永咲りき
22 件の小説大粒の涙は雨となる
止まない雨はない 雲の向こうには どこまでも青空が広がっている。 と言うように。 雨はいつしか止むし 流れる涙も続きはしない。 僕は雨が好きじゃない。 気圧差で体調が悪くなるし 朝も起きることが難しくなるし 傘を持って出かけたら 傘を忘れてしまうことが多いし… でもなぜかこの連日続いた雨は… いつもと違うようでなんだか まるで空が泣いているように感じた。 実際のところ僕自身も涙が止まらずに 泣く日が続いたからかもしれない。 受け入れたくない現実が、迫る運命が… 決められた審判の日、、、 父の会社はたたむことになり今まで通りの暮らしがすべて変わるからだ。 父は物静かでいつでも前を向いている。 こんな状況でも、「またやり直せるやん」と 言っている、そんなふうな強い人だ。 辛さや、悲しさ、怒りなどの感情を 露わにしない僕とは逆の人間だ。 26年前、祖母が亡くなった時も 13年前、祖父が亡くなった時も 決して涙や悲しみを見せなかった。 いつも泣いては怒りを顔に出す僕とは 真逆の性格で本当に強い人だ。 でも決まって今まで多かったこと… それは、父が辛い時や悲しい時ほど 雨が強く降り、連日続くことだ。 父はもともと糖尿病を抱えていて 11年前に食べる分を減らすために 胃を半分切除するという大手術を行った。 その頃も術後に病院へと 初めて見舞いに行った日は天候が荒れ 空は曇り雨が降ってきたのを今も僕は はっきりと覚えている。 顔を合わせたら父は普通だった。 何事もなく平気な顔をしていつも通り。 「あの大粒の雨はきっと父の涙だったんだろう」と、思っている。 痛い、辛い、悲しい、だとか… 人間はみんな、いや生き物はみんな 「産まれたくて産まれたわけじゃない」 と思い、考えることがあるはずだ。 犬や猫やアザラシから聞いたわけじゃないが 思春期や反抗期の時に親御さんに 「産んでくれなんか頼んでない」と 口にしたこと少なからずあるはずだ。 病気も、うつ病も、体に障がいがあるのも 身長が小さいのも、学習障がいやADHDも 「なりたくてなったわけじゃない」 もしかしたら、前途の動物たちも 我々、人間を見ていたら 人間の方がいいと思っているかもしれない。 明日の保障ない過酷な野生で生きる生物、 どんな飼い主に出会えるかわからない生物。 結果的に“生きる“ことが難しいんだろう。 僕は常に確実なものがないと嫌で、 無理や、できない、叶わないという言葉が 非常に嫌いだった。つまりは 思い通りにならない、何事もうまくいかない ことが受け入れられなかった。 子どもの頃はそれがひどく、泣きじゃくり 壁に頭をぶつけた時もある。 そんな日に限って必ず雨が降っていた。 中学生2年の頃におもちゃの発売日で お小遣いを手に自転車を走らせた日… その日も朝から雨が強かった。 向かう途中に、タイヤがスリップし転倒。 大怪我をした、痛すぎてもう帰宅した。 腕は打撲で青くなり、指を4本切り、 膝は擦り傷、、、 「雨のクソやろう」と叫んだ。 母は「何もこんな日に行く必要がない」 少し怒っていた。 「いつ無くなるかわからんから」 と、言い返していた。 それは、誰かの大粒の涙が 感情を出せずにいたから 空が代わりに泣いていたんだろうか? 堪えきれず なんて考えたりもする。 雨が涙なら、雷は怒り、晴れが笑顔なら 曇りはどこか元気じゃない。 おてんとさんにも、感情があるように 思いながら生きてきた。 天気に左右される仕事は必ずある。 プロ野球の試合、運動会、ピクニック、花見 はたまた遊園地の約束だとか、、、 仕事で言えば外をメインにする塗装業や 左官業、防水業、足場組立…運送業だと 交通状況が乱れて、渋滞や事故など により通常よりも勤務時間が 変動したりだとか。 つまり、誰かを責めても仕方がないこと。 が雨に1番関係している。 子どもの頃はそれを理解できずに 駄々をこねたり、わがままを言っていた。 電車通勤をしている方ならわかるだろう。 ダイヤグラムも「確実」ではあるものの 人身事故や、天候、車両、線路のトラブル… その一つで全てが積み木のように 乱れてしまうと大勢の人に影響を与える。 人身事故のアナウンスが流れるホームで 専門学生時代に一人のサラリーマンが舌打ちをしながら遅延の電話をしていたのを、今も覚えている。 「怒っても仕方がないことを、誰に怒ってるんやろう」そう思いながら同級生に 遅刻のメールをしていた。 人のちからや 人のなにかでどうにかできないこと。 今日の昨日の雨のように 不景気や世の中は変えられないけど どこかで青空を求めて 顔をあげてみたいと思う。
十代の子へ。
毎日ニュースで流れる事件や犯罪。 目にして耳にする言葉は いじめや闇バイトなど ちょっと前なら迷惑行為というものも 連日騒がれていた。 そうさせる大人の教育がなっていない と、言われるのも当然だが今の子達は この日本未来に幸せがあるのかなと思う。 余計な考えごとかもしれないけど スマホが普及しすぎてしまって 動画サイトやよくないことも飲み込んでいるような気がするから… 日本の世帯の収入はもう何年も 変わっていないし、ましてや こんな時代になって 思い通りに生活ができなかったり 苦しい家庭もあるはず。 普通にアルバイトをするよりも 金額がちらついて、「楽に稼げる」と そそのかされ闇バイトに加担してしまう。 そこへ踏み入れると抜け出せなくなり 最終、家族や誰にも言えなくなる。 十代なんて、ほしいものもあるし 友人との時間や、遊ぶためのお金もいる。 そういったことが先に出てしまったゆえに 足を踏み入れる。 誰しも人間なら欲望には勝てないのは普通。 こんな世の中だから、家の事情だったり 金銭的な事情抱えいる人も少なくないはず。 しかし、いじめの理由はどこからくるんだろう?