに時間をかけていたら、店の正面入り口の鈴が鈍く鳴ったのが聞こえた。…きっとお客さんだろう。
私はすぐにボサボサの髪をポッケに入ってた白い三角巾で隠して、カウンターへ急いだ。
「はい、はーい。どうぞ」
「あ、あの。ここって『海寄り雑貨店』で合ってますか?」
「はい…そうですけど、」
私はお客さんの姿を見てびっくりした。何故なら、そこには、赤いランドセルを背負った女の子がいたからだ。背はそれなりにあるからきっと小学校高学年だろう。これまで数々のお客さんが来たが、大体がおっさんかおばあさんだったからこんなに若い子が来るのは初めてかもしれない。
「えーと、何をお求めで?」
「あ、えっと、わ、若葉中学校の制服って…あったりしますか?」
女の子はたどたどした話し方で、そう言った。良かった、ちょうど今品出ししてたのがたまたま若葉中学校の制服で。だいたいお客さんが欲しいものは店を隅から隅まで探す羽目になるものばかりだから今回はラッキーだ。
「わかった。ちょっと待っててね。今から出してくるから」
私は、店の奥から制服を持ってきて女の子に見せる。…触るのはいやだったからそばにあった段ボールに乗せて慎重にはこんだ。
女の子は制服を見ても何も喜ばなかったが、胸ポッケの名前刺繍の所を見ると声を上げて喜び、カビだらけの胸ポッケに突然腕を突っ込んだ。
「あ、これです!これ!。…あれ?なんで…キーホルダーがない。」
「キーホルダー?」
「はい。この制服の……飯沼実里って私のお姉ちゃんなんです。いつも私と遊んでくれて…去年の誕生日にはお揃いのキーホルダーを作ってくれたんです。可愛いいうさぎさんの…でも、私、なくしちゃって…」
女の子の声はどこか楽しげで、でも、悲しそうで…。キーホルダーはもう、長い年月の中で風化してしまったかもしれない。または、ポッケから落ちてしまったのか…理由はわからない。でも、彼女がここに来てくれたのだから見つけてあげないと。私は、さらに深く俯いた彼女のほっぺを両手でぎゅっと持ち上げた。
「大丈夫。あなたはこの雑貨屋に来たんだから。来れたんだから…絶対に見つかるよ。だから、そんな暗い顔しないで、ね。」
私は笑顔を見せる。彼女の目には無数の涙の跡があったが、それでも笑ってくれた。
「うん。ありがとうございます。」
……それから二人で店の隅から隅までキーホルダーを探し回った。棚の下や、屋根の上、頑張って、トイレの中も手を突っ込んでさがした。だが、結局、見つからなかった。
それらしいは何十個と出てきたが、どれも何のキャラクターのキーホルダーだったのかわからないほど風化してしまっていた。…いつもなら最後の最後には見つかるのに…
ついに日が落ちかけて、もう夕方になってしまった。
「……店員さんありがとうございました。もう大丈夫ですから。私はもう……帰らないと」
彼女の目はもう浸水しきっていた。その顔が、私を無理やり奮い立たせてくれる。
「だめ!あきらめないで。絶対に見つけてあげるから…」
そう言って、さっき無かった場所を何度も何度も見て回る。その足取りはすごく重かった。もう無理なのか…
そう思う度に自分に鞭を打つが、探すのは辛かった。
そんなときだ。不意に店の裏口が勢いよく開かれた。
「ういー先輩!!ついに釣り上げましたよぉお!!……魚じゃないですけど…ほら!綺麗なうさぎのキーホルダー!」
見ると松江が呑気な顔をして釣りから帰ってきていた。
「松江。今はお前に構って……今、何で言った!」
私は松江に詰め寄る。見ると片手にはゆるい二匹のウサギが抱きついているキーホルダーをぶら下げていた。
「あ!それ!」
女の子が松江の持つキーホルダーを指差した。その顔は今までにないくらいおっきく目を見開いている。
「松江、それ、借りていいな。」
私はすぐに松江からキーホルダーを奪いとった。
「え?ちょ、どういうことっすか?!」
私は松江のことは気にせず、女の子にそのキーホルダーを渡した。
「あぁ。本物だ。……良かった。お姉ちゃん。会いたかったよぉ……」
彼女はその場にペタリと座り込んで、キーホルダーをぎゅっと握りしめて泣いた。小さなうめきが、店全体を包んでいる。
私は、そっと彼女の頭を撫でた。……やっぱり冷たい。でも、でも…どこか温かい。
「も、もしかして俺、お手柄ってやつですか?」
「少しは空気を読めバカ。……でも、そうだな…本当にお手柄だ。ありがとう松江。」
全く、松江のこういうところは悪いところだ。あぁ―嫌だ声が震えないように強張って話したのにこれじゃ意味ないな……ほんとに生意気な後輩だよ。
彼女はひとしきり泣いた後、涙をかっ飛ばすように立ち上がった。
「………じゃあ私、帰りますね。お姉ちゃんのいるところに。ようやく会えるんですね、」
彼女ら立ち上がって店の天井をみる。その足は少しずつ泡のように消えていっていた。
「お姉さんも、……お兄さんも本当にありがとうございました。………じゃあまた、どこかで。」
彼女は、にっこり笑顔で私たちに手を振ってくれた。そして…足元から透けていく彼女の体は、まるで水に溶ける絵の具のように、静かに、この世界から消えていった。
「……やっぱり慣れませんね。これ。」
「あぁ、本当にな。」
私と松江は外に出た。夕日はかろうじてギリギリオレンジ色に鈍く光っている。…きちんと帰れてるだろうか。
「…先輩って、変わってますよね。幽霊が成仏できるようにって開いたお店が、いまだに代金が1円たりとも支払われてないんですよ。赤字も赤字ですよね?」
「…何言ってんだ。松江。代金なら毎回もらってるし、…今日ももらった。…そうだろ?」
「…ふふっ。そうでしたっけね―?」
松江はそこはかとなくニヤニヤしている。…嫌な後輩を持つと苦労すものだ。………潮の香りを運ぶ風が、静かに吹き抜けていった。きっと誰かの思いを乗せながら。
「あ、そうだ。はいこれ。」
私は、外に出る際に棚から持っていったジュース缶を松江に手渡した。
「え?あ!いいんすか!?よっっしゃああ!ラッキー!!」
松江は、受け取るや否や爽快な音を立てて缶を開け、喉にジュースを流し込む。…その横顔は、何故だか無性に懐かしい。
……大津波は、いきなりだった。だから、成仏しきれない幽霊なんて存在が出てきてしまった。死にきれない苦しみを救えるのは誰もいない。なら、私がなろうって。そう思った。……いや、私だって本当に生きてるのだろうか?わからない。なら探すしかない。不恰好ないかだに乗って、明日も誰かを救ってやらないと。答えはきっと出ないのだから………
きっと、「海寄り雑貨店」明日も明後日も明明後日も営業するだろう。この世界にまた、足をつけれるその日まで…。
……