ねこわさび

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ねこわさび

気まぐれ投稿。

月の影②

忍びが地面に降りた後も、娘は逃げなかった。 ただ、微笑んでそこに立っている。 月明かりがその横顔を照らし、影が足元に落ちる。 忍びは一歩、距離を詰めた。 「……おぬし、驚かぬのか」 少しの威嚇のつもりで低く落とした声。 娘はわずかに首を傾げる。 「…だって、驚く理由がないもの。」 間を置いて、静かに続けた。 「あなたは、来なければならなかったのでしょう?」 その言葉に、ほんの一瞬だけ呼吸が止まる。 否定も肯定もせず、忍びはただ見つめた。 娘はふっと小さく笑う。 「ここに来る人はだいたい同じ顔をしているもの。」 「……どんな顔だ。」 「迷っている人の顔。」 その一言が、胸の奥に沈む。 だが、それを掬い上げることはしない。 必要のない感情は、捨ててきた。 ―はずだった。 まだ、任務を遂行する気にはなれなかった。 それから幾夜か、同じ時間に同じ場所で言葉を交わした。 名前は知らない。 互いに名乗らない。 ただ、それで十分だった。 娘はよく空を見上げた。 「月、好きなの。」 ぽつりと落とされた言葉。 忍びは何も返さない。 「ずっと見てるとね、少しだけ安心するの。変わらないから」 その横顔は、どこか遠くを見ているようで。 忍びは、初めて問いを持った。 ―なぜ、この娘はここにいる。 ―なぜ、逃げない。 だが、その答えを聞くことはなかった。 聞けば、戻れなくなる気がした。 任務の日は、静かに訪れる。 時計の針が、夜を指す。 屋敷の灯りはすべて落ちていた。 いつもと同じように、娘は庭にいる。 月を見上げて。 まるで、それが最後だと知っているかのように。 忍びは、背後に立つ。 あと一歩。 手を伸ばせば、終わる距離。 刃を抜く。 音はない。 迷いはない。 「……ねえ、」 不意に、娘が口を開く。 振り返らないまま。 「あなた、名前は?」 その問いに、答えることはない。 答えてはならない。 それでも、わずかに間が生まれる。 その沈黙だけで、十分だったのかもしれない。 娘は小さく息を吐いた。 「そうよね。聞いちゃいけないこと、だった。」 そして、ゆっくりと振り向く。 月を背にして、微笑んだ。 「でも、よかったわ、」 「最後に会うのがあなたで。」 「………最期が…あなたで。」 刃が、わずかに揺れる。 ほんの一瞬。 それだけで、十分すぎるほどの隙だった。 夜は、何も語らない。 翌朝。 屋敷は静まり返っていた。 騒ぎはない。 悲鳴も、争いの跡もない。 ただひとつ、確かに“消えていた”。 報告は、簡潔に済まされる。 成功。 それだけでいい。 それ以上は、必要ない。 その夜。 忍びは、ひとり空を見上げる。 月は、変わらずそこにあった。 あの夜と、同じ形で。 同じ光で。 「……名前など、持たぬ」 誰に向けるでもなく、零れる声。 遅すぎた言葉。 月明かりが、足元に影を落とす。 月は、変わらずそこにある。 触れることも、壊すこともできぬまま。 ただぽつりと。