と僕は何年も前から思っている。 顔や見た目で決めつけるのは 良くないことだが、だいたい人相でわかる。 ターゲットにするのは自分よりも弱い子で 一人じゃなく徒党を持って逃げ場をなくす。 たった一度の「悪ふざけ」「冗談」が 一つの命を奪うことになって 失ったその子の家族は悲痛な思いをする。 今まで「ただいま」と声が聞こえてきたのに "当たり前"がもうそこにはない。 話すことや打ち明けることもできないまま 誰かに守られることもないまま 自ら命を絶つ…人生はまだまだこれなのに。 やりたいこと、なりたいもの、好きなこと… いくらでも探せるやり直せる歳なのに。 少し前、あった事件で学校教員が 「加害者にも未来がある」と発言し 批判があったことを覚えいるだろうか? その発言がすごく子どもの頃の トラウマを思い出して嫌悪感を持った。 「十人十色」という言葉があるように 人間やってる以上様々な人がいて当たり前。 僕自身も子どもの頃から変わった人だった。 中学一年の頃に話し合いで 「原因つくってるのは自分」と言われた時 なぜいじめられた側が言われるのか 理解ができなかった。 「なにもしてないのに言われることはない、自分を思い返しなさい」と 結果話し合いなど無意味なことなんだ。 うちの親も同じことを言った。 「調子に乗って歌ったりするからそんなことになる」 「なんで普通にできないの」 もし同じような子や 同じように「普通ってなにか」 と悩む子がいればこの中で伝えたい。 普通や普通じゃないこと 見た目やかっこよさやかわいさ スポーツができる、できない 勉強ができる、できない だいたいその年齢は少しエッチなことも 思ったり妄想浮かべることがある。 好きな子などの気を引きたかったり もっと話したい隣にいたいとか ちょっとクラスのモテる男子や女子がいたら 俺も私も"あんなふうになりたい"と 僕自身はまさに典型的なそれだった。 でも、みんなと同じようなことはせずに 自分は詩を書くことや自学の ボーカルトレーニングを行っては 「いつか隣で歌いたい」と考えたりもした。 恋の行方もわからないのに 相手の気持ちもわからないのに ずっと一緒にいることも夢に見た。 年頃でそんなことを家族や兄弟、親戚に 話したりすることはちょっと恥ずかしい。 一人でも話せる友達がいたら話していいし 話せる友達がいないなら自分の中で 幸せな気持ちになれるならそれだけで もう十分、辛いことしんどいこと 嫌な勉強からも現実逃避ができるからだ。 それをバカにされたりキモいと言われても おかしいことじゃないし素敵なことだから。 音楽もいまや配信が主流となり 書籍は電子化されレコードショップ、書店が激減した。最先端ではあるが 手に取る臨場感は薄れてしまった。 中学時代はお小遣いを手にレコードショップに行ったり書店で本を手に取るのが楽しみだった。好きな作品に出会い、好きな曲に出会う喜びがまた、孤独な自分に力を与えてくれる。こんなにもハラスメントが厳しい 世の中ではあるかないか今の中学、高校は わからないが僕の頃はまだ"怒られる"のが 普通だった。ボーっとしていて話を聞かず 「これ答えてみろ」と言われて 「あー、…わからないです」なんて言えば ブチぎれるようなもの。 あまり学校生活もさほど楽しくない 友達もいない、家に帰ることしか やすらぎはなかった。 父が貸してくれたCD、叔父が貸してくれたCDを聴いては、その頃ぐらいから 「書いてみよう」と思い作詞や小説を書いていた。もちろんその頃は先なんか考えずに ちゃんと勉強したこともなかった。 だからといって誰かが傷つくわけでも 誰かに迷惑をかけてるわけじゃない。 すべては自分の行いに降りかかることであり 最終的に苦境を強いられるのも自分。 当時の僕はそれを理解していなかったから 10代後半から大変な思いをしている。 生き方がわからず一度は命も絶とうとした。 毎日そんなことを考えるが故に 夢にまでそんなシチュエーションを見た。 そんなこと思う、考えるたびに浮かぶのは… まだ生きたかった祖父 辛さや息苦しさを誰にも打ち明けられずに 両親を置いて命を絶った子のことだった。 今、もし「いなくなりたい」「消えたい」 「自分の存在がなにか」 と思っている子がもしもいるなら… 前途で伝えた自分だけの居場所(楽しみ)を 思い浮かべて、家族(両親、兄弟、叔父、叔母)や友達と話す時間、LINEをする時間を 多くしてほしい。みんな"ただの人間"だから 特別な力や不思議なパワーなんて持っていない。でも自分が知らぬ間に"なぜか" "救われていること"はあるはず。 僕は子どもの頃から忘れ物が多かったので 母親にいつも助けられていたことが記憶にある。「これいるんじゃないの?」という言葉一つに救われていた。男はついつい母親に尖ってしまい「俺の気持ちなんかわかんねーよ」だったり「俺だけでなんとかできる」という言動に走ってしまいがちだが、本当に参ってしまったら一人でなんとかできるような状態じゃなくなってしまうし気持ちはわからなくても思いやりをもらうことで重さはかなり違ってくる。大人は長く生きている分 解決策を知っているし、予測ができるから。 子どものことなんてすべて"お見通し" いつも通り、毎日学校から帰ってきて 「ただいま」「腹減った」って言う姿が なによりも安堵できること。 一人の時間、友達と話す時間、悩む時間 部活をする時間、動画サイトを見る時間。 どんな時間も自分に与えられた好きにできるものだから、今しかない十代を生きてほしい。一年は365日しかない、一日は24時間しかない、嫌な時間ほど長ったらしい。 楽しい時間、夢中な時間はすぐに終わり また学校が始まる。 高校を卒業したら過去が思い出したり 子どもの頃と描いてた自分とのギャップ 想像した未来と違うなんてこともあったり… 生まれてからもうゲームが始まっている。 