Hama125

2 件の小説

Hama125

断罪のエクスタシア : 第一話

「ごはんできたよー!」  フィオナの元気な声が、キャンドルの薄明かりに照らされた家全体に響き渡る。  その声を聞いた子どもたちが、弾けるような笑顔を浮かべながら彼女のもとへ一斉に走ってきた。 「ほら、みんなお皿持って並んで!」  フィオナはそう言いながら、彼女の横にあった大きめの椅子の上に、大量の積み上げられた木皿を置く。  何十人もの子どもたちが慌ただしくその皿を一つずつ持ち、騒々しい喧騒の中、彼女の前で列を成していくその光景は、まるで童話の一場面を連想させるようであった。  フィオナが子どもたちの皿に次々と注いでいく夕食のカレーは、どちらかと言うと、スパイス香る野菜スープに近いものである。少ない材料で薄味のそれは一概に美味しいとは言えないものであり、食べ盛りの子どもたちにとっても、満足いくものではないだろう。   しかし、そんなことはないと言わんばかりの笑顔で皆、夕食を受け取っていた。 「カレーを注がれた子から、ミラお姉ちゃんの所に行ってね」  そう言うフィオナの後ろには、キッチンで黙々と鶏肉のステーキを切り分けている少女、ミラがいた。 「はいはい……そこ、そんなに押すんじゃない。全員分ちゃんと用意してあるんだ」    艶のある黒髪をポニーテールにまとめた、平均よりも少し背の高い少女。エプロンの下からちらりと覗く手足は引き締まっており、いかにもスポーツマンというような印象を与えていた。 「ほら、ステーキ班ミラ様のお通りだ」 そう言って、ステーキの切り分けを終え、キッチンから大皿を片手に出てきた彼女は、慣れた仕草で子供たちの皿に一つずつ、ステーキとスプーンを置いていく。  表面に薄い焦げ目を帯びている鶏肉の皮の下から溢れんばかりに滴り落ちて、カレーの表面に波紋を作り上げる黄金色の肉汁は、カレーの薄味をみるみるうちに相殺し、その香ばしい香りも相まって、子どもたちの食欲を倍増させていった。 「肉が来たぞー!」「ミラ姐、ありがとー!」 「はいはい、“僕”に感謝くらいなら、お礼に皿洗いでもしたらどうだい?」    悪そうな笑顔を見せながら、冗談めかしてそう言うミラの「僕」という一人称に、ここでは誰も疑問を抱かない。  そのボーイッシュな見た目と雰囲気が、あまりにも彼女の印象と合致していたからである。  料理の配膳が完了した子どもたちは、フィオナとミラの目線の先にある六つの長机に向かい、設置されている椅子に次々と座っていく。    そこに向かうまでの道中で子どもたちから発せられる足音や喧騒は、まるで一種の音楽のようにどこか明るく楽しげな様相を奏でており、食卓の雰囲気をより一層暖かくしていった。  少しして、子どもたち全員が席に着いた。  それを確認したフィオナは、自分たち二人と、ここ、孤児院「ララ」の養父母の分のカレーを注ぎ、残り二枚の鶏肉の切れ端を彼らの皿に載せてから席に向かった。  二人はまだ十八歳と若い少女であるが、ここを切り盛りする立派な存在だ。  二人は、料理や家事、子どもたちの世話などを、自分たちを拾い、大切に育ててくれた養父母の代わりにこなしていた。  フィオナが自分の席に着こうとした時、一人の子どもが彼女に話しかける。 「フィオ姉、わたしのおにく、たべて!」   その子は、鶏肉の乗った自分の皿をフィオナに突き出してきた。 「えっ、ユキ?」  フィオナは驚いて、席に向かう足を思わず止める。 「わたし、これがなくてもへーきだから!」  そう言い張る子ども——ユキであったが、その幼子としての大きな覚悟を裏切るかのように、彼女の腹の虫が大きな悲鳴をあげた。  彼女は顔を真っ赤にして、半泣きでフィオナから目を逸らそうとする。その愛らしい仕草を見て、フィオナは思わず吹き出してしまった。 「フィオ姉!わたしほんきなんだからね!」  最近芽生えた羞恥心と、揺らぐ覚悟の狭間で感情がいっぱいになってしまったユキは、ついに泣き出しそうになってしまう。  フィオナは、そんな彼女が浮かべている涙を拭い、優しい声で話しかける。 「ありがとう、ユキ。でもね、あなたが食べてくれないと、フィオ姉は悲しんじゃうんだよ? だって私は、みんなのためにご飯を作ったんだから」  そう言う彼女であったが、ユキはなかなか引き下がらない。 「でも、いっつも頑張ってるフィオ姉には、もっといっぱい食べてほしいし……」  口を尖らせながら、照れ隠しのように呟くユキ。その様子を見ていたミラが、にやりと笑って自分の黒髪を指先で弄りながら、小声で口を挟む。 「ユキ、ここだけの秘密なんだけど、実はね……あの子、ダイエット中なの」 「そ、そうなの?」 「そ、そうよ、私はダイエットしてるの。だから、渡されたら食べるしかないし、太ったら困っちゃうなあー」  嘘が苦手なフィオナは、ミラのフォローを活かすために必死で棒読みをした。 「……わかった、でも、おなかがすいたらおしえてね!」  そう言って、ユキは自分の席に小走りで戻っていった。 「ミラ、余計なこと言わないでよ……」 フィオナが頬を膨らませながミラの方を向くと、彼女は意地悪そうな笑みを浮かべながら肩をすくめる。 「まあまあ、僕のおかげで丸く収まったんだから、ね?」 「むぅ……」 「……それよりさ、本当に太った?」 「うるさい」 「ダイエット、手伝おうか?」 「考えとく」   キャンドルの明かりが、揺れ動く子どもたちの影を壁やカーテンに映し出している。それは外から見れば、大家族が温かく囲まれているような光景に見えるだろう。  他愛のない会話をしながら机に向かうフィオナとミラの足取りに、疲れた様子は全く見られない。  毎日のように忙しいが、彼女はこの生活が大好きであった。子どもたちの笑顔が何よりの励みで、どんな困難ですらも乗り越えられる気がしていた。 「フィオ姉! 早くいただきますしようぜ!」  そう、一人の男の子が言う。 「そうだね、じゃあみんな手を合わせて……」 『いただきます!』  その掛け声を合図に、子どもたちは夕食を食べ始める。 「……みんな、今日も楽しそうだな」  フィオナの横で、ミラが静かに呟く。  彼女の言葉に、フィオナは頷く。 「うん、そうだね」  いつもと変わらない風景が子どもたちの笑顔が、どこか胸を温かくさせる。    それが今の幸せであり、それを守ることが自分たちの与えられた使命なのだと、二人は心の底から思っていた。  あまり裕福ではない、その場凌ぎのような生活。けれど、毎日が楽しくて、平和だった。 「いつも悪いなぁ、こんなに助けてもらっちまって」 「二人とも、たまには休んでもいいのよ?」  二人の横に座っている老夫婦は、食事を口に運びながら、そう口にする。  フィオナは少し微笑みながら言った。 「いえいえ、私はただ、昔の恩返しをしているだけですから!」  フィオナは、自慢げな顔をしながら、その豊満な胸をそらす。 「嫌なことも、大変なことも、あの子たちの笑顔を見ていると、全部かき消されていく」  ミラは、頬杖をついてそう呟く。 「今なら、じいちゃんとばあちゃんが僕らを拾ってくれた理由が分かるな」  その無邪気で、楽しそうな顔を見ながら、幸せそうにミラは微笑む。 「こんな日が、毎日続けばいいのに」  コン、コン。  そんな時、軽く、玄関の戸を叩く音がした。 「おじさん、誰か来たよ」  フィオナがそう言うと、客人に気づいた老夫が立ち上がる。 「こんな時間に客か、珍しいな」  コン、コン。  再び、控えめなノックの音が響く。 「はいはい、今開けるよ」  穏やかな声とともに、養父は扉へと向かった。  ギィィィ……と音を立てながら彼はドアを開く。  扉の向こうにいたのは、謎の集団。  八、九人ほどで構成された集団は皆、同じような白装束を身に纏い、真っ白で不気味なヴェネチアンマスクを身につけていた。 「あの……なんの御用ですかな?」  彼らは、何も答えない。数秒の沈黙の後、集団の先頭にいた男が口を開けながら、真っ白なマントの内側から短剣を抜いた。 「——っ?」  何か言う間もなく、刃を養父の喉元に剣の鋒を突きつける。 「“器”を差し出せ、さもなくば殺す」  白装束の声は無機質で、極めて冷静なものであった。