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月の影①

時計の針が、静かに0時をまわった。 灯りの落とされた部屋に、かすかな気配が満ちる。 音もなく現れた影に、向かい合う男は目を細めた。 「そなたに暗殺の任を命ずる。標的は、あの娘だ。」 低く落ちた声。 忍びは、わずかに頭を垂れる。 「……御意。」 それだけで、すべては決まった。 男は一枚の紙を差し出す。 そこに描かれた顔は、驚くほどあどけない。 忍びは一瞬だけ目を留め、すぐに視線を外した。 理由は問わない。 情も持たない。 影として生きる者に、許された在り方だった。 屋敷は、静かな町外れにあった。 忍びは距離を保ち、数日をかけて様子を探った。 出入りする者。 見張りの配置。 夜の灯りが消える時刻。 すべてを、淡々と頭に刻んでいく。 標的の娘は体が弱いらしく、数日間、屋敷の敷地内から出ることはなかった。体は枝のように細く、雪のように白い。暗殺などしなくてもいなくなってしまいそうだった。 朝には庭に出て、花に水をやる。 昼には縁側で本を読む。 夕方には、空を見上げてぼんやりとしている。 警戒している様子はなく、落ち着いた日々を過ごしていた。 そしてあまりにも、無防備だった。 (……なぜだ) 疑問は浮かぶ。 だが、それ以上は考えない。 必要なのは、感情ではなく確実性。 ただひとつだけ、拭いきれない違和感があった。 “夜になると、娘は必ず庭に出る。” ある夜。 忍びは、いつも通り屋根の上からその様子を見下ろしていた。 月明かりの中、娘はじっと空を見ている。 逃げる気配もない。 隠れる様子もない。 まるで―― 強い風が吹いた。 その拍子に、まとっていた布の一部がひらりと娘の元へ舞い降りた。 (………) 予想外の出来事に、動揺した。 その瞬間、娘と視線がぶつかった。 (……気づかれた。) だが、娘は声を上げるでもなく、ただ静かに言った。 「……そこに、いるのでしょう?」 今にも消えそうな、透き通った声。 確信を持った響き。 忍びは、わずかに目を細める。 そして―― 音もなく、地へ降りた。

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恋人じゃなくなった日

君は、数えきれないものを僕にくれた。 君のおかげで、新しい世界を見ることができたし、失敗も成功も、たくさんした。 君と出会った日 告白した日 手を繋いだ日 キスをした日 喧嘩をした日 いろんなことを思い出す。 君と過ごすたび、カレンダーに書かれた記念日の数が増えていく。僕は、嬉しくもあり、怖くもあった。 こんな日々が途切れてしまったら。 君が僕から離れていってしまったら。 そう思うと怖かったんだ。 出会えたことが幸せと感じられた日 君を1人にしないと心に決めた日 恋人じゃなくなった日。 苗字が同じになった日。 僕たちはもう、恋人じゃない。

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残響の霧の中で

僕はここに囚われている。 過去の後悔や、言えなかった言葉、壊してしまったものたち―― それらが霧のように僕を包み、前にも後ろにも進めない。 足を動かしても、手を伸ばしても、触れられるものはなく、 胸の奥に小さく響く声だけが、僕に問いかける。「まだ逃げるつもりか?」と。 ある日、霧の中に微かな光が差した。 それは僕自身の心の一部のようで、かすかに震えながらも、 「ここから出る道は、自分の手で見つけるしかない」と教えてくれる。 光を追いかけ、何度も手を伸ばす。 届かないもどかしさに挫けそうになり、霧の中の影に飲まれそうにもなる。 それでも、少しずつ霧が晴れ、痛みや後悔も形を変え、道筋を示し始める。 そして僕は気づく。 囚われているのは世界ではなく、自分自身だったのだと。 逃げても届かなくても、向き合うことでしか前には進めない。 疲れ果て、座り込み、胸の奥の声に耳を澄ます。 その声はもう問いかけではなく、優しく囁いた。「よく頑張ったね」と。 霧の向こうには、歩き出せる自分の姿がかすかに見える。 だから僕はまだ眠る。

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追いかけた先で

駅前のカフェの窓際。私はイヤホンを耳に差し込み、小さな画面に映る彼を見つめていた。 今日もきらめく照明の下で、ステージを駆け回る推しの姿。会ったことなんて一度もないのに、彼の笑顔はまるで私だけに向けられたものみたいに胸を温める。 つらいことがあった日も、友達とケンカをした日も、彼の歌声と笑顔に救われてきた。 「推しは推しでしかない」なんて冷めたことを言う人もいるけど、私にとっては違う。 彼がいたから、私は今まで頑張ってこれた。 何回も応募して、やっと当たったライブの日。遠く離れた席でも、光の海に揺れるペンライトの中で、確かに彼と同じ空気を吸っていた。 一瞬だけ、視線が交わったような気がして――熱が胸に広がる。 現実の私は、名前すら知られないファンのひとり。 だけど、夢の中では何度も彼と出会う。笑い合って、言葉を交わして、手を取り合って。 夢が覚めるたびに、少し寂しくなるけれど、それでもまた今日も彼を応援できることが幸せだと思う。 推しは、きっと私の知らない未来へ歩いていく。 私は、その後ろ姿を見守ることしかできない。 それでもいい。だって、私は――。 来世も、あなたに恋をする。

