なぎのき

2 件の小説

なぎのき

雨とネコ

 俺は捨て猫だ。  目が覚めたら、段ボールの中にいた。  さっきまでは兄弟姉妹と仲良く寝込んでいたのだが……どうも、その間に色々あったらしい。  そういやお袋がボヤいてたな。 「六畳二間じゃ、この仔達暮らせないかしら」  六畳二間。それが、どれだけの広さでどんな問題を孕むのかは、子猫である俺には分からない。  ただ俺達が人間を含め、一緒に暮らすには狭い。らしい。  と言うわけで、俺はここにいるんだろうな。  何となく悟ってしまった。  *  改めて段ボールハウスを見回す。高い。子猫の俺が飛び出せるかどうか微妙な高さだ。とは言え、兄妹姉妹がいない今、可能性は二つ。俺だけが捨てられたのか、兄弟姉妹がこの段ボールハウスから飛び出したのか。  俺だけ体の色がクロだったのがいけないか? という可能性も出てくる。つまり俺だけが捨てられた可能性だ。まぁ、今そんな事を考えても仕方ない。お腹が満たされないからな。  とにかくここから出ない事には、飢え死にするかカラスの餌食になる(さっきから電線の上で、カーカーと数羽のカラスが騒いでいる。どうも、『俺の』取り合いをしているようだ)かのどちらかだ。  俺は思いきり体を沈み込ませ、ジャンプした。  あっけなかった。  高いかなぁと思っていた段ボールハウスの障壁から、難なく脱出に成功した。  後は逃げる。カラスに突かれる前に。  俺は脱兎の如く、その場を去った。  *  乳離れしていたのは幸いだった。  普通に『ネコの餌』を食べる事が出来る。本来飼い主となるべきだった人間も、せめてそこまでは、と思ったんだろうな。と思うと、急に腹立たしくなってきた。  どうせ捨てるなら、もっと小さい頃にしてくれれば、誰がが拾ってくれたかもしれない。目も開けられず、みーみー泣くだけの脆弱な生物。さらに可愛い子猫。色はともかくとして。それだけで、拾われる可能性は高まったかも知れない。もちろん命を落とす可能性も高まっただろうが、少なくともその時点では、そんな事を考えずいられたはずだ。  臭いを頼りにさまよい歩く。  キャットフードが落ちているわけはないので、それ以外の食物を探さないといけない。  ネズミか、残飯か。ネズミは大きさによっては反撃されるかも知れない。怪我なんかしたら、ホント致命傷だ。  となれば、残飯か。  なんとも情けない話だ。  だが徐々に重くなる体は、一刻の猶予もない事を知らせてくれる。  子猫である俺には体力がない。  蓄えてあるエネルギーなんざ、すぐ尽きる。  今はまだ明るいが、日が暮れる前までには何か食べておかないと、明日の朝まで持たない。  折しも『しとしと』と雨が降っていた。  『しとしと』というが、子猫の俺には、結構キツイ。体温が奪われ、体力も奪われる。  寒い。  暖めるには一体どうしたら良いんだ?  暖かいミルクをくれるような、奇特な人間はいないかな?  とぶつくさ文句を垂れつつ、彷徨う俺。  と。  急に騒がしくなった。  どうやら人間の生活圏に紛れ込んだらしい。  あちこちから、食べ物の臭いがする。  俺は、建物の隙間を見つけた。そこは古びた建物同士が重なり合い、雑多に段ボールやらビールケースが積まれていた。ここなら雨風は凌げそうだ。  俺は、とりあえずそこを当面の根城にする事に決め、食べ物を探し始めた。  *    とりあえず、日が暮れる前に残飯をあさり、眠りに就いた。明日はちょっと界隈を散歩して、拾ってくれる人間を探そう(意訳:見つけて貰おう)。そう思いながら。  *  翌朝は寒かった。  雨風は凌げても、気温と体温はどうにもならなかったらしい。  俺は、朦朧とする意識の中で、危機感を覚えた。  まずい。  何か食べないと死んじまう。  俺は、ふらふらと根城を出た。  出た途端、その場でへたり込んでしまった。  足が動かない。  起き上がろうにも、その力が出ない。  しょせん子猫な俺だ。この辺が限界なんだろう。  幸いなのは、人間が俺の周りに集まってくれたおかげで、カラスから狙われずに済んだことだ。  俺はゆっくりと目を閉じた。  閉じたはずの目に映ったのは真っ白な景色。  ――ああ、そういやお袋は白猫だったな。  何で俺は黒かったんだろう?  次に生まれてくる時は、白が良いな。  いやそれより、猫なんかじゃなくて……。  それが最後だった。  そして――  * 「よう、裕太」  いきなり路上で声をかけて来たのは、幼馴染の伊織だ。    この男勝りな物言い。  せっかくの容姿も、その言葉遣いで台無しだ。もう少しおしとやかにしないと嫁のもらい手がないぞ。と、幾度となく思った事か。  もちろん、思っただけで口に出したことはない。僕だって、命は惜しい。 「ん、何だよ伊織……って! ぎゃーーーっ! ネ、ネコじゃないかっ! しかも黒い!」  伊織は、あろうことか、僕に向かって、まだ目も開いていない子猫を突き出した。 「今日び、子ネコくらいで怯える男子中学生はどうかと思う」 「いいじゃないか、それも個性だっ!」 「いや、お前の場合怯えるというか」 「お前とか言うなっ!」  伊織は、子ネコをさらに僕に近づけた。  もうダメだ。限界だ。  頬をつたう、熱い滴。  それはもう、条件反射だ。  そう。  僕はネコを間近で見ると、泣き出してしまう。それがどこであっても、どんな状況であっても。  だから『ネコ嫌い』で本質を覆い隠してきた。それを知っているのは伊織だけだ。 「なんで泣くんだ?」 「……分かるもんかそんなの」  僕は伊織に抱かれた猫を見た。そして知った。 「……コイツ、まだ目開いてない。赤ん坊じゃないか」  僕は知っている。いや、分かっていた。もうこれは決まった事なんだ。僕は手で涙を払った。 「仕方ない。僕のネコ嫌いもここまでだーーコイツが一人前になるまではね」  伊織は、そんな僕の顔を見て微笑んだ。  ちゃんと丁寧に笑えばこんなに綺麗なのに、僕の前ではぶっきらぼうで、お節介な幼馴染み。厄介だなぁ。  子猫も何となく察したのか、みゃーと鳴いた。  おしまい。

