雪
私は雪が好きだ。
綺麗なのに冷たい、不思議な結晶。
切ないにおい。痛いほど冷たい空気。
おとぎ話みたいな雪景色に、ずっと憧れている。
ある朝、いつもの時間に目が覚めた。
「さむ…」
思わず声が漏れるほどの寒さだった。白いカーテンを開けると、あたり一面が真っ白に染まっていた。
「あ…雪だ」
窓の隙間から冷気が入り込み、指先が少し震えた。
私は電車で10分ほどの学校に通っている。早朝の校舎には、生徒がほとんどいない。
学校に着くと、やはり教室には誰もいなかった。
屋上に向かう途中、廊下の窓の外を見ると、まだ雪は降っていた。
重い扉を開けると、冷たい風が私の頬を刺した。
「やっぱり寒い」
下を見下ろすと、車と人が流れていく。
今朝見た雪景色は、もうほとんど消えてしまっていた。
屋上から戻ると、教室は人で満たされていた。
「おはよー」
「おはよ」
できるだけ柔らかい笑顔で返すと、彼女は嬉しそうに笑った。
昼休み、隣のクラスの山田に呼ばれ、校舎裏へ向かった。
彼は中学からの友達だった。
「ずっと前から好きでした。付き合ってください」
彼は深く頭を下げて言った。
「ごめんなさい」
嫌いじゃない。でも、好きでもない。
ただそれだけの理由だった。
「そっか。ありがと」
彼は辛そうに微笑んだ。
放課後、スマホを確認すると、雪の影響で電車が遅れていた。
私はもう一度屋上に向かうことにした。屋上から見た空は朝よりもずっと暗くなっていた。
友達とか、勉強とか、愛情とか。
そんなもの、今の私にはどうでもよかった。
――私はただ、雪になりたかったんだ。
帰りの電車で窓の外を見ると、止むことを知らない雪が降っていた。
雪に会いたくて、私は電車に身を任せることにした。
寄りかかった窓はひんやりしていて、心地よかった。
どこまで来たのだろう。
停車した駅になんとなく降りてみる。
駅を出た瞬間、雪の光が眩しくて目を瞑った。
恐る恐る目を開けると、そこには“本当”の雪景色が広がっていた。
私は走った。
走って、走って、雪になろうとした。
寒くても、足が痛くても、息ができなくても、走ることをやめなかった。
やめることができなかった。
やめてしまったら、私の存在意義がなくなってしまう気がした。
気がづくと、笑いが止まらなかった。
誰かになれない私が、誰かになれた気がしたから。
私は雪になりたかったから。
走り疲れた私は、雪の中に寝転んだ。
こんなに笑ったのは、いつぶりだろう。
私は雪になれただろうか。
家に帰って、お風呂に入った。
暖かくて、心地良いはずなのに、雪が恋しかった。
いつから、こんなふうに変わってしまったのだろう。
物心ついた頃、父は私と母を置いて出て行った。
別に悲しくはなかった。ただ、人を信じることを諦めただけだ。
その日の夜、母と二人でカレーライスを食べた。
母はいつもと変わらず笑顔だった。
その瞳に、私は映っていなかった。
私の体は温まったのに、心はずっと凍えたままだった。
だから、私は雪になりたい。
心の冷たさを、雪の冷たさに重ねて誤魔化せる気がしたから。
なんのために生きているのか。
私は誰なのか。
心の暖かさを、いつか知ることはできるのだろうか。