恋と愛

先生はある日の講義で、ふとこんなことを言われた。――恋愛とは、愛ではないのです、と。  なぜなら恋愛には、どうしても人間の我欲が滲む。好きな相手が他の誰かと並んでいるだけで胸がざわつき、夜ごと逢いたい逢いたいと願い、己の時間を削らせ、相手の自由までも欲する。もし本当に愛しているというならば、まず第一に相手のことを思うべきはず。だが恋愛において一番に置かれるのは、往々にして――自分自身なのだ、と。  その言葉を聞いたとき、私はようやく、自分と相手との間に横たわる距離の正体を悟ったような気がした。  私はかねてより、恋と愛とは同じ感情の別名ではなく、むしろ別の領域に属するものではないかと感じていた。だがそれでもなお、恋愛というものはやはり愛の一種でもあるのだと、私はどこかで信じていたい。  最初はただ好きで好きで、どうしようもなく、己のものにしたくて策を弄する。思慕は焦燥に変わり、その切なさが人を突き動かす。そしてもしそれが実れば、その分だけ相手を深く思い、ようやく「愛する」という境地に近づくこともある。――私はそれを恋愛の理想系と呼びたい。  しかし人間というものは、かくも理想どおりには動いてくれぬ。恋い慕ううちは、胸の高鳴りとともにすべてが輝いて見えていたのに、ひとたび実れば、その輝きはかえって鈍り、落日のごとく淋しく色褪せてゆくこともある。逆に、結ばれたあとで互いに互いを縛ろうとし、いつしか共依存という名の檻に安住するものもある。  もし片方がまだ恋の熱に浮かされ、もう片方が静かな愛の境地にいたならば、その愛する側には、じっと待つという、奇妙な忍耐が課せられる。その沈黙には、恋とは異なる孤独がある。  同じだけ恋して、同じだけ愛せたなら、それが幸福なのだろう。けれども、それはきっと、春に一夜だけ咲く花のような、奇跡の一種なのである。  私はその奇跡を、都市伝説のように信じ、いつか自らの手で掴みたいと願っている。だから私は、きっといつまでも満足というものに辿り着けぬ性の人間なのだろう。  それでもなお、私は今日も、恋と愛とのあわいを、歩き続けている。
宮野浜
宮野浜