今の時代、転職なんて普通の話。 国の好き勝手で振り回されるような こんな不況の世の中。 資格だったり、スキルが必要とされ 学力や学歴だけで語られる世界じゃないし もし今、勉強や学歴のこと僕みたいに 勉強できない悩みならポジティブに捉えて 「自分の道を自分で探す」って言う気持ちで 切り開いていけばいいと思う。 親御さんが望んでいるのは… 賢いだとか、大手に就職したとか そんなことじゃなくて でっかく大人になってくれることが 本当の願いなんだろうと思う。 一人じゃどうしようもできないなら 頼ればいいし 悪いことしてしまってることを言えないなら 一番話せる家族にまず話そう。 一人が息詰まりそうなら 歌が好きな父さんや母さんと カラオケに行けばいいし 思春期はいろいろ距離を置きがちだが いずれでっかくなればその家族の時間が どれほど大切なものか気づけるときが 必ずやってくる。 人生というゲームを どう攻略していくか まだまだ先は長いから。
美容男の紫外線事情
気まぐれな天気に振り回される梅雨時。 雨だと曇りだと聞いたから、僕は日焼け止めを置いてきた。 時が経つと空が青くなり日差しが強くなる。 日焼け止めミストしか車には積んでいない。 「晴れるなら晴れると予報に出せ」 そんなことをぼやきながら仕事をしている。 世間に笑われるが僕は日傘をさし 日焼け止めを塗り 現場ではフェイスガードをしている。 十年後、老けていないように 今から対策を進めている。 「シミ、シワ、たるみの原因になる…」 それを常に意識しながら。 だが、世代上の方は皆 "男ならば焼けるもの" スタンスの方がたくさん。 僕はだいたい「女子」「おかま」と やや笑いものにされてきている。 気まぐれ天気さんよ もう少し、早く言ってくれ。 日傘も日焼け止めも持ってきたのに… もう少しの、我慢。 日陰を探して 作業をしよう。 暑い、暑い。
戻らない時の中で
誰しも一度や二度、こう思うことあるはずだ 「ああすればよかったのに」 「早く無くなるなら買っておけばよかった」 ということ。 人と人のコミュニケーションでも訪れる。 「なぜあんな言い方をしたのだろう」 「なぜもっと仲良くできなかったのだろう」 関係性を修復できる仲、家族ならまだしも 卒業して離れ離れになった人だったり 理由があって会えなくなった人や 故人となってしまった場合これは戻らない。 裁判でも言われる"時効"というやつだ。 人に与えられた一年三百六十五日の時間。 その中で何度、人と話す機会がある? 十代の頃の私はいじめがきっかけとなり 話すことがやや苦しくなり何度もその 経験を重ねて悔やみを今も忘れていない。 中学に入ってからすぐ、別学区の子に ターゲットとされしばらく辛い学校生活。 数少ない味方もいて助けられたおかげで なんとか三年間通うことができたが しばらくの私はいじめてきた子達を 恨むこととなりもしも次会うならば 「仕返しをしてやる」気持ちで居た。 しかしながら学校も別々となって 私は高等専修学校に入学して その後、顔を合わせる機会がなかった。 あれほどにまで憎しみを抱いていたのに 夢を追いかけることに必死な僕は 「仕返し」なんて頭になかった。 私自身は怒ることがなく喧嘩は嫌いで むしろやり返すなんてできなかったはず。 気持ちがそうなっていても実際のところ 悪いやつだからと言って手を出すなんて できないしできるような性格じゃない。 時が過ぎて二十歳となった。 私の過去の記憶が蘇り成人式には 行きたくない気持ちが強かった。 自分のことで頭がいっぱいの私は 友人から笑顔で誘いを受けたが 眉間にシワをよせて「絶対に行かない」 そう言って返答したことを覚えている。 「なぜ今になってあんな奴と」 「なぜ今顔を合わせないかんのや」と。 アルバイトの帰宅途中、電車でばったり クラスメイトの男の子に会った。 向こうから話しかけてくれた。 「成人式来ないのか」という話だった。 「…うん、。行かない」そう答えた。 その子は自分がいじめられていたのも 体育館の真ん中で歌わされていたのも すべて知っている子である。 「もう俺たちは大人」 「過去いろいろあったけど今はもう大丈夫」 その言葉に少し安心感を感じたのだ。 あの時は12歳、小学校卒業して間もない 血気も盛んだし反発してしまう始まりの歳。 「そりゃ、そうだ」笑いながら返した。 前途は「行きたくない」と言いながら 心の片隅に引っかかっていることもあるからだ。中学一年生の頃から私が 想いを寄せていた子のことが気になっていたからで、私の未だ忘れられない悔やみがある。幼稚園の頃から知っていて小学生で 学区が離れて中学でまた同じとなった。 少し謎めいた子で仲のいい女の子や 同じクラブの子、担任とは仲良いが 男友達はいる気配がなく話していることも 見られない子だった。一目惚れというか "ハッとする"とはこういうことなんだろう。 授業中も休憩中もその子が気になっていた。 私は入学後のオリエンテーションの際に 「特技は歌です」と言って歌い出したことで 周囲から少し敬遠され友達もできにくかった。「いつかどこかで話せならいいな」 そう願うばかりな学校生活だった。 席替えではいつ隣になれるかが気になり しんどい学校生活の反面、楽しみだった。 クラスでは日直と言われる役割があり その日の号令、黒板清掃と時間割などの 書き込みを行う。男女それぞれが ガチャガチャのように誰となるかが分からないシステムで決まりその日を担う。 私はその子と日直になっていた。 「何時間目のどこに誰かが黒板清掃」 「時間割の書き込みをどちらがするか」 二人で話し合って決めることが約束。 私は会話ができるきっかけとなると思い 前日の放課後、話に行こうとするが 別のクラスの子から呼ばれ 部活の着替えに行ってしまった。 