もしも建築一家に産まれなければ…
永咲りき(本名非公開)3.27生
音楽、作詞、野球、アイドル、が好き。
建設業やりながらボーカル、作詞をしたり草野球をやっています。
発達障がいを持つ。大阪の建築一家に産まれ一昔前は普通よりもちょっと贅沢もしたし好きなことさせてもらえた。札幌ドームには連れてってもらえなかったけど(笑)祖父が建築屋で父も同じ(のちに独立開業)土日祝休みでなく昔、休みは基本的にいつかもわからなかった。父の弟二人も、母もまた土建屋の娘で母の祖父も経営者だった(父方、母方は廃業)子どもの頃は父親との思い出はほとんどなく、妹が産まれる前は祖父や祖母、叔父と過ごす時間の方が多かった。参観日、運動会にきてくれた記憶もない。行事で覚えてるのは年長児のとき卒園アルバム制作で一緒に絵を描いてくれたことであったのはたまに帰りが早い時、おもちゃ買いに連れて行ってくれたり、たまに外食や大型連休の家族旅行。とくに小学校に上がると母は妹の育児に追われ父はもちろん仕事。
お父さんリレーも叔父がきてたし、父親参観もきてくれたことはなかった。低学年の頃はとくに落ち着きがなくその頃から変わった行動が多かったので授業も真面目に受けず、事務の先生に拾われ教室に戻されていた。勉強もろくすっぽできず当時は病院に行かせてもらえませんでしたが…クラスメイトの親御さんはだいたい土日祝休みで、行事ごとにはきていたことが多く、家でも話すことがなかったため母、祖父、祖母に依存していた。母は専業主婦で半分は父の会社が開業したての頃事務をしていた。運転も好きでアクティブな性格なので、妹が成長すると3人でいつも行動して当時はサブスクがなくレンタルビデオ店にいったり、ボクが好きなところ、いろいろ連れて行ってくれた。側から見たら母子家庭と思われてもおかしくなかっただろう。幼少期の頃は家に帰ってご飯を食べたり、少なからず父はいてたのに独立してからほとんど話すことはなかった。いつの日か、あまりにも友達が羨ましかったため。「なんでなん」とわがままを言ったこともあった。母は「うちは日曜日が休みなんやから仕方ないの」と言われた。叔父に後から話を聞くと独立開業したばかりで仕事をするのに必死だったそう。現地調査、見積もり、打ち合わせ、材料の発注、職人さんの手配、父一人が全部していた。そりゃあ週休0日にもなるだろうと思う。祖父の会社でもなかなかの仕事量だったのにましてや一人になって、僕たちを食べさせなければならない。ある時、冷静で普段感情を出さない父が怒鳴った。「よそはよそうちはうちや同じやないで」建築の仕事が憎くて仕方なかった。
会社が忙しくなったり、物件がなかなか決まらないと祖父は機嫌が悪くなり、僕はよく当たられることが多かった。とくに3月、自分の誕生日の時期は年度末なのでバタバタすることがたくさんあったので
「もう誕生日プレゼントはない」
「来年もこの先もずっとなし」と思ってない意地悪を言うこともあり、僕はそれで駄々をこねる泣くことがお約束。新学期前の春休みはいつもそんなことがあった。
軽々しく友達やクラスメイトは
「りきの家はおっきいし屋上あるし金持ち」
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2026/6/28 7:34
最終編集日時: 2026/7/6 14:03
永咲りき
歌と作詞が好きです。
久しぶりに書いてみたいと思います。エッセイや思うことについてが多いかと思います。
大阪市内でボーカリストしています。