逆行電車
(何してんだよ……俺……)
魔が差した。そう言う他になかった。
前日に遅くまで嫌いな上司に飲みに連れまわされていたり、二日酔いで頭が痛くて寝起きが最悪だった事がこんな事をした動機にはなるが、しても良い正当な理由にはならない。
いつもより空いた車内では、次に向かう駅のアナウンスが鳴り響く。すれ違う向かいの電車には座る場所もなく、これでもかと詰められた人の群れ。本来なら自分が向かう都心行きの電車だった。
また駅に停車した。
今ならまだ間に合う。行け、ほら早く。
逡巡している間に電車の扉は無慈悲に閉まり、行くべき場所からまた遠ざかる。
(あーあ。もう乗り換えても間に合わねーわ)
手元のスマホに視線を落とす。
時刻は7時30分を過ぎたあたり。会社の始業時間である8時にはどうやっても間に合うはずもなかった。とりあえず遅刻する旨の連絡を入れるか。大勢の前で怒鳴り散らかす上司の姿を想像してげんなりする。
(つーか、ねみぃ)
いっそ体調不良ってことで数日休むか。
お前の代わりは幾らでもいるって普段から言われてるんだから、それは俺が会社休んでも何も問題ないですよってことだろ?じゃなきゃ理屈が合わないもんな。
楽しくねぇ。楽しくねぇよ大人って。
もっと自由でよくないか?やりたい事やって生きてはいけないのか?……俺のやりたい事ってなんだっけ?もう駄目だ。頭いてぇし、眠いしで何も考えられなくなってきた。
その内にだんだんと意識が薄れていく。俺が最後に観た光景は、会社とは逆行きの電車から見る都心と比べて緑が多い住宅街だった。
――会社、行きたくねぇ
「……ろよ。起きろよ勇人」
「んあ!あ、え?何?今何駅ですか?」
肩を揺すられて目を覚ました俺は勢い良く顔を上げて正面を見る。そこに居たのは高校生のどこか見覚えのある青年だった。
「何寝ぼけてんだよ。次、移動教室だぞ。俺は先行くからな」
「……え?あ、はい」
教室の外に駆けていく青年を呆けた頭で見送った。教室の扉を開けて彼は出ていく。教室?扉?辺りを見渡すと視界に入ってくるのは先程までとはまるで違う景色だった。
規則正しく並べられた机と椅子。横長に大きな黒板に教卓。窓から見えるグラウンド。
自分の袖口を見る。黒い布地に二つ並んだカフスボタン。中にはカッターシャツを着込んでいる。一瞬スーツかと勘違いしたがこれは違う。学生服だ。
「……なに、これ」
会社に行きたくなくて思わず飛び込んでしまった逆行きの電車。どうやら俺は違う場所に辿り着いたらしい。