次の日の授業で朝の号令を私がかけて 終了後、黒板清掃を黙ってその子がしていた。何も決めずに一人任せている気がして 「決めてなくてごめん、ありがとう」 と声を掛けたが何も話すことなく 頷きながら去っていき女の子と話していた。 「最初に言わなかった僕が悪いのかな…」 そう思っていた。日直はランダムなので 次いつ一緒にできるかはわからない。 その日はなんとか最後まで終えたが お互いに会話することはなくただ 静かに時が過ぎて行っただけだった。 そのあと一緒に日直をできることのが もう二度と来なかったことを覚えている。 「好きだから話したい」って思っていたけど そんな相談や会話をできる友達がいない。 せっかくきたチャンスを自分自身で 無碍にしてしまったのではないかと。 あれからもう二十年のほど経っているが 夢に出てきたりふとした瞬間に今も 頭によぎることがある。 結果的に成人式へ私は出席した。 仲の良かった友達や卒業間際に 自分を受け入れてくれた子達もいて もちろんいじめの主犯格やその仲間も 出席していたし顔も合わせた。 大したこともなくなにかいちゃもんを つけるわけもなく自然と言葉を交わした。 でも気になっていたその子の姿が どこにもなかった。 成人式の後に近くで飲み会があった。 友人が誘ってくれたので私も出席した。 会話をする機会がたくさんあって 当時は孤独感しかなかったはずなのに そんな気持ちは一つもなかった。 私がしていた音楽活動を応援してくれたり 今はなにをしているか尋ねてくれたり 少年から大人に変わるということを 身に染みて体感した日だった。 帰宅したあと卒業アルバムを眺めていた。 「みんな変わるんだな」と思いながら それからしてSNSでも繋がったりして 投稿やメッセージをもらうことも増えた。 再会してまた友達となることもあった。 繋がっていく子たちにたびたび尋ねた。 気になっていたあの子のことを… 「あの子はどうしているんだろう…」 私の繋がりある子では誰一人として 知る者はいなかった。 こんなことができるわけないけれど いつも考えている… 「誰かタイムマシンを作ってくれ」と。 人はだいたいのことは忘れている。 例えばたまたま食べに行ったお店 「あー、あれなんて店だったかな…」 コンビニで不意に取ったお菓子 「おいしかったけど名前が、、、」 テレビでみたタレントに名前が出ない 「〇〇にでてるあの人」だとか 多分そこまで興味がないことだろうし その人にとって重要じゃないことだからだ。 私がもっともその人物に近い。 勉強や仕事を覚えるのはやや苦手だが 二十年前の学校でのあんなことや こんなこと記憶に残っていることが多い。 辛いことやしんどいこともあったけど 友達との出会いや、あの子のことを 覚えているということは"嫌なこと"では なかったと私は思っている。 どれだけあの子のことを あの時間に、あのとき勇気を出していたらと 思ってももう二十年前には戻れない。 いじめてきた子を憎んでいたように 時が経てば時効となる。 時の効力だから巻き戻すことはできないし 待ってくれと停めることもできない。 人が時を重ねて子どもから大人になるように 年老いて高齢者となっていくように。 もちろん、近年の日本社会においては 時効で許されてはならないいじめもある。 時効で許されてはならない残忍な罪もある。 現実社会でもあるし刑事ドラマでもよく聞く話だ。「もう時効なんだよ」犯人が捕まらず 未解決で残された被害者家族は 簡単にその言葉を受け入れることができるか?私なら受け入れることができない。 時によって無効にされて追求できないなら 永遠に被害者家族は報われない。 身内が失ったときに悔やむのもそうだ。 「もっと親孝行しておけばよかった」 「もっと一緒にいる時間作ればよかった」 突然訪れる時効もあるわけだ。 近年の日本では突然訪れる時効がたくさん あったはずだ。とくにコロナ禍のとき 飲食店や旅館の閉業が相次ぎ 「もっと行っておけばよかった」 私もそう思ったことがたくさんあった。 「あのラーメン屋うまかったのになぁ」 「もっと行っておけばよかった」 それぞれ収入だったり、時間だったり 休みだったり、事情も重なることがある。 愛犬が病で亡くなったときもそう 「もっとたくさん抱きしめたかった」 それも突然訪れた時効だった。 いつまでと決められた時間があったとしてもそんなふうにいつどこで予想もしなかった 突然な時効が現れることもある。 好きだったお菓子の生産終了だとか いつか買おうとしていた車が 生産終了していたり、追いかけていた アイドルが卒業や引退したりで 会えなくなったりするようなことも。 「もっと連番(何度か握手)すりゃよかった…」 と悔やむのも少なからずある。 それも時効だ。どれだけ悔やんでも 時の効力が訪れたんだから… 例えば期間限定品なんかもそうだ その期間しかないんだからこそ 食べるし買うし観に行くもの。 「行きたかったなー」となることも 誰しもたびたびあるだろう。 同じ類では品が再販したり好きなバンドが 再結成するのも近年は増えてきている。 「あの頃あまり観れなかったから」 「ずっと待っていたから」と 熱望してるファンがいたり 最近の若者が知ってファンとなって 終わったことがまた再開して あの頃のような気持ちや情熱が 注ぐことができて昔に戻ることができる。 "解散"という言葉にきっとファンはみんな 「もう二度と見ることができない」 と思う人が大半いるに違いないはず。 解散コンサートやラストライブになると 目の色を変えてチケットを購入し 「この日こそは」と足を運ぶ。 どんなことを悔やんでも 時効がきてしまってはもう戻れはしない。 生きていると言葉一つで 人間関係に亀裂は走るし 喧嘩をして人が離れることもある… 時効が来る前に言葉をかける。 いつなくなるかわからない商品 時効が来る前に買いに行こう。 追いかけているアイドル 時効が来る前に握手しに行こう。 時は過ぎゆくもので 待ってくれはしないのだから…
