新規ユーザー

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他人でいい

みんな自然と自分を演じている。 その人用の自分で、いつでも。無意識なのか、意識的なのかわかんないけど。 素が何かわからないってよく言うあの子。 みんなそうだと思う。あなたが素かどうかなんて私には関係ない。 少なくとも私は素ではない。素でいたいとも思わないし、素でいないと苦しいってわけでもないから。 だから最近は、ありのままの私を知って欲しい。許して欲しい、認めて欲しいって思うのは全て傲慢で、素でいることさえ傲慢なのではないか、と考えてしまう。 だからあなたも私にわかってもらおうとしないで。 私もわかってもらおうなんて傲慢なこと言わないから。 素を出せないなんて私の前で言わないで。 私も素でいろなんて言ってないから。 でも、どうか苦しまないで。 素でいなくてもいいし、私のことを分かろうとしなくていい。 どちらも干渉し合わず、隣にいるだけの関係性でいたいな。 どうかな?寂しいかな? でもね、たまに分かり合える時が来ると思うんだ。 今まで自分だけで隠し持ってた感情が相手にもあったんだって、共鳴し合える瞬間が。 その瞬間を大切にしたいな。 そんな大切な感情を一緒に残していきたいな。 それだけでもすごく、温かくて、心地良くなると思う。 お互い素は知らないままだけど、普段は見せないもっと深いところで、ふと触れ合える瞬間がさ、全部が重ならなくても、たった一部分だけでも重なるところがあるなら、それだけで十分なんじゃないかな? 干渉し合わない心地よさってあると思う。 でも、それだけで満たされるほど簡単でもないみたい。

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無関心と嫌い

「好きの反対は、嫌いではなく無関心」 よく聞く言葉。これどう思う? 私は、無関心な人より嫌いな人のほうがずっと関わりたくない。 無関心な人なら、必要なら話せるし、同じ場所にいても別にいい。でも嫌いな人には近づいてほしくない。できれば視界にも入ってほしくない。 だから「嫌いってことは、それだけ気になってるんだよ」と言われても、いや、おかしいでしょ? 気になってるんじゃなくて、避けたいから見てるだけ。 無関心には拒絶がないけど、嫌いには拒絶がある。 だから「好きの反対は無関心」って、嫌いという感情をちょっとロマンチックにしすぎだと思う。関心があるから好き寄りって、そんなのおかしい。 って思ってたんだけど、アンチコメントに対して使われてるのを見ると、そこだけはちょっと納得する。 見なくてもいいものをわざわざ見に行って、嫌いな人のために文章まで書いて帰る、あの執着。 好きとは思わない。でも、無関心では絶対にない。 嫌いな人間にそこまで自分の時間使えるの、すごいよね。その人を嫌うために使った時間まで、その人にあげてる。 なんか本当にもったいない。 潰したいのか、その人の人生を。 嫌な気持ちにさせたい、傷つけたい、消えてほしい。もしそこまでが目的なら、もう「関わりたくない」ではないんだよね。むしろ自分から関わりにいってる。 嫌いなら離れたいはずなのに、嫌いすぎると近づいてしまう。 そう考えると、嫌いは好きに近いんじゃなくて、執着に近づくことがあるのかもしれない。 好きと嫌いが似てるんじゃない。 どっちも、行きすぎるとその人に自分の時間を支配される。

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優しい子

「この世界はね、1%にも満たない優しい子の犠牲によって、かろうじて成り立っているの。そしてあなたは、優しい子じゃない。」 いつの日か見た言葉。 雨が降っていた。 雨の音が心地良い。 部屋の電気はつけていない。 薄暗い水の底みたいな部屋で、その言葉を思い出した。 私は優しくない。 知ってた。 けど、なんかちょっと違うじゃんってなった。 じゃあ、なんでこんなに苦しい? 他責思考か、これも。 他人軸で生きてるからか。これは。 人に期待しないって思ってても、 無意識に期待しちゃってるんだ。そうだ。 本当は、密かにみんなのことが嫌いだ。 どうでもいいし、面倒くさい。 いなくなれば楽なのにって思うこともある。 もちろん、好きな人もいる。 尊敬できる人も、大切にしたい人もいる。 人が嫌いなくせに、一人は嫌いだ。 だから結局、嫌われないように笑って、波風が立たない方を選ぶ。 私みたいな人は何%いるんだろう。 きっと、たくさんいる。 そうだよ。 1%にも満たない優しい子の犠牲だけで、 世界が成り立つわけない。 もっとたくさんの人が、少しずつ自分を削ってる。 犠牲者になったり、たまに加害者になったり。 たぶん、優しい人と優しくない人に綺麗に分けられるほど単純じゃない。 「そしてあなたは、優しい子じゃない。」 それはさ、苦しいからって、自分を優しい側の人間だと勘違いするなよ。 たぶん、そういうことなんだろう。 わかってるよ。 そんなの、とっくに。 明日になったらまた、嫌われないように笑うんだろう。 雨はまだ降っている。 ずっと、この繰り返し。

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私が一番普通

みんなおかしい。 普通って何なんだろう。 みんな自分が普通だと思ってて、自分と違う人をおかしいと思う。でも、みんなと同じだと安心する。 なんか、おかしい人ほど自分がおかしいって思ってない気がする。 自分が周りからどう見えてるかとか、自分にも悪いところがあるとか、あんまり考えてない。 だから「私はこういう人です」って言い切れる。 自分を知らない人ほど、自分を分かってるみたいに話す。 明らかに周りから浮いてても、本人の中では「みんなと仲良くできた」になってたりする。 嘘をついてるわけじゃない。 本当にそう思ってる。 だから強い。 自分を疑わない人ほど、自分を語るのが上手い。 自分は優れてるって自分自身が信じてるから、その自信で周りもそうなのかもって思わせられる。 結局、自分を一番うまく騙せた人が強いのかもしれない。 逆に自分を俯瞰しようとすると、自分の嫌なところも、できてないところも見えてくる。 「私はこういう人です」って簡単に言えなくなる。 本当にそうなのかなって思うから。 でも、それって損じゃない? 自分のおかしさに気づかない方が楽だし、自信も持てる。 だったら自分を俯瞰できることって、本当にいいことなのかな。 自信って、自分を知らないことなのかもしれない。 私も自分を疑うのをやめて、都合のいい自分を信じた方が楽なのかもしれない。 でもそう思ったところで、また分からなくなる。 「あの人は自分を俯瞰できてない」って思ってる時点で、私は自分の方が見えてると思ってる。 自分の方が本質を分かってると思ってる。 それもただ、自分がおかしくないと思うための考え方なのかもしれない。 他人のおかしさは見える。 自分のおかしさだけ見えない。 みんな、自分だけはまともだと思ってる。 多分私もおかしい。 でもやっぱり、私の方が正しい。

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