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2 件の小説金木犀の夜に
呑みに行こうかーそんな話が出たのは、インスタグラムのDMだった。 その人は、 高校生時代ずっと片想いしていた私の同級生である。 陸上部で、高校から東京に来た子だった。 少し褐色の髪と、色素の薄い瞳をしていた。 一年生で同じクラスになり、 気付くと夏頃には好きになった。 ほとんど一目惚れってやつかもしれない。 当時はスマートフォンを買ってもらったばかりで、 連絡先を交換できただけでテンションがあがっていた。 異性慣れしていない私は、 毎日LINEをしてもらえることに舞い上がり、 ひょっとして向こうも好きなんじゃないか、と 淡い期待を寄せていた。 実際には対面でする会話よりも、LINEのやりとりの方が多くて、相手のことを何も分かっていなかったのだと思う。 バレンタインには、勇気を出して手作りのチョコを渡した。 律儀な彼は、それなりのお返しもくれたのだった。 しかし一年生も終わる頃、ラインのなかで、 「好きな人いるの?」と聞いた。 今思えばこれが最悪の質問だったと思う。 てっきりいないのかと思ったが、 答えた相手はクラス一の美人さんだった。 勝てっこない。 どうあがいても叶いそうにない願いに、 胸の奥が放心状態になった。 勝手に失恋したのだ。 だがそれは、向こうも同じだったのかもしれない。 二年生になるとクラスは別々になり、 それから二度と同じになることも、会話らしい会話をすることもなかった。 ラインも途切れ、諦めてしまおうと思った。 彼にはすぐに他クラスの新しい彼女ができて、 仲良さげに、毎日一緒に登校していた。 自分でも驚いたことに、 それでも私はずっと、彼のことが好きだった。 朝に前を歩く幸せそうな二人を眺めながら、 もし隣を歩くのが自分だったら、と何度想像しただろう。 私はそれ以降、複数人から告白を受けたのだが、 「好きな人がいるから」という理由で断った。 我ながらやっかいなやつだったと思う。 大学生になって、携帯の機種変更に失敗し彼の連絡先は消えた。 これでもう、二度と関わる機会なんか無いと思った。 ところが社会人になって暫く経ったころ、 突然彼がインスタをフォローしてきたのだ。 正直に言うと、 少し嬉しかった。 アカウントは基本的に旅や食事の写真しか投稿しておらず、 新宿によくいる、としか書かれていない。 相変わらず全く読めないヤツだ。 そんな彼から、呑みに行こうと誘われた。 昔の私なら、飛んで行っていただろう。 しかし私には、既にお付き合いしている人がいる。 彼を「好きだった」気持ちはホンモノだ。 でもそれは、今の彼じゃないかもしれない。 それに少しでも気持ちが動けば、 今の人に申し訳ない。 タイミングが悪すぎるよ、、、 そう心で呟きながら、既読をつけてそっとインスタを閉じた。 でももし街で彼と偶然会ったなら、 これだけは伝えたい。 昔、心から貴方のことが好きだった。 あの時伝えられなくて、本当にごめん。と。
記憶
川岸に咲いた彼岸花を見て、 ああ、もうそんな季節かと思った。 寂れた部屋ー生活保護で暮らしている年老いた父と弟の家を、久しぶりに尋ねた帰り道だった。 都心で生活していると、忘れていた秋の色だ。 真っ赤な色。 美しい唯一無二の形。 私はこの花が、昔から大好きだった。 幼い頃は、多摩川の近くに住んでいて、 よく家族で川岸を散歩した。 そんな時、よく母と一緒に笑い合いながら、 季節の花や虫を愛でていた。 秋になると、川岸が真っ赤に彩られる。 その光景がたまらなく好きだったのを思い出した。 川岸で一緒に彼岸花を眺めていた母は、 もうこの世にはいない。 3年前、私が大学を卒業する前に他界したのだ。 末期癌だった。 亡くなったのは、7月のはじめの暑い日だった。 しかし1年目、2年目と過ぎるにつれ、 段々と記憶が薄れていく。 いや、思い出す悲しみが薄れていくのだ。 夏のはじまりは、木々が希望に満ち溢れていて、 日光が照りつける。 自然の中に、悲しむ暇なんてない。 しかし、夏が過ぎ秋が来て、 一気に日照時間が少なくなると、 風景の中に思い出が増える。 実家にもあった金木犀の香りが街に漂う。 コンビニで特集されているのは、 かつて母方の祖父母が送ってきていた栗や柿。 情緒と、悲しみが同時に押し寄せる。 そして咲き誇る曼珠沙華。 記憶って、どうして幸せな部分だけ残せないのだろうか。 目の前の美しいものを見ても、 幸せな思い出と失った悲しみが蘇ってしまう。 そしてそんな記憶は、私の中で年々美化されていく。 でもそれは、全部無くしたくない、大事なものだ。 母さん、どうしてるかな。 こんな時しか思い出せなくてごめん。 きっと毎年こう思いながら、 これからも生きていくのだろう。 私は、曼珠沙華が大好きだ。