生きがい。
人は誰も 生きがい、やりがいというものがある。 僕は10代で現実に打ち砕かれ 生きがいを失ってからはやれと言われた仕事をしながら、写真を撮ったり、野球をしたり、音楽を遠ざけて詩を書いたりどこかで生きがいを探している。 成り行きで就職して右も左もわからなかった19歳の頃仕事に対する気持ちなんてなく アルバイトだからその日働いた日給がもらえるならいい程度。休憩中はスマホでオーディションや新人発掘を探しながら隙があると隠れてしゃがんだりした。腰を曲げた老人の左官職人が僕に怒鳴る。「みんな仕事しとるんだ、お前はなにしとんだ」と怒られても 僕は理解ができなかった。 その左官職人の爺さんは仕事をしている姿がとても楽しそうで黙々と材料を作り コテ(左官道具)を手にいつも楽しそうな表情で壁や地面を塗っていた。 埃まみれになりながらコンクリートを削岩し セメントだらけの手で仕事をする姿。 いつも口癖のように言っていた。 「仕事してるときが一番楽しいから家にいる休みが退屈」と。心底ずっと 「そんな気持ちで働ける仕事があるのか」 僕は幾度か転職をしているが見つからない。 "子どもの頃自分がなりたかったもの" "誰かに憧れてなりたいと思ったもの" これを実現することは本当に難しい。 いくらピースがあっても揃わない 完成しないパズルと同じことだ。 小学校の頃の同級生、中学校の同級生 専門の同級生、ほとんどの人と 会うことは少ないし何をしているかわからない。その中で本当になりたかったものになれた人がいるのか、今就いている仕事に笑顔で 取り組めることができるのか。ずっと気になっている。 中学時代好きだった女の子、仲良かったB'zが好きな子、いじめから僕をかばってくれた あの子。みんななにをしてるかわからない… 僕は過去が辛かったから距離を置いてたし 同窓会にも出席していない。 SNSで繋がった人が何人かいる程度。 一番仲良かった小学校の相棒は プロ野球選手になるのが夢で 少年野球退団後に連盟に入り野球一筋。 母親に聞いた話では名古屋の企業に就職し 会社が運営するリーグに所属しているそう。 働きながらでも好きなことができている。 スター選手になることはできなくとも。 しかしながら音楽をするとなると アルバイトをいくつか持ち デビューを伺ったり楽曲制作をし フリーランスとして収入源確保しながら ライブやネット配信をして収入にする。 昔よりもやりやすくなったとは思う。 現実、メディアで名を知らせる事は 資格勉強や試験でどうにかはならない。 巷で言われるオーディション詐欺だの 希望を追う若き者に大金積ませて広告では 「夢を諦めていませんか」と謳うが SNSバズりを利用した金食い虫だろう。 かの有名なアーティストは配信アプリで フレーズや楽曲の再生回数が増えて 地上波番組に出ていた。なんてこともある。 専門学校まで行った僕としては 先行きわからないものをバイトしてじゃなく “アーティストとして会社員ができる" 企業が多くなるといいなと思っている。 そんなふうになることすら叶えることすら 手が届かない仕事もある。 そういう人たちはどこでどのように 生きがい、やりがいを見つけているのか 給料がいいからか、人間関係か はたまた特殊な仕事だから特別感があるのか 営業職で訪問をしていた頃、あるお客様がいた。「バンドデビューを目指しホストをしていた」と聞いた。今でも覚えている。 家を持ち家庭を持ち働いているが ホスト時代はNo.2までのしあがり若くしてマンションや高級車を購入。 次第に音楽より本気になっていたそう。 肝心な商談を忘れて過去談を聞き入った。 最終的には仲良くなり商談は成立した。 そのあといろいろ考えていた。 「2までなるのはめっちゃ大変だったのかな」 「厳しい世界で生き抜いたからよほど人に優しくできる人なんだろう」だとか。 人は欲しいものに対してすごく執着がある。 「これを買いたいから今月めっちゃバイトする」 「あの高いギターほしいから掛け持ちする」 ってゆう熱い気持ちになること。 例えばガンプラやフィギュアみたいに 終わりがないから結果買う金のために仕事したり。 今の僕は野球のチケットがほしいから 日本ハムグッズがほしいから仕事する。 毎日朝早く起きて現場に行く。 周りから見たらやる気はさほど感じられないらしい。よく言われることが 「真面目にやることなんか誰でもできる」 「言われたことだけやるのは誰でもできる」 という言葉。普通に考えて… 今でこそ世間で働き方改革が広まり 建設業週休2日制が導入されたり サービス残業ゼロ化が言われてるが まだ働き始めの10年少し前はなかった。 土曜は休むと小言を言われるし 現場は17時どころか19時までやってた。 あまりにも長く嫌だったから 寝転がってサボったこともあった。 深夜に帰ってた営業職に比べたら優しい。 長期休暇は普通より長いけど毎日毎日 そんな時間、週6日勤務でどうやる気出す? みなさんならやる気出ますか? その気合い出るようにいろいろ考えて 頭ん中こねくり回したけど 結局のところ毎月の給料、趣味、付き合い。 それだけのために働いていた。 人それぞれ理由はある。 借金の返済、家族がある子どもがいるだと か… 僕は結婚していない、お付き合いはしている 結婚は考えていない。するかはわからないが こんなことを思うこともある。 野球観戦で選手たちを見ていて いつも「先が見えないのが嫌だ」 「確実な答えが欲しい」と言うが まさに先の見えない世界で生きてる人だ。 