露唖

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露唖

経験談・愚痴・理想談

もう疲れたよ

時々、寂しくなる。悲しくなる。 誰かに可哀想って思って欲しい訳じゃない。 今まで頑張って堪えて生きてきたけどもう疲れました。 毎日毎日容姿の事で悩んで将来の事考えて 必死で努力してるのに、元々遺伝子に恵まれてる人はそれだけの事で這い上がってきた。 私は人一倍でも二倍でも堪えてきた。 毎朝5時起きてランニングしたり勉強したりして頑張った。 お金が無くてご飯が食べれないから学校に行けない日もあった。その日友達からは サボんなって言われたよ。 お腹が空いてお父さんにお金を貰おうと聞いてもLINEの既読が着くだけで振込は無かった。お母さんに言っても既読が着くだけだった。 だから、お腹が空きながら勉強して 悔しかった。 友達はバイトしたらした分だけ遊びに使えるけど、私は毎月のご飯代にしないと満足に食べられなかった。 私が通っている学校も底辺校だから 自分に何かスキルをつけようと自分で働いて得たお金で英会話教室でも通う。 そうでもしないと、周りに置いてかれるから。 何で自分だけこんな苦労しないといけないの? いつも頑張ってるのに。 いつ報われるのかな 私がいくら頑張ったって納得のいく結果になるかも分からない。 今までは希望を捨てなかったけど、 もう疲れました。

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もう疲れたよ

こういう人を増やしたい

好きだった人、元気にしてるかなぁと思う。 どこで何してるのか、さっぱりだけど…。 きっと最高なことも最悪なこともあるけど、元気に楽しく生きてくれたら嬉しいよね。 恨んだり憎んだりする人の数じゃなく、 また会いたいな〜元気かな〜って 人の数よね。 人生の充実度にも影響するし。

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こういう人を増やしたい

粘り強さ

どんな時も大きな希望を抱いていたし 結果が出なくたって、夢を追い続けたし お金が無くたって理想は見失わなかった いつだって、ベストを尽くしてた。 どんな時だって希望を持っていたよ 道標を失ったって、自信は揺るがなかった 僕はきっと成功出来るんだって。 いつだって、大きな希望を抱いていたよ。

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粘り強さ

親ガチャ

ある日SNSで見かけた 社会基盤を支える福祉職は親ガチャ的にハズレらしい。 重労働の割には安月給だから。 私は2人兄弟で親が片親です。 親は介護士をやっている。 そのせいもあってなのか、金銭面的にはいつも困ってました。兄は高校受験で公立に落ち私立に進学。 やっぱり私立はお金がかかるから、親には 「貴方は公立に行きなさい」 と言われ公立1本で受験した。 幸い私は公立高校に受かった。 SNSのツイートで A「両親とも介護の仕事」 B「あーそれ終わってるわ」 C「大学ムリだろ?」 A「あぁ、高卒で働くよ」 C「うちも大学は諦めろって。親、保育士なんだよね。」 こんなツイートを見かけた。 私は何度か親の仕事現場に行って見学をした事がある。 認知症の人を介護したりしているんですが、その中には自分の息子の存在を忘れてしまう人もいる。 中には怒鳴り散らして職員に暴力を振るう人だって居る。 私の母は認知症のおじさんに殴られた事もある。 体のでかいおばさんだってにゅうよくさせて。 朝も昼も夜も働いて家には帰ってこなくて。 体ボロボロにして帰ってきて、でも、それでも、お金はなくて学校で昼ごはんを食べるお金すら危うい。 それでも私は大学に行きたいと思っている。 勉強する。国公立に受かるために。 でも、私が受かった高校は偏差値43の底辺校。 ここから、逆転なんてあるのか? そんなのは分からない。けど、諦める理由にはならない。 そうやって何度も挫けそうになる自分を励ましてきた。誰にバカにされようと。 けど、生活が苦しくて仕方ないから、私立に行った兄を憎んで、生まれたくも無い環境に産み落とした母が憎かった。 でも、そのSNSのツイートの返信で 「うちは、シンママのパートで、部活の遠征費とか高校の入学費とか全部父親にお願いしてって言われて、自分で頭下げてお願いしてた。途中から自分で学費払って、弟の生活費も払ってたけど、親ガチャハズレたなんて思ってない。自分の子には同じ事をさせたくないっていう心構えが出来たから」 って。 境遇がほぼ一緒なのに、自分の子には同じ思いさせたくないって考えも同じなのに、 なんで心の綺麗さにも差があるんだろうって。 心底自分の度量がしれた。 だから、私も親ガチャがハズレたなんて思わない程努力する。 まだまだこれから。