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着信待ちとその後の何か

 僕は、スマホに表示されている、素っ気ない時計をじっと見つめていた。    かかってくる。  かかってくるはずだ。    僕は、そうして、小一時間程、駅前のコーヒーショップで、スマホと睨めっこをしている。  最後に話したのはいつもう忘れただったか。  通話履歴を見る。三日前の午後十一時二十三分。それ以来、音信不通という訳だ。  僕が最後に入れたメッセージは、シンプルな物だった。ただ「会えないかな? 時間はいつでも良い。とにかく話をしよう」だ。  出会ってから、丸三年。  僕も、今年で三十になる。彼女もそうだ。いい加減、けじめをつけなきゃならないタイミングだ。  でも、そのキーワードを切り出そうとすると、決まって彼女は、別な話題にすり替えるか、妹分の柿岡に話題を振る。  避けている。  僕だって、覚悟は出来ていない。でも、そんな物じゃないか? お互いに足りない部分を埋めたり、掘り起こしたりするものなんじゃないか?  その時だ。  スマホに見覚えのある名前が表示されたが  でも違う。彼女じゃない。 「何だ、柿岡さんか」 「あ、何だなんて失礼でしょ?」 「ごめん」 「今、どこに?」 「駅前のコーヒーショップ」 「今から行く。待ってて」  短い会話だった。  柿岡さんは、僕が待っている彼女の妹分のような存在だ。年下だから、僕も妹のように接している。その方が、気が楽だからだ。 「お待たせ」 「あまり待ってないけどね」 「そこは、随分待ったよとか、適当にボケてよ」 「もう一回やる?」 「バーカ」  柿岡さんとは、いつもこんな感じだ。  男女の関係とは程遠い関係。一定の距離感。心地良い間隔。 「で、何やってんの? こんな所で。もう八時だよ?」 「ん? まぁ、ちょっとね」 「ちょっと?」 「まぁ、そんな所だよ。それより、柿岡君は、何故ここにいるのかね?」 「おお、そう来ましたか。私は、あなたに会いに来たのだよ」  意外な返事が返って来た。  冗談? 何かのネタか? 「佐倉さんは来ない」  僕は、全身から血の気が引いた。  柿岡さんから出たその名前は、僕が待っていた名前だ。 「……どうして」 「佐倉さんは、彼氏がいる。今、その彼と会ってる」 「……そっか」 「二股じゃないよ? あなたと会う前から付き合ってたんだよ? 知ってるでしょ?」  知らなかった訳じゃない。何となくは察していた。でも、僕は、その「彼」といるより僕といる時間の方が長いと思っていた。僕は、自惚れていたのか? 「……こう言う時、何て言ったら良いか分からないけど……」  柿岡さんは、気を遣ってくれている。それは分かっている。だけど…… 「それならそうと、言ってくれても良いじゃないか!」 「……誰が? 佐倉さんが? 私が?」 「どっちでもだよ!」  僕は、後悔した。何もケンカするような事ではない。僕の勝手な思い込みだ。そう。僕の独り相撲なんだ、これは。 「……せっかく、慰めてあげようと思って来たのに」  柿岡さんが、小さく呟いた。 「何?」 「何でもない! それより、ごめんなさいは!」 「……ごめんなさい」 「よろしい」  柿岡さんは、器用にも、狭いコーヒーショップの椅子でふんぞり返った。 「で、この後は、どうするの?」 「この後……」 「目の前にいるのは、誰?」 「柿岡さん」  柿岡さんは、にっこりと微笑んだ。 「ここに、二枚のチケットがあります」 「?」 「明日封切りの映画のチケットです」 「大人二枚?」 「そう。そして、一枚は私の分。もう一枚はまだ決まっていません。これは先着順です」  僕はもう、こう答えるしかない。  小さく手を挙げ。  ちょっと苦笑いしつつ。 「……立候補します」  柿岡さんのとびきり笑顔を見た直後、コーヒーの良い香りがした。

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