なれる確率は調べたら0.2%、なれたとしても 成績と結果がすべてのところ。 怪我をしたらすべて終わるぐらいの世界。 両親が野球ファンなのでよく 戦力外の番組をみていた。 だいたいの選手は家族を持っている。 もし妻の立場で、夫が職を失ったら… 先行きどころか毎日が眠れないはず。 同じふうに言えばたら大変烏滸がましいが 今の建設業界もまさにその局面だ。 とくにこのナフサ不足が影響を受けている。 材料の納期が遅れて工事が先延ばしになり 決定していた仕事が止まる。 そんな中でも父や、叔父、知り合いの方は 諦めずに弱音を吐かずに生きている。 「仕方がないからやれるだけやる」 と口癖のように言う。 自分がまだその気持ちになれないのは 職に向き合えないのは 出会うことができてないからなのだろうか 興味がないからなんだろうか? 10代20代の頃からずっと悩んでいる。 仲のいい職人さんに相談したら 「そんなこと自分ですらもわかっていない」 「自分が向いてると思わない」 「でもこれしかないからやるだけ」と。 最後に来た返事は 「死ぬまで答えなんか出ない気がする」 「今でそれだから」 「自分はもう悩む年齢なんかじゃない 周りはもうまともなのに」と責めていたけどその言葉に助けられた。 人間という生き物は常に悩みながら なにかに囚われながら生きる生き物。 いつかはきっと今悩んでいるあなたにも 本当の僕、俺、私に出会えるはずなんだと。 生きがい、やりがいは仕事だけでなくとも 趣味や特技だってあるもの。 男の子なら誰しも一度は 子どもの頃憧れたヒーローがいたはずだ。 ショーやテレビ、雑誌に夢中で 「こうなりたい」と思うこともあったはず。 成長や思春期につれて大人になろうとして バカにする、毛嫌いする風潮が苦手だった。 とくに自分が中学の頃はまだ世間では オタク=キモいでしか見られてない時代。 たまたまリュックにつけていた 仮面ライダーのキーホルダーを手に取り 「いつまで経ってもそんなんだから」 「だっさいな、俺らもう中学生だ」 なんて言われたりしたこともある。 なぜそんな言われ方するか分からなかった。 僕の今付き合いしている年上の友達は 日々追いかけている。いろいろあって しばらく離れてコレクションはもう しなくなったけどその方は今でも コレクションを続けている。 おそらく、生きがいなんだろう。 買うために、仕事をして、お金を貯めて 手に取り自分が遊ぶ時間、眺める時間。 働く上で上司や先輩にどう捉えられるか 怒鳴られたり叱られたりしても 自分自身を追い詰めるような働き方は いずれ自分自身を壊してしまう。 そんなときは一度時を停めて 仕事を忘れて自分の生きがいに没頭する。 僕と同じように悩まれたり、まだ仕事に やりがいが見つけ出せない方に伝えたいのは…「探さなくちゃ」と必死にならず 「探せるだろう」と思うようにすること。 息が詰まりそうな時は 生きがいと思えるものに触れ合うこと 頭から仕事を離すこと。僕自身これにより しんどい気持ちから解放されている。 どんな方にもいずれ訪れる やりがい… 僕も探し続けます。
嫌いだ世界。
いつまで続くのか 戦争、高騰、ナフサ 賃金の上がらない世界。 誰が悪い、誰のせいでもない。 答えが見つからない 息が詰まるような毎日。 海の向こうで意味のない命の奪い合い ニュースは毎日同じことばっかり。 当てにならないことばっかり ネットの情報に踊らされ揺さぶられ… ボクはこんな世界が大嫌いだ。 「懐古主義者」と言われてもいい 「ネガティヴ」と言われてもいい ほんとうにこの世に産まれ落ちてから の昔は楽しかったし、毎日が生きてる気がしていたし好きなことに精一杯、時間がいくつあっても足りなかった。どんな困難もあったけどなんとか生きてこれた。今は好きなことすらも気が向かないことの方が増えた、早く時が過ぎろと思うことの方が増えた。 安心できないくそみたいな世の中だからだ。 僕はコロナ禍の時、転職活動がうまくいかず仕事が決まらなくてフリーターだった頃は自暴自棄になっていた。母親は「世の中のせいにして自分から逃げてる」と言われた。 今はどうだろう?税だ税だと払うもの取られ値上げ値上げばっかりでわずかな貯金も難しく中小零細企業は倒産や閉業が相次ぎ年々自殺者が増えている。それでも世の中が悪くないと言えるのだろうか?まともな政治家がいないからこんなことになっていってるのではないのか…なんのための選挙か… 「投票日です」と告知するが、「どうせ行っても変わりやしない」が当然。毎回書き込みながら渋々思っている。子どもの頃の自分は将来が待ち遠しく自分は比較的周りより体も小さかったため「はやく大人になりたい」と言っていた。でも、大人になったいま…楽しいことよりも生きることをどうするか考える。明日、明後日、一年後を生きることに悩まされることが増えている。時間は待ってくれやしないし時の魔法にかけられることもない、時間を巻き戻すこともできない。人はみんな決まり文句のように「いつかまた」「どこかで会えるよ」だとか「未来は明るい」「今だけがつらい」と言うが僕はそんな軽薄な言葉が好きじゃない。とくに10代は「いつかじゃない明確に」 「どっかじゃない日にち決めて」と友達がびっくりするほど聞いていた。 "もしかしたら 会えなくなるかもしれない" "もしかしたらボクが死んでるかもしれないから"と思っていたりもしたからだ。友達や家族は「そんな簡単に死ぬわけがない」と笑い飛ばしていたが、人は簡単に死ぬ。 ナイフ一つでも、高所から落下しても、交通事故に遭っても、 僕はこの何年かは非常に悩んでいる。 自分で何かの方法で人間業を終わらせてしまうのか…または持病が糖尿となり苦しみながら死ぬのか。 いつか… いつか世の中は変わってくれるんだろうか。
