素直
私が大学を卒業した頃の話だ。街は終戦祭で賑わい、ある店舗では樽を出して火酒《ウヰスキー》をそのまま配っている。私も一杯欲しいと手を出してみたが「竜に飲ませる酒はねえんだ。そこで紅茶でも買ってみたらどうだね」と肥った狐に叫ばれた。そして仕方なく料理店にでも寄ろうと歩くと視界がごちゃごちゃと色づく。いつもは枯れている街路樹に紐を括り付けて国旗を吊しているのだ。隣では子供達がそれを見てキャアキャアと声を立てていた。そんな花束がそこらに散っているような明るい時期、私は医師免許を取って就職先を決めている最中であった。毎日吐くような緊張感に襲われ、時々頭痛に悩まされる。それも、幼稚園に通って高校を卒業するまで同じ禽獣と過ごしてきた。初めて社会に出てて知らぬ動物と触れるのだ。考えるだけで胃潰瘍が悪化する。大学に入ってから友達が出来るかと思ったが、出来たとしても幼稚園からの親友には勝てない。楽しくないし心が通じ合わないと思えばさっさと縁を切ってしまう。お前は冷たい男だな、と周りに睨まれて休日は遊びの誘いすら来なくなった。
暫くすると街灯に照らされた老舗料理店が現れる。赤い看板が吊るされて色褪せた文字が大きく書かれていた。私は何だか面白くなって、壁色に同化した扉を押し開けて入ってみた。途端に、眼を疑うような内装に心惹かれてしまう。床には赤い絨毯が敷かれており、古びた壁や棚には骨董品を置いている。暖炉の上には貴族を描いた絵画があり、花瓶には薔薇を詰めていた。自分が生まれる前から動いていたであろう時計は未だ止まることなく、チクタクと針を震わせている。さてどんな輩がこの素晴らしい店にいるのだろうと心躍らせながら座席を覗き込むと、客は殆どいなかったが一頭だけ見覚えのある動物が座り込んでメニュー表を見つめている。私は近づこうかと迷ったが彼の後ろの席にしようと息を殺して隣を通った。すると彼はメニュー表から眼を離し、私の手を力強く掴む。そして興奮で熱を帯びた顔を近づけてきた。
「心外だねえエヴァン君。僕は君がこんな店に来ると思わなかったよ。何処を見ても風刺画や昆虫標本だ。君、そういうものが嫌いだろう。それに通り過ぎるなんて、友情の欠片もないじゃないか。ほら……隣に座るといいよ」
声を上げる間もなく、四年ぶりの旧友に腕を引かれた。軈て絹の張地で、花の象嵌が施された十八世紀らしい椅子に座らされる。こういう椅子は高級だが、ずらそうとすると猫脚が擦れて音が出るのであまり好みではない。私は机に寄って旧友の顔をまじまじと見た。相変わらず瑠璃みたいな青毛で豹柄がびっしりとある。髭は白くてピンと張っていた。そして喫煙者特有の黄色い牙が唇の間から覗いている。高校の時と比べて筋肉質になり、手には軍の訓練で刻まれた傷がびっしりとある。眼は相変わらず磨いたばかりの硝子みたいだった。
「……街中で火酒を配っていたが俺は対象外だったらしい。妙に腹が立って、偶には美味しいものでも食べてやろうと来たわけだ」
「フーン、君らしいな。それにしても随分と痩せたねえ。肋骨が飛び出てるんじゃないか。それくらい大学の勉強は難しい?」
悪戯っぽく笑う豹に思わず苦笑いしてしまう。獣臭い大学の食堂での思い出は口にするだけでも胃が溶けてしいそうだ。
「いいや、勉強のせいじゃない。知らない禽獣が多いと疲労で飯が喉を通らなくなる」
「意外だね。何された?」勘の鋭い旧友は私の眼を真っ直ぐに見つめて、じいっと動かなくなった。蛇さえも勝てない圧倒的な圧力に怯んだが、よく考えてみると昔からこんなものだった。
「貴族だからと発情した女に集られて、男からは嫌われて無視された」
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カテゴリー: 恋愛・青春
投稿日時: 2026/1/31 19:09
愛染明王
諦めないで。