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親ガチャ

後悔はないはずがない

私は小学生の頃は充実していたよ。小学生は。 片親育ちだからお金は無かったが、 小学生の頃は成績は気にしなくても良かったし、 男女問わず友達はたくさんいた。 その頃から高校生になっても友達とバカして人生楽しめるものだと思っていた。 中学一年生になり他の学校からの友達もたくさんできた。 その中で私はバスケ部に所属する事に決めたんです。そこで出会った友達を親友と呼ぶ程仲良くなった。はずだった。 でも、中学一年生の12月から私は理不尽な理由でハブられだした。 そんな理由は、思い出したくもないね。 それで間もなく、私の家庭はお金が無いので家を追い出される事になり、家を引越し転校が決まったので、運は私を味方したと思った。 お金が無いのはいい事じゃないけれど… それからすぐのこと 転校先での自己紹介を終え、今まで通りに 暮らすも性格は随分と変わっていたみたい。 対人で喋れなくなったんです。 それには、すでに心当たりがありました。 それは中学一年生の時に親友に裏切られた事。 私は彼ら2人を親友だと思っていた。 バブられた時に散々悪口を言われていた事も知っている。 でも、私は彼らの悪口は一言も言った事は無かった。 なんなら、私に悪い所があるなら言ってね!!直すからって言っていたのに。 それなのに、悪口は言われた。 私はメンタルが強いのか現実を受け止めたくなかったのか、悪口には屈しなかった。 ただ、それ以来。人が信用出来なくなった。 怖くなった。 そして だんだんと惨めになった。 それから私の人生は雲行きが怪しくなる。 運悪く転校先の学校は、俗に言う 陰キャ・陽キャを 重視する学校だった。 私自身小学生の頃から異性同性関係無く 仲良く出来る人間だったし、相手が陰キャだとか陽キャだとかで判断した事はなかった。 でも、中学一年生のトラウマ以来、気が小さくなってしまっていたので あいつは陰キャだ。とか、友達がいないだとか、何かにつけて悪口を言われるようになってしまった。 あぁ、何でだろう。今までの私の経験を 知っているのか?? そんな事も知らないはずなのに、よく愚痴れるなぁ そう思いながらも私は行動できなかった 中学3年生にもなると、1人で居るのも慣れてストレスは無くなった。 そしてそのまま、中学校を卒業。 高校に入学する。 そこでは、今までの自分はダメだと分かっていたので、頑張って話しかけて今では仲がいい友達が同じクラスにできた。 あとは、基礎的なコミュニケーション能力を高めつつ外見を良くする為の努力をしてきた。 そうして、今の生活にもある程度は納得できるようになったし、 今の自分にもこれから絶対成功できるって 希望を持つ事ができた。 だから、中学校の学生生活を振り返る度に あの経験があったからこそ今があるって… 思えるはずがない。 そんな事ある訳ないでしょうが。 小学生の頃から大学まで進学して当たり前に楽しく過ごせるって思っていたんだから。 だから、人生80年ある中のたったの 3年間なんだから… なんで思い通りにならないのだろう。 私が家庭環境で苦しんでいるのだから 苦しくて辛くて逃げ出したくて仕方ないのに。 そんな貴重な3年間を相手を尊重できない アホに邪魔されたんだから。 後悔はないはずがない。

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後悔はないはずがない

私の取扱い方

私。 私は全て持っている。 お金もある。身長は高い。顔もそこそこ良い。 頭も並ほどには良くて。友達にも恵まれている。 性格は、ひょうきんだが、本当に面白い時しか笑わない。 いつも微笑んでいます。 私の取扱い方。褒められると満更でもなさそうに喜びます。 ただ、態度は冷たいのでよく無愛想だと 思われています。 でも、本当は人のことをよく考えていて 人情深く愛情深い人なんです。 自分はそんな人間なんだと想う。 しかし、それも妄想に過ぎない。 私。 私は何も持ってない。 お金はない。身長は169cm。顔は普通。 頭の出来も並。友達関係は浅い。 性格は控えめだが仲が良くなるとお喋りです。 でも、コミュ力はない。笑顔が引きつってます。 私の取扱い方。 人嫌いに見えても、時間をかけて仲良くして下さい。慣れれば陽気な所があります。 穏やかに、こちらを立ててもらえると、 すぐ好きになります。 寂しさは顔に出ませんが、察してください。 自分はそんな人間。