もしも建築一家に産まれなければ…
永咲りき(本名非公開)3.27生 音楽、作詞、野球、アイドル、が好き。 建設業やりながらボーカル、作詞をしたり草野球をやっています。 発達障がいを持つ。大阪の建築一家に産まれ一昔前は普通よりもちょっと贅沢もしたし好きなことさせてもらえた。札幌ドームには連れてってもらえなかったけど(笑)祖父が建築屋で父も同じ(のちに独立開業)土日祝休みでなく昔、休みは基本的にいつかもわからなかった。父の弟二人も、母もまた土建屋の娘で母の祖父も経営者だった(父方、母方は廃業)子どもの頃は父親との思い出はほとんどなく、妹が産まれる前は祖父や祖母、叔父と過ごす時間の方が多かった。参観日、運動会にきてくれた記憶もない。行事で覚えてるのは年長児のとき卒園アルバム制作で一緒に絵を描いてくれたことであったのはたまに帰りが早い時、おもちゃ買いに連れて行ってくれたり、たまに外食や大型連休の家族旅行。とくに小学校に上がると母は妹の育児に追われ父はもちろん仕事。 お父さんリレーも叔父がきてたし、父親参観もきてくれたことはなかった。低学年の頃はとくに落ち着きがなくその頃から変わった行動が多かったので授業も真面目に受けず、事務の先生に拾われ教室に戻されていた。勉強もろくすっぽできず当時は病院に行かせてもらえませんでしたが…クラスメイトの親御さんはだいたい土日祝休みで、行事ごとにはきていたことが多く、家でも話すことがなかったため母、祖父、祖母に依存していた。母は専業主婦で半分は父の会社が開業したての頃事務をしていた。運転も好きでアクティブな性格なので、妹が成長すると3人でいつも行動して当時はサブスクがなくレンタルビデオ店にいったり、ボクが好きなところ、いろいろ連れて行ってくれた。側から見たら母子家庭と思われてもおかしくなかっただろう。幼少期の頃は家に帰ってご飯を食べたり、少なからず父はいてたのに独立してからほとんど話すことはなかった。いつの日か、あまりにも友達が羨ましかったため。「なんでなん」とわがままを言ったこともあった。母は「うちは日曜日が休みなんやから仕方ないの」と言われた。叔父に後から話を聞くと独立開業したばかりで仕事をするのに必死だったそう。現地調査、見積もり、打ち合わせ、材料の発注、職人さんの手配、父一人が全部していた。そりゃあ週休0日にもなるだろうと思う。祖父の会社でもなかなかの仕事量だったのにましてや一人になって、僕たちを食べさせなければならない。ある時、冷静で普段感情を出さない父が怒鳴った。「よそはよそうちはうちや同じやないで」建築の仕事が憎くて仕方なかった。 会社が忙しくなったり、物件がなかなか決まらないと祖父は機嫌が悪くなり、僕はよく当たられることが多かった。とくに3月、自分の誕生日の時期は年度末なのでバタバタすることがたくさんあったので 「もう誕生日プレゼントはない」 「来年もこの先もずっとなし」と思ってない意地悪を言うこともあり、僕はそれで駄々をこねる泣くことがお約束。新学期前の春休みはいつもそんなことがあった。 軽々しく友達やクラスメイトは 「りきの家はおっきいし屋上あるし金持ち」 「いつもごはん何」 と聞かれるのが鬱陶しかったから 「そうおれんちなんでもあるし」 と変な見栄を張って黙らせた。 小学4年〜6年は父と過ごす時間が徐々に増えた。その頃特撮ヒーローが好きだったので ヒーローショーや、イベントに連れていってもらったり、父母二人揃って熱狂的阪神ファンなので甲子園に連れていってもらったり、父はパソコン人間なのでいち早くネットから情報を仕入れて「こんなんあるぞ」と話をもちかけてくれたり 日曜日はニチアサ番組をみては 「今日発売やな、いくか?」と言って 一緒に買いに行ったりした。 でも僕は当時から勉強がほんとに嫌だったのでとくに算数の宿題をしない日が続き 誓約書みたいなものを書かされた。 自分の部屋にそれを貼られ あまりにもそれですらやらなかったため 父親は怒り部屋のおもちゃ、録画した子ども番組のビデオをぜんぶ捨て始めた 「こんなものがあるから宿題せえへんねやろ」 「嫌や言ってもおまえが悪い、宿題やらへんおまえのせい」 そんなこともあったけど自分は、小学校から中学2年ぐらいまでが一番楽しかった、父や叔父の影響で音楽も好きになった、ちょうどその頃は氷室京介、TMNETWORKを聴いていて、クラス会や出し物で歌ってた。もちろん友達はみんな知らない、自分の中ではそれがちょっとかっこいいと思っていた… 「みんな知らないものを俺は知ってるんだぜ」と。父親はCDを貸してくれたり、スカパーでライブを見せてくれたり、とことん英才教育をした。今更ながらこんなこと思っても仕方がないこと、この世に誕生日したからどうしよもないが つくづく思う…「もし産まれる場所を選べてこの家庭に産まれてなかったらどうなっていたんだろう?」と。 よく母が言った 「他にはもっと恵まれない子いてんねんで」 「あんた幸せやと思わんか」と 今でこそ、少しその言葉の意味がわかる気がするけど僕にはそこまで理解ができない。 建築屋にはなりたくないと勉強すっぽかし 中学から歌をやり作詞をやり反対を押し切り音楽エンタメ系の高等専修学校に入学、専門学生として2年在籍した。一番辛かった 東日本大震災から一年後の2012年。僕はエンターテイメント専門学校の2回生だった。ずっと安泰だった祖父の会社が秋ごろに倒産したとき神様なんかいないんだと思った。あれだけ一つになってた家族がバラバラになったような気持ちだった。 「じいちゃんも必死やったんや」 「俺らもこれから苦しくなる」 父と祖父は別会社ではあるものの倒産後はしばらく苦境を強いられた。 祖父と何度か一時期泊まりにいったりご飯を食べたこともあったが体に溜まったアスベストの影響で肺癌となり入退院の繰り返し。 死去。