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断罪のエクスタシア : プロローグ

   どこで、道を間違えたんだろうか。  大切な、何もかもが、私の手に触れた途端、呆気なく何処かに消えていってしまう。  「どうして?」「なんで?」  一生をかけて守りたいものが、手放したくないものが離れるたびに、何度、そう思っただろうか。  もっと早く、結論を導き出すべきだった。もっと早く、「自分」という名の解答用紙に、答えを書き込むべきだったのだ。  私は、制限時間を大幅に過ぎてしまっていた。  それが現実なのだと、認めなければならない。  何もかも失ってしまった。何一つ、残すことなく……いや、最初から何も持っていなかったのかもしれない。守るものすらも、幻想だったのかもしれない。最初から、こうなる運命だった、これが、正解だったのかもしれない。  最後に残った大切なものが、目の前でガラスのように脆く、あっさりと壊れる様は、不思議と、悲しくはなかった。  悲しさとは、傷つき、欠けてしまった、ガラスのように鋭く砕け散った心の破片を素手で拾い集めて修復する痛みのことなのではないかと、私は思っている。  全てを失った私の心は、完全に崩れ落ちてしまったのだ。  砂のように粉々になった、修復不可能な心の残骸。それを見て、私は安心したのだ。「もう、拾い集めなくてもいいんだ」と。  だから、もういいんだ。  そう、思っていたのに。  綺麗さっぱり消えたと思っていた私の心は、黒いもので補完されてしまった。どす黒く、スライムのように粘っこいそれは、どんな攻撃を受けようとも、全てを吸収し、崩れなかった。  私は思った。これに全てを委ねれば、何もかも終わらせられるのではないか。面白いことに、私はそれに縋り付きたいと思ってしまったのだ。  目を閉じると、体が楽になっていく。私を、抱擁して、受け入れてくれる。それが何であろうと、私はそれを受け入れるだろう。  もう何も、恐れなくていい。  もう誰にも止められない。止めたいとも思わないし、止められる訳もない。どんなものだって、壊して見せる。それが、私の選んだ道なのだ。  でも、一つだけ、心残りがある。もし、やり直せるのなら、全て、ゲームのようにリセットできるならば。  私は、かつての仲間を殺すことも厭わないだろう。  リセットするならば、どこがいいだろうか。  ああ、あの日だ。  あの日から、全てが始まったんだ。

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