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桃色の想い

ロゼリア王国の城門前。 朝露に濡れた白い石畳の上を、エレナ姫はそっと踏みしめた。淡い桃色のドレスの裾が風に揺れて花びらのように広がる。 繊細なレースが朝日を受けてきらめき、胸元の小さな真珠が淡く光った。 警備の兵士の列。その一番端に立つ青年−−カイル。 彼がこちらを見た瞬間、胸の奥が熱くなる。 「……おはようございます、姫。」 「おはよう、カイル。」 たったそれだけの挨拶なのに、二人とも何故かぎこちない。 もし、この鼓動がきこえてしまっていたら。 この鼓動の速さがバレてしまったら。 きっとどちらも、兵士と姫には戻れない。          *** −−綺麗だ。 その一言が、心から漏れないように。そっとしまった。 淡い桃色のドレスは、夕焼けを閉じ込めたようだった。 そのドレスの裾が風に揺れるたび、花びらのように広がる。 視線を逸らそうとしても、どうしても彼女から目を離せない。 兵士として、姫をただ守る立場でいなければならないのに。 心臓の鼓動が早まるのを、鎧越しにも感じる。 「……おはようございます、姫。」 「おはよう、カイル。」 彼女の声は春の陽射しのように柔らかく、自分の中の冷たい鎧をほどいてくれる。 けれど、その鎧がほどけてしまったら−−二人のこの関係は、きっと壊れてしまう。 だから、言えない。 この想いも、この胸の高鳴りも、全部。                  *** 城の裏手に広がる庭園は、朝の光に照らされて、花々がいっせいに息を吹き返すようだった。 エレナ姫はそこで朝の散歩を楽しんでいた。歩いている途中、ドレスが植木の小枝引っかかってしまい、慌てて折れた小枝を払いのけた。 その瞬間、手にしていた小さな金のペンダントが指から滑り落ち、柔らかな芝生の上に転がった。 「ペンダントが……。」 慌ててしゃがみ込もうとしたエレナの前に、カイルの手がすっと伸びた。 「私が拾います。」 彼の手に包まれたペンダントは、朝露に濡れて輝きを増していた。 エレナは少しだけ顔を赤らめて、目を伏せる。 「ありがとう、カイル。」 「そんなに感謝しなくても……。そのペンダント、大事なものなんですか?」 「ええ、祖母から譲られたもので、いつも身につけているの。」 カイルはそっと微笑んだ。 「これからも大切にしてください。私がしっかり守りますから。」 エレナは胸がじんわり温かくなるのを感じた。 たとえ言葉にできなくても、二人の距離は、確かに縮まっていた。

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この想い、春風に乗って

春の終わり、優しい風が桜の花びらを連れていく。 高校の卒業式から一か月後、私は、あの日のことを思い出しながら、ひとりで坂道を上っていた。 その坂の上には、古びたベンチと、街を一望できる見晴らしのいい公園がある。 そこは、私と奏多がいつも放課後に待ち合わせていた場所だった。 「大学、楽しい?」 問いかける相手は、もういない。 奏多は、去年の秋に病気で亡くなった。 まだ17歳だった。 私と同じ高校のクラスメイトで、最初は特別な感情なんてなかった。 でも、気づいたときには、彼の声や笑顔が、毎日の光になっていた。 ある日、奏多が言った。 「俺がいなくなったらさ、ここに来て、空を見てほしい。俺、その雲のどこかにいるから。」 そのときは、冗談だと思った。 「ちょっとなにそれ、急に中二病っぽいじゃん」って、からかった。 でも奏多は、静かに目を閉じて、風を感じるように言った。 「ほんとだよ。俺、雲になるから。」 その言葉が最後だった。 奏多が亡くなってから、私は毎月一度、この坂を上る。 そして、ベンチに座って、空を見上げる。 今日も、どこまでも広がる青空に、白い雲がゆっくり流れていた。 「奏多、ねえ……今でも、笑ってる?」 泣かないって決めていたのに、気づけば頬を伝う雫。 でもそのとき、風がふわりと私の髪を撫でた。 まるで、優しく「うん」って、頷かれたみたいだった。 「……ねえ奏多。本当にずるいよ。まだ…好きなんだよ。」 私は涙を拭って、そっと微笑んだ。 この気持ちが雲の向こうにいる彼に、届けと願いながら。

