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 ミレイがアリンを拾ったのは、中学校を卒業した数日後のことで、外を気晴らしになんとなく散歩していた時に見つけた。アリンは電柱の疎らな間隔に並ぶ道路沿いの畦道でか弱く叢に身を踞らせていた。ミレイはふと足を止めてその叢に近寄ってみた。掠れた緑に隠れるアリンになる猫は遠目でもそれが生き物だということが分かった。アリンは動きこそはしなかったが、目立つ真っ黒な毛を生やしていた。アリンは黒猫だった。片目がなく、酷く痩せていた。その姿を見た時、ミレイはまるで自分みたいな猫だと思った。ミレイはしゃがみ込んでその猫の姿をじっと眺める。ミレイには猫がまだ死んでいないことが分かっていて、何故猫が生きているのが分かったかというと猫は尻尾を風ではなく自分の力で揺れ振れさせていたからだった。猫は鳴き声を出せるような気力さえ無いようで、にあっ、と紙も動かせないような小さな息混じりの声を不安定に出すだけだった。そして草や枯れ葉や乾いた土に塗れて目を細めて手足を脱力させて寝転んでいる。  ミレイはその見た目以上に軽く小さな身体に手を触れて、そっと抱き上げた。本当にとても軽く、骨でも抱えているんじゃないかとも思えるような痩せ方だった。ミレイは猫としばしその場で見つめ合い、畦道に吹く風とそれにより微かに揺れる猫の体毛やピアノ線のような髭を眺めて人気の一切無い叢の中に立ち尽くしていた。  ミレイはアリンが父にばれないように、といっても父は既に以前からほぼ家には居ない状況なのだけど、それでもいつ帰ってくるかは分からないため、アパートに持ち帰ると自分の部屋の小さな物入れの箱の中でひっそりと飼い始めた。餌を与えると、アリンは容姿に似つかぬくらいにそれらを食べた。アリンに与える餌は大体決まって牛乳か小魚かまたはミレイの食べ残した惣菜類などだったが、アリンは選り好みすることなく全てに手をつけて貪った。その様子を見る度にミレイは、よっぽどお腹が空いていたんだろうと愛しそうに食べ物に在り付く姿をまじまじと眺めた。そしてアリンは果たして元々は誰か飼い主がいて、その人に飼われていたペットだったんだろうか、それとも元から草道を這歩いていた野良猫であったんだろうかというような事をミレイはふと考えた。ミレイにはアリンは何故か親猫から逸れた姿に見えてならなかったが、それが何故か根拠は持てずにいた。  アリンは雄にも見えたし、雌にも見えたが雌だった。股には雄の生殖器が無くそれは去勢されたからというものでは無いだろうとミレイは彼女を観察して思った。アリンはとても気まぐれな性格らしく、ミレイにとても懐くように近づき、本を読んでいたりなどするときに頬を擦り寄らせたり喉を鳴らしたりする事もあるかと思えば、全く飼い主に興味を持たずといった様子で何か声をかけてあやしても一日中無反応という様子を見せる事もあった。そしてご飯にしても、雨の日はよく食べるのに、晴れの日はあまり食べなかった。ミレイはアリンには何か彼女なりの独特な感性というか、ルーティンのようなものがあるんだろうかと不思議そうに気色の変わる彼女の行動を見やって思っていた。ミレイはまるで自分が彼女の親にでもなったみたいな気分を覚えた。  そしてミレイはそんな風にアリンの世話を並行しながら、自身の就職先を探した。ミレイが求人先に電話をしたり職場員募集の広告のチラシなどを部屋に広げて読み見ていると、アリンは何をしてるの?と言わんばかりにどこか不思議目そうな目つきでミレイを傾げ首で見つめた。 「私は今、仕事を探してるのよ。自分がこの家を出て行ってからお金をもらって暮らしていくための、ね」  ミレイはそんな風に話しかけて、アリンの耳や首や横頬を撫でた。いいわよね、あなた達みたいな猫はとアリンの喉元をほぐし掻いてやる。 「だって、人間みたいに仕事とか、お金とか、家とか、何にも必要ないんだから。それにくだらない人間関係とか、嫌な恋愛感情とか性差別とかエゴイズムとか主義思想とか誰かが死んだ哀しいニュースとか殺人事件とか戦争とか、そんなの知らん顔で生きていけるんだものね。ねえ?そうでしょ?」  それに、ママが家を出て行ってしまう哀しさとかパパから受ける暴力の苦痛とかも無くってさ。そう言ってアリンの目を見るも、彼女はにゃあん、と何気なく素朴な鳴き声を返すだけで当然そうなのです、私は貴方のような入り組んでこの上なく複雑な人生に於ける悩み事などは一切聞き耳立て耳に受け入れないのですといった人語を話すわけもなく、彼女なりの猫の生活にいつもの如く徹しているだけだった。 「でも、もしかしたらあなたにも、何か独特の悩みとかあったりするのかしら?猫の猫に対する猫らしい猫ならではの猫的な悩み悔やみ事が、とかね。あなたにしか分からない辛くて苦しい事もあるのかもね。ねえアリン?」
アベノケイスケ
アベノケイスケ
小説はジャンル問わず好きです。趣味は雑多系の猫好きリリッカー(=・ω・`)