引き分け論
人は、勝ち負けにこだわるが、私はそうでもない。そうは言っても、“勝ち負け”という概念が嫌いな訳ではなく、その概念を取り巻く周りの雰囲気が、私にはなんとも受け入れ難いのだ。
“人は勝ち負けにこだわる”そう言ったと思うが、読者諸君もまた、そういった性分を持ち合わせているのではないだろうか。
人は、感情というものが優先的に現れる。ほんの数分前までは、死ぬほど憎らしかったヴィランが、彼らの悲劇を見た後では、負けないでと思ってしまう自分がいる。それは、ヒーローとヴィランという本来であれば、はっきりと善悪が別れて然るべき勝敗へのこだわりを、感情が凌駕してしまっているからだ。また、そんな悲劇を通していなくとも、中立的な立場で勝負を見た場合、人は劣勢な方を応援してしまう。読者諸君も、そんな経験があるのでは無いだろうか。どこの誰とも知らないチームのスポーツ観戦なんかは、良い例だ。そしてそれは、人の感受性や共感に由来するものだと、私は考えている。
私は、両陣営が罵り合うのも好きでは無い。こういった行為が場を沸き立てるという事は、百も承知であるが、私はどうも、己の立場をどちらかに決め切れないのだ。というのも、こういう勝負事は自分がどちらを応援するかによって、はっきりと分かりやすく見方が変わってくる。特に、敵にも味方にもストーリーの無いスポーツ観戦や、ただのテレビの企画なんかはそうだ。例えば、自分にゆかりのある土地のチームや、芸人がいれば、そのチームを応援しようかとすんなり決められる。が、そんな事もない様な物ならば、単に知らない人同士の勝負を見ているだけだ。そうなると、彼らの罵り合いが、私には好ましい物に到底見えなくなってくる。分かりやすくいうならば、それは醜い言い争いであり、悪口大会だ。それを聞いていると、一言目には相手が悪く見えて、二言目には最初に悪口を言った相手が悪く見える。どちらかが劣勢に傾けば、もう片方が優勢になるのは当たり前であるが、それが拮抗を成し、繰り返されると、私の心はどこへ行けば良いのか分からなくなる。
そんな事があると、私は振り回されて疲れてしまう。そしてその内、引き分けを願うのだ。実際、引き分けで終わった勝負の方が、選手達も情熱を消さず燃えず、傷付かずに終われる。
どんな勝負事も、観戦者の心を掻き乱すくらいなら、引き分けくらいが丁度いいと、私は思う。
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カテゴリー: お題
投稿日時: 2025/7/5 23:45
あいびぃ
初めまして、あいびぃです!
見つけてくれてありがとう♪
私自身、生粋のアニオタ・漫画オタなのでファンタジーが多めになってます…多分。
詳しいことは「自己紹介」にて!
まだまだ若輩者なので、応援よろしくお願いします!
※❤︎&コメはめちゃくちゃ喜びますので、私を喜ばせたい方は是非!
私の事が嫌いな方はオススメしません。