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まばたきよりも早く

教室の窓から見える空が、やけに青かった。 終業式のあと、誰もいなくなった教室で、律は机に頬杖をついて空を見上げていた。 隣の席だったつむぎが転校すると聞いたのは、一週間前。 何度も話しかけようとしたのに、結局「じゃあね」さえ言えず、今日まで来てしまった。 彼女の机はもう空っぽで、朝の陽に照らされて白く光っていた。 「……バカみたいだな、俺」 ポツリとこぼれた声が、誰もいない教室に響いた。 あの日、律は気づいてしまった。 笑ったとき、目をそらすようにまばたきをするつむぎの癖。 何かを言いかけて、やめてしまうそのタイミング。 ──たぶん、好きだったんだと思う。 でも、言えなかった。 なんとなく日々が続くような気がしていたから。 その“なんとなく”が壊れるなんて、思っていなかった。 ふと、机の中に白い封筒があることに気づいた。 取り出すと、そこには「りつへ」と、見慣れた字で書かれていた。 手が少し震える。封を開けて、中の手紙を読んだ。 りつへ 突然でごめんね。伝えるのがこわかった。 でも、言わなきゃって思ったから、最後にこれを書いてます。 わたしね、あなたのことが好きだった。 でも、勇気が逃げていって、言えなかった。 だから、今さらだけど書きます。 ありがとう。 わたし、あなたと同じ空を見ていた時間が、すごく好きだった。 元気でね。 一文ごとに胸が詰まりそうになる。 文字がゆれて見えて、視界がにじんだ。 「……遅いんだよ、ばか」 律は笑った。 どうしようもなく、切なく、でも、あたたかい気持ちで。 そのとき、風がふわりと吹いて、窓のカーテンが揺れた。 まるで、どこかで誰かが笑ったみたいに。 りつは立ち上がり、空を見上げた。 ──次は、ちゃんと伝えられるように。 まばたきの間に、大切なものがこぼれないように。

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僕たち、また

君がいつでも楽に歩けるように 僕が君のための道を作ってあげるよ 今は波の上で揺らいでいるだけでも大丈夫 将来、僕たちは波を乗り越えているはず 歩き慣れない道の上で どこに向かって歩けばいいのかわからなくなるかもしれない 選んだ道が険しい道でも僕がそばにいるからね 僕たちがまた一緒に歌うその時 その日まで 君のこの道は終わらないよ 全ての理由とこの道が美しいままなのは 君がいるから この道の終わりで折り返し地点さえ過ぎたら 君がこれ以上疲れないように僕が君を守ってあげる もし僕たちに何かあっても 必ず会おう 暗い夜を歩く時、やっぱり怖くて心配になるかもしれない でも心配しないで 僕がいるから 明るい光が闇を照らして 君を包み込んでくれる 僕たちがまた会うその日まで しばらく息を整えてからもう一度 辛くて疲れてしまうこの道と 最後まで向き合おう 僕たちは朝が来る前に頂上に着くように 成長痛を経験してるんだ 僕のところにおいで 道を失っているならいつでも あたたかい温もりを分ければもう一度 道を探すことができるから 怖がらなくても大丈夫だよ しばらくスピードを遅らせても僕たちは もう一度会えるから

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あと一歩

気づいた時にはすでに99.9%、僕の心は君の色に染まっていた。 だけど、最後の0.1%が足りない。あと1歩完成だけど、その1歩が難しい。 もし、これが愛だとしたら。君は冗談でかわすのかもね。 でも、僕の頭の中の計算式はもう答えを知っているみたい。 99.9%、僕は君のことが好きなんだ。 あと0.1%だけ君が近づいてくれるなら、それだけで完璧なのに。 「私がそんなに特別なの?」 って君は困りながら笑うだろうけど。 僕の心は100%確信があるから心配はないよ。 だからね、何回も言うけどこの気持ちに嘘はない。 君の答えがはいでもいいえでも大丈夫。 僕の愛が変わることはないから。

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