マヨコーンパン
母が他界した。
物心がつく前に離婚し、女手一つで育ててくれた母。
記憶の中の彼女は、私なんかより仕事仕事という人だったから、訃報を聞いても涙ひとつ出てこなかった。
通夜も葬儀も何もかもが、滞りなく終わっていく。
私はというと、その時ですら泣かず、夢を見ているような不思議な感覚に陥りながら頭の中を駆け巡る淡い思い出たちにただ身を委ねていた。
授業参観も運動会も、休日の遊園地も、約束という約束を守られた試しがなかった。誕生日すら祝われなかった。そんな思い出。
兎角、思い出の中の私は独りぼっちで寂しかったのだ。
死んでくれて、寧ろ清々した気もするくらい。
母との大切な思い出を忘れていたことに気付いたのは、四十九日も過ぎて遺品整理を始めた頃だった。
クローゼットの中から出てきたボロボロの紙袋を見た瞬間、ブワッと脳裏に映像が浮かび上がったのだ。
昼間の仕事だけでやり繰りできないから、と詰め込まれた夜間の仕事。その休憩の間に買ってきてくれる朝食用のマヨコーンパン。
特別好きじゃなかったし、毎回同じパンで飽き飽きしていたけれど、私のために選んでくれたその事実が嬉しくて。
「美味しい!」
夜勤帰りで眠る母に聞こえるように、大きな声で何度も繰り返し言いながら食べていた。
久しぶりに食べたくなった懐かしの味。しかし、手元の紙袋がボロボロなせいで店の名前すらわからない。
調べて、調べて、それでも足りずまた調べて。
やっとの思いで見つけたのは、真夜中にだけ開くという不思議なパン屋だった。
馴染みのない扉を開ければ、ぶわりと甘いパンの香りがして。陳列棚の端っこに、見覚えのあるそれは並ぶ。
「マヨコーンパンひとつ」
震える手で受け取った、これまた見覚えのある紙袋。
欲望のまま店を出てすぐ抉じ開けて、鷲掴んだそれを齧る、齧る、齧る。
懐かしいはずのそれは、思い描いた味とは少し違って。
何故だかとても塩っぱく感じてしまうのは、気のせいだろうか。