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私の取扱い方

約束

いつも通りに起きる。いつも通りに寝る。 なにも無造作に繰り返す。 スマホを片手にとって今日もアラームを止める。朝5時に起きて ランニングをする。少しでもかっこいい 自分になる為に。 でも、ある日疑問に思った。 なんで、こんな面倒くさいことするんだろう。だから私は考えた。答えは 「一般人との差を埋めるためだ。」 私はお金が無い、お父さんがいない、 やりたい事が出来ない、体格に恵まれてる訳でも 顔が良い訳でも、頭が良い訳でもなくて ただただ何も無い。突出した才能が無い。 だから、私は努力した。けど、現実は甘く無かった。 何か壁にぶつかる度に この世界は漫画みたいには上手くいかないって解って。 惨めになった。 私が時間をかけて得たこともお金や才能のある人の前ではちっぽけなものでしかない。 だから私は私よりいい環境で育って来た人が羨ましくて仕方ない。 そして私は私より能力が無い人を心の底から軽蔑してる。 だって、今まで我慢してたから。 でも、第三者の視点で考えたらこれもまた 自分勝手な考えだと思った。 そして気づいた。 ひねくれた私が憎い。って いつからこんな腐ってたんだろう。 小学生の頃は友達とワイワイ遊んで 中学生は部活に比べ物にならない情熱があって でも、高校では ああ、部活やめてぇなぁって思ってばっかりで中途半端だった。 でも、よく考えみたら中学生で壊れてたのかもね。 そうして今日まで日を振り返る。 こんな私でも人生成功させたい。 思い通りにしたい。 一般人に負けたくないって。 だから自己啓発したり、継続を大切にして 目標、目的も立ててみる。 そうしていく中で、何度も何度も 折れる、腐る。 なんでかって? お金が無いからだよ。 努力するためには環境が大切なんだよ。 部活で試合に出る為に練習する。 でも、お金が無いからバイトしないと 生きて行けなくて時間もなくなる。 大学はいいとこに行っていい給料を貰う為に勉強も頑張る。 そうしてく中で気づいたら時間が無くなっている。それが私の生活 でも、周りは一日に3食きっちり食べて バイトだって程々、やりたく無い時には最悪逃げられる。 当然私は逃げられない。 そこで生まれる自由の時間が差を生む。 そしてその最悪な時間が 私の努力の邪魔をする。 この事で何回泣いたことか。 そうやってやり場の無い思いを 詩としてsnsに投稿したり。 書いたり。 ああ、何になるんだろうか。 私は私の人生が辛いです。 でも、 1度きりだからこそ諦めたくないです。 恩を返さないといけないひとがいる。 それは学童保育の先生だ。 父はいない。母は昼も夜も働いているが 小さい頃からよく殴られていたので 良い思い出はあまりない。 でも、小学六年生の頃に出会った その先生は凄く頼りになる人だった。 お父さんのいない私にとっては お父さんの様な存在に当たる人だった。 辛い時はいつも決まって ラーメンを食べさせて貰いながら 悩みや近況を話させてもらっていた。 そんな先生に私は言った。 私は父がいない。母は殆ど家に居なくて兄と私を育てる為に出来た借金がある。 私の家は電気の契約もガスの契約も水の契約も止められた。 何もない。ライフラインがない。 死にたくなった。 そしたら、先生は言った。 職柄同情はしない。だってキリがないからね。 けど、僕は君みたいな状況の子を何人も 見てきたよ。 だから、1000円持っていきなって。 私は断った。1000円を借りる為に言ったのではないから。 だから、大丈夫だよと言うと、 先生は言った。 「お金を借りると惨めになる?」 そう言われた私は飲み物をそそいでいた その手を止めて、 思わず泣いてしまった。 なんで、私の気持ちが読めるのか。 先生の前で泣くのは何度でも堪えてきたが その日ばかりはダメだった。 そして先生は泣いている私を抱きしめて 1000円を渡した。 私はそれを受け取ったあと、 泣きながら家に帰った。 このお金だけは大切にして国公立大学に 受かった時に感謝の気持ちを添えて 返そうって、そう思ってそのお金を手に取ったら、 1000円ではなく、2000円だった。 なんて暖かいひとだろうと思って その事を思い出す度に感謝しきれない 涙か出てくる。 私はその日に心に*約束*した。誓った。 この先生に恩返しするために国公立に 行くと。 そんな、私の人生はまだ、始まったばかり。 みすぼらしい始まりだか、優雅な終わり。 これを心にしまい今日も生きる。

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約束