一番大好きだったじいちゃんがほんとうにいなくなった家に帰れば 「りきよ〜!」 というはつらつとしたこえも聞けない。 家には父、母、妹、僕はいてるけど家にじいちゃんがいない、毎年正月や盆、祖母の法事に集まってた行事もない。とくに祖父と父の次男である叔父は一緒に会社をやっていたのでしばらく会うこともなくなり、家には僕ら4人だけになる。正直なところもうなにもしたくなかった、この年はとくに学校の出席率も悪くなり、なりたかった芸能、毎日書いた作詞もやりたくなくなっていた。単位を落として何枚もレポート書いた。 それから僕は普通というものに囚われることになった。2回生の年末、プレゼンテーションがあり所属事務所に入るか、養成所に入学するか、卒業後学校に登録してデビューの機会を伺うか。どっちがだ。叶うか叶わないかわからないものに高い学費を払ってもらって入学したけどもう辞めたくて仕方なかった。たまたま同じ関西の事務所に僕と親友が名前を挙げられ所属することになった。僕は当時警察官の募集ポスターを見てなろうとしていたが親友に止められ「子どものヒーローになりたいんやろ!」と言われ、某アパレルショップでアルバイトをしながら入ることになったが僕の気持ちは普通になりたい願望が強かった。小学校の頃好きだった幼馴染みの同級生は結婚し、出産したというLINEがきて 自己嫌悪に陥った。バイト先の店長と喧嘩してクビになり、所属事務所のレッスンも休みがちになり自主退社。親友は別会社でがんばりながらアルバイトをする中、僕は仕事を探す中、父、三男の叔父から声がかかる。 「りき忙しいから手伝ってや」 「結局のところ僕も建築なんや」 「じいちゃんがやらなかったらいまでもじいちゃん元気やったんちゃうん」 って思っていた。 業者さんや周囲の職人さんは子どもの頃から知ってる人なので 「しんどいし大変やしこんな仕事やらなくていい」 「りきくんにはミュージシャンやタレントがいいし向いてる」と言われた。みんな僕のことを考えて言ってくれてたと思うけど その言葉が嫌いで仕方なかった。 口には出さなかったが心の奥底で 「一級建築士も、二級建築士も、施工管理技士も勉強したら受かるし取れる。 左官屋さんは技術学べば一人前になれる。 就活して内定もらえたら働ける」 「こんな世界向いてるからなれるもんじゃない」 「どれだけスキル高めて、何年やっても金もらえる、飯食えるなんてあるわけがない」 と。 でも、僕の父は自分が本来ならボーカリストになりたかったからかあきらめることを許さず働いてるときにも何度か僕に言った。 「こんなおもんない仕事は二の次でいい、バイトって思えばいいから今は夢を追いかけろ」 当時の僕に夢なんてなかった。 「叶う夢なんかあるのか」 「おもしろい仕事なんかあるのか」 「今まで生きてきたのはなんだったのか」と 子どもの頃によく口癖で言ってたことがある 楽しいことや、楽しい時間、その場所にいると決まって閉園や、事情や帰宅の時間が来ると 「終わってほしくない」と なにかにつけて終わること、死に対して強い恐怖心を抱いていた記憶があり その頃にじいちゃんはよく仕事や疲労で体調を崩すとすぐに冗談で 「もうじいちゃん死んでまう」 「もう死ぬんや…医者に言われたんや」と言って、冗談が通じない僕は泣きじゃくって 「嫌やー!じゃあ僕も今死ぬ!」って言ってた。母曰く本当に心中するんではないかて と常不安に思っていたらしい。 この家に産まれてなければ どんな家庭にどんな家に住んだんだろう もっと悲惨だったか殴られ育ったか 転向ばかりして友達がいなかったか もしも僕の家が情勢に煽られない仕事をしていたらみんな家族全員で今も昔も変わらず過ごせたのかそれはわからないし誰にも決められることじゃないからぜったい人間に産まれたくはないと思っている。 今でこそ建設業週休二日制だの 残業するなだの言ってるが 現状、中小零細企業そんな会社ほとんどない。物件受注は競争激化、現在はナフサショックで材料高騰、工事は遅れる。国は中小零細に何もしてくれない、ただ仕事が決まる、始まる、商談成立する、着工に至るまで運命の分かれ道。 いつまでこんなことが続くんだろう いつまで血を流すことをするんだろう いつまで僕は生きなくちゃいけないんだろう 誰がこの世界を変えるんだろう。 もう生きるのが精一杯。
ポテトサラダ
ポテトサラダ キミと旅に出る日 雲行きは寂しいけど 2人心が揺れていた 少し休もう 車を停めて ランチタイム 作ってくれていたお弁当 驚きながら 喜びながら たべていた ポテトサラダ あの味がずっと好きになった 辛い時も 悲しい時も 1人の夜も あの味を思い出せば 強くなれる気がした 優しく やわらかく 包み込むような キミと同じような あたたかさを感じた これからも好きでいさせてほしい ずっと ずっと大切にしたい そばにいさせて
やめちまえ
やめちまえ ああだこうだ そうじゃない オレじゃない これじゃやだ うまくいかない 答えがでない 今はちょっと わからない やめちまえ 違うと思うなら 気が済むまで 頭ぶつけたら 寝て忘れろ 明日また やればいい 君はどうだ 好きじゃない あれじゃなく それじゃなく 答えは出たか? 今はちょっと 浮かばない やめちまえ 誰も縛らない 気が済んだら なにか浮かんだら 書きおこせ 明日また やればいい 明日また やればいい
十二月の空
駆け上がる階段 仕事に追われる日々 君へのプレゼント まだ渡せてなくて 会いに行くよ今夜 二人だけのHoly Night 繋いだ手は離さない どこまでも 聖なる今日は 特別な2人の時間 舞い上がる恋人 周りも楽しむ日々 僕らもしあわせで もう何もいらない 会いにきたよキミに 待たせたね 繋いだ手は離れない いつまでも 聖なる今日を 